めげない!負けない!バレンタイン!
朝の冷たい風が頬をかすめる。
バレンタインデー。高校生の頃、私はずっと意識しないようにしてきた日だった。
だって、すばるさんは生徒から大人気だったから。
どれだけ禁止されていても、どれだけ「受け取りません」と言っていても、こっそり渡そうとする生徒は後を絶たなかった。
すばるさんも、最初は断っていたらしい。でも、せっかく頑張って準備してくれたものを無下にはできないと、結局受け取ってしまう。優しさが仇になるタイプ。
そして——それは今も変わらない。
「ただいまー」
仕事を終えて帰ってきたすばるは、大きな紙袋を片手に持っていた。覗いてみると、案の定、そこにはぎっしりと詰まったチョコレート。
……多い。
生徒だけじゃなく、職員室の先生からも渡されたらしい。
「今年も多いね……」
すばるが苦笑いしながら紙袋をテーブルに置いた。
「……ふーん」
気づけば私は、涙目になっていた。
いやいや、ダメだ。
これくらいでヤキモチ妬くなんて、なんて小さい人間なんだ。
「ん? どうかした?」
すばるが不思議そうに覗き込んでくる。
「べっつにー!」
私はぷいっと顔を背けた。
こんなの、私が子どもっぽすぎる。
だって、結局は私の彼氏なのに。
でも、渡せなかった。
——せっかく準備したチョコ。
それでも今は、こんな気持ちで渡したくない。
「れん、ちょっとこっち来て」
私は、リビングで遊んでいたれんを呼んだ。
「なあに?」
「ほら、これ。バレンタインのチョコだよ」
私はれん用に用意していた小さなチョコを差し出した。
「わーい!」
れんは嬉しそうに受け取る。
「……ねぇ、れん。パパってすごく人気者で、なんか少し嫌なんだよね……」
私はぽつりと呟いた。
れんはチョコを見つめながら、きょとんとする。
それから、ニコニコと笑った。
「パパ、すごいね! ヒーローみたい!」
「ヒーロー……?」
「だって、みんなに好かれてるってことでしょ? パパ、かっこいい!」
そうか。
子ども目線だと、そうなるのか。
「じゃあ、あゆみちゃんはパパのこと好き?」
「え……?」
思わぬ言葉に、私は一瞬言葉を詰まらせる。
だけど、れんはただ純粋な目で見上げてくる。
「……好きだよ」
「やっぱりパパ、すごい!」
れんの無邪気な笑顔に、私はハッとする。
——そっか。
私は「好き」ってだけでいいのに、なんでこんなにぐちぐち考えてしまっていたんだろう。
よし。
意を決して、私はキッチンに向かい、こっそり隠していたチョコを手に取る。
そして、すばるのもとへ。
「すばるさん!」
リビングにいるすばるが、顔を上げた。
「……あゆみ?」
「これ……その、バレンタインの……」
私が差し出すと、すばるは一瞬驚いたような顔をして、それからふっと笑った。
「実は、ちょっとだけ期待してたんだよね」
「え?」
「だから、他のチョコはまだ食べてない。一番最初に食べたくて」
……かわいすぎる。
なんだ、この無自覚な破壊力は。
私は何とも言えない気持ちになりながら、すばるの前にチョコを置いた。
「じゃあ、食べてみてください」
すばるはそっと包装を開け、一口かじる。
「……ん。美味しい」
その言葉に、私の心がふわりと温かくなった。
「よかった……」
その後、すばるがもらってきたチョコは、みんなで分けながら食べることに。
私もひとつ口に入れる。
——負けない。
これを渡した人たちに、絶対に負けない。
そう思いながら、私はチョコをかみ砕いた。




