【導く二つの廻る螺旋】9
パアアッ
世界を包み、輝かせた光は雪を蒸発させた。
真白に染まった終焉の世界に光をもたらし、世界に色を戻していく。
緋桜の花弁は何時の間にか消え失せ、季節外れに咲き誇っていた桜も花を急速に散らせ、新緑の芽を芽吹かせ茂っていく。
水面に映る色も淡い桃色から空の色と緑へと移り変わった。
水面から空に視線を向ける。
あんなに厚い雪雲と【闇の世界の欠片】で覆われていたのが嘘のように、向日葵が似合いそうな深い空色になっていた。
何処からともなく聞こえ始める蝉の声。
本当の季節は初夏だったことを思い知らされた。
池の端に身体を移動し、皆で地面に降り立つ。
黒主の身体から溢れていた闇は収まり、虚空に消えていった。
ピクリとも動かない身体。
眠りに堕ちる雪の力によって、深く眠りについた黒主。
愛しそうに髪を撫でる真白は、安堵と寂しさが混ざった表情をしていた。
【眠っている間なら、力は殆んど使わないだろうから、これ以上狂う事は無い……か】
ギュッと黒主を抱き締め、顔を埋める真白。
ボクはそれをずっと眺めていた。
今は何も話さず、此処に居ることが大事でしょう。
杏も亜梨栖も何も言わず、ボク達を見守っていた。
ボク達のしたことは間違っていない筈。
ですが、もう少し何とか出来たのではないかと思うと、胸が苦しくなります。
暫くはそうしていただろう。
黒主を抱き締めていた腕を緩め地面に寝かせ、真白が立ち上がった。
【黒主の贄】
「…………はい、何でしょうか?」
真白に向けた笑顔が作り物の様に張り付いているようで嫌になる。
無理矢理笑っていたって誰も喜ばないのに。
彼女の言いたいことななんでしょう?
もしかして自らの存在について――――
【…………ワタシも一緒に浄化してくれないか?】
「「えっ(なっ)!?」」
思いがけない言葉に亜梨栖と二人で驚く。
考えていたことを裏返すように、ボクの心に突き刺さりました。
【黒主を独りにしたくない】
「あ……」
彼女の言っている意味は良く理解出来た。
大切だからこそ、何時までも傍に居たい。
ボクも亜梨栖や杏に抱く気持ちだから良く分かる。
だけど、今黒主が眠りに付いた時点でボクは半身と思える程だった力を失った。
其れはバームクーヘンの中心の様にぽっかり空いていて…………此れを亜梨栖には体験して欲しくない。
ボク自身、真白には消えてほしくない。
黒主にとって、大切な・護りたかった片割れ。
だからこそ、彼女には居なくなって欲しくない。
「……嫌だ」
【亜梨栖……】
「ずっと見ることが出来なかったオマエの姿を始めて見れて、これからもずっと一緒に居られると思っていたんだ。お前が居たから……ワタシはあの時彼処まで生きれたんだ」
「そうですっ。ボクも黒主が居たから、彼処まで生きれたんです。辛くて忘れてしまったけれど彼はずっとボクが思い出すまで傍に居てくれました。貴女には生きててほしい。黒主の為にもボク等の傍で」
必死に彼女を引き留める。
黒主に手を掛けた辛さをもう味わいたくない。
これ以上、誰か居なくなるようなことはしたくないです…………
【今は未だ期限が来てないが、何時かワタシも黒主のように狂うだろう…………黒主は一番願っていた願いを叶えることは無かった。アイツの中を占めていたのは…………】
黒主の対に当たる彼女は彼のことをどう思っていたのだろう。
似すぎてるのに相反する外見・中身を持っている彼女達。
ボクと亜梨栖と同じ、歪な対。
想いも通じるようで素通りしていく関係。
例え片割れが消えることになっても、消える側の片割れは残った側に自分の分まで生きて欲しいと願う。
ですが、残された側は?
相手の気持ちに気付かないまま、【生】という重荷に耐えられなくて死んでしまうのではないですか?
ボクの死を認めたくなくて狂ってしまい、ボクがそれを止めた後消え行くボクの目の前で……大動脈を切り裂いた彼女みたいに…………
「…………分かりました……亜梨栖」
「っ!? 綾兎!!?」
そうです…………彼女の言うことにボク達が口出し出来る立場じゃない。
だって、ボク等が体験したことをボク等と共に見ていた彼等は、自分達の立場に置き換えて見ていたかもしれないんです。
片割れが自傷して死ぬ。
目の前で其れを突きつけられるように見ていたボクと共に存在していた黒主は。大切な贄が自らを切り裂き死んでしまった瞬間を隣で見ていた真白は。
大切な方が居なくなることに恐怖を覚えたのでしょうから。
明かされていない事実だから亜梨栖は知らない。
自分の死に様を、殺した相手が眺めていたなんて気付かなかったし思ったことすらなかったのでしょうから。
「真白は……黒主と共に眠りたいのですよね……傍に居たい……其れが真白の願い?」
【……ああ。他にもあるが、其れは叶いそうに無いからな…………】
「他の願い?」
其れは黒主の叶えたかった願いと同じでしょうか?
