少年賢者と少女賢者のスローライフ
賢者。
それは魔道を極めし者にのみ与えられる称号である――。
帝国で賢者の称号を与えられし者は、建国から三〇〇年でわずか六名であった。その六名はいずれも晩年になってから賢者の称号を得た。今までの最年少は五三歳である。
今日、新たな――七人目の賢者が誕生した。
帝国は大いに盛り上がった。しかし、それは三〇年ぶりに新たなる賢者が生まれたから――という理由だけではなかった。
もう一つの理由――それは七人目の賢者の年齢だ。
少年の年齢は一〇歳だった。
帝国建国以来、史上最高といえる魔導師誕生の瞬間だった。
◇
僕が生まれたのは帝国の最北端、教国との国境付近にある小さな村だった。
そこは国境付近ということもあり、時折、教国の魔導師の魔法などが飛んできて、そのたびに村は甚大なダメージを受けていた。もちろん、村はとても貧しく、皆生きていくのに精一杯だった。
父は僕が幼い頃に死んだ。なので、僕の頭に浮かぶ父の姿はいつも靄がかかったように霞んでいた。
母は女手一つで僕を育ててくれた。それがとても大変なことだっただろうことは容易に想像がつく。
母がどのような仕事で生計を立てていたかは、僕は知らない。母は仕事について教えてくれなかったし、世の中には知らないほうがいいこともあるのだろう。
もしかしたら、法に触れるようなことをしていたのかもしれない。しかし、僕がどのような想像をしても、結局のところ、真実はわからない。
母は僕が九歳の頃に流行病に罹って、とても呆気なく死んでしまった。当時、その病の特効薬はなかったし、効果があるかもしれないといわれていた薬は高くて手が出せなかった。
だから、どうしようもなかった。ただ、幸いなことに、猛威を振るった流行病は、僕にはかからなかった。
今にも崩れ落ちてしまいそうにボロボロであった我が家には、いくつかの魔導書があった。魔導書というのは魔法発動の原理などが記された書物である。なぜ、魔導書が我が家にあったかというと、それは父が魔導師だったからである。
父は昔、高名な魔導師であったらしい。しかし、怪我が原因でろくに魔法が使えなくなり、職を失ってしまった。稼ぎがなくなった我が家は、父の故郷であるこの村に引っ越してきた、というわけだ。
魔導書は高級書物である。我が家の魔導書は使い込まれていてボロボロであるが、売ればそれなりの金額にはなっただろう。しかし、父はそれらを決して手放そうとはしなかった。
なぜかはわからない。
魔導書は父にとって自らの支えとなっているほど大切な宝物だったのかもしれないし、あるいは息子である僕に読ませて、魔法の勉強をさせようとしたのかもしれない。あるいは僕にはとても想像のできないような理由があるのかもしれない。
父が死んで生活がより苦しくなっても、母は魔導書を売ろうとはしなかった。母にとってそれらは父――失った愛しき人――の唯一の形見だったからだろう。
世の中には、金よりも、命よりも大切なものがあるのだ。
僕は父の形見である魔導書を読み込んだ。父の保有していた魔導書はいわゆる超がつくほどの上級編であったらしいが、僕はさほど苦労することなく、それらに記された魔法の数々を習得した。
国境最寄りの村であるこの村には、帝国軍所属の兵士たちが時折やってくる。彼らは立派な全身鎧やローブをまとって、時折、教国と小競り合いを行った。
母が死んでから数日ほど経ったある日、教国の兵士数人が国境を越えて村へとやってきた。彼らは教国の中でも過激派と呼ばれている派閥の人間だった。一口に教国といっても、様々な考えの人がいる。それは帝国も同様だ。
教国の兵士は武器や魔法を使って村を蹂躙しだした。
本来ならば、帝国の兵士が対応するところであるが、ちょっとしたアクシデントがあり、帝国の兵士は国境付近に二人ほどしか配置されていなかった。
そして、その帝国の兵士二人は教国の兵士たちに呆気なく殺されてしまった。帝国の兵士たちが弱かったのか、教国の兵士たちが強かったのかはわからないが、多数に無勢ということだろう。
