第144話 猫のゴロゴロ音は癒しの音
ハルジオンの集落へ入っていくと、灰サビネコがぼくたちに気付いて笑顔で駆け寄ってくる。
「お医者さん! また来てくれたにゃんっ?」
「どうも、お久し振りですミャ。その後、お体の具合はいかがですミャ?」
「お医者さんが教えてくれたハーブティーを飲み続けたおかげで、ずいぶん良くなったにゃん」
「それは良かったですミャ」
ハルジオンの集落の猫たちは、|重症熱性血小板減少症候群《じゅうしょうねっせいけっしょうばんげんしょうしょうこうぐん》(Severe fever with thrombocytopenia syndrome略してSFTS)という伝染病に集団感染していた。
SFTSウイルスを持っているマダニに咬まれると、発熱、倦怠感、吐き気、腹痛、下痢、筋肉痛、リンパ節の腫れ、意識障害などの重い症状が出る。
この集落の長は、SFTSによって命を落とした。
もっと早くぼくたちがこの集落を訪れていれば、助かったかもしれないと灰サビに責められたっけ。
SFTSは3週間くらいで治るけど、一部の患者に倦怠感や鬱などの後遺症が残る。
「後遺症にもハーブティーが効くから」と、ハーブティーを飲み続けるように伝えておいた。
ここの猫たちはSFTSを経験しているから、真面目にマダニ対策に取り組んでいるようだ。
蚊遣火を焚いている猫がいて、煙と匂いが薄く漂っていた。
しばらく灰サビから集落の話を聞いていると、真剣な顔をしたクロネコが近付いてくる。
「仔猫のお医者さんに、伝えたいことがあるニャオ」
「ぼくでよければ、なんでも聞きますミャ」
「あれからみんなで話し合いをして、オレがこの集落の新しい長になったニャオ」
「それは、おめでとうございますミャ」
ぼくが喜んでお祝いの言葉を言うと、クロは照れ臭そうに苦笑する。
「ありがとうニャオ。なったはいいが、何をすればいいか分からないニャオ」
言われてみれば、集落の長ってなんだろう?
イチモツの集落の長だったミケさんは、みんなから尊敬されていた。
ただそこにいるだけで、みんなが安心するような存在だった。
今の長の茶トラ先生は集落を心から愛し、みんなからも慕われている。
クロも、そんな長になって欲しい。
「みんなから慕われる猫が、長に相応しいと思うミャ」
「みんなから慕われる猫ニャオ? 難しいニャオ」
クロは、「う~ん」と唸って考え込んでしまった。
クロはまだ若い猫だし、長になったばかりだから分からないだろうけど。
長に選ばれている時点で、みんなから慕われている証拠なんだよ。
これからは、長として頑張って欲しい。
今のハルジオンの集落には、若い猫しかいない。
お年寄りの猫や仔猫は、SFTSで亡くなってしまったからだ。
生き残った猫たちに、健康診断として一匹ずつ『走査』して回った。
多くの猫が慢性腎臓病や胃腸炎などの、治すことが難しい病気に罹っていた。
おそらく、SFTSの後遺症だろう。
慢性腎臓病は、悪化するまで自覚症状がない。
自覚した時には、腎臓の機能が2/3は失われている。
きっと猫たちも、自分が重大な病気に罹っていることに気付いていない。
自覚症状がないことは、良いことなのか悪いことなのか。
木陰で涼みながらのんびりとお昼寝している猫たちを見ていると、自覚症状がなくて良かったと思ってしまう。
猫は生まれつき内臓が弱く、特に腎臓病に罹りやすい。
残念だけど、腎臓病に特効薬はない。
失われた腎臓の機能を取り戻す方法は、今のところない。
出来る限り病気の進行を遅らせることが、治療の基本となる。
その治療は、死ぬまで続く。
腎臓病の治療は、食事療法、薬物療法、血液浄化療法の3つ。
血液浄化療法っていうのは、特別な機械で血液の中にある有害物質を取り除いて綺麗にする治療法。
そんな高度医療機器は、手に入らない。
野生の猫に、食事療法は現実的じゃない。
ぼくに出来ることといったら、ハーブティーを飲ませることくらい。
野生の猫はウィルスや菌がたくさんいる危険な環境で生きているから、さまざまな病気に罹りやすい。
軽い傷や病気くらいなら、薬草で治せる。
だけど、効果的な治療法や医療品がない。
多くの猫が、治療すら受けられずに亡くなっていく。
