【導く二つの廻る螺旋】1
プロローグ〜ココロの灯火〜
ずっと傍に居たかった。
そんなことを、この真っ暗な闇の中で思うことがある。
動かない鉄格子を前に一つ溜め息を付き、小さく切り取られた空を見上げる。
永遠の時を生きるのはもう疲れた…………
もう休みたい。
痛いのは嫌だ。
叫んでも喚いても誰も来てはくれず、わたしはこの世界で生きることを諦めかけていた。
希望の光が差し込むのを待ちながら…………
第一章〜始まりの朝は何時も非日常だから、なんとかなりませんか?〜
好き。
大好き。
愛している。
其の言葉を初めて口に出したヒトは、一体どのような意味を込めて口にしたのだろう?
友達・親友としての好き。
家族に向ける感情としての好き。
尊敬への思いを込めた好き。
そして……恋愛の意味での好き。
僕は恋愛感情なんて特に持っていない。
其れは昔から傍にいてくれた家族や友人のお陰だろう。
同性から異常な程に好意(=行為?)を寄せられた経験は在るけれど、その件は見事記憶の底に封じたし。
ファーストキスは、僕の平凡な日常を変えた一人の美少……美少年によって奪われたも同然だし…………(大汗)
彼に出逢って良かったことの方が多いと感じる今としては、其れも必然的なことに感じる。
只、平凡な日常を送っていたら誰かに恋をしていたかもしれないと考えたら…………いや、そもそも僕は誰かを恋愛対象に思ったことが無かった。
好き=【恋】では無いのだから。
じゃあ、今僕が持つこの感情は一体何処に当てはまるのだろうか…………
取り敢えず…………
「杏、現実から逃げようとするな」
「ちっ」
「舌打ちっ!?」
『今持っている感情は、好きという感情とは全く関係ないだろうな』
因みに――――『好き』と言われるより『愛している』と言われた方が嬉しいと思うのは僕だけだろうか。
――いや、そもそもそんなことを言われたことは無いんだけど。
というか、今考える事ではないな。
「……まあ、こうなるんじゃないかとは思ってたけどな……」
幼なじみの水無瀬十夜の呆れた声を僕は右から左へスルーする。
要するに、今起きている現状からどうすれば逃げられるかを考えるかが先のようだ。
非日常が悪化したあの日から二週間。
状況をなんとか乗り越えて、僕は今……指定の体操服を着た状態で私立聖桜高校のグラウンドの中心に立ち尽くしている。
真夏に近くなった今日この頃。
父親譲りの薄い色素の髪が柔らかな風に煽られ頬を擽った。
額から滲み出る汗を手の甲で軽く拭い、僕から少し離れた――――対戦相手側のゴール付近に群がる人だかりを只ジッと眺めて――――
「……はぁ」
と溜め息を一つ付く。
何事も無かったとは言えない状況で受けた学期末テストで、勉強付けになった身体を動かそうと学校側が考えた行事――――球技祭。
今年も、避けている競技とは違う競技(今回は卓球)にエントリーしていた僕は、一緒に組んだ雪代綾兎のミス(打った珠が卓球台ではなく場外に落ちる。それの繰り返し…………ある意味器用だ)で一回戦敗退をして、水分補給をしながら綾兎と他の球技を観戦していたところに――――血相を変え、息を切らせたクラス委員長がやってきた。
クラス代表のサッカーチームの一人が、試合中に相手の三年生のチームのメンバーに突き飛ばされて足を捻ったのだ。
補欠者が今日は欠席だったので、誰かが代わりに出なきゃいけないらしい。
そこで、サッカー部の次期部長・クラスのチームのキャプテンである水無瀬が僕を推薦した。
幼馴染みだから気兼ね無く誘えると思ったのだろう。
取り敢えず話を聞きながらサッカーの試合会場のグラウンドに行って目にしたのは、ぼろぼろに負けている僕達のクラスのチームだった。
どうやら相手の三年生は、不良集団だと言われている三年F組で、審判に当たっている生徒は不良の先輩達に脅されたらしく、一寸したイエローカード(もしくはレッドカードになる出来事)を黙認しているそうだ。
頑張っているクラスメイトに対しての仕打ちとして、其れは許しがたいものだった。
怪我をしたクラスメイトのゼッケンを身に付け、チームの中に入る。
