仕事終わりの男、百貨店のチョコ売り場に立つ
仕事を終えて帰り道、駅に向かおうとした瞬間、ゆうきはふと立ち止まった。
――今日は、バレンタインじゃん。
職場のデスクには、同僚たちが持ってきた義理チョコがいくつか置かれていた。
しかし、彼の頭に浮かんだのは、毎年きっちりと手作りのチョコを用意してくれる遥香の姿だった。
「……たまには、俺から渡すのもアリか?」
そう思った瞬間、気づけば百貨店の中にいた。
「やべ、ここ女の人しかいないじゃん……。」
ゆうきは、百貨店の特設チョコ売り場の中で完全に場違いだった。
周囲の女性たちは、それぞれ真剣な表情でチョコを選んでいる。
誰かへの贈り物を考えているのだろう。
「えーっと……どれがいいんだ?」
適当に見て回るが、どれも高級そうなパッケージばかりで、選ぶ基準がわからない。
とりあえず、いつも遥香が好んで食べているチョコレートを思い出し、それに近いものを選んだ。
「チョコだけじゃ足りないか?」
ふと、隣のワインコーナーが目に入る。
バレンタイン限定のセット販売もされていた。
「ワインも好きだし……よし、これも買おう。」
結局、チョコとワインのセットを購入し、ゆうきはほっと息をついた。
――しかし、ここからが問題だった。
いざ、渡すとなると緊張する
「……え、なんでこんなに緊張してんの?」
仕事終わりに「今日は早めに帰れるよ」と連絡をもらっていたが、もうそろそろ帰ってくる時間だ。
チョコとワインの袋をそばに置きながら、ゆうきは何度も渡すシミュレーションをする。
「普通に『はい、これ』って渡せばいいよな?」
「いやでも、『いつもありがとな』とか一言添えるべきか?」
「いやいや、なんか重くなりすぎてもあれだし……!」
――こんなに悩むものなのか!?
今まで、渡される側として何も考えずに受け取っていたが、いざ自分が渡す側になると、こんなにも考えてしまう。
「遥香、毎年これをやってたんだな……。」
なんとなく、今までよりも感謝の気持ちが増していく。
ガチャッ。
玄関のドアが開く音がして、ゆうきはビクッとする。
「ただいまー。」
「お、おう、おかえり。」
「どうしたの?なんか変な顔してる。」
「いや、別に……。」
そわそわしているのを悟られたくなくて、ゆうきは視線を逸らす。
遥香は疲れた様子でバッグをソファに置くと、ふっと息をついた。
「今日、めっちゃ忙しくてさぁ。もうクタクタ……。」
「あー、大変だったな。」
「うん……。あ、そういえば今日バレンタインじゃん。」
「あ、やっと気づいた?」
「ごめん、すっかり忘れてた。」
「……マジで?」
「うん。今までこんなことなかったんだけど、今年は完全に頭から抜けてた。」
申し訳なさそうに笑う遥香。
ゆうきは、ちょっとだけ拍子抜けした。
でも――これは、逆にちょうどいいかもしれない。
ゆうきは、そっと袋を取り出して遥香に差し出した。
「ほら、これ。」
「えっ?」
遥香は驚いて、目をぱちくりさせる。
「バレンタインっていうか……まあ、いつもお前がくれるから、たまには俺から。」
「……え、ゆうきが?」
「そーだよ。」
遥香は袋を開け、チョコの箱とワインを見つめる。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……なんか、ちょっと感動してるんだけど。」
「そんな大げさなもんじゃねーよ。」
「いや、だってさ。いつも私ばっかりだったじゃん。ゆうきがこうやって渡してくれるなんて……。」
照れたように笑いながら、遥香はワインの瓶をそっと撫でる。
「ねえ、これ、今飲もうよ。」
「いつもありがとう」
グラスにワインを注ぎ、二人はソファに並んで座る。
「なんか……渡す側になると、いろいろ考えちまうな。」
「ふふっ、でしょ?」
「いつも何も考えずにもらってたけどさ。お前、毎年準備してくれてたんだよな。……ありがとな。」
ゆうきが素直にそう言うと、遥香は嬉しそうに微笑んだ。
「うん、ありがと。こうやって言ってもらえると、今までやってきてよかったなって思える。」
「……来年からも、よろしくな。」
「もちろん。」
グラスが軽く触れ合い、静かな夜に小さな音が響いた。
窓の外では、冬の冷たい風が吹いている。
でも、部屋の中は、ほんのり甘くて温かい空気で満たされていた――。