村には戦力となる人間が僕以外には誰もいなかった。魔法を行使することができるのは、僕一人だけだった。
それはさほど珍しい話ではない。村に魔法の才能がある人間がいても、魔導書などで学ばなければ、一生魔法は使えないままだ。そして、村に魔導書があることなんて滅多にない。だから、僕は運が良かった。自らの才能に気づくことができたのだから。
戦闘経験のない僕が戦闘のプロフェッショナルとまともに戦うことができるのか、といった疑問が一瞬頭をよぎった。僕はまだ小さな子供だったのだから。しかし、考える時間などなかった。
僕は覚えたての魔法を教国の過激派の兵士たちに放った。
帝国の兵士たちが呆気なく殺されたように、教国の兵士たちもまた、呆気なく死んでいった。人間は簡単に死ぬものなんだな、と僕は思った。
救援を呼びに行った村の人が帝国の兵士を多数引き連れて戻ってきた。そのときにはもう戦闘は終了していて、村の中央の広場に教国の兵士の死体が集められていた。
「教国の兵士をやったのは誰だ?」
帝国の兵士は尋ねた。
「ええとですね……」
村長はきょろきょろと辺りを見回した後、僕のことを指さした。
「あの子ですね」
「本当にか?」
「ええ」
「まだ一〇にも満たない子供だぞ!?」兵士たちは驚いた。
きっと、正直のところ、半信半疑だったのだろう。しかし、村長を含め、僕が魔法を発動させるところを見ていたたくさんの村人が懇切丁寧に説明した結果、兵士たちは僕が教国の兵士たちを殺した、という事実について納得した。
兵士たちにもたらされた情報は、あっという間に拡散した。多少でも広まってしまった情報を隠すことなどできないのだ。
やがて、僕のことが帝国の皇帝にも知れ渡った。
皇帝は徹底的な能力至上主義者であり、能力がある者は身分の貴賤に関わらず優遇した。有能な皇帝が国を治めているからこそ、帝国は大国となりえたのだろう。他の国では、なかなかこのようにはいかない。
僕はただの村人だったが、皇帝にその能力を認められた結果、帝都にある帝立魔法学院に飛び級で入学することとなった。
帝国屈指の魔導師育成機関である帝立魔法学院。
その歴史は古く、帝国の年齢とそうは変わらない。その長い歴史の中で飛び級で入学した者は二〇名ほどしかいないらしい。
僕が九歳で入学した魔法学院だが、通常の入学年齢は一二歳である。入学するためには、実技試験と筆記試験の二種の試験をパスする必要があり、その入試倍率は一〇〇倍はくだらない。特に名門である帝国魔法学院は、他の魔法学院よりも入学難易度が一段か二段上がる。
無事、試験をパスし、魔法学院へと入学した生徒たちは、六年間かけて魔道の真髄を学んでいく。しかし、僕は飛び級をして一年で帝国魔法学院を卒業した。一年で卒業した生徒は僕が初めてとのことだ。
魔法学院を卒業した生徒の就職は主に二つだ。
兵士。
冒険者。
比率としては兵士が六割、冒険者が四割といったところだ。
しかし、僕はそのどちらにもなることはなかった。
帝立魔法学院を卒業した瞬間に、僕は七人目となる賢者の称号を授けられた。といっても、かつての賢者たちと比べると、僕はまだまだ実績に欠ける。
賢者の称号を授けられた数日後、僕は皇帝に呼び出された。
「幼き賢者よ。貴様に引き合わせたい人物がいる」
「ええと、あの……」
僕は震える声で言った。緊張していたのだ。
「どなたでしょうか?」
「勇者だ」
勇者。
それは世界にはびこる魔物の王――魔王を倒す役目を担う者のことだ。
勇者になるためには、強力な魔物が巣くう試練の塔に赴いて、その頂上に刺さっている聖剣を引き抜く必要がある。
試練の塔を攻略するのは至難の業だ。そして、もし仮に、試練の塔を攻略したとしても聖剣を引き抜くことができなかったら、勇者になることはできない。
なぜなら、不老不死と称される魔王を殺しきるためには、聖剣の持つ不思議な力――それは神聖力と呼ばれている――が必要不可欠だからだ。
僕が賢者となる少し前。
