【導く二つの廻る螺旋】8
*
〜眠りの底の少女〜
あのとき、彼等は初めてヒトを信じてくれた。
わたしのせいで、彼等を傷付いてしまい…………わたしも消えることになってしまったけれど。
けれど、大切な人と一緒に死ねたのだからわたしは満足だったんだよ。
だって家に縛られず二人で居るには駆け落ちするか心中するか…………二人で話していたの。
だから彼等が縛られるいわれはない。
【死】という眠りについたわたしの想いの欠片が彼等には感じ取れないものだけど――――わたしの血を継ぐモノ達が何時か彼等に伝えてくれると信じてる。
命が消え去る瞬間、彼と共にわたしは彼等に祈った。
どうか、わたし達の分まで生きて幸せになってほしい…………と
*
ガチャッ 「っ」
扉を開けた先――――視界に写る惨状に既視感を覚える。
思わず息をのみ、何度も深呼吸してこの場で起きた惨状を受け入れた。
『此れもあの時と同じなんですね……』
廊下には複数の教師や生徒が力尽きるように倒れていた。
辺りを見渡ししゃがみこみ、一人の脈を取る。
『意識はない。呼吸は浅くゆっくりですが脈はあります……まだ眠っているだけなら助けられますか……?』
今度こそ、間違いは許されない。
全てを無くして尚存在するか、救う為に犠牲になるか…………か
立ち上がり、足を動かす。
歩調は徐々に早くなり、校内を走り始める。
駆け上がり、降りて、走って、開けて…………繰り返して情報を得ていく。
階段も、教室も。起きている人は居なかった。
其れでも起きている人を探した。
少しでも遠くに逃げるように。
捲き込まないように…………
逃げてなんとかなるかは分からない。
果鈴様も拓海様も、探しているけれど見当たらない…………これ以上被害が出ないように動いているのかもしれません。
………或いは校内に入れないでいる……か。
『っ』
堪えきれなくて、タタタッと階段をずっと駆け上がった先にある扉を開け、屋上に出たとき目を疑った。
降り積もる雪と花弁は高校の敷地内のみで、其の先の景色は目を凝らしても見れなかった。
中庭の花壇に咲く朝顔や向日葵。
薔薇の花も雪に埋もれていて重さで茎が垂れ下がり、折れそうで。
桜や欅・紅葉等の木々も歯に雪を乗せて。
綺麗だけど残酷な―――世界の最期を迎えていた。
「………っ」
言葉は出せなかった。
意思を強く保つ為にギュッと拳に力を込める。
彼のときはこんな最期を望みました。
朽ちて汚れた生涯の最期位は綺麗に迎えたかった。
だけど今はこんなの望んでない――――
ジワリと溢れ、ポタポタッと床に落ちる涙。
あれ………何で泣いてしまうんですか。
ずっと伸ばしてたことを受け入れただけに過ぎないのに。
無くさなきゃいけないのが辛い……其れだけ大切なんですね……っ
涙を拭うよりも先に探す。
優先順位を間違えないようにしないと…………
ハァハァと息を切らし、特別教棟や図書館、そして――――ボク達のクラスへ向かう。
『桜果さん、睦月さん、水無瀬さん――――』
ガチャッと扉を開く。
「だれか――――え?」
黒板の下・床に崩れ落ちる人々。
ダラリと垂れた手が目につく中、一人の人物が机に座り、本を読んでいた。
涼しげな顔で頁を捲り、風が髪を靡かせ、外の景色と相まって――――一枚の絵みたいだ。
「桜果さん……?」
杏と同じ薄い色素の癖のある髪。髪と同色の瞳。
彼の大切な従姉。
彼女に影響が出てないことに違和感を感じながら、一人でも起きていた事実に安心する。
凛とした彼女はふとボクに気付くと、フワリと笑顔を浮かべながら振り向く。
人形のように整った美少女。
澄んだ瞳がボクを捕らえた。
思わず息を飲む。
ボクと瞳を合わせ、一言。
「この約立たず」
「あうっ!?」
グサリと刺さる一言。
ううっ、言葉が刃なら致命傷です…………
相変わらず毒舌の度合いが半端じゃない。
この方なら言葉で人を殺せますよ……うぅ。
氷のような冷たい悪魔の視線は杏に全然似ていない。
外見はかなり似ているのに……髪の長さと瞳の色が違うだけですのに。
ボクの考えなどお構いなしに口を開く彼女。
「約立たず約立たず約立たず…………只の愛玩動物ならペットショップで売られてしまう前に愛で尽くしてくたばらせてあげるのに…………護る事も・戦う事も出来ない駄目兎ね」
「っ!!?」
ちょ、一寸、言い過ぎじゃないですかっ!?
Mじゃないボクにはかなりきつい言葉なんですけど…………あぅ。た、確かに言っていることは的を得ていますね…………ずーん。
「杏が一緒でない所を見ると、彼の子はまだ眠ってるのね。周りは眠ってしまって暇すぎて――――落書きしてたわ」
「え、今本を読んでましたよねっ!?」
ガバッと彼女の声に反応。
会話が噛み合わなすぎますよっ!?
「飽きたのよ」
パタンッと本を仕舞い、きゅぽんっと黒マジックの蓋を開ける桜果さん。
「飽きたというよりは、書くスペースが無くなったのよね」
キュキュッと書き始める。
「ちょっと何に書いて――――っ!?」
「くー、すー」
「Zzz……」
ああ、無防備に眠る睦月さんの顔に眼鏡とルネッサンス的な髭と、頬に花丸が書いてある。
水無瀬さんに至っては瞼に目を書かれ、眉毛は凛々しくなり、鼻を黒く塗られ「くたばりなさいっ、この駄犬」と両頬に文字まで入っていた。
暇潰し方法が半端じゃないです。
といいますか、さっき読んでた本も睦月さんが書いたえっちな本ですよねっ!?
何時もブックカバー付けているのに…………杏と水無瀬さんのそっくりさんが描いてあったのですぐに分かりましたよ…………
…………分かってしまうボクもかなり……はぁ。
「今なら五十%OFFで黒メイクをしてあげるわ。さぁ、カモンカモン」
「ちょいちょいと手招きしないで下さい。そんな黒歴史嫌ですっ!」
さっきとの態度とは打って代わり、含み笑いでちょいちょいと手招きする彼女。
「大丈夫、油性マジックで書くから安心安全♪」
「水性ペンより酷いですっ!!」
安全じゃないですよっ!!!
「仕方無いわね……更に終わったらクレンジングで落としてあげるわ――――家に帰ってからだけど」
「羞恥プレイはもっと嫌ですっ!!!」
ゼィゼィと息を切らす。
何時も杏の役目だったので、ツッコミが此処まで疲れるのを忘れていましたよ…………
ボクがぐったりしているなか、マジックのキャップを閉めペンケースに仕舞い、微笑む彼女。
「やっと泣き止んだかしら? 駄目兎さん」
「あ……」
彼女に指摘されるまで忘れていたけど、すっかり涙が引っ込んでしまっていた。
「ふふっ、顔くらい拭きなさい。弄りがいが無いじゃない」
べしっと制服のポケットから小さく畳まれたハンカチを顔に押し当てられる。
淡い紫地に黒レースが付いた大人っぽいハンカチ。
拭いてる間に何だか縫い目が当たった気がしますが、高そうなのでデサインが凝ってるのかもしれませんね。
でも、ハンカチって紐付いてましたっけ……?
拭きながら考える。多分、彼女は本当は優しいんだと思います。外見が似てるからどうしても杏と重ねて考えてしまうから、ドSのお姉さんのイメージが強くなるのかも知れないです。
急いで涙を拭って返す。
「あ、ありがとうござい――――」
「じゃあ、汚した分は口に含んで吸い取りなさい」
「っ!?」
な、なんなんですか、この変態お姉様は。
サアッと血の気が引く。
桜果さんは『さぁ、靴を舐めなさい。犬』という感じで言っていますが、ハンカチをちゅぱちゅぱ吸うのはかなりの人間としてアウトですよっ!?
前言撤回です。杏と重ねなくてもかなりの変態さんなのですっ!!!
「嫌なら杏の口にでも押し込むがいいわ」
「分かりました、早速――じゃないですよっ!!」
危なかった。思考がかなり窮地に追いやられているからか、疑問を感じなくなってました。
危うく杏を変態にするところでした…………ごめんなさいです、杏。
「…………因みに駄目兎さんが持ってるのはハンカチじゃないわよ?」
「え、だってこれハンカチ――ぶっ!?」
ひらりと広げて理解した。
何で気付かなかったのだろう。上品なレース使いの…………セクシーな淡い紫の紐パンティー。
「ワ○ールの最新モデルの大胆に黒レースをあしらった紐パン。あ、勿論洗濯してあるわよ?」
ドヤ顔で言っていますが、そういう問題じゃないですっ!!