本当は……というか出来ればサッカーは避けたかったのだけど、僕以外に代われるのは綾兎しか居なくて…………一見純粋(というよりは最早天然記念物)な彼をあんな試合の場に入れるのは一寸……ね。
体育の授業の度に思っていたけど、球技のコントロールは凄く悪いみたいだし(何度か水無瀬の顔面や男の大事なところにボールをぶつけてた。僕は避けたけど)。
下手に本気を出されて、校舎を破壊されたら大変だし。綾兎は普通の人間じゃないから尚更ね。
サッカーを避けたのは、この競技とは相性が悪いからなんだけど…………致し方ない。
そうして、僕は試合に望んだ。
「僕は何度も拒否した。水無瀬が悪い」
「責任転嫁するなっ!!」
隣で僕に怒鳴る水無瀬を無視し、今は人だかりで見えないゴールの…………ボールの摩擦で焼け切れた部分を見る……と言っても、視力はあまり良くないからハッキリは見えない。
「お前はもう少し力を抑えるべきだと思う」
「…………あれでもかなり抑えた方なんだけど……」
ボールはゴムで出来ているから摩擦はあるだろうけど、何で焼ききれるまで至るんだろうね…………ああ
「サッカーゴールのネットが華奢なのがいけないんだよ。ほら、僕は悪くない」
「んなわけあるかっ!!」
う……水無瀬のくせに生意気だと思う。
瞬時に一喝されてしまった。
でも…………久々にサッカーをやって、力をセーブ出来なかった僕にも非がある。
相変わらずの豪速球シュートを放つ事は良いことでは……無かったかもしれない。
おかげさまで、モヤモヤしていた気分はスッキリしたけれど。
「さて……と、水無瀬を弄るのは此くらいにして……取り敢えず、【ゴールキーパーをやっていた何かウザいチキン野郎】の所に一応謝りに行こう」
勿論、本気で謝る気は更々ないけれど。
水無瀬は一つ溜め息を付いた後、ポンッと僕の頭を撫でる。
内心は【髪が乱れるから嫌】だけど、其れが多少……『気持ちいい』と思うことが1パーセントある……かもしれない。
…………
…………いやいやいや、今僕は何を考えた(大汗)
「相変わらず、嫌いな人種の呼び方が凄まじいが……まぁ、行ってらっしゃい」
予想外の言葉を投げ掛けられて思わずきょとんとする。
「え……水無瀬は来てくれないの?」
親友を危険なところ(保健室)に行かせるつもりなのだろうか。
「だからなんで――――」
「幼馴染みが襲われるかもしれないのに」
「ごふっ」
僕の発言に吃驚したからか、水無瀬が噎せた。汚い。
そして、僕自身思ったことを直球に言うようになったな。
「…………おい、発想が突飛すぎて着いていけないんだが…………いや、まあ……お前ならあり得るか」
然り気無く水無瀬を巻き込む。
……確かに中学時代の暗黒期は異性よりも同性に好かれてたからなぁ……今もあまり変わらないけど、避けるに越したことはない。
保健室だから尚更不安だったりする。
まあ、考えすぎなのかもしれないけどね。
で、
「付いてくるの来ないの? …………来ないなら腹部に一発蹴りと結依さん(水無瀬の母親・僕の母と幼馴染み)の魔の手から逃げてきても閉め出す・相手にしないことにするから」
水無瀬を睨み付けながら少しだけ声のトーンを下げる。
水無瀬がびくっとしたのは、見なかったことにする。
「脅迫かよっ!! ……ったく、分かったよ。行くよ」
おぉ……こういうとき、幼馴染みは助かる。
相手を大体どのくらいまで弄れば本気で嫌がるかが分かるからだ。
同性だとこういうときは良いよなぁ…………
……一応否定しておくけど、僕は水無瀬に対して……その、特に愛情は抱いてない。そんなの気持ち悪いじゃないか。
「なあ、今お前から俺に対して嫌悪感らしきものが伝わってきたんだが」
「……ひゅー」
「おい、投げやりに口笛吹くなっ!!」
ちっ、こういうときは敏感に反応するんだから。
「酷い……そうやって僕の自由を奪うんだ………水無瀬の意地悪」
「ぐっ…………」
ぷくっと頬を膨らませながら上目遣いでそう言うと、水無瀬は慌てて僕から目をそらした。
何でだろう…………最近、水無瀬の視線の先に僕が居るのは気のせいだよね……?