ついに聖剣を引き抜いた者が現れた、とすごく話題になっていた。世間の情報に疎い僕ですらそのことを知っていた。
街は――いや、国はお祭り騒ぎである。ありがたいことに、僕が賢者になった際も同じように国は沸いた。
僕は王城のある一室へと案内された。そこにいたのは、一人の少年だった。
少年、と僕は称したが、年齢は僕よりもいくつか上だ。多分、一五歳くらいだろう。整った顔立ちをしているが、その目つきは鋭く、そこから意志の強さを感じる。
「おまえが賢者か」
勇者は僕のことをじっくりと、見定めるようにして言った。
「随分と幼いな」
「えっと……」
勇者の瞳からは嘲り、といった感情は見られない。しかし、どことなく不満そうな、失望したかのような感情が見て取れた。
「年齢はいくつだ?」勇者は僕に質問した。
「一〇歳です」僕は答えた。
「一〇歳!?」勇者は驚いた。「こいつが本当に帝国七人目の賢者なのか?」
「はい」兵士は答えた。「歴代の賢者様と比べても遜色することのない、屈指の逸材である、という話を伺っております」
「ふうん……」
勇者は僕のことをじっくりと、ねっとりと見つめた。
「一応聞いておくけど、おまえ、性別は?」
「えっと……男です」
「だよなあ……」勇者はため息をついた。「いくら可愛くても、ショタは興味ねえわ」
ショタ?
「俺はハーレムパーティーを作りたいんだよ」勇者はぶつぶつと小声で呟いた。「あー、ロリだったら最高だったのにな。ロリ賢者。語尾は『なのじゃ』がいいな。あー、でも、それだとロリババアか?」
勇者の口から聞き覚えのない単語が次々に発せられる。
僕が辺境の村出身だから知らないだけだろうか。しかし、よくよく考えてみると、一応、僕は帝都で一年という決して短いとはいえない時間を過ごしているのだから、帝都特有の言葉、というわけではないのだろう。もしかしたら、勇者の出身地特有の言葉なのかもしれない。
「んー……」勇者は腕を組んだ。「本当にこいつを俺のパーティーに入れなきゃいけないのか?」
「はい」兵士は頷いた。「これは決定事項です」
「極論、聖剣を保有している俺さえいたら、後のメンバーは誰でもいいと思うんだが」
「魔王を侮ってはいけません」兵士は勇者をたしなめるように言った。「たとえ、聖剣を持っていようとも、それを魔王に突き刺すことができなければ、何の意味もないのです。きっと、仲間のサポートなしでは魔王を倒すことは難しいでしょう」
「そんなに強いのか?」
「ええ」兵士は頷いた。「特に現魔王は歴代でも最強なのではないか、と言われているほどです。だから、勇者様のパーティーのメンバーに妥協は許されません」
「ふうん」勇者はどうでもよさそうに言った。「ちなみに、魔王はどんなやつだ?」
「と言いますと?」
「見た目とか年齢とか……性別とか」
「見た目や年齢はわかりませんが、性別は女だそうです。歴代でも女の魔王は少な――」
「女なのか!?」
勇者は兵士の言葉を遮るように言った。
「え、ええ……」
兵士はやや引いている。
勇者は少しの間、黙って考えていた。
勇者がどのようなことについて思索を巡らせているか、については僕にはわからない。わからないが、予想してみる。
きっと、僕の必要性や能力について考えているのだろう。さすがは勇者だ。周りの評価を鵜呑みにしたりはしない。思考を停止させ、ただ命令に従うのではなく、自らよく物事を考えている。
どのような選択を取ることが、魔王を倒すためにベストなのか。
勇者になるような人間は、その能力だけではなく、人間性も優れているのかもしれない。
僕の中での勇者の好感度が少し上がった。
やがて、勇者は口を開いた。
「よし、決めた!」
そう言って、勇者は立ち上がった。
「魔王を倒すためにはおまえの力が必要だ。ぜひ、俺のパーティーに入ってくれ」
僕は勇者の『俺のパーティーに入ってくれ』という言葉に感銘を受けた。彼は僕の実力を認め、僕のことを必要としてくれている。それは、とても嬉しいことだった。
「わかりました」僕は答えた。「微力ですが、魔王を倒すお手伝いをさせていただきます。よろしくお願いします」
