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不自然に空いた部屋の穴から、隣に住む幼馴染が俺を観察している

作者: 墨江夢

『本日最下位なのは――乙女座のあなた! 朝から予定が狂いっぱなしで、ハプニング連続の予感! 思い通りにならない一日で、いつも以上に疲れが溜まるかも。ラッキーアイテムは、黄色いハンカチです!』


 須賀崎恭介(すがさききょうすけ)、16歳。9月生まれで乙女座の俺は朝の占いを見ながら、全くその通りだと共感していた。


 いつも6時半にセットしている目覚まし時計は故障しており、お陰で7時過ぎまで爆睡。見事に寝坊してしまった。

 朝食を取る時間はない。朝の30分とは、それ程までに貴重なのである。


 占いによると乙女座の俺は今日一日ツイていないらしく、ハプニングもこれだけでは済まないらしい。本当、朝から気が滅入ってくる。

 ラッキーアイテムの黄色いハンカチを持っていきたいところだけど、生憎探している余裕もない。

 早くしないと、学校に遅刻してしまう。

 俺は大慌てで制服に着替えると、朝食を取らず、黄色いハンカチも持たずに急いで自宅を出た。


 俺が住んでいるのは、とあるマンションの508号室。

 自宅を出た俺は僅か数歩だけ足を進めて、すぐに立ち止まる。そして隣の507号室のチャイムを鳴らした。


 玄関で待機していたのだろうか? ピーンポーンの最後の音が鳴り終わる前にドアが開いて、中から幼馴染のが出てきた。


 華恋の眉間には、シワが寄っている。これは彼女の癖の一つで、こういう時は決まって不機嫌だ。

 そして華恋が不機嫌な原因なんて、考えるまでもなかった。


「遅い。今何時だと思っているのよ?」

「悪かった。でも、これには色々事情があってだな」

「言い訳はいいから。どうせ寝坊でもしたんでしょ?」


 うっ。長い付き合いなだけあり、流石にお見通しみたいだ。

 しかし今朝に関しては百パーセント俺が悪いわけじゃない。目覚まし時計と占いにも、多少なりとは責任がある。


「一緒に登校しているんだから、時間通りにチャイムを鳴らして貰わないと困るわ。私まで遅刻しちゃうじゃない」

「……だったら、先に行っててくれて良かったのに。わざわざ待っていなくても」


 小学生の頃からそうしているってだけで、別に俺と華恋が一緒に登校する理由はない。

 家が隣同士だから成り行きでという意味合いが強く、厳密には約束をしているわけじゃないし、勿論付き合っているわけでもない。


 しかしそんな(俺からしたら)正論は、華恋を一層苛立たせた。


「はぁ? 私がいないと恭介は、絶対遅刻するでしょう? 幼馴染が遅刻魔なんて、ごめん被るわ」

「何言っているんだ? そんなことは……」

「絶対ないって言い切れる?」

「……言い切れません。文句言ってごめんなさい」

「わかればよろしい。……はい、これ。今日のお弁当」


 高校に進学してからというもの、華恋は毎日欠かさず俺に弁当を作ってくれている。

 収入源がお小遣いしかない高校生の懐事情では、毎日の食費もバカにならない。だからこうしてお弁当を作ってくれるのは、正直めちゃくちゃありがたいと思っている。

 しかもコンビニ弁当やカップラーメンよりも栄養豊富。友人たちからは「愛妻弁当だ」とか言われて揶揄われるけど、そんなもの些細な問題だ。


「いつもありがとうな」

「それは一緒に登校していることに対して? それともお弁当に対して?」

「両方に対してだよ。……ん? このお弁当、なんか重くないか?」


 受け取った弁当はズシリと重く、体感ではいつもの1.5倍くらいの重量に感じる。一体何をそんなに詰め込んだのだろうか?


「朝ご飯食べていないんでしょう? 早弁しても良いように、多めに作ってあげたのよ」


 何だ、それ。めっちゃ気が利くじゃないか! でも……


「……俺が朝飯を食べていないって、よくわかったな」

「幼馴染の勘よ。……あと、これも。急いでいて忘れたのは朝ご飯だけじゃなくて、ハンカチもでしょう?」

「……それもよくわかったな」

「もう一度言うけど、幼馴染の勘よ」


 華恋が貸してくれたのは、黄色いハンカチ。乙女座のラッキーアイテムだ。……もしかして、華恋も朝の占いを見ていたのか?