現代医療でも、治せない病気がいっぱいある。
きっと、病気に罹らない生物なんていない。
生きるものとして、病気はどうやっても避けることが出来ないものなのだと思う。
それでもお医者さんとして、最後まで諦めたくない。
ぼくが愛する猫たちには、出来るだけ元気で長生きして欲しい。
ฅ^•ω•^ฅ
とりあえず、慢性腎臓病と胃腸炎に効くブレンドハーブティーを作ろう。
慢性腎臓病の症状を教えて、『走査』
『慢性腎臓病の症状:夜間尿、倦怠感、食欲不振、かゆみ、頭痛、動悸、息切れ、不整脈、呼吸困難、むくみ、筋肉のけいれん、高血圧、貧血、骨粗鬆症』
よし、それぞれの症状に合わせた薬草を探そう。
頭痛と食欲増進なら、イヌハッカ。
抗酸化作用、免疫力強化、血流改善、血流改善、疲労回復、抗炎症作用、解毒作用、高血圧、骨粗鬆症なら、松。
鎮痛作用、抗炎症作用、下痢、腹痛、食欲不振、消化器の潰瘍、動悸、鎮痙作用なら、甘草
今回はこの3つで、ブレンドハーブティーを作ろう。
他にも慢性腎臓病に効きそうな薬草がいろいろあるけど、シンプルな方が覚えやすいだろう。
イヌハッカと松と甘草の割合は、1:1:0.5
作ったハーブティーをみんなに飲んでもらって、配合を教えた。
特に甘草は副作用が強いから、入れすぎないようにと強く言い聞かせた。
ハーブティーを飲み続ければ、慢性腎臓病を治すことは出来なくても症状を和らげることくらいは出来るはずだ。
やることやって旅立とうとしたら、少し風が強くなってきた。
髭が微妙な気圧の変化と湿気を感じ取り、雨の気配を察する。
見上げると、黒い雲が空を覆い始めていた。
集落の猫たちも雨の気配に気付いたらしく、慌てて巣穴へ逃げ込んでいく。
ぼくとお父さんとお母さんも、巣穴へ飛び込んだ。
さっきまで強い夏の日差しが地面を照り付けていたから、巣穴の中はサウナのように熱い。
でも、出る訳にはいかない。
まもなくポツポツと雨粒が落ちてきて、すぐに激しい雨へと変わった。
雨音にかき消されて、蝉たちの大合唱も聞こえなくなった。
雨が降り始めると、少しずつ気温が下がってきた。
グレイさんは、今頃どうしているかな?
今日も暑かったから、雨のシャワーを浴びて喜んでいるかもしれない。
オオカミの毛は、二重構造になっているらしい。
濡れても中まで染みにくいから、急激に体温が下がることはないそうだ。
猫は濡れると体調を崩しやすくなるから、羨ましい。
だけどよく考えてみたら、グレイさんも雨の日は気象病になるんだよね。
きっと、巣穴の中で寝込んでいるに違いない。
ぼくも気象病で、頭が痛いし体もダルいから正直寝ていたい。
雨が止んだら、グレイさんの様子を見に行こう。
ฅ^•ω•^ฅ
どのくらい寝たのか、外が静かになったので巣穴の外を見る。
どうやら寝ている間に、霧雨へ変わったようだ。
霧雨っていうのは、雨粒がとっても細かい雨のこと。
巣穴から出て、大きな葉っぱを傘代わりにしてグレイさんの元へ向かう。
あたりは白い霧に覆われて、数m先は真っ白で何も見えない。
急に動物が飛び出してきたら危ないから、いつもより気を付けて歩こう。
『走査』の案内に従って探すと、グレイさんは巣穴の中でぐったりとしていた。
やっぱり、思った通り気象病で苦しんでいるようだ。
あまり大きな声を出すと頭に響くから、小さな声で呼びかける。
「グレイさん、大丈夫ミャ?」
『……ひとりぼっちで寂しかったから、来てくれて嬉しいぞ』
そう言ってグレイさんは力なく笑い、ぼくを抱き寄せてスリスリした。
ぼくもスリスリしながら、ゴロゴロと喉を鳴らす。
猫がゴロゴロと喉を鳴らすのは、機嫌が良い時。
体調を崩している時や不安な時にも、猫は喉を鳴らす。
喉をゴロゴロ鳴らして骨や筋肉を振動し、血行を良くして自然治癒力を高めているらしい。
ゴロゴロ音は聞いているだけでも不安やストレスを和らげ、免疫力を高めることも出来るらしい。
ゴロゴロ音の周波数は、約25〜150Hz
この周波数帯は、骨や筋肉を修復する振動として医療現場でも使われることもあるそうだ。
猫のゴロゴロ音は、癒しの音。
ぼくのゴロゴロ音で、グレイさんを癒してあげられたらいいな。