僕と勇者はがっちりと握手をした。
こうして、僕は勇者パーティーに加わった。
◇
それから、二年という月日が経過し、僕は一二歳になっていた。
幸い、勇者パーティーは誰一人欠けることなく今に至っている。その勇者パーティーのメンバーを紹介しようと思う。
勇者。
一七歳で背が高く端整な容姿をしている。彼と旅をしている間にわかったことだが、かなりの女好きである。
女好きであることは決して悪いことではないが、彼の場合は度を超えていて、彼に対する好感度はかなり下がってしまった。
それと、旅の途中でお互いの話をしたのだが、そのときに彼は自らが転生者である、と語っていた。
転生者。
聞き覚えのない言葉だが、彼の話曰く、彼には前世の記憶があるらしく、時折使う謎の言葉は、彼の前世で使われていたものらしい。
勇者の髪色は黒であるが、帝国ではほとんど黒髪の人間は見かけなかった。彼曰く、自らの容姿は前世のものと同一である、とのことだ。
剣聖。
勇者と同じく一七歳であり、燃えるような真っ赤な髪を後ろで束ねているのが特徴だ。美人であり、勇者とは恋仲だ。
恋仲ではあるんだけど、勇者は彼女以外の女性とも懇意の間柄にある。それも、大勢だ。旅の途中で出会った女性には、片っ端から手を出していた。そのことを彼女は気にしていないのだろうか?
彼女は剣聖と呼ばれるだけあって、恐ろしく強い。それも剣術だけではなく、純粋な格闘能力も優れている。
剣聖は元々奴隷だったらしい。しかし、恐ろしいほどの戦闘能力を持っていたので、性奴隷などにはならなく、武闘大会に戦闘奴隷として出場していた。そのルックスと圧倒的な剣術が話題となり、武闘大会では屈指の人気を誇っていた。
そんな彼女の噂は皇帝の元まで広がった。皇帝は彼女を奴隷から解放し、勇者パーティーに入るように命令した。そういう事情があって、彼女は勇者パーティーに加入した。
聖女。
年齢は二〇歳で、長く美しい金髪と神官服の上からでもよくわかるほどの大きな胸を持っていることが特徴の女性である。
元々は教国の神殿に仕えていたらしいが、様々な政治的事情があり、勇者パーティーに加わった。といっても、彼女の回復魔法は超がつくほどの一流で、勇者が油断して大怪我を負った際も、その傷を一瞬にして治して見せた。
そして、やはり勇者とは懇意の間柄である。それは聖女の様子を見ていればよくわかる。彼女はかいがいしく勇者の世話をしている。
夜になると、勇者は剣聖や聖女とテントの中へ消える。音が漏れないように、防音魔法をかけていたりもする。
僕はまだ一二歳だが、テントの中で何が行われているかは、想像がつく。毎日のようにそういったことをし、なおかつ、街の娘などにも手を出すので、どんだけ絶倫なんだよ、と僕は呆れて言葉も出ない。
勇者と剣聖と聖女と賢者(僕)。
以上、四名が勇者パーティーのメンバーである。
僕は居心地の悪さを感じつつも、三人と仲良くやってきたつもりだった。賢者の名に恥じないように頑張ってきたつもりだった。
勇者が行く先々で問題(主に女性関係)を起こしたときは僕が何とか事を収めたし、勇者が他のメンバー二人と喧嘩したときは、僕が間に入った。
しかし、勇者は僕のことを評価してくれなかった。そのことに対し、僕は不満を持っていたが、それを表に出すことはしなかった。
◇
ある日のことだ。
勇者パーティーに新たなメンバーが加わった。
彼女――そう、新メンバーは女だった――は、僕と同じく賢者だった。帝国八人目の賢者である。
僕が賢者となってから、二年しか経っていない。こんなにも短いスパンで新たな賢者が誕生したのは、初めてのことだった。
僕たちは新たなる賢者の誕生の知らせを、とある街で受け取った。街は随分と沸いていたし、勇者は自らのパーティーに女が増えることを喜んでいた。
街では号外が配られていた。号外には八人目の賢者の詳細が記されていた。それを読んで僕は驚いた。八人目の賢者は僕のよく知る人物だったからだ。
彼女は帝国魔法学院時代の同級生だった。