「『其れに……どうしてだろう……水無瀬と一緒に居ると不整脈の様に胸がトクンッと高鳴る――――』と、氷月杏は密かに感じて――――」
「ないから……って、何途中から訳も分からないナレーション入れてるのっ。睦月っ!!」
背後から聞こえた聞き覚えのある声に、ツッコミを入れて振り返る。
其所には…………人気現役女子高生作家・天宮睦月が、満面の笑みで立っていた。
「にゅっふっふ〜。サッカー観てたよ。凄かったね〜♪」
にぱ〜と、笑う仕草が可愛らしい――――だが、内面は鬼。それも……此の世に神様なんて居たら、神様のエネルギーを全て奪い取って当然のように神の座を手に入れることだろう。
睦月だけは絶対に敵に回したくない。
「……ねぇ、今私にとっと物凄いマイナスポイントになること考えたでしょ。このツンデレっ子め」
「マイナスポイントって何っ!?」
相変わらずよく分からない発言をする娘だ。
そして、いつの間に僕はツンデレっ子になった。
睦月は胸の辺りまで伸ばした髪を弄びながらにんまりと微笑む。
そして、何かを考える素振りをした後、右手を真上に伸ばし……勢いよく僕に指差す。
「うん、今日から君の二つ名は『足蹴りのツンデレ貴公子』だっ!!」
「「なっ!?」」
水無瀬と僕は硬直する。
「フッ、決まったぜ……って……え? 二人共どーしたの?」
だって……その二つ名は……ねぇ?
後、変に格好つけてるところが凄くウザイ。
一応詳細を聞くことにする。
「……睦月、勝手に妙なことを宣言したことはさておき、どうして其れをチョイスっ!?」
「え? えっと……なんとなく?」
少し戸惑いながらもそういう睦月。
彼女の直感は一般人より鋭いのかもしれない。
なんとなくで付けられた。
其れでもやっぱり…………ツンデレは要らないけど。
「でも良いじゃない♪ 一見クールに見える杏に、変わったあだ名が付けば親しみやすいでしょ?」
「いや、でも…………」
だからって、流石にツンデレを付けるのは辞めてほしい。
あ、でも…………睦月の言い分の半分はあってるか。
とある一件から、世界に興味を持てなくなっていた僕は、出来るだけ他人との関わりを避けてきた。
其れが周りには少し陰がある冷めた性格の持ち主のように見えていたのかもしれない。
実際は、只ボーッとしながら景色を眺めていたり考え事をしているにすぎなかったのだけど。
そんな僕を変えたのは、睦月も関係している……かな。
睦月の奇抜的な行動に振り回され、水無瀬の支えに余計な力を抜きつつ、綾兎達に捲き込まれた非日常な生活が…………少しずつ僕の氷の心を溶かしていった…………
今では此の世界での毎日が少しくすぐったくて…………だからこそ僕は――――
「そして、文化祭で可愛いメイド服を着て微笑めば…………にゅふふふふ♪」
そう、文化祭で可愛いメイド服を着て微笑んで――――え
「っ!? 僕に何をさせたいんだっ!!」
予想外の発言に声を荒くする僕。
前言撤回。睦月は僕の人生を振り回す危険因子だ。
其れでも彼女は言葉を紡ぐ。
「更に、ちょっと意地悪な水無瀬にでも襲われ――――っ!?」
すぱんっ