 まったく、幼馴染の勘とは凄いものだ。十数年間壁一枚越しで生活していると、こうも相手のことがわかってしまうものなのか。

 幼馴染の彼女は、怖いくらいに俺のことを熟知していた。



 ◇



 運勢最悪の俺だったけど、華恋の貸してくれた黄色いハンカチが効力を発揮したのか、目覚まし時計の故障以外にハプニングが起こることはなかった。

 過ぎた一日を総じて見れば、何の変哲もないいつも通りの平日で。だけどいつもと同じ平日でも、やれ六時間に及ぶ授業だのその後の部活動だので十分疲れが溜まっていた。


「疲れたぁ」


 俺は制服のままベッドの上に座り、壁にもたれかかる。何も考えずボーッと天井を見上げていると、ふと頭上に小さな穴が空いているのを見つけた。


「何だ、この穴? こんなの前からあったか?」


 画鋲の痕より少し大きいくらいの穴で、小指一本すら入らない。仮に以前からあったとしても、これでは気付かなくても無理はないだろう。

 この位置にポスターやカレンダーを飾ったことはない。だとすると、この穴は一体何の目的で空けられたものなのだろうか?


 俺は不自然に空いた穴を凝視する。

 より注視するべく穴の中を覗き込むと……驚くことに穴は507号室と508号室を隔てる壁を貫通しており、壁の向こうの様子が一望出来るようになっていた。


「おいおい、これはマズいだろ」


 穴が貫通しているのもそうだが、一番の問題はこの壁の向こうが華恋の部屋だということだ。

 この穴を使えば、華恋が着替えをしているところをバッチリ見ることが出来るし、華恋が女友達としている秘密の通話も聞くことが出来る。

 三島華恋という女の子の全てが、文字通り筒抜けになってしまうのだ。


 華恋は魅力的な女の子だし、彼女の全てが赤裸々になるこの穴に一切欲望を抱かないと言えば、嘘になる。

 俺だって年頃の少年なのだ。華恋の下着姿に興味津々だし、華恋を憎からず思っているわけだから、彼女の恋バナも気になる。


 でもだからこそ、この穴は存在しちゃいけない。

 この穴はきっと俺たちの信頼関係をぶち壊し、十数年かけて培ってきた幼馴染の絆も断ち切らせることになる。

 一刻も早く、穴のことを華恋に伝えなければ。


 俺はベッドから降りて、駆け出そうとする。しかしすぐにある可能性が脳裏をよぎり、俺の足を止めた。


 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているという。

 これはあくまで仮定の話だ。もしかしたらの話だ。

 もしも……華恋がこの穴のことを知っているとしたら?

 もっと言うならば、この穴を空けたのが華恋だとしたら?


 思い返せば、華恋には説明の付かない不思議な言動が多々あった。

 例えば今朝、俺が朝食を取り損ねたことやハンカチを忘れたことを、彼女はどうして知っていた? 

 それ以外にも、「幼馴染だから」とか「長い付き合いだから」という理由だけでは説明出来ないくらい、華恋は俺のことを把握している。

 華恋は幼馴染の勘と言い張っていたけれど、その正体が穴からの覗きだったとしたら、辻褄が合う。

 ということは、だ。


 年がら年中というわけではないが、恐らく華恋は相当な時間この穴を通して俺のことを観察していた。彼女の覗き見た光景の中には、当然俺が誰にも知られたくないと思っている内容もあっただろう。隠れてエッチなサイトを閲覧している時とか。