年齢は一五歳。彼女が魔法学院に入学したのは、一般生徒と同じく一二歳のときだった。彼女は平民の出であるが魔法の才能があったらしく、試しに帝国魔法学院の試験を受けてみたところ、全体二番目の成績で合格した。ちなみに、全体一番目は僕である。
だからかはわからないが、彼女は僕のことをライバル視していた。もはや、敵視しているといってもいいくらいだった。
彼女は僕が一年で帝国学院を卒業し、賢者の称号を授かった際、もの凄く悔しそうな顔をして「おめでとう」と言ってくれた。
「私もすぐにここを卒業して、賢者の称号も頂くわ。だから、せいぜい首を洗って待ってなさい!」
そんなことも言っていた。
そんな彼女はそれから二年――つまりは三年――で帝国魔法学院を卒業した。そして、魔法学院時代に様々な武勇伝を残し、実績を積み上げ、卒業とともに賢者となった。
彼女を勇者パーティーに加えろ、という皇帝からの手紙が、彼女が賢者になった後すぐに届き、数日後には僕たちが滞在している街までやってきた。
「久しぶりね」
彼女は再会するなり言った。
「二年で随分背が伸びたみたいじゃない」
「君もその、結構変わったね」
僕が知っている彼女は一二歳から一三歳のときの彼女で、一五歳になった彼女は背が高くなったし、大人っぽくあるいは色っぽくなっていた。
「おまえが八人目の賢者か」
勇者は嬉しそうに言った。どうやら、好みのタイプだったようだ。
「これからよろしくな」
そう言って、手を差し出した。
しかし、彼女はその手を見なかったことにした。
彼女は剣聖や聖女のように、勇者に対して好意あるいはそれ以上の感情を持っていないようだった。
勇者は苛立ったような表情を浮かべた。
◇
新たに彼女が加わって五人となった、新生勇者パーティーの旅が始まった。
勇者の色狂いっぷりは相変わらずであり、彼女も何度も口説かれた。しかし、彼女は勇者の誘いを断った。彼女は剣聖や聖女のようにちょろくはなかった。
彼女は勇者に対し好意を抱くどころか、日に日に嫌悪感を強めていった。勇者とは最低限の会話しかしなかったし、魔物との戦闘の際も、露骨に手を抜いていた。
就寝の際には、テントが二つ張られた。片方のテントには勇者と剣聖と聖女が、もう片方には僕と彼女が入った。
勇者たちはもちろん性的なことを行っていたが、僕たちはそのような関係――つまりは男女の関係――にはならなかった。
僕は一二歳である。そのような行為をするにはまだ早いし、僕と彼女は恋人同士ではなかった。しかし、旅をする中で魔法学院時代よりも仲良くなっていた。
本来、一つにまとまるべきであるパーティーは二つにわかたれていた。これは由々しき事態である。強力な敵である魔王を討伐するためには、パーティーの連携は必要不可欠だ。こんな状態では魔王を倒すどころか、逆に魔王に倒されてしまう。
僕は焦りを抱いていた。
そんなときである。勇者が僕と二人きりで話をしたい、と言ってきた。勇者とまともに会話をしたのは久しぶりのことだった。僕は勇者のことがやや苦手だったし、勇者は彼女が僕とだけ仲良くしているのが気に食わなかったのか、ほとんど話しかけてこなかったのだ。
「夜にこっそりとテントを抜け出して来てくれ」勇者は言った。「それと、俺と会うことをあいつには言わないように」
あいつとは彼女のことである。
それにしても、なぜ夜中なのか? そして、なぜ彼女に『勇者と二人で話をすること』を秘密にしなければならないのか? 僕は考えてみたが、まったくもってわからなかった。しかしきっと、何らかの深いわけがあるのだろう。
だから、僕は彼女が寝てからひっそりとテントを抜け出して、勇者の元へと向かった。この日、僕たちは巨大な森の中でテントを張った。森の中は薄暗い。
「よお」
勇者は僕の姿を認めるなり、そう挨拶した。機嫌は悪くなさそうだ。
「それで……話ってなんですか?」
「回りくどい話は嫌いだから、単刀直入に言う」
勇者は冷めた目をして言った。
「おまえ、パーティーを抜けろ」
「……は?」
この人はなんて言った?