「な、なんでハンカチの代わりにそんなの持ってるんですかっ!!」
思わず叫ぶ。睡眠妨害になろうが、ことが解決しない限りどうせ起きないのでほっときます。
「其れは勿論――――あ…………貴方に話すには気が引けるわね」
「何ですか今の間。顔も赤いですし……」
ほんのり色づく頬。ちょっと彼女らしくない表情。
彼女は窓を向き、終焉の緋桜を眺めながら呟く。
「性的な事に使うのよっ」
「桜果さん、開き直って言わないで下さい…………」
出来るだけ本体を気にしないようにしつつ紐パンを手渡し、溜め息を付く。
恥ずかしいのを一定量越えると、開き直るんですね……年の功のなす技といいますか…………どうしても彼女が杏と同い年には見えません。
杏自身もかなり大人びていますが、彼女はもっとです。
睦月さんや水無瀬さんが年相応に対してこの二人は……育った環境ですかね?
「……何か今、失礼なことを考えなかったかしら?」
ひぃっ!? ニコニコ笑いが凄く怖いですっ!!!
背後に般若が見えますっ。
「全く…………わたしは別に杏と貴方がくっつこうが気にしないけれどね。同性愛なんてありふれてるし。両性愛者なわたしよりはマシだと思うわ。外野三人が五月蝿そうだけどね」
「そ、そうですか……」
なんなんでしょう。顔が赤くなってる気がします///
オカマでは無いんですが、緋桜家では女として育てられてきたからか、女々しくなりましたね。
女装男子を名乗れる気がします。いや、好きでやってた訳じゃないのですが。
語ってる彼女は出来る女って感じがします。
…………経験の差ですかね。
一体彼女は何処まで大人の階段を登り、踏み外したのだろう。
コホンッと咳き込み、話の流れを変える。
「話を戻しましょう。…………なぜ貴方は起きてるのですか?」
そう、ずっと聞きたくても言質を取られ、言えなかったこと。
だっておかしいのだ。一般人である彼女が何故只の人間達と同様に眠りに堕ちないで存在しているのか。
前回力が暴走したときは、誰もが眠りに付いた。
付かなかったのは殺されなかった亜梨栖と、ボクの魂だけだった。
「普段寝てるから反動でよ。ナルコプレシーに近い症状をわたしは持ってるもの。今は眠りに付く気配すらないわ」
「惚けないで下さい。ボクにもそれくらい分かります。どうしてなんにも影響を受けないんですか?」
流石にボクが此処まで食いかかるとは思わなかったのか、僅かに表情が曇る。
けれど其れは一瞬の事で、直ぐに何時もの余裕を取り戻し彼女は言葉を繋ぐ。
「杏に誰よりも近い存在だからよ」
「っ」
彼女が話すことが嘘か真実かは分からない。
けれどその一言は、納得させる力を持っていた。
双子のボク達に近い彼ら。
従姉弟の二人は育った環境も殆んど変わらない。血は薄くなるけれど、ボク達よりはずっと――――魂の繋がりが濃いだろう。
「今更驚く事じゃないでしょう? 馬鹿なの?」
「馬鹿にするのもいい加減にしてください」
そうなると彼女は、杏を支える立場なのではないですか?
其れにしては杏に自身の立場を明かしていない。
一体彼女は何をしたいんでしょうか…………
いぶかしげにボクが見ていたからだろうか、彼女は肩を竦め、話を続ける。
「他にも…………わたしも貴方達と似た立場に縛られているから。わたしだってそこそこの力は持っているもの……そうでなければ亜梨栖と出逢うことは無かったわ」
『あれ?』と彼女の言葉に違和感を覚える。
似たような立場に居るとなると、彼女はボク等と同じ様に【家に捕らわれている】って事ですよね?
表向きは自由奔放に見えますが、其れはもしかして本質を悟られないようにしているんではないでしょうか…………
「だからって……彼の時は能力者だって眠りについたのに?」
ボクの言い分に、片手で頭を押さえる彼女。
髪の先を弄りつつ、言葉は続く。
「抑今回の件に関しては、【あちら】もわたしを飲み込みたくないのよ。これ以上力を持って制御出来なくて、狂ってしまうのを恐れてる。【本宮】に逆らう気は無いのよ」
【本宮】
その名には聞き覚えがあった。
緋桜の元凶の殺害した相手の片割れの家系。
もし、彼女が本宮の末裔なら…………遠い過去では彼女と黒主達が繋がることが分かる。
「貴方は一体…………」
外見があまりにもボク達に似ていないのは、本宮よりも杏の家系の血筋が強く出ている証拠。
でも、ボク達と同様に【家系の力】を手にしているのなら、先祖がえりのように似るのが――――あ
当たり前じゃない。そっか、古い家系だからこそ、もしかしたら彼女は――――
悶々と推理を膨らませているボクを横目に見て、彼女は窓の景色を眺めながら溜め息を付く。
杏の癖が移ったんでしょうか。
「詳しい事はややこしくなるから今はまだ話さないわ。貴方のやるべきことは、この現象を何とかすることでしょう?」
「…………そうですね。桜果さん、この場をお願いします」
「あら、『逃げろ』とは言わないのね?」
ボクを見ながら不敵な笑みを浮かべる彼女。
「睦月さんと水無瀬さんが【只眠っているだけ】で済んでるのは、貴女のお陰でしょうからね」
彼女が起きて、何らかの力を使っていなければ、死屍累々の景色があったはず。
もしかして校内の方々が命を奪わずに眠りにつけているのは彼女のお陰か。
…………其れとも、黒主の意思でか。
「分かってるじゃない。ならそんな駄目兎さんに幾つか助言よ」
「…………何ですか?」
「今、貴方がやろうとしていること実行するまで、出来るだけ時間を持たせなさい。亜梨栖が戻るまでは、勝手に行わないこと。貴方達にはもう後がない。一度目は【死】だけだけど、二度目は【消滅】よ。生まれ変わることすら出来ないように世界に消されるわ」
「けど、亜梨栖は」
「亜梨栖ならきっと杏が連れてくるわ。其の後は貴女の役目よ?」
「え?」
彼女をどうして杏が連れてくるのでしょう。
桜果さんの言っている意味が分からない。
理解出来ていないのを桜果さんは察したらしい。
視線で『馬鹿なの?』と訴えてくる。
真剣な話だけに、居心地辛い。
抑、どうして彼女にはボクのしようとしていることが分かるのでしょうか。
「【不思議の国のアリス】は時計兎を追って異世界に迷い込んだのよ? アリスは必ず兎を追い掛ける。じゃあ、駄目兎さんは亜梨栖をどうしたいのかしら?」
【不思議の国のアリス】
タイトルが聞いたことあるくらいで中身は知らない。
けれどなんとなく言いたいことは伝わってきた。
思いを口にする。
「…………ボクは護りたいです。亜梨栖が幸せに生きる為ならなんだってします」
「駄目兎さん――――雪代綾兎が勝手に自身を護って消えることが彼の娘の願い? そんなわけ無いわっ」
「桜果さん…………?」
何時もに比べ、真剣な顔の桜果さん。
「護る側は護られる側の気持ちを知るべきよ。其れで大切なものを無くしてしまうのなら自身を差し出すわ」
「…………」
「見付けて。二人が幸せになれる願いを――――但し消えるのはわたしが許さないから」
どうして彼女がここまで言うのかは分からない。
もしかして、過去に大切な誰かを――――?
「何もかも無くした後じゃ何も掴めないわ…………だから後悔しない行動をしなさい」
「桜果さん……分かりました」
複雑な気分になりながら、受け入れる。
「其れに弄りがいのある二人が居なくなったら、つまらないわ♪」
「さらっと本音が出ましたよねっ!?」
此の人駄目ですっ、ボクが言うのもなんですが、根本的に歪んでます。
「これは建前で本音は貴方達が居なくなると反動が睦月ちゃんに出そうなるから防ぎたいだけよ? 睦月ちゃんの【初めて】に手を出したいのを抑えるのは結構大変――――」
「睦月さんを離してください!!」
「杏でも良いわよ?」
「見境無いんですか!?」
「お気に入りに手を出すのは当たり前よ?」
「貴女の理想を押し付けないで下さい。当たり前どころか犯罪一歩手前です」
「えーつまらないわ」
「残念そうな顔しないで下さい」
駄目です、疲れます。ツッコミ役は無理ですっ!!