大事な何かを犯される前に睦月の声をシャットアウトしようとした時、キレの良い音が辺りに響き渡った。
音源を辿りながら視線を動かすと…………
「痛―――っ、何するのよ……水無瀬」
「杏で変な妄想するな。犯罪者」
水無瀬は睦月をどこから取り出したのか『ここぞの時に使おう・インスタント☆ハリセンっ!!(と、タグに書いてあった)』で叩いたらしい…………ツッコミ以外に使用できなそうなモノを、どうして水無瀬は持ち歩いているのか……理解に戸惑う。
水無瀬に叩かれて不貞腐れた睦月は、水無瀬の傍に近付き……耳許で何かを呟いた。
「(小声で)水無瀬だって本当は――――」
「っ!?」
? 何を言ったのだろう……良く聞こえないけど、睦月の言葉に水無瀬は焦る。
「おい、天宮ちょっくら校舎裏まで来い」
「其れはやだ」
「即答かよ……」
水無瀬が決闘つけようとして、即座に断られた。
「因みに其所は私じゃなくて、杏か綾兎くんを呼び出すのが定義」
「んなわけあるかっ!! ……全く、何で何時も俺を捲き込むんだ」
「水無瀬だから」
「……はぁ」
睦月のいかにも『腐』混じりの発言に水無瀬が呆れている。
相変わらず直球的なお気楽娘と弄られスポーツ男子のやり取りは見ていて面白い………然り気無く僕を捲き込んでは欲しくないけど。
というか、どうして僕を捲き込――――いや、捲き込まれるんだろう。
僕の人生って一体…………
二人を眺めていたところから更に離れ、空を見上げる。
「杏が現実逃避を始めましたっ!?」
…………
………………
「杏、いざとなったら僕がついてますっ」
「…………ああ、綾兎居たんだ」
「気付くの遅すぎですっ!!?」
後ろから声がすると思ったら、いつの間にか綾兎が居た。
「いや……そもそも、綾兎がそういう危険な発言をするから、天宮が暴走すると思うんだが…………」
そして隣には綾兎の姉【緋皇亜梨栖】がいて、額を押さえていた。
肉親が危ない発言をするのは悩みなのだろう。
雪代綾兎と緋皇亜梨栖は双子で、外見も瓜二つだ。
亜梨栖は特異体質なのか、髪は白く(ハリと艶があるので老人とはまた違った風格がある)瞳が紅い。
よく漫画等に出てくるアルビノ(?)って亜梨栖みたいなのを言うのかも。
その外見はまるで兎のようだと思うことがある。
腰の下まで伸ばした髪を黒いリボンでポニーテールにしている。
綾兎は黒髪で黒い瞳。今は短いけれど、本来の姿はサラサラロングヘアーの外見は美少女だ。
二人がどうして色素と名字が違うのかは聞いたことはない。
ソコには僕が踏み込んではならないものがあるから。
気になるけど……ね。
綾兎がグラウンドの隅にある芝生の上に腰を下ろすと、亜梨栖は芝生に膝をつけて後ろから綾兎に抱き付く。
まるで大切なモノを抱き締めるような仕草。
綾兎の肩口に顎を乗せ、力を抜く。
綾兎も亜梨栖に身を任せ、ちょっと恥ずかしそうに顔を紅潮させる……この光景は、何度か見た。
「「ほわぁぁぁぁっ///」」
そして休憩していた生徒を和ませる存在となっていた。
二人は癒しキャラという認識をされ始めてる気がする。
そもそも、二人は【平凡な一般人】と異なるのだからもう少し自重すべきだと思う。