パーティーを抜けろ? パーティーを抜けろ? パーティーを抜けろだって? 本気で言っているのかっ!?
勇者の顔を一瞥する。しかし、彼はへらへらと笑っているわけではなく、いたって真剣だった。どうやら、冗談で言っているわけではないようだ。
「どういう……ことですか?」僕は混乱しながら言った。「説明してください」
「今、パーティーは二つに分裂している。それは、おまえもわかっているよな?」
「ええ」
「おまえがいなくなればパーティーはまとまるんだ。パーティーがまとまらなければ、魔王には勝てない」
「それは――」
「それに」勇者は僕の言葉を遮るように言った。「パーティーに二人も賢者はいらない」
「そうでしょうか?」僕は疑問を呈した。
魔法のスペシャリストは多いに越したことはない、と僕は思う。
「そうだ」勇者は力強く言った。「魔物との戦闘の際、役割や連携といったものが重要となってくる。そして、連携することは人数が多ければ多いほど困難なものになる」
「でも――」
「戦力は多ければいいってものではない。五人が四人よりも強いとは限らない。人数が多ければ多いほど、足を引っ張る者が出てくる可能性は高くなる」
その意見は真理――とはいえないが、あながち間違っているともいえない。
「僕は……足を引っ張っている覚えはないですし、戦闘の際は人一倍頑張っているつもりです」
それは、事実だと思う。僕は頑張った。頑張ってきた。このパーティーの誰よりも多くの魔物を倒してきたはずだ。役に立っている。足を引っ張ってなんていない。
「それはおまえから見た物の見方だ。物事を客観的に見ると、違った景色が見えてくる」
勇者は客観的と言ったが、彼の見る景色は客観ではなく、勇者の主観でしかない。そう思ったが、自信満々に自らの意見を言う勇者に、僕は強く意見をすることができなかった。
出てきたのは、まったく異なる言葉。
「……僕は弱いのですか?」
「弱くはない。まあ、最年少で賢者になったくらいだからな。しかし、俺とは相性が悪い。連携がうまく取れない。これは致命的なことだ。魔王を殺すことができるのは、聖剣を持っている俺ただ一人だ。おまえがいくら強かろうと、おまえでは魔王を殺せない」
そう、僕では魔王を殺すことはできない。
魔王を殺すことができるのは、聖剣を持つ勇者のみだ。
「……」僕は沈黙した。
「魔王を倒すためだ。パーティーを抜けてくれ」
「私利私欲から、僕にパーティーを抜けろ、と言っているわけではないんですね?」
「もちろんだ」勇者は答えた。「これは世界平和のためだ」
世界平和。
そこまで言われてしまうと……。
僕はため息をついた。
僕という存在がパーティーに不必要どころか枷になっている、と勇者は言うのだ。だから、パーティーを抜けてくれ……。
「一つ教えてください」
「何だ?」
「なぜ、こっそりと二人きりで話をしたかったのですか?」
「全員で話し合うとややこしくなるからな。それに、これは俺とおまえの問題だ。他のメンバーには何一つ関係ない。そうだろう?」
そうだろうか? 僕と彼だけの――二人だけの問題?