「………やっぱり似てるわね。杏に。自己犠牲主義だけは似ちゃ駄目よ?」
ほんのり苦笑いの彼女。
「杏は自己犠牲なんてしてないですよ?」
「彼の子は無意識にやってることがあるから……」
無意識に行う自己犠牲。
ボクは亜梨栖の幸せを願い、自らの人生を閉じました。
其れは半分諦めていたし『どうにでもなれ』と思っていたからで…………
もし、彼が無意識にボクのように――――いや、ボク以上に自分に対して何にも感じていないのなら、ボクがボクで居られるうちは護りたいと思います。
ズンッ 「「っ」」
ビリビリと空間が圧迫するように響く。
「さ、相手はお呼びのようね。せいぜい杏が来るまでしぶとく生きなさい」
言い方はきついけれど、彼女なりの優しさで。
「はい。じゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
手を降る彼女に答えるボク。
教室を離れ、校庭に向かう。
現実と向かい合い、亜梨栖を待つ。
黒主の声が聞こえなくなった時点で気付かなくてはいけなかった。
だからこそボクは――――
「待っててください、黒主」
貴方の気持ちを理解できるように。
もう一度向き合おう――――
*
「行ったわね……そう……それでいい」
彼が去った後、わたしは床に崩れ落ちた。
カハッ 少し吐き気がする。
綾兎くんへ接触した時に掛けられた圧力は収まり、室内は静寂で満ちる。
『流石にこれ以上はわたしの身が持たないわ……彼らの神に影響を受けてるなかで力を使うのは反発してるのと変わらない』
口をパンティーではなく持っていたハンカチで拭う。
軽く込み上げた胃酸が口腔内に拡がり、苦味と焼けるような痛みを訴えた。
『…………少し安静にしてないと、不味そうね』
傍の二人に視線を向ける。
全く……水無瀬も睦月ちゃんも暢気に眠っちゃって、誰が護ってやってると思ってるんだか……
ムギュッと睦月ちゃんの鼻を摘まむ。
気持ち良さそうに眠ってた彼女の表情が少しずつ険しくなる。
けど起きる気配もないし……可愛そうになったので止めた。
『その代わりにキスするわ♪ ん――――あ……』
クイッと彼女の顎を持ち上げ、顔を近づけて……彼女の顔に落書きをしたのを思い出した。
流石に落書きされてる顔を直視しながら、キスするのは気が引ける。
「ま、彼女に使ったペンはメイク用の奴だから拭き取りシートで落ちるわね」
手を伸ばし鞄に入っているポーチを取り出し、拭き取りシートで丁寧に拭う。
水無瀬に使ったのは紛れもない油性ペンだし、約立たずな駄犬には丁度良いわ。
「これでよしっと……じゃ、早速――――」
べちっ
彼女の手が唇をガードする。どうやら身の危険を察したらしい。
―――じゃあ、身体はさわり放題ね♪
手をワキワキさせ、彼女のスカートの中に手を伸ばし――――
ぐいっ 「……さっきからなにをしてるのかな? 桜果ちゃん」
「ちっ、後少しだったのに」
「女の子に手を出すのはどうかと思うよ? というか私で遊ぶの止めてくれないかな?」
両手で自身を抱き締め、体を丸める彼女。セクハラ防御体制に入ったのは分かるけど……
「むしろ体育座りをして膝を抱いてるから下着か見えそうで……誘ってるしか思えないのよね♪」
「っ///」
ガバッとスカートを押さえる彼女。
「ブラウスから覗くうなじもそそるわね………にやにや」
「〜〜〜っ///」
慌てて自分の席にあるミニ枕のリボンを外し、広げる彼女。
ぬいぐるみ型膝掛けを彼女は枕にしているから、膝掛けモードで体を隠すのだろう。
其れにしても膝掛けにしては普通の毛布並みに大きいのね…………外は雪が降って寒いし……
「じゃあ、膝掛けあれば裸になっても恥ずかしくないわね。おねーさんとえっちな事でもしましょうか♪」
「桜果ちゃんは私に何をさせたいの!!?」
「勿論えろい事――――もがっ」
「いい加減に私で遊ぶの止めて。状況を察してっ!!」
「そんなに大きな声を出すと気付かれて排除されるわよ?」
「あ」
慌てて口を閉ざす彼女。
世界の破壊者に見付からないように縮こまる。
そんなことしても気配でバレるって…………
「……何時から起きてたの?」
「綾兎君が来た時かな……二人のやり取りを聞いて笑いをこらえるのに必死だったよ……」
「起きても良かったのに」
「私が多少妙な力を持っている事を知られたくないもん。杏にも綾兎君達にも……厄介事に捲き込まれたくないし」
「もう捲き込まれてるわね」
「うぅ…………昨日完徹して眠かったから、周りが眠り始めた時に睡眠確保しようとしたのが良くなかったかな……お陰でちょっと眠れたんだけど」
「私を放置して眠る辺りいい性格してるわよね……落書きだけじゃお仕置きは足りないか……」
「メイク落としのシートで拭いてなんとかならないからねっ!? 寮に帰ったらしっかり落とさないといけないじゃないっ。其れになんで桜果ちゃんのお仕置を受けなきゃいけないの!!!」
「暇だから」
「理由になってないよ!!!」
「だから声のボリューム落としなさい。消されたいの?」
「うぅ……」
膝掛けを自身に巻き付け、教室の隅に移動する彼女。
バックに入っているお菓子を取り出して食べ始めている。
ああ、餌付けして愛でたいっ///
くしゅんっ 「冷えてきたわね……」
SSに言われるままにカーディガンを羽織って防寒対策をしてきたけど、冷気までは対処しきれない。
睦月ちゃんの持っている膝掛けより大きな毛布が、杏のロッカーに押し込まれていたのを思い出した。
幸い鍵は掛かっていなかったので直ぐに取り出せた。
でも、此れだけじゃ床からの冷え込みに堪えられそうになさそう。
「……使う? えっちな事しないならいいよ? 私達の意識がこれ以上落ちないように力使ってるみたいだし。ギブアンドテイクだよ?」
「良いの? じゃあ、睦月ちゃんの膝掛けを下に引いて寒さを凌ぎましょう!」
教室の片隅に睦月ちゃんの膝掛けを下に引き、杏の毛布に二人でくるまる。
彼女の体温を感じ、少しホッとする。
「杏のロッカーにその大きさの毛布……どうやって持ってきたんだろう?」
ダークブラウンの毛布。
見た事無いものだから、貰い物かしら?
「圧縮袋に入れて圧縮すればなんとかなるんじゃないかしら…………流石杏。主夫力に長けているわね」
広げるとふかふかのふわふわ。
仄かにラベンダーの香りが漂う其れは、杏の痕跡を残しているようで。
『…………うとうと』
「眠い? 香りでリラックスしたからか、わたしも眠くなってきたわ」
「うにゃ……でも……寝たら飲み込まれそう……」
「睦月ちゃんの事はわたしが守るから大丈夫」
「……貞操は?」
「其れは同意しかねないわ。でも、今回は真面目になる。此の状況を乗り切るまでは手を出さないから安心して?」
「…………うん」
こてんと、肩に頭を凭れさせてくる彼女。
彼女から伝わる体温が心地よくて、わたしも微睡み始める。
意識が途絶える前に、わたしは両手を前にかざし、詩を唱えた。
『わたしに宿る光よ、彼女とわたしを護るべき盾となれ。【陽覆】』
ふわりと彼女とわたしを包む光。温かな結界。
わたし達が世界から消される前に事が済むように、彼等はどう動くのかしら?
――――たとえ、此の世界ごと存在を消されたってわたしは構わない。
もしかしたら睦月ちゃんも水無瀬も、彼と一緒に居られるのならそう願うのだろう。
杏が、二人が居ない世界なんて想像したくない。
彼の時わたしが窓から離れていて、怪我をしなかったら…………杏があんな風になる事は無かった。
わたしが居なければ、彼はもっと幸せに――――
『馬鹿ね…………過ぎてしまった事を沢山後悔したのに、まだ其処から動けなくていて。でも、わたしが居なかったら…………彼女は…………』
忘れてはいけない存在理由。
今は睦月ちゃんと共に眠りにつこう。
ほんの一時の微睡みに浸かって…………其れからもう一度彼とやり直そう。
無くした欠片を新たに創る為に。
そして、可能性を広げる為に。
『次、起きた時には全てが良い歯車のように動き出しますように』
七夕は過ぎたけれど、遅れた願いを叶えてくれるのなら、どうか聞き届けてほしい。
そしてわたしは――――眠りに墜ちた。
*
かれらは囚われている。
過去も・今も。
かれらは大切な忘れ形見だ。
だからこそ、ワタシたちが力を与え護ってきた。
時には彼らがわたしたちの為に命を差し出すことがあった。
かれらの家系は狂っていた。
わたしたちから力を与えられた子を何度殺したのだろう。
力を欲するがままに、沢山のモノを壊してきた一族。
何時しかそんなモノは滅びれば良いと願った。
今回の贄の子達は、驚いた。
彼らはわたしたちを庇って死んだ彼女の魂を持つ双子だった。
だが、贄の双子が揃うのは初めてで、片割れは幽閉され手酷い扱いを受けた。
身体から自由を奪われた状態で日頃の鬱憤の晴らすための捌け口にされた。
汚い感情を浴びさせられ続けた。
身体と心が壊れかけた彼にはワタシの声は届かなくなった。
彼はワタシの与えた力で少しだけ未来が視えた。
そして――――対の存在の亜梨栖に殺されることを知ってからは、自分の未来を諦めて彼女に殺される日を待っていた。
彼女だけが彼にとって、唯一の希望だった。
ワタシの存在を忘れて、徐々に衰弱していった彼は、ある日抵抗出来ない状態で複数の男に麻袋に詰められ――――彼女に殺された。
彼を殺した彼女は狂って真白から受け継いだ力を暴走させ、世界を滅ぼしかけた。
それを止めるために彼はワタシの力を引き出し、ワタシに願った。
ワタシの存在を覚えていた。
綾兎の願いは叶うはずだった。
真白と彼女を助け、彼と共に消えるワタシ達の目の前で―――――彼女が自ら大動脈に刀を当て――――自害を図らなければ。
*
大切な存在の気配を感じ取り、その場所へ向かう。
雪と共に舞う終焉の緋桜。
竜巻の様に花の渦が、学校裏の森の中で舞っていた。
少し開けた場所。生徒達が立ち入らない聖域。
山間部の湧き水が小さな滝となり落ち、池が出来ている。
その周りを囲むように、狂い咲きの桜が花吹雪を起こしていた。
花弁が波紋を拡げる。
「来ましたよ、黒主」
花渦に問い掛けるように言葉を投げ掛ける。
答えるように花渦は収まり、ブアッと亀裂が入り開ける。
中から現れた青年はストッと地面に降り立つようにして池の中心に浮いていた。
『解』
ボクも力を解放し、本来の姿に戻る。
彼と同じ、黒髪・蒼瞳。
癖のある短髪の彼は漆黒を身に纏い、頭部には垂れたウサ耳が。お尻には丸い尻尾が付いていた。一寸可愛い。
実は今まで声は聞いたことがあっても、姿を見たのは今回が初めてで……生意気かつ冷めたイメージの外見。歳は二十歳位に見えますが、ボク以上に生きている彼。
ボクの神様。
【ずっとワタシを忘れていたか?】
「そう……ですね。感謝しなければならないのに、貴方の存在を無意識に追いやっていました」
問いかける声は素っ気なく冷たい。
唯一声を聞ける相手に忘れられていたのなら、やさぐれても仕方無いですね。
ずっと、自分は被害者だと思っていた。
だけど、本心は知らないうちに相手を傷付ける加害者。
【ヒヅキキョウに出逢ってからは特にな……どうして此の世界に居られるか忘れたわけではないだろ?】
「分かってます。黒主が居なければ、ボクは――――」
【彼の時、ワタシが【闇の住人】になることを受け入れて、今のお前は居る】
「…………はい」
そう…………彼が居なかったらボクは、あのまま消えていた。
魂を無に還し、新たな生命の一部になる為に捕われる筈だったんです。
【だが、もう良いだろ?