 そう考えると、無性に腹立たしくなってくる。俺と華恋は対等な筈なのに、どうして俺だけ恥ずかしい光景を見られなくちゃならないんだ? そんなのおかしいだろ。


 不平等だ。不公平だ。対等な幼馴染だっていうのなら、華恋も俺と同じくらい恥ずかしい思いをするべきなんだ。

 だからこれは俺に与えられた正当な権利であって、華恋のどんな恥ずかしい秘密を見聞きしたとしても、決して咎められるものじゃない。


 華恋はきっと、この穴の存在を知っている。だけど俺が穴の存在に気付いたことまでは知らない。

 ……好都合だ。華恋には俺が穴に気付いていないと勘違いさせておいて、精々恥ずかしい思いをして貰おう。

 そうだなぁ。明日穿くパンツの色でも教えて貰うとしますか。



 ◇



 翌朝。目覚まし時計が直ったので、俺はきちんと6時半に起床した。


 着替えを済ませ、朝食を取りながら、毎朝恒例の占いを見る。乙女座は一位。昨日とは対称的だ。

 更に運気を上げるべく熊のキーホルダーを鞄に忍ばせて、俺は自宅を出る。


 307号室のチャイムを鳴らすと、少し経ってから華恋が出てきた。どうやら今朝は、玄関で待機していなかったようだ。


「おはよう。今朝は寝坊しなかったわね」

「よくわかったな」

「幼馴染の勘よ」


 違うだろ。覗き穴から見ていたんだろ。

 もうネタは割れているんだよ。そして俺もお前と同じ幼馴染の勘ってやつを使えるようになった。

 早速発揮して見せよう。華恋、お前の今日の下着は上下共に水色だ。



 ◇



 その日もつつがなく一日が過ぎていき、帰宅した俺は何よりも先に例の穴を覗き込んだ。

 華恋は今日部活がなかったから、一時間近く前に帰って来ている筈。着替え諸々を終えた彼女が今何をしているのか、見せて貰うとしよう。


 華恋は自分の部屋にいた。そして、ウサギのぬいぐるみと会話をしていた。


「おかえり、華恋ちゃん。今日も一日お疲れ様」

「うん。本当に疲れたわよ、ピョン吉」


 華恋は一人二役で、ウサギのぬいぐるみーーピョン吉との擬似会話を楽しんでいる。

 ぬいぐるみとのお喋りは、昔華恋がよくやっていたことだけど……えっ、何? 高校生になった今でも続いてたの?

 しかもピョン吉の声を当てる時、彼女はわざと低い声を出していて、そこがまた無性に面白かった。


 これは実に良いものを見れたな。笑いを堪えながら、俺はそう思う。


「確かに、何か悩み事がありそうな顔をしているね」

「わかるの、ピョン吉?」

「華恋ちゃんのことは、何でもわかるよ。それで、何があったんだい?」

「実はね……同級生に告白されたの」


 告白……だと? その二文字は、俺の表情から笑みを奪うのに十分だった。


 華恋は可愛いし、男子からもさぞ人気があるだろうと思っていた。しかしどういうわけか彼女の口から、浮ついた話は一切聞いたことがない。

 でもそれは、この覗き穴の存在同様、俺が知らなかっただけで本当は沢山告白されているんじゃないのか? いや、もしかしたら……既に恋人がいるなんてこともあるかもしれない。


「華恋ちゃんは、その告白を受けたのかな?」

「いいえ。丁重にお断りしたわ。私には、好きな人がいるからって」


 ひとまず特定の相手がいるという最悪のシナリオは免れたようだ。

 だけど悠長に構えてはいられない。恋人はいなくても、華恋に好きな人がいることは発覚したのだ。


 誰だ? サッカー部の山田か? テニス部の斉藤か? それとも生徒会長の小泉先輩か?

 この穴からは覗き見ることは出来ても、質問することは出来ない。

 俺はひたすら耳を澄ませて、華恋が好きな人の名前を漏らすのを待った。


「華恋ちゃんに好きな人がいるなんて、知らなかったよ」

「誰にも教えていないからね。だからこのことは、くれぐれも内緒よ?」

「わかってるって。……因みに、その子のどんなところが好きなんだい?」

「そうねぇ……頼りないところかしら? だらしないしバカだし、はたから見たらどこに取り柄があるんだっていうような奴だけど、だからこそ私が支えてあげなきゃって気持ちになるの。それに、本当にたまーになんだけど、頼りになる時もあるのよ?」

「華恋ちゃんは、その男の子のことが本当に好きなんだね」

「えぇ、大好きよ」


 誰だ!? その果報者は、一体誰なんだ!?