「というわけで、できれば今すぐに出ていって欲しいんだが」
「今すぐに?」
「ああ」勇者は頷いた。「それと、お別れの挨拶をするのもなしだ」
「……僕がパーティーを抜けることを断ったら?」
勇者は一瞬にして距離を詰めてきた。そして、僕の首筋に聖剣の刀身を当てた。
「選択肢は二つしかない」
勇者は悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「パーティーを抜けるか、今ここで死ぬか、だ」
そういう、ことか……。
勇者が僕の首を跳ね飛ばす前に、魔法を発動させることができるだろうか? 考えてみたが、それは非常に難しい。
それに、もし仮に魔法を発動させることができたとして、その結果、勇者が死んでしまったら、魔王を殺すことができる者はいなくなる。そうしたら、世界は魔王に支配されてしまう。それだけはなんとしても避けたい。
苦渋の果てに出した結論は――。
「…………わかりました」
僕はため息をついてから言った。
「僕は……パーティーを……抜けます」
「そうか、悪いな」
「……あの、剣を収めてくれませんか?」
「それはできない」
「なぜですか?」
「剣を収めた瞬間に、魔法を発動させるかもしれない」
「そんなことしませんよ」
「俺は疑り深い人間なんでね」
僕は勇者に剣を当てられたまま森の中を歩かされた。それはもちろん、ひどく心地が悪かった。
勇者はともに旅をしてきた僕という人間を、これっぽっちも信頼してなどいなかったのだ。僕は多少は信頼していたというのに……。
しばらくして。
「この辺でいいだろう」勇者は呟いた。
僕をどうするつもりなんだ、と思っていると、首に強い衝撃が走った。
「ぐぅ……!?」
僕は意識を失った――。
◇
目が覚めたときに違和感のようなものを覚えた。何だろうか、と思って隣を見ると、あいつの姿がないことに気がついた。
どこに行ったんだろう?
あいつはそこまで寝起きがいいほうではないし、もしあいつが起きていたら、きっとあたしのことを起こすだろう。
あたしが勇者たちと仲が悪いように、あいつも勇者たちとはぎくしゃくとしているのだ。あいつにとって話し相手はあたししかいないはずだ。
テントを出ると、変態勇者とその取り巻き二人がいた。あいつらは相も変わらずいちゃいちゃしていて、気持ちが悪い。本当に、どうしようもなく、気持ち悪い。反吐が出る。
「おはよう」
勇者は言った。笑顔だった。
人の笑顔がここまで癇に障ったのは初めてだった。
「あいつはどこ?」
あたしは勇者の挨拶を無視して尋ねた。
「ああ、あいつならパーティーを出て行った」
「はあ? どういうことよ?」
わけがわからない。
「パーティーの不和の原因になっていることに負い目を感じたんだってさ。あ、そうそう、あいつから言付けを預かってるんだ」
「何よ?」
「勇者様と協力して魔王を倒して欲しいってさ」
「あのさあ……」
あたしは心底呆れた。
こんな説明で、あたしが納得するとでも思っているのだろうか。どう考えても、こいつが無理矢理パーティーから追放したに決まっている。
勇者の言った言付けやらも、あいつが言ったものではなく、こいつが適当に作り上げたものに違いない。
「まあ、これからは仲良くしようじゃないか」勇者はにやりと笑った。「そうだ。これからお互いの親睦でも深めないか?」
親睦、と曖昧な言い方をしたが、どう考えても変態的なことを考えているに決まっている。こいつは下半身に脳がついているのだろうか?
あたしはへらへらとしている勇者の顔面をぶん殴った。
「死ねよ、この変態」
勇者は鼻血を流しながら、豪快に倒れた。もしかしたら、鼻の骨が折れたかもしれない。だけど、そんなことはあたしの知ったことではない。
「あんた、なんてことするの!?」
剣聖はあたしに怒鳴った。
「勇者様、お怪我はありませんか!?」
聖女は倒れた勇者の元に駆けつけた。そして、あたしを睨み付けた。
「あなた、勇者様に謝りなさい!」
勇者の取り巻き二人のヒステリックな叫びに、あたしはイライラとする。こんな男のどこがいいのか?