対を守る為に自ら傷付き、あげくの果てには部外者まで捲き込んだ。そして、その部外者はお前のせいで傷付いて死にかけたが、アイツは【夜の支配者】の次期当主になる為に契約した。アイツの傍に居る必要はもう無くなった。だから――――】
「今度は、ボクが貴方の願いを叶える番ですね。真白と亜梨栖を救った力の代償を払う為に」
ずっと思っていたこと。
彼に報いたい。
今までの恩を返すために、ボクが出来るのは…………
大切な黒主を自由にするために、身も・心も全て黒主に明け渡す。
たったそれだけで済むんです。
【さあ、我が手を取れ。綾兎】
本能に直接問い掛けられる言葉。
ボク自身の苦しみ・哀しみをを無くしてくれる取引。
黒主の力で身体は浮き上がり、引き寄せられる。
花吹雪がボクの存在ごと覆い隠すように包み始めた。
だけど――――
「嫌……です」
【何?】
意識さえも奪おうとする力に抗い、絞り出した言葉に黒主が固まる。
「消えたくない……っ……」
今までずっと、何時か来る終わりを待っているだけだった。
苦しみも哀しみも全部受け入れないと生きることが出来なくて。
嫌なことも全部、逃げることさえ許されなくて。
だけど、仮初めの此の世界で、生前には手に入らなかったものが揃ったのです。
だからボクは――――
「此処でボクが貴方の贄になるのは構いません、その後貴方独りになってしまうのは嫌ですっ!!」
【なっ――――】
彼らから全てを聞いた後、亜梨栖と身体検査をしながらお互いに探りを入れて出来た仮定。
彼らが贄を必要な理由は、殺された女性から分け与えられた力を吸収すると同時に、仮初めの身体を壊されてしまったから。
彼らは代々緋皇家の自らの贄を創り、力を吸収していた。
しかし、力によって本来の身体は地中に蔓延り、少し動いただけで世界を揺るがす程になった。
彼らは肉体を棄てて当時の贄――――ボクと亜梨栖に力を分け与えてなんとか存在を保っている。
彼らが居られる身体は――――力の性質上、緋皇家の血筋だけだ。
そうなると、緋皇家の血を引くのはボクと亜梨栖だけだから…………どちらかが欠けたら彼らは存在出来なくなるんだ。
だって、ボクらの肉体年齢は止められてしまい、本来もつ筈の生殖器は発達しなかった。
幾ら住人じゃなく、生きていたとしても緋皇の子孫を残すことは出来ないのだから。
「黒主、貴方には消えてほしくないです。力を抑えてください。このままじゃ貴方もろとも世界が壊れて――――」
【…………こんな世界なんて消えてしまえばいい。ワタシの大切な存在を傷付け、更に縛り付ける世界なんて要らないだろ?】
「でもっ、此の世界が在ったからボクは――――貴方に向き合えたのですっ。消さないで下さい、大切なものを無くしなく無いのなら壊さないでっ…………」
【…………ムリなんだ。もう】
「え…………」
【そろそろオマエに与えた力も暴走するだろう…………そうなれば住人の力が此の世界以外にも被害を及ぼす。そうなる前に………】
「黒主……?」
【ワタシの本来の力は闇だが、【光の住人】であるオマエの力は光だ。力の差があろうがワタシの力を受け継いでいるオマエならワタシの身体に傷を付けられるだろう…………オマエの力でワタシを封じてくれ】
「っ!? 嫌ですっ!! 聞いてましたよね? ボクは貴方には消えてほしくないんですっ!! そんなの出来ないしやりたくないですっ!!!」
【いや、オマエがこの世界を護りたいのなら…………ワタシを消すしかない。本来の肉体は創造主によって分解され、オマエ等の武器になった。だが…………其れはワタシの精神から繋がりを取っているから力を使えるのだ。しかし、オマエの神力も同時に喰らい尽くしていくのだ】
「え…………でも、其れは贄だから…………」
【そうか…………やっぱりオマエは…………】
苦し気に呟く彼。言葉に出せない哀しみが表情から伝わってくる。
「黒主……? 言いたいことがあるのなら言ってください――――っ!?」
グイッとボクを抱き締める彼。
いとおしく、優しくボクを抱き締める。
女性と同じ様に伸びた髪を手で漉き、ボクの頬に触れた。
【オマエは要らない】
「っ」
まっすぐ見つめられ更に身体に力を込められる。
痛いほどに。その痛みは彼が感じているものには及ばないですね…………
【贄なんて要らない。ワタシの・ワタシたちの為に犠牲になる必要なんか何処にも無い。オマエ達はどうして自分自身を大事にしないんだ?】
黒主の言っていることは分かる。
生まれた環境でそれがさも当たり前のように振る舞われていた状態で、それ以外の疑問点が想像することすら出来ない環境で生きてきた身に、自身を大事にするなんて考えもつきませんでした。
『もしかしたら今までの贄もそうだったんですかね…………彼等の死を…………沢山の死を見届けてきた彼等は何を思ったのでしょう』
神様もボク達と同じ様に心を持っています。
「全部吐き出して下さい。ボクが全部受け止めますから。だから――――」
【また、壊れるのか? 受け入れた重さはオマエが堪えられるものじゃない。全てを奪われ、唯一命を削って救った相手に目の前で自害され………いつ裏切られるか分からない状態でまた自分を偽りながら存在するのか?】
「――――この性格の方が万人受けするじゃないですか。壊れかけの歪な【わたし】が表に出る必要は無いんですよ? だって、どんな【わたし】も全部引っくるめて【雪代綾兎】なんですから。其れにもうこれ以上受け止めても変わりません。言ってください。共感させてください。少しでも楽になれるのなら…………ボクは貴方を……黒主自身を知りたいのです」
【歪な黒の贄。白の贄は何も知らずのうのうと生きてるというのに……オマエはそれでいいのか? 何も知らさず、存在することがどんなに辛いことか……】
「亜梨栖は知らないままでいいのです。無垢なまま穢れを知らず存在してくれればボクはかまわない」
【一番何も知らず生きてるアイツには、ばらすつもりはないのか?】
「言えるわけ無いですよ………ボクが願った我儘に振り回されたせいで、彼の人生を狂わせたのですから――――」
杏には知っていてほしかった。
亜梨栖と同等にボクにとって大切な彼には――――と、何度も思っていました。
だけど、彼荷背負わせたくないんです。
この世界の真実を彼が知ってしまったら、過去のボクのように壊れてしまうのが目に見えているのだから。
でも…………もし杏が全てを知ったとき、壊れないでいられる程精神面を保つ為に、ボクの過去を知るべきなのかもしれません。
どちらが正しくて・間違っているのかはボクには分からない。
けれど、この出来事は。
氷月杏にとって、ほんの一時の事でしかないのです。
【綾兎、オマエの願いの代償は過去に支払われているんだ。オマエ達の母親に…………そして、オマエ達の肉体の止められた分の時間を代償として】
「其れは無意識に払ったもので、代償には釣り合いません。強い力を持つものを二人も身の内に宿していたのなら…………産むときに堪えられなくても仕方はないですよ」
中絶して、生きることも出来た筈。
それをしなかったボク達の母親は、ボク達を生かすことを優先した。
周りも産むことを強制していたのだろう。
一族にとって都合の良い・繁栄をもたらす力なら…………腹を裂いてでも引きずり出していたでしょうから。
だから、黒主が悪いわけではない。
自らより強く、都合の良い力を欲する人々が、与えられたもので満足できないモノが悪いのだから。
【綾兎………助けてくれ】
「はい」
人々の醜い感情で狂ってしまった黒主の願いを叶えるのは――――ボクです。