本人達は、自分が目立っているという自覚がないのだろう。
「亜梨栖……恥ずかしいです……」
「お前はワタシのものなんだから、此れくらい好きにさせろ」
「…………(小声で)平たいものを背中に押し付けられても、嬉しくないのですが……」
「おい、綾兎。今何て言った?」
亜梨栖の背後に黒いオーラが見えた気がする。
見なかったことにしよう…………
「おーい、氷月。決勝戦出るぞ」
「あ、今行く」
僕は立ち上がり、声を掛けたクラスメイトの所に歩き出す。
…………決勝戦の相手は今まで練習を頑張っていたクラス。
少し……チームの力を抑えるか。
♪
「綾兎、お前も少しは氷月を見習えよ?」
「亜梨栖に言われたくないです」
決勝戦の試合を眺めながら、不意に聞かれた事にボクは返す。
そもそもボクと杏を比べないでほしい。
個々の存在の根本が違うのだから…………
「…………まあ、無理だろうがな」
「じゃあ、言わないで下さい。です」
断言。押し黙る亜梨栖。
ちょっと不貞腐れるとすぐに視線を外すのは相変わらずなんだから。
「…………綾兎はもう少し素直になれば良いのに」
「? 何か言いました?」
「いや、別に」
ふいっと、遠くに視線をやる亜梨栖。
再開したときはほんのりとギクシャクした事があったけど、今はあの頃――――離れる前と変わらず居る。
ボクはまた、亜梨栖の傍に居られる事が嬉しかった。
亜梨栖はボクの事をどのように思っているかは分からない。
かつて双子は意志疎通が取ることが出来ると言われた事もあるが、実際はなかなか難しく……性別も違うから女性ならではの事は余り察知出来ない。
『此処まで正反対なのに…………』
本来の姿に戻った外見は然程変わらない。
亜梨栖はつるぺた同然だし、ボクは童顔……というか女顔だから……………
声だって中性的だし、腕だってつるつる・ぷにぷにだ。
…………うぅ、自分で考えて沈むなんて……ずーん。
「おい、お前はさっきから何をやってるんだ……」
「ブツブツ…………どうせボクに男らしい所なんて…………」
呆れ顔でボクを見つめる亜梨栖の視線が痛い。
心の中で無意識に自分を励ます言葉を反芻する事およそ五分。
『…………それでも、杏よりはマシですよねっ』
杏と自分を比べ、自分の方が若干男らしいんじゃないかと思う事に。
理不尽だけど、そんなのもアリだろう。
校庭の中心で、周りの動きを見ながらのロングシュートを飛ばす杏。
20人強の人数の中で水無瀬さんと共に一際目立っている。
本人は自分から目立つのを嫌がっているが、どう見たって目立ってるじゃないかと思います。
男女共に視線が杏か水無瀬さんに行ってますし…………最早聖桜(此処)のアイドル状態ですね。
そういえば亜梨栖が学校に転校した日、天宮さんの…………えと…………ぼーいずら……ぶ(?)というジャンルの小説が、人気ランキングで一位になったとき……物凄い量のファンレターが杏の下駄箱に入っていましたっけ…………
天宮さんの小説の主人公モデルになっただけじゃないのかもです。
もしかして杏が良く現実逃避に走るのはこれが原因だったり…………?