「叶いそうにないって、どういうことだ?」
亜梨栖が聞く。
『その願いだけでも叶えたい』
そんな思いが伝わってくるような表情をしていた。
顔を歪める真白。
【流石にオマエ達でも無理な願いだ…………黒主と共に会いたいと願う相手は当の昔に亡くなっているからな…………オマエ達の傍に居るだけでも満足出来ている。これ以上は望まないよ】
ハハッと笑う彼女は、ボクと同じ様に笑顔を張り付かせていて、諦めていることが見受けられる。
「…………」
言葉が出ない亜梨栖は、只俯いているだけで、悔しそうに拳を握りしめていた。
【あの頃と姿は変わらないけれど、オマエ達は成長したな……黒主は反対していたけど、住人になれたお陰でオマエ達の傍にずっと居ることが出来た】
【其れだけで…………もう充分だ】
全てを見透かし理解して諦めて……真白は瞳を閉じ、力を受け入れる為に両手を広げ身体の力を抜いた。
ボクは真白を封じようと力を込め――――ハッと気付く。
光の住人であるボクの力が通用するのは対――――相反する属性【闇】に対してだ。
同じ属性同士でも、【世界の欠片】みたいに飲み込まれたモノではなく、無機質な欠片だけだったら、欠片の力を弱めて元に還すことは出来ますが…………真白の属性は光。狂う前で封じるというのなら、ボクではなく【闇の世界の住人】である亜梨栖の力の方が通用する。
「真白…………ボクには出来ません…………封じるとしたら亜梨栖の力じゃないと…………」
「っ」
意味を理解し、頭を振る彼女。
真白も自身の贄にやらせたくはないのでしょう……何か言いたくても声にならないといった感じで――――
「ワタシはやりたくない……これ以上大切な奴に手を掛けたくないっ!」
イヤイヤと駄々をこね、感情と共に溢れた涙が頬を濡らしていく。
【亜梨栖……やれ】
「っ!!」
白雪を構え、清んだ闇を刀に宿す。
彼女の刀は血色に染まり、煌めく。
亜梨栖は刃の先を真白に向け、胸を狙い振り上げ――――
「はい、そこまで」
「「【っ!?】」」
白雪を持った手を杏に抑えられ、力の放出を踏み止まった。
「……はぁ」
一つ溜め息を付く彼の思いがけない行動に、ボク等は唖然としていた。
「杏、どうして……」
「どうしてもないよ。そんな皆して自暴自棄になって力を使っても後で後悔するだけだよ?」
少しきつめの口調で、ボク等の考えを踏み止める。
「綾兎も亜梨栖も待って。僕が動くまで真白に手を出さないで」
ゆっくりと真白に向かって歩み寄る杏。
ですが、その足取りは何処と無く覚束無くて…………そういえば、杏は倒れて保健室に運ばれていました。未だ体調が戻らない状態で力を使っているんでしょうか?
【ヒヅキキョウ……】
「真白の願いは何?」
【え】
「さっきからずっと静観してて思ったんだけど、皆して諦めていない? 確実に無理なことは仕方無いし、ずっと望んでいなくていい。けれど、別な願いまで諦めていたらその先には絶望しかなくなる。本当は別に叶えたい願いがあるんじゃないの? 二つのリボンに綾兎が刻んだように」
「え……?」
語られ始めた真相。
杏……気付いたんですか? ボクがリボンに残した願い。
「亜梨栖は刺繍には気付いていたけれど、意味までは調べなかった。真白、君が彼女の対なら黒主の願いも知っているし、長年憑いて居たんだから理解出来る筈」
【確かに其れはそうだが…………ヒヅキキョウ】
「何?」
【オマエはこれから何をするつもりだ?】
「勿論、願いを叶える為に動くんだけど?」
なにか? という感じに話を振られても一寸困るのですが…………
「取り敢えず今は僕自身も体調が芳しくないから、何も出来ない。下手に力を使って暴走したら大変だしね…………黒主と真白には少し待ってほしい。今は黒主を横に出来る場所に移動したいかな」
蒼月と呼んでいた武器を光に変換し鍵に戻す杏。
服装も戻し、ボク等を見つめる。
「……何時黒主が目覚めるか分からないのに呑気だな」
フッと苦笑する亜梨栖。
さっきまで背負い込まされた状況から救われたからかホッとしたようです。
ボクも亜梨栖の手を汚す所だったことを反省する。
自分がやって嫌だったことを彼女にもさせてしまう所でした。
悲しい思いをさせたくい。そう思っていたのに…………
ぽんっ 「?」
ボクの頭に杏の手が乗る。
ぽんぽんっと軽く置いた後、優しく頭を撫で始めて――――
「杏?」
彼は表情に影を落としながらボクに言う。
「綾兎は良くやったよ。だから自分を責めちゃ駄目。人は何かを傷つけなきゃ生きていけないんだから……」
『僕だって……』と彼の心の声が聞こえた。
それでも、彼は気付いてくれた。
何処までボク達の過去を知ったのかは分かりません。