【【闇の世界の欠片】が、氷月杏に出逢ったあのとき、浄化しきれていなかった欠片が身体の中に入り込み、徐々に蝕んでいった…………閑崎観柚が力を使い、制御が利かなくなった時、ワタシの中を蝕んでいた力も目覚め……狂い始めた】
杏と出逢ったときからずっと、彼の身体を蝕んでいた【闇の世界の欠片】
ボクの力は【光】
相反する力の中で、彼はずっと苦しんでいたんですね…………
ビシッ パキンッ
花弁が硝子のように割れ、弾けて砕ける。
虚空に舞う花弁の残骸は血飛沫みたいに地面を埋め尽くしていった。
白を埋め尽くす赤。
彼女の最期を見たときと同じ色彩。
かき氷の上にシロップを流すように血が雪に染みていった。
あれから一時期、亜梨栖の瞳を見ることは出来なかった。
雪のように白く・苺のように紅い瞳が、あのときの光景を思い出させるから。
ですが、何時からか亜梨栖の瞳に自身を写したいと思うようになりました。
ほんの一瞬でも良い。ボクのことを思ってほしかったから。
だから、ボクは抱き締めている黒主の温もりを・感覚を身体に刻む。
大切な存在を忘れないように…………
黒主が何かボクに伝えようとする。
ボクは只、ずっと抱き締めて側に居ることしか考えられない。
彼を一人にしない為に、全てを捨てて。
かつて、彼がボクのために肉体を・全てを棄てたように――――
【タイムリミットだ。綾兎…………すまない】
バリンッ
空間にヒビが入ると同時に、浮き上がっていた彼の身体から力が抜けた。
「黒主…………」
重心が傾き、ボクにのし掛かるようにして彼の身体が崩れ落ちる。
ギュッと抱き締められたまま――――黒主の力の供給がプツリと途絶え、ボク自身も黒主と共に真っ逆さまに頭部から堕ちた。
…………今、【光の住人】の力を使えば――――いや、黒主との供給が切れた状態で迂濶に使って、暴走しないとは限らない。
もしかしたら、またあのときのように―――――
バシャンッ
水飛沫を上げ、湧き水の池に堕ち――――黒主と共に沈んでいく。
ゴホッ ガボッ
呼吸すらままならず、空気の代わりに池の水が呼吸器から入り込んでいく。
苦しくてもがき、池の底に視線が行った。
『あ…………』
真っ暗な池の底、泥の中に紛れ沢山の朽ちた人骨が沈んでいるのを視界に捕える。
っ 、そうか………此処は聖域。
特殊な力を持つものが封じ込めた場所。
その光景はかつてボク等が壊した場所に似ていた。
力で無理矢理眠りにつかせ凍死にさせ――――雪で埋めたあの場所に。
此処で起こった惨劇は池の底に沈められたんですね。
ボク達の死体を葬ったあの場所も…………崖から突き落とされた身体は海に沈んでいきました。
浮かばないように重石をつけられ、棺に入れられ波に飲まれ生物の贄となり…………かつての肉体と同じように此処でもボクは――――
此処も、力を持つ誰かが大地を動かし、水を湧かせ――――沈められる程の力が働いてもおかしくないですよね…………
本来、埋もれるはずだった場所に、魂を還すだけです。
黒主から溢れ出た【闇の世界の欠片】がボクと黒主を覆い隠すように拡がる。
息が出来なくて意識を保てないボクの身体は、鎖に縛り付けられたように底に沈んだ。
浮き上がることも儘ならない状態で、何故かボクは安心していた。
これ以上、黒主を一人にしなくて良いのですね…………
もう、二度と彼を離さない。
身体の先から石に変わるように感覚が失われていく。
ゴボッ カハッ
――――そして、ボクの意識は消えた。
*
綾兎達が幸せになる方法。
その為には空間を出ると同時に、彼等にも協力してもらわないといけない。
「その為にも真白には本来の姿に戻ってほしいんだけど」
【っ!?】
「? どうしたんだ? マシロ」
驚く真白の声。
この空間を作れる程の力の持ち主が、本来の姿を取らずに現れていないのはおかしいから。
一寸違和感があるというか…………今まで姿の見えない状態でよく此処まで会話が成立したよなぁ…………
「いい加減、姿を現したらどうなの? 容姿に自身が無い訳じゃないでしよ?」
【いや…………氷月杏の言っていることは正しいな。だが、此処ではムリだ。だって此の場所は――――】
「真白? どうしたんだ??」
亜梨栖も気になったようだ。当たり前だろう。もしかしたら彼等は守護神の声は聞こえても、姿を感じられなかったんだろう。
厄介な事になりかねないのは目に見えているし。
行動を促す問い掛けをする。
「【真白の中に僕達は居る】って事なら、現実世界に戻れば良い。そうすれば会えるでしょ?」
【それはそうなのだが…………う……】
声の感じから、動揺しているのが伝わってくる。
亜梨栖も感じたのだろう。
「マシロ、ワタシからも頼む。とりあえず元の世界に戻してからワタシ達の前に現れてくれるか?」
【うっ…………そうだな。ワタシも腹をくくる時が来たか……】
何故だろう。実体化して居られるだけの力があるのに踏ん切りがつかないらしい。
さっきまでノリノリで僕等を弄っていたのに、急にしおらしくなって…………何か訳があるのだろうか。
【じゃあ、戻るぞ。準備は良いか?】
「うん」「了解した」
真白の言葉が無理矢理自身を納得させたように思えるのは気のせいだろうか?
まあいい、戻れば分かる事だ。
【我から生まれた世界よ、我に取り込まれたものをあるべき所に戻し、望む場所に繋がりを作りたまえ。【返還】】
ブアッと風が巻き起こり、僕達を包み込む。
そういえば綾兎に出逢った時も、亜梨栖が僕の部屋に不法侵入して去った時も風の力が働いていた。
桜・雪・風…………彼等はこれらを元にして力を使っているのか。
此れに光と闇・浄化・治癒力・視る力が彼等には扱える。
力を体感する事が多い僕も未だ馴れない。
僕自身の力も良く理解していない状態だ。
只、誰かの願った(創り出した)世界に入り込む事が出来る。
力の浄化、空間の核を破壊。
其れが【夜の支配者】の力を受け継ぐモノが使えるのだろう。
昂月も・僕も其の為に存在していると言っても良い位だ。
役目に縛られたまま、何れ位此の世界で生きられるのだろうか?
昂月と交代し、【夜の支配者】となる。
其の為に僕が彼に出した三つの約束。
一、出来る限りの範囲で僕を支え、力の使い方を教える事。
二、必要時に僕の意識とシンクロして【光と闇の世界の住人】に各々の事を話、協定を結ぶ事。
此の二つの条件は然り気無く果たされている。
お陰で、僕の存在を住人達の間で認めたのか、余計な事はしてこなくなった。
何も知らなかった頃には戻れないけれど、特殊な力を持っても、嫌がらせ等の酷い目には遇う事は無さそうだ。
そして、三つ目。
此れがなかったら、僕は精神的に不安定でいただろう。
保険として作り上げた内容。
もし僕の力が暴走し、誰かを傷付け手を下すことがあったら――――昂月の手で殺してほしい。
昂月に話した時に、驚愕された内容。
…………当たり前だ。『殺してほしい』なんて誰かに願う内容じゃない。
けれど、自分自身の嫌っている事に手を染めていきたいとは思わない。
誰かが傷付くのなら、自分が傷付いた方がずっと良い。
この先――――僕はきっと沢山のヒトを傷付けるだろう。
今だって綾兎と亜梨栖を救う為に、黒主や真白と共に生きるという亜梨栖達の願いの為に動いている。
多分、戻った世界で綾兎達の心を切り裂いてしまうかもしれない。
なんとかなるといっても、成功する可能性は低いのだから。
「え…………?」
不意にギュッと亜梨栖に手を掴まれる。
「どうした? 眉間にキューッとシワが寄っていたが…………なんか気になる事でもあったか?」
「いや、何でもないよ?」
「…………そうか」
フイッと僕から目をそらし、流れる世界を眺める彼女。
もしかしたら心を読まれた?