 帰宅してから小一時間、俺は入浴も夕食もそっちのけで覗き見を続けていたが、ついぞ華恋が好きな人の名前を口にすることはなかった。



 ◇



 覗き見開始から、一週間が経過した。

 この一週間、俺は覗き穴を通して色々な光景を見てきた。その結果、長年壁一枚越しでも知り得なかった新しい発見というものもあって。


 まず、ぬいぐるみと会話するという華恋の癖は未だに直っていないらしい。あの日からも毎日、彼女はピョン吉とお喋りしている。

 次に着替え。朝もお風呂上りも着替えは部屋でするようなので、下着の色は毎日把握済みだ。水色やピンク、白といった風に、明るい色を好んで着用している。

 動画の視聴や読書といった趣味に興じるのは、宿題や予習復習が終わってから。宿題は遊んでからの俺とは違い、真面目な性格なのだ。


 一番の大発見は、やはり華恋に好きな人がいたということだろう。しかし一週間かけても名前を聞き出すことは出来てなかった。


 折角覗き見という手段を用いているのだ。そろそろ華恋の好きな人を特定しておきたい。

 現状判明しているのは、基本頼りない男ということだけ。

 名前はわからなくとも、容姿の特徴とか学年とか部活とか、何でも良いから選択肢を絞り込む条件が聞きたかった。


 今夜の華恋は、ピョン吉と会話する代わりに電話をしていた。

 相手は華恋の好きな人ではなく、彼女のクラスメイト(女)だった。


「何? 私に紹介したい人がいる? それって、恋愛的な意味でよね? ……悪いけど、それは困るわ」


 クラスメイトが電話口で言っていることはわからないけど、華恋の発言から察するにどうやらまた華恋に惚れた男が現れたらしい。俺にとっては、新たなライバルの出現だ。 


「そこをなんとかって頼まれても……わかったわ。会うだけ会ってみる。でも、期待には絶対に応えられないわよ? だってーー私は昔から、恭介のことが好きなんだから」


 ……何だって?

 お目当ての華恋の好きな人の名前が判明したというのに、俺の思考は固まったまま機能していなかった。


 華恋が……俺のことを好き? 確かに頼りない男という条件には当てはまっているけど、あり得ないと思って候補にすら入れていなかった。


「私がどうして毎日一緒に登校しているかわかる? どうして毎日お弁当を作ってあげているかわかる? 幼馴染じゃないわ。恭介のことが好きだからよ」


 ……ダメだ。


「私は恭介以外の男と付き合わない。たとえあいつに彼女が出来たって、諦めるつもりはないわ。絶対に奪い取ってみせるんだから」


 この光景は、覗き見ちゃいけない。

 気付くと俺は覗き穴から離れて、走り出していた。


 靴と履かずに外に出て、507号室のチャイムを何度も押す。


「ちょっと、そんなに何回も押さなくても聞こえてます……って、恭介? 息を切らして、しかも裸足でどうしたの?」

「華恋、こっちに来てくれ」


 俺は華恋の手を引き、彼女の自室へ向かう。


「こっち来いって……そこ、私の部屋よ?」


 そんな些細な言い間違いなんてどうでも良い。今はもっと大切なことがある。

 華恋の部屋に着いた俺は、壁に空いた穴を刺した。


「華恋、ここに小さな覗き穴があるんだが……」

「知っているわよ。何年も前からあるもの。……で、その穴が何?」

「実は……俺はこの穴を使って、お前の私生活を覗いていたんだ」


「え……」と漏らす華恋に、俺は頭を下げる。


「本当にすまない! 穴の存在に気づいた時に、お前に教えるべきだったんだ! もっと早く穴を塞ぐなりして対応していれば……お前の俺に対する気持ちを、誤って聞いてしまうこともなかったのに」

「……いつから? いつから覗いていたの?」

「一週間前から。黙っていて、本当に悪かった」


 もし俺が覗き穴を見つけたことを言わず、その上で華恋に告白していたら、100パーセント成功していた。逆に覗き穴を使い続けていたと白状した今、彼女の俺に対する好感度は急激に下がり、好きな人どころか幼馴染の地位まで危うくなっている。


 だけど……たとえそうだとしても、10年以上俺なんかを一途に思い続けてくれた華恋に対して、不義理な真似は出来なかった。


「顔を上げて、恭介。別に怒っていないから」

「……本当か?」

「えぇ。だってーー恭介が覗き穴を使っているって、知っていたもの」


 ……は?


「一週間前から、あなた部屋で着替えしなくなったでしょ? だから「あっ、こいつとうとう気付きやがったな」ってわかったの」


 そういえばこの一週間、華恋の覗きを警戒して着替えは全て脱衣所で行なっていた。

 無意識下の羞恥心が、まさか決定的な証拠になるなんて……。


「俺のことは全部お見通しってことか。それも幼馴染の勘か?」

「いいえ、そんなものじゃないわ。あなたのことが好きで、ずっと見ていたからわかったの」


「それで、返事は?」

「……ずっと覗いていたんだ。言わなくてもわかっているだろ?」

「えぇ、そうね。わかっているわね」


 壁一枚と小さな覗き穴が紡いだ、俺たちの十数年。今があるのは紛れもなく覗き穴のお陰だけど……もうこれからは、覗き穴なんて必要ないな。

 だって、そうだろう? そんなものなくたって、俺たちは互いのことがしっかり見えているんだもの。

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