ですが、気付いてくれるのは凄く嬉しいんですね。
だからボクももっと知るべきなのかもしれません。
亜梨栖の事も。黒主と真白の事も。
氷月杏の事も―――――
キーンコーンカーンコーン
校舎からチャイムが聞こえると共に、沢山の人の声も聞こえてきた。
黒主の力で創られた世界が消えたことによって受けていた力も消えたのだろう。
眠りから覚め、幻のような雪の世界を少しずつ忘れていって…………日常に戻る。
「もう午後二時過ぎたんだ………僕は保健室直行して休むけれど、二人はどうする? 授業出る気力ある?」
「「ない(な)(です)」」
即答する二人。
【其処は少し考えるべきじゃないのか? 一応生徒なのだから】
呆れ顔の真白。
杏はその光景を眺め――――笑った。
回りを惹き付けるような素敵な笑顔で。
そして――――足下から崩れ落ちるように倒れ、意識を失った。
*
「ヒヅキキョウっ!?」
倒れた杏に駆け寄る亜梨栖。
「どうしたんだっ!? 一体…………」
「疲れただけですよ……只でさえ体調が悪かった所を無理させてしまいましたから…………ボクを触った手、凄く熱かったです」
亜梨栖と同様に杏の元に寄り、しゃがみこんで言う。
「杏は全部知ってしまった上で動いてたんです。肉体疲労よりも精神的な疲労の方が溜まってしまったのでしょう……意識を保ってられたのは、杏の精神力が人一倍強いからです…………他人の過去まで直接受け止めた上にそれに向き合ったら誰だって潰れちゃいますよ…………」
両手を杏にかざし、光を宿らせる。
【良癒再還】
ポウッとボクの手から溢れた力が彼を包み込む。
身体の疲労を吸い取る能力。
癒しと安らぎを彼に与える。
少し苦しそうだった彼の顔をそっと撫でる。
人形のように整った顔の表情が緩む。
張り積めていた糸をピンッと切ったように、杏の表情は穏やかになっていった。
どれくらい、気を張っていたのだろう。
どれくらい辛いのを堪えていたのだろう。
熱は直ぐに下がるものではないので、彼も言っていたように保健室で休ませることにする。
「亜梨栖はどうしますか? 真白を匿える場所でも捜しましょうか?」
「…………ああ、そうする」
「…………亜梨栖?」
「……なあ、綾兎」
「何ですか?」
「何時かで構わない…………話せるときで、オマエが話しても大丈夫だと思えたときでいい。…………オマエが抱えている過去全てを話してくれないか?」
「え――――」
「まだ、隠していることがあるだろ? 【真白】が分かる範囲は過去を見せてくれた。だけど、囚われていた間の…………オマエが生きて来た間の日常は分からなかったんだ。それを含めてオマエのことを全部知りたいんだ!」
「――――っ」
「ワタシが首を切った所もオマエは見ていたんじゃないか? だって、住人になって始めてあったときと――――」
「言わないでいいです……ボクは……住人になったとき……」
それ以上、言葉を出すことは出来なかった。
感情が止まらなくなりそうで、彼女を傷つけてしまいそうで怖くて……
「住人になって貴女に逢えたとき、凄く嬉しかったと同時に辛かったんです。ボクの願いのせいで、貴女を現世に繋ぎ止めてしまいました…………生まれ変わることも出来たのに、その道すら絶ってしまったのですから…………」
逢ったとき、抱き付きたい衝動に駆られたと同時に、亜梨栖から憎まれていそうで苦しかった。
彼女はボクという対が居ること以外、過去を覚えていなかった。
そんな彼女にボクの人生なんて知られたくなかった。
無垢な彼女に教えるモノじゃない。
其れはとても非情で屈辱な醜いモノだから。
けど………っ……ずっと……ボクはっ……
割れた隙間から漏れ出すように感情が溢れ出す。
「綾兎…………やっと向き合えるんだな。ワタシ達は何処かすれ違っていたからな……」
「亜梨栖…………っ」
涙で顔がぐちゃぐちゃになっているボク……わたしを亜梨栖はそっと抱き締める。
優しく包み込むようにわたしの髪を撫でた。
姿は戻っているままだから髪は彼女と同じ長さ…………見た目は完璧に瓜二つになっていた。
外見の色彩・内面は正反対なわたし達。
手を繋ぎ、指を絡め額を彼女の額にコツンとつけた。
「ボク……いえ、わたし達は沢山すれ違っていたんですね……やっと……やっと同じ道を歩めますか……?」
「そうだ。これからはずっと一緒に――――」
お互いに泣き笑いな状態のわたし達を真白は眺めていた。
【氷月杏……彼ならワタシ達も救ってくれるのだろうか………亜梨栖と綾兎の様に…………彼女にもう一度逢う事は叶わなくても、二人と共に居られるように…………】
全ての結末は彼が目覚めてから――――
*