彼女には未だしも、綾兎には絶対知られたくないな。
僕は、自分が死ぬ事なんてなんとも思っていない。
只、僕が死ぬ事で誰かが傷つくとしたら避けるだけ。
僕の存在の有無が関係しないのなら、消えても構わない。
だから、【夜の支配者】の力が暴走したら――――始めに自分を傷付けるだろう。
亜梨栖が向けた視線の先。白の世界。
フワリと風が止み、視界が開けた。
「んっ………此処は……?」
何時もと変わらない筈の景色。
初夏に降り積もった雪に白く覆われた学校。
誰も居ない保健室のベッドの上に僕は横たわって居た。
そっか、引き込まれた時に身体は此の世界にあったままだから、誰かが運んでくれたのだろう。
意識のみ飛ばされていたから肉体がある所に引き寄せられた。
亜梨栖は床に居た。具体的に言うと、何故か僕の手を握りしめた状態で、僕が眠っていたベッドに上半身を持たれかけていた。
こう…………『看病している間に手を繋いでベッドに顔を伏せるように眠ってしまいました』的な感じで。
うん……気まずい。
恐る恐る声を掛ける。
「あの…………亜梨栖?」
「……ん? なんだ……? っ!!?」
カアアッと顔を紅くする彼女。
「なっ〜〜〜〜っ///」
バシッと繋いでいた手を振り払う亜梨栖。一寸痛いんですが。おい。
顔を真っ赤にし、言葉が出ないらしい。
何でそんな状態なのか聞こうとした所で、ふと払われた手の甲に何かが巻かれている事を知る。
紅いリボン。まるで亜梨栖の瞳のような色合い。
そして、僕の【絆の鍵】
彼女が持っていたはずのリボンと制服のポケットに入れていた鍵。
それらが無くさないようにと結び付けられていた。
僕は眠りに付き、亜梨栖と共に真白の中に飛ばされていた状態だった。
そんな中、こんな事が出来たのは――――僕の鍵と亜梨栖のリボンが一緒にある時点で二つを知っているモノが行った事が分かった。
綾兎しか居ないじゃないか。
対のリボンを持っていたから、亜梨栖は引き寄せられた。
手を繋いだままだったから、僕自身の力も働いたのかもしれない。
手に巻き付けられたままではどうしようもないので、片手で取ろうとする。
だけど、ぴったり隙間無く縛られていては中々取れなくて――――
はぁと溜め息を付いて彼女の前に手を差し出した。
「な、なんだ?」
「亜梨栖、取って」
「な、何でお前の手に結んであるんだっ!!」
フギャーッと叫びそうな程僕を威嚇する。
やったのは綾兎だし、威嚇しても意味はないんだけど…………ほっとくか。
最初はさっさとリボンを取り、懐に納めようとしていた亜梨栖だったけれど、中々ほどく事が出来ないようだ。
片手で指示を出しながら、ほどき方を教えてあげると居心地の悪そうな顔で僕を恨めしく見ていた。
不器用なんだなぁ…………
数分後、シュルッとリボンが緩む。
「よし、外れた」
亜梨栖がリボンを外したと同時に【絆の鍵】を手に取り握り締める。
其れはパアッと蒼白い光を放ち、僕の姿を変換させた。
魂は力を解放させた状態だったから、詞を唱えなくても変身(?)出来た。
脳内で二つの短刀をイメージし、鍵を変換させて作り出し、服の端にかける。
そして、自分のモノを取り戻して浮かれていた彼女の手からリボンを引ったくった。
「こらっ、何をするっ!!」
「刺繍の文章は…………お、あった」
掠れてしまっている所もあるけれど、なんとか読める。
何時もだったら、誰かに送った内容を見るなんてプライバシーの侵害に当たるからと避ける行動だけど、綾兎の彼女に対しての本心が知りたかった。
単語を少しずつ読んで理解し、意味を繋げていく。
【I hope you will have a happy life.】
そっか…………綾兎は此れを本心で願ったんたんだ。
「意味は…………なんだ?」
亜梨栖が聞く。ずっと持っていた方のリボンの意味も知らなかったらしい。
『調べなよ』っとツッコミを入れようとして止める。
あんな過去を経験し、別の人生を歩むようになっても、自分の役目に囚われていて。
そんな中で、世界を巡っていた彼女等にとっては色んなモノが目新しかったのだろう。
新しく覚える事が沢山ある中で、ちっぽけなリボンの隅までは気に止めなかったのかもしれない。
綾兎は亜梨栖と違い、一つ一つを大事にしている。
…………例え気付いてもらえなくても。持っていてくれるだけで嬉しかったのだろうから。
教えてあげる。
「【貴女が何時も笑顔でいられますように。もしくは幸せでありますように。】だってさ」
「…………そうか………そっか」
亜梨栖としては複雑だろう。
自分を殺した相手にそんな願いを込めた内容を送られたのだから。
だけど、綾兎は願ったんだ。
自分の存在があったせいで、生前は辛い思いをさせて自害まで追い込んでしまった分、幸せになってほしかったのだろう。
自分自身の幸せよりも彼女を優先したんだ。
じゃ、綾兎の亜梨栖に対しての願いは亜梨栖が幸せに…………何時も笑顔でいられるような素敵な日常があれば叶えられる。
綾兎の願いは…………あの、【幸せになりたい】という願いを叶える為に僕達は今動くべきだろう。
窓の外をみる。
血飛沫のように舞う花弁。
無音の白の世界。
世界の終焉に相応しい、悲しい現実が突きつけられていた。
「「………っ」」
亜梨栖と二人、息をのむ。
真白の中で創り出されていた世界の光景が、現実世界に具現化していたのだから。
………ん? 今、何か引っ掛かった。何か忘れているような…………
亜梨栖も気付いたらしい。二人顔を見合わせて言う。
「「そういえば真白は?」」
ガタンッ 「「え?」」
二人して同じ疑問を口にすると同時に、隣のベッドの下から音がした。
カーテンで仕切られていたから気付かなかったけれど、ちゃんと居たらしい。
「そこにいたのか。さっさとこっちに来たらどうだ? マシロ?」
亜梨栖がカーテンに手をかけ、開けようとする。
【だ、駄目だ】
「「え?」」
【絶対ワタシの姿を見るんじゃない。良いな?】
真白の挙動不審さが更に悪化していた。
「取り敢えず…………真白の姿を拝みたいんだけど」
【駄目だ。視覚露出狂】
「其の言い方は酷くない!?」
態度がでかくなっている割に、何か違和感があった。
【むぅ】
ゴツンッ 【痛っ!?】
身動ぎをした時に頭をぶつけたのだろう。鈍い音が響く。
「大丈夫かっ!! マシロ…………え?」
マシロの身の危険に動く亜梨栖。
仕切りのカーテンを勢いよく開け、真白の姿を確認し…………亜梨栖は僕と共に硬直する。
【亜梨栖、勝手に開けるなぁっ】
シャッとカーテンを開けた音と真白の悲痛な声が無音の場に響き渡った。
ベッドの下に座り込み、頭を抱えていた女性と言うにはかなり幼く見える少女。
うさ耳がピンと立ち、亜梨栖と同じ色合いの髪・瞳。
白の着物に紅の袴。
真っ白な髪を胸の辺りに左右に垂らし、赤の紐で結んでいる。
残った髪は後ろに垂らし、背中の中程迄伸ばしていた。
首には紅い珠が連なる首飾り。
着物の裾には呪術の模様が印されていた。
外見年齢がおよそ10歳前後に見える彼女は涙目になりながらこちらを上目遣いで見上げていた。
クイッと首を傾げ、呟く。
【だ…………だから嫌だったんだ。神と名乗っているがヒトとは違う。化物な外見をヒトが受け入れられるわけが】
「「か…………可愛い///」」
【…………は?】
整った容姿。アンバランスなうさ耳がマッチしている。
よく、睦月やバイト先の方に薦められる萌え系ジャンルのキャラクターが連想された。
見た目は可愛い感じなのに中身がツンと大人びている。
亜梨栖は目をキラキラと輝かせながら、手をワキワキさせていた。
……あれ? 亜梨栖さん……?
彼女のつけてはいけないスイッチが入ったらしい。
真白に至っては僕等の態度が意外だったのだろう。
ポカンとして此方を見つめていた。
「耳……モコモコ……ふわふわ……おい、マシロ」
【な、なんだ?】
亜梨栖の豹変ぶりに顔がひきつっている。
身の危険を感じたのか、急いでベッドの下から這い出て宙に身体を浮かす真白。
「贄にだって神を愛で尽くす権利はあるよな? いや、愛でさせろ。もふもふさせろ―――っ!!!」
ガバッと空中に浮かぶ真白に襲い掛かるように飛びかかり――――寸での所で真白に避けられ、勢いよく顔面スライディング。
ズドッと虚しい音が響き渡った。
…………うわぁ 痛そう。
見てる此方が恥ずかしくなるような状態。
困惑した表情で亜梨栖を眺める真白。
【本宮の姫の影響を受けたか……全く。…………違う、可愛いものが好きなのは本性か】
今、さらっと自分の事を可愛いと言わなかった?