「あたふたしたと思ったら急に黙ったり……お前は変わったな……」
「え…………」
亜梨栖の言葉にハッとする。
「ワタシにも警戒していたくせに。気が抜けたというか…………お前らしくなった」
「ボク…………らしく?」
其れは一体どういう事だろう。
「…………お前が気付かないなら気付くまで足掻け。そうすればお前も……」
「亜梨栖……?」
なんだろう、この違和感。
前はそんな事は言わなかったのに……
何かが亜梨栖を変えてしまった……
何が…………亜梨栖を…………
ボクと別れた二年の間に亜梨栖を変えてしまったもの。
其れはもしかして――――
いや、取り敢えず聞こう。
「亜梨栖…………あの」
「綾兎…………【クロ】はどうしてる? あの後は何もないか?」
「【クロ】……? ……………………あ、すっかり忘れてました」
「忘れるなよ(汗)」
急に違う話題になったので直ぐに理解できずにいる。
【氷月杏】という存在に出逢ってから、ボクの日常は変化した。
其れは【ボクの存在】に必要不可欠なモノを忘れさせるくらいに…………
「亜梨栖の【シロ】はどうですか…………? 【彼の時】以来、変化はないですか…………?」
「嗚呼、大丈夫だ。【彼の時】以来静かだよ…………恐ろしい位にな」
「【クロ】も同じです。遭った事を考えると仕方ないのかもしれないですね。世界の為にも…………」
「…………そうだな」
亜梨栖の表情が曇る。
ボクもそんな亜梨栖から視線を反らした。
暫く考え、やがて一つの考えに辿り着く。
そして亜梨栖に…………雪代綾兎という存在に言い聞かせるように口を開いた。
「「……其れでも、【今度こそ】は世界を壊さないようにしないと…………」」
其れは片割れを失うことと同等に怖いこと。
過去にしたことで分かっているから…………だから、もう二度と……あんな思いはしたくない。
だって、其の為にボクは…………
「余計なことは考えなくていいぞ。前だけ見て歩け」
「……前だけ見てたら落下物に気付かなくて大変ですよ?」
「…………ぷっ。あははははっ」
亜梨栖の発言にザックリツッコミを入れると、苦笑気味に笑いだす。
ボクの言葉に可笑しいところでもあったのでしょうか…………
「はははは…………は……あー、久しぶりに思いっきり笑ったよ」
「何がおかしかったのか全く理解できないのですが…………まあ良いです。」
「お前はもう少し砕けた話し方は出来ないのかよ」
「例えばどんな感じにです?」
「そうだなぁ………んー……」
「よし、此れから私の事を『亜梨栖おねえちゃん』みたいに言え」
「嫌ですよっ!! 断言しないで下さい…………」
亜梨栖…………二年間の間に一体何があったのですか?
ボクには理解できないのです…………
ボクが項垂れると同時に試合終了のホイッスルが鳴り響く。
杏はその中で嫌そうに水無瀬さんとハイタッチを交わしていたのであった…………やっぱりなんだか狡いです。
間に割って入りたいほど…………狡いです。
♪
途中で試合にストッパーをかけようとしたら水無瀬に気付かれてしまった。
相変わらず目敏いんだから。
水無瀬の掌の上で踊らされていた感覚。
名前を呼ばれると思わず反応してパスを受けてしまい…………負けず嫌いな気持ちからか…………ゴールにシュートを決めてしまうのだ。
ネットが所々焼け切れ、使い物にならなくなっているのは見ないことに…………僕のせいだけど、そう思いたくない。
それにしても、何で僕のクラスが優勝するんだよ……はぁ……ややこしい事になりそうだ。
因みに当の本人、水無瀬を見ると物凄く満足げな表情をしていた。
………やっぱりサッカーが好きなんだなぁ…………
正直、何かに没頭していられる人を僕は尊敬している(注:薬物・堕落な生活関連除く)
なんというか羨ましく思えるからかな……
「ん、なんだ? とうとう杏もサッカーに興味を持ったのか?」
「んな分けないでしょ。…………まぁ」