確かに可愛いけどさ…………
【綾兎が傍に居ないから、愛でる対象外無くて禁断症状に陥ったか……まあ良い。おい、ヒヅキキョウ】
「何?」
【其処の倒れている贄はほっといて行くぞ、ヒヅキキョウ】
「贄の扱い酷くない?」
流石に同情したくなる。
一寸位良いだろうに……いや、もにくちゃされるのが目に見えるか。
「マシロ…………嫌い」
【うっ!?】
ゆっくり身体を起こしながら亜梨栖が呟く。
良かった。どうやら怪我はないみたいだ。
だけど、避けられたのはショックだったのだろう。
痛みもあるのか亜梨栖の瞳に涙が浮かんでいた。
「意地悪なマシロは…………嫌いだっ」
【っ】
多少の衝撃があった身体を庇いながら、覚束無い足取りで歩き始める亜梨栖。
彼女の呟いた言葉は真白にとっては凶器に等しい。
というか、自分のせいで傷付き死に追いやってしまった相手を大切に思っていた。
急いで機嫌を取ろうと真白は彼女の後に付いて(ふよふよと浮かびながら飛んで)いき――――
ガチャッ ゴンッ 【ぶっ!?】
亜梨栖が開けた扉に拒まれ――――顔面を強打していた。
何でだろう…………主と贄って此処まで似るんだろうか。
このドジ具合。そっくりすぎる。
亜梨栖は扉の向こうで身動ぎせず、立ち尽くす。
守護神の真白を無視しているというよりは…………真白の身に起こった事に気付いていない。
違う何かが彼女の中で占めていた。
流石に異変を察知し、額を押さえている真白と共に彼女に駆け寄る。
そして、現状を――――理解した。
「なんだよ……これ」
何時もは賑わっている温かな日溜まりのような場所。
其所に沢山の生徒・教師等が廊下に倒れている。
それらは僅かに胸を上下させ、吐き出された息が白く見えるお陰でなんとか生きている事が理解できた。
窓の外に散る終焉の緋桜。
「また…………繰り返されるのか? 沢山の命を奪ってワタシは…………」
「亜梨栖。其れを止めるのが僕等の役目だよ。真白と僕と亜梨栖と綾兎で、黒主の暴走を止めて夏を迎えるんだ」
ギュッと彼女の手を握る。
さっき握って僕を落ち着かせたのだから、今度は僕が彼女を落ち着かせるんだ。
【大丈夫だ…………ワタシ達が居る。だから前に進め。過去をやり直せるわけはない。今さら怯えてどうする】
「……あ、ありがとう」
【だから……嫌いとか言うなーっ】
「ぶっ」
良い事言って、そこそこ良い雰囲気に戻った所でそれはないだろ……くくくっ
「ほら、さっさと綾兎と黒主の気配を探って行くよ? 此処で戸惑っていたら助けられるものも助けられなくなる」
込み上げてくる笑いをこらえながら先を目指す。
渡り廊下から校庭に出て、気配を探る。
瞳を閉じて気配を探る――――前に、彼方に花の渦が見えた。
其れは少しずつ大きくなり、黒い禍々しい靄が辺りに広がっていく。
ゾクッと身震いがし、以前同じモノを見た事を思い出す。
閑崎観柚の創り出した世界・そして、僕が綾兎に出会った彼の時に遭遇した【闇の世界の欠片】
其れが少しずつ世界を侵食し出しているのだ。
核を見つけ、浄化しない事には消し去るのは難しいだろう。
急いで彼の場所に行かないと――――
「マシロ、風の力を!!」
【分かった】
腕を前にかざし、瞳を閉じ意識を集中させる。
ぽうっと身体が紅く光り、暖かな風が僕達を包む。一気に彼の場所に移動しようとしているのだろう。
「急ごう。綾兎は黒主を抑える為に動いている筈だ。だけど、綾兎にとって黒主は大事な存在。迂濶に攻撃は出来ないだろう。そうなると綾兎が危ないっ!!」
【風羽・飛翔】
真白は風で僕等に羽を創り、空を飛べるようにさせる。
【転移】
亜梨栖と二人で唱え、一気にその場から移動した。
*
「穢らわしい贄め。お前さえ…………お前等さえ産まれなければ彼奴は……」
憎しみ・怒り・軽蔑…………わたしが複数の男達に虐げられ犯されていくのを見ながらあの人は呟いた。
産みの親――母の顔は知らない。
あの人――――父にとって母はかけがえのない大切な存在だった。
わたしが生まれ、母が死に絶え…………父は残された形見の存在を疎ましく思った。
亜梨栖に殺されることは視えていたから知っていた。
父がわたしの……わたし達の存在を消したいことも。
だからわたしは逆らわなかった。
閉ざされた世界で、全てを受け止め消えることが……周りを不幸にしなくて済むと思っていたから。
犯されたのは初めてじゃない。
家に仕えるモノ達の中で神に対し何も思わない欲の強いヒトは、自分の鬱憤を晴らす為に座敷牢にやって来ては身体の自由を奪い――――
……黒主は実体化出来ず姿は見えなかったし、わたし自身の力は完全に目覚めていなくて視ることしか出来なかったのだから。
父はわたしを汚し尽くし、人の心――勇気や希望をぶっ壊し、物言わぬ人形にして道具のようにわたしを扱おうとした。
用が済めば・気にくわなかったら殺して捨ててしまえば良い。
あの時亜梨栖がわたしに手を掛けた後に力を暴走させ、真っ先に父を八つ裂きにして塵に変えたときには――――わたしの心は壊れていた。
もう、わたしは居ない。
居なかったことにして心の奥に沈ませた。
朽ち果てた身体と同様に棺に入れて鎖で巻いて重石を付けて……遠い意識の果てへと。
此れだけはどんなことがあっても口を裂かない。
拷問されたら語ってしまうかもしれないけれど、亜梨栖には……杏には気付かれないように……
そう、願って封じた筈なのに。今になって意識に浮かび上がっていた。
無くした筈のわたしの…………ボクの本心。
幸せになりたい。
生前に願った事。
其れは幽閉されてた身から自由に外に出たいと言う内容で、心を壊して沈めて残った身体と魂だけでは叶わないのは分かっている。
両親と片割れの亜梨栖。そして守護神である【黒主】と【真白】。
あの時、降り積もる雪と花弁を眺めながら――――ほんの少しだけ願ってしまった温かな日溜まりのような場所。
何時しか其れは、氷月杏が連れていってくれた皆さんの居る場所がそうなっていた。
優しくて一寸切なくなる場所。
自分は場違いじゃないかと思われないかヒヤヒヤしながらいた――――幸せの集まり。
父としてはあの人は最低でした。
大切なモノを全て失い、息子を殺し娘に殺された哀れな存在。
捌け口が欲しかったのは仕方がなかったのです。
ヒトは皆、独りきりじゃ生きてゆけないのですから。
母はどうしてボク達を産んだのでしょう。殺してしまえば助かったかもしれないのに。
――――だって二人には生きていてほしかったんだよ。
『え……?』
響く声。温かな女の人の…………
聞いたことはない筈なのに、何処か懐かしくて。
ボクの意思とは関係無く、響き渡っていった。
どんなことがあっても生き残ってほしかった。
大切な存在だから。貴方達も黒主達も。
あの人の事は愛していなかったし、わたしは人形扱いされていたのだから。
あの人はいつも一方的で、ヒトを道具扱いしていた。亜梨栖にあの人と貴方を殺させるつもりはなかったけど……あの人を消せたのは良かったと思う。
わたしのせいで黒主と真白は緋皇家に囚われてしまい、贄の貴方達も沢山辛い目に逢わせてしまったね。
――――もう、自分の気持ちを隠さなくても良いよ。
全てを吐き出して。彼らの元で幸せに生きてくれたのなら。
充分だから…………
『貴方は……誰?』
あの時、彼の場所にはボクを――ボク達を此処まで思ってくれた方は誰も居なかった。
本当はずっと傍に居れたら良かったんだけど、わたしは前世も今世も身体が弱くて堪えられなかった。子供の成長を見ることもなく――――傍に居られなくて、何も出来なくてごめんなさい……だから、貴方を待ってる人の元に導くよ。
『貴方は……母さん? そうなのですか?』
声に問い掛ける。産んで直ぐ無くなった母。ボク等を孕んだ時点でボク達を恨んでいるものだと信じていた。
母でもあり、緋皇家に嫁ぐ筈だった女でもあるかな……あの時わたしが他の人を好きにならなければ、貴方達も黒主達も囚われずに済んだんだから。
さ、行きなさい。あの子が呼んでるわよ?
トンッと背中を押された感覚。
沈んでいた身体が上を目指して少しずつ浮かんでいく。
息が出来ない状態。苦しいのは変わらなくて――――
ポタッ パシャンッ
微かに聴こえる水音。
滴を垂らし、水面に波紋を広げるように、ボクの意識に染み渡る安心する音。
『今のは……なに……?』
優しく温かな存在。魂の奥底から不意に沸き、水のように身体に染みていった。
嫌いにはなれない、存在だった。
知ってる気配。誰かが此処に来た?
けれど、水底に沈んだボクに気付く……?
残っていた空気を吐き出し、鉛のように身体が重い。
「ゃと…………綾兎っ」
『だれ……? ボクを呼んでます……?』
ぼんやりとしながら考える。
聞き覚えのある声。
今のは一体誰なんでしょう?
「迎えに来たよ、綾兎」
柔らかい響きの声と共に、温かな風に包まれる。
ふわりと浮き上がる身体。
バシャンッと水面を揺らし、闇から解放される。
其れは黒主も同じで、重い瞼を開けるとボクと向かい合う形で浮かび上がっていた。
コホッ ゴホゴホッ カハッ
肺が酸素を一気に要求し、思い切り空気を吸い込んでしまい、噎せる。
池の底で沢山水を飲んでしまった。水が滲みて鼻と喉が痛い。
気持ち悪くなる程の吐き気。
意識が朦朧とする中、捕えた視界には大切な――――大事な二人が映っていた。
最愛の姉・緋皇亜梨栖
そして――――氷月杏が。
「マシロ、其のまま黒主の動きを抑えていろ」
【分かった】
「綾兎、大丈夫? ゆっくり深呼吸して。全く…………贄と共に溺死する必要は無いでしょ? 黒主」
『――――え?』
視界が鮮明になり、杏の表情が読み取れる。
杏…………もしかして少し怒っています?
いや、それよりも――――【黒主】 【贄】
黒主を抑えている彼女は――――【真白】?
うさ耳がピンと立つ、亜梨栖と同じ色合いの彼女。
白の着物に真っ白な髪を胸の辺りに左右に垂らし、赤の紐で結んでいる。
残った髪は後ろに垂らし、纏う風と共にフワフワと揺らいでいた。
黒主の瞳が見開く。
まさか、彼女が自分を助けに来るとは思っていなかったんでしょう。
杏の決意に満ちた顔。
――――嗚呼、杏は彼女から全てを聞いたのですね。
だから、今此処に居る。
彼は誰にでも手を差し伸べ、救いへ導きます。
誰よりも傷付いて。
誰よりも辛く・悲しい思いをするのに。
「……ごめんなさい、杏」
思わず、謝罪の言葉を口にする。
沢山迷惑を掛けて捲き込んでしまったのに、何も言わないのは流石に…………
「綾兎が謝る必要はないよ。生きててくれて良かった」
にこりと微笑もうとして……上手くいかなく、彼の表情が歪む。
「…………引き上げる時、身体……冷たくて……駄目かと思った。間に合ってよかっ……っ……」
杏の頬を涙が伝い落ちていった。
「もう大丈夫……僕が……君達と共に何とかするから」
泣き笑いな顔をボクに見せ、目尻に溜まった涙をぬぐう。
「一寸だけで良い。抱き締めて実感させて」
ぽふっとボクの首筋に顔を埋め、背中に腕を回す。
力強く、たどたどしい動作でボクの身体を自身と密着させた。
「きょ、杏!?」
「うん……体温が戻ってきてる…………温かいや」
「っ」
耳許でそう囁く杏。
何時もより柔らかく甘い声。彼の吐息が首筋に掛かり、身体がドクンッと強く脈打つ。
ぶわわっと紅潮していき、頬が熱くなる。
トキメキってこのことを言うんですかっ!?
彼の顔が見れませんっ。只抱き締められただけなのにすっごく恥ずかしいのですっ///
「綾兎……? 反応無いけど大丈夫? もしかして何処か具合悪いの??」
「い、いえ、何でもありません」
「なら良いんだけど……このままじゃ風邪ひいちゃうか……よし」
一寸名残惜しいけどと呟きながら、ボクの身体を離し手をかざす。
【再還】
『え!?』
ポウッと彼の手から溢れだす蒼の光。
其れは僕を包み込み――――服から池の水を水出していく。
ホースやバケツで水を撒いた映像をスローで巻き戻しを掛けたように、杏が手を自身に招くと水も同じ様に動き、彼の手に集まっていく。
少しずつバスケットボールみたく彼の手元に集まり…………ボクの服や髪から要らない分の水分を吸い取り、池の中に戻っていった。
此の力の使い方には見覚えがあった。
かつてボクが寮に居たとき、杏を部屋に呼んだ……杏がボクの服に飲み物を溢してしまい、ボクが杏の前に見せた力。
【再還】――――自分の思いのままに、生命以外のモノを一定時間巻き戻す力。
巻き戻しても支障が起きないモノにしか使えない力。
杏自身が使えるなんて思いもしなかった。
「杏……いつの間に此処まで力が使えるようになったのですか?」
「こっそり練習してたんだ。秘密の特訓。綾兎達の足は引っ張りたくないからね」
ぱちんっとウインクを投げ掛けてくる。
…………なんか、杏が女誑しのような素振りばかりするのが凄く気になるのですが……【夜の支配者】力を使っているときってやたらテンションが上がるんですかね?
「何時までいちゃついてやがるっ。此方は抑えるのが大変なんだ……綾兎、力を使え!」
「駄目です! 使ったら黒主が…………」
もしかしたら共有している関係で、自分も狂ってしまい暴走するかもしれない。
これ以上、二人を傷つけたくない。
「ボクから黒主を切ることは出来ません」
「綾兎、切らなくて良いんだよ?」
「え?」
「力を暴走なんかさせない。無理矢理でも抑えてあげる。だから……二人には守護神の全てを受け止めてほしい。だから、力を解放させて二人で力を合わせて欲しい」
「……分かりました」
杏の言葉には説得力がある。
そうです、一人が辛いのなら二人で。
二人でも大変なら三人で。
そうすればどんなことだってやりきれる。
ボクは黒主を倒すのではない。
黒主を、救うんです。
「【光の導く空へと照らせ!!】」
瞳を閉じ詞を唱え、手を前にかざす。
空から現れた光の粒子の塊が構築され、金色の杖になり、ボクの手に乗る形で落ちてきた。
身体も光の粒子に包まれ、住人独特のモノトーンの服に変わる。
「『聖杖・クロスセリア』」
杖を目の前に翳し、名を言うと、キラリと輝き力を纏った。
そして、現在の状況を呑み込み、今すべきことを見分ける。
本来黒主から供給される力を変換して使っていますが、今は供給される筈の力が【闇の世界の欠片】に侵食されている状態。
供給される力をボクの体内に取り込み相反する【光の世界の住人】の力で相殺し、只の霊力に戻す。
「【変換】!」
霊力になればこっちのもの。
此の町には何故か神力・霊力・魔力が満ち溢れている。
多少増加しようが影響はあまり無いでしょうし、相手も力を取り込める状態なのは厄介だけど、ボクたちも使おうとすれば使い放題だ。
只、ボクの身体に闇の世界の欠片を取り込んだことはないので、一寸不安だらけですが――――
「綾兎お願いっ!!」
「はいっ!!」
身体から溢れ出る光を杖に宿して、構える。
【黒主……大丈夫だ。オマエの贄がオマエを救ってくれる】
ガシッと黒主の背後に回った真白が黒主を抑える。
【綾兎……真白……ありがとう】
黒主は身体を預けるように力を抜き、綾兎へ隙を作る。
【終焉の緋桜は使えないけれど、眠りに堕ちる雪はオマエには敵わないけれどワタシにも降らせられる―――だから少しの間、眠れ】
ポウッと真白の身体が光り、翳した腕から粉雪が現れる。
其れは黒主の体内に染みていった。
黒主が目を閉じる。
ボクは、黒主の胸へ杖の先を刺した。
パキンッ ガシャーンッ
黒主が自身に覆っていた結界を破り――――勢い良く溢れる【闇の世界の欠片】
其れは意思を持った触手の様に、ボク等に襲い掛かってきた。
「くっ、【再還】」
一部分を杖を通して体内に取り込み、力を相殺していく。
だけど、取り込めない分がボクの身体を貫こうと狙いを定めてきた。
「ちっ、【蒼月】!」
チャキッと二つの刃物を握り締め、無数の闇を刈り取っていく杏。
切り取られた【闇の世界の欠片】は、キラキラと輝く粒子となり、世界に溶け込んでいく。
「綾兎、ワタシ達がサポートするから、黒主を救うことに専念しろっ!!」
「!」
「【白雪】」
亜梨栖も刀を構え、次々と切り裂いていく。
ボクは二人を見て、安心して役目を担った。
彼等がボクに欠片を近付けさせない。
杖を握る手に力を込め、意識を集中させる。
ボクから放たれる光は徐々に強まり、彼の体内に取り込まれていった。
『黒主、貴方を救いたい』
『今度こそ、貴方達の意思を尊重させられるように!』
変換した光を・ボクの想いを全て込めて杖から放出する。
黒主の目尻から涙が流れる。
ずっと楽になりたかった。
そして――――もう一度逢いたかった。あの人に。
「――――え?」
一瞬読み取れた黒主の心。
黒主の考えてることがはっきり読めたのは初めてで、唖然とする。
理由は直ぐに分かった。亜梨栖――――対が居ることで力が強まり、黒主の力は弱まっていたから。
だけど、溢れた力はもう止めることは出来ない。
力はどんどん増幅し、彼を世界を包み込む。
「【浄・化】!!」
ボクの叫びと共に世界は光り――――雪が光を反射させ、塗り替えられた。