「まぁ?」
「…………コンビネーションだけは認めてあげる」
人を褒めるのはなんだかくすぐったい感じがする。
というか、表彰台の上に何で水無瀬と一緒に居なければいけないのだろう。
「よし、此れからサッカー部に――――」
「其れは却下。誰がやるかっ」
「…………ぐすっ、良いもん。幽霊部員には登録してあるんだから…………」
「さっさと取り消してくれないかな……(怒)」
長身のサッカー馬鹿が女々しい口調になるな。
水無瀬がぶつくさ言ってる事を軽く受け流しながら、ふと考える。
相変わらずの水無瀬とのやり取り。
此れが当たり前で、僕の一部になっていて。
だからこそ時々不安を感じる。
僕はもしかしたら失うのが怖いのかもしれない。
只の人間ではなくなって(元から異端者らしい)、非日常に変わったなかでも残っていた【当たり前の日々】を。
其れが無くなったら、僕はどうなってしまうのだろう。
僕は僕のままで居られるのだろうか……
いや、そもそも【僕】は―――――
感情が沈む。
心の中にある闇に。僕の逃げ場に。
辛かったら足掻かない。諦めそして…………受け入れる。
何もかも全て。
今までそうしていたのにどうして時々無意識に足掻こうとしてしまうのだろうか。
関係ない人を捲き込んでまで世界に残るつもりはない。
逃げては……ならないのだから。
其れでも僕は、本当に自分がしたいことを出来るのだろうか…………
「ぅ……きょうっ……杏っ!!」
誰も傷付けないで存在出来るのだろうか…………
「おいっ、落ち――――ったくっ!!」
ガシッ「……うにゃっ?」
不意に底から無理矢理引きずり出され、現実に戻る僕。
気付けば視界が少し薄暗かった。
仄かに香る汗の臭いと皮膚から伝わる温もり。
背中越しに伝わる感覚が、誰かが僕を抱き締めてくれてる事を教えて――――――――
…………え?
何か…………変だ
「「きゃあぁぁぁぁぁぁっ///(うおぉぉぉぉぉぉっ!?)」」
「っ!?」
「……………やっぱりこうなるのか……杏」
「な、何?」
「…………降ろすぞ」
「え……?」
ストッと足から伝わる地面の感触。
顔との距離が広がり、少しホッとする。
「全く……ぼんやりしてたと思ってたら表彰台の段から足を滑らすなんて……俺じゃなかったら今頃怪我してたぞ?」
「うん…………地面が消えた感触がしたから吃驚した。ありがと」
フワリと微笑むと、周りから歓声が上がる。
特に女子の方が……水無瀬とBLフラグを建てた覚えが無いのだけど……
微笑みを苦笑に変え、水無瀬を引き連れクラスメイト達の元に戻る。
水無瀬と僕だけで掴めた勝利じゃないから。
だから皆で――――
以前だったら考えられなかったこと。
表面上の付き合いかもしれない。
だけど それでも
『今を大事にしよう』と思うんだ。
其れが今一番の僕の願い。
其れを叶えるために僕は自分のできる範囲で【現実世界】を護るんだ。
光と闇の両立が保てるようになれば、僕の役目は終わ――――
「杏〜♪ とうとう水無瀬とくっつく気になったんだねっ」
「ボクとはあんなにくっつかないのに狡いです」
「いや……だからな綾兎。頼むからBLの世界には踏み込まないでくれ…………」
…………綾兎達三人に次々声を掛けられ固まる僕。
「あはははっ」
「「「???」」」
「杏、大丈夫か? とうとう壊れ―――ぐふっ!?」
ぐりぐりと余計なことを言おうとした水無瀬の腹部に肘鉄を打ち込み黙らせる。
個性溢れる大事な人達と非日常な世界で居るのが、こんなにも楽しい。
ゆるゆると空気が抜けていて、時々サプライズがあって。
…………世界を護り終わるのは、もう少し先伸ばしにしよう。
迂濶にも僕はそう思ってしまうのだった……………
そう、この時は分からなかった。
僕達は偶然【此処】に居ただけなのに。
路が重なって繋がって――――
それはまるで鎖のように、深く繋がっていくんだ………………