「このアマァ……」
勇者は口から流れ出る血を拭った。
「この俺がせっかく優しくしてやったのに……」
「あいつはどこ?」
しかし、勇者はあたしの質問を無視して、聖剣を抜いた。
「格の違いを見せつけてやる。このパーティーのリーダーは誰か、強者は誰かをわからせてやる!」
欲をむき出しにして、野獣のように襲いかかってきた勇者に、あたしはとっておきの魔法をお見舞いした。
◇
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
その日、街に轟音が響いた。どうやら、近くの森の中で大きな爆発が起きたらしい。爆発の原因はよくわかっていない。多分、どこかの魔法使いが上位魔法を発動させて、制御に失敗したのだろう。
爆発が起きてから数時間後、全身ボロボロになった勇者パーティー一行が、とある小さな街へとやってきた。勇者パーティーは現在、五人であるという情報を聞いていたが、三人しかいないようだ。
爆発によって髪の毛がアフロのようにモワモワとなっている男が勇者だろう。勇者は鼻が折れていて、血の跡が残っている。一体、何があって鼻を負傷したのだろうか?
そして、勇者に付き従うようにして歩いている二人の少女は、外見的に賢者には見えないので、多分剣聖と聖女だろう。二人の顔は煤で薄汚れている。着ている服はボロボロで、あちこちが破けている。とても煽情的で、街の人々は彼女たちのことをちらちらと見ている。
パーティーに所属しているはずの残りの二人はどこへ行ったのか?
街の者がそのことを尋ねると――。
「ああ、不幸なアクシデントがあってな」
勇者の憂鬱げな表情から街の者は察した。
きっと、先ほどの爆発は人間ではなく、森に潜む魔物が放った魔法なのだろう。そして、その魔法によって二人の仲間は死んでしまったのだろう。
街の人々は勇者たちを哀れに思った。
「まさか、あんなに強いなんて……」
そう呟いて勇者は倒れた。
◇
勇者からパーティーを追放されてから二ヶ月が経過した。僕は当てもなく、一人ふらふらと旅をしていた。
とある街で手にした情報曰く、僕は死んだことになっているらしい。だからか、街の人は僕を見かけると、「勇者パーティーの賢者様にそっくりですね」などと言ってくる。
それと、現在、勇者パーティーのメンバーは三人らしい。魔法学院の同級生だった彼女は死んだらしい。その情報が本当なら、とても悲しい。しかし、街の情報にはそれほどの信憑性がない。なぜなら、僕が死んだことになっているからだ。
さて、これからどうしよう。
僕は死んだことになっているから、地元に戻ることはできない。いや、戻ったとしても、僕には父も母もいない。そんな村に一体何の価値がある?
というわけで、僕は街でのんびりとした毎日を送っていた。幸い、当分は働かなくても食べていくことができる程度のお金はある。
しかし、働かないでのうのうと暮らしていると、なんだか退屈だし、退屈は人間を堕落させ腐らせる。
それと、あまり人と関わらない生活をしているので、ひどく寂しい。心なしか、独り言が増えているような気がする。
「うーん……」
僕は冒険者ギルドの建物の前で悩んでいた。
「冒険者にでもなろうかなあ……」
冒険者に年齢制限はない。一二歳の僕にでもなれる職業だ。こんな職業はなかなかない。他の職業に就くとなると、どうしても年齢制限がかかるものが多い。一二歳がなれる職業はそう多くはないのだ。
それに、もし仮に、僕でも就ける職業があっても、きっと薄給だろう。まともな生活を送るために必要な金額は稼げない。
だから、冒険者になろうかな。
しかし――。
「ねえ、あの子、賢者様に似てない?」
「え、でも……亡くなったって話を聞いたわよ」
「でも、あの記事が本当とは限らないし……」
ひそひそと話す声が聞こえてくる。
正直、街に居づらい。
それに、冒険者になったとしても、年齢的に注目を浴びてしまうことは自明の理である。それと、自らの実力を隠し通せる自信もない。
一〇分以上、その場に突っ立ったまま悩んでいると、どんっ、と体に衝撃が走った。何事か、と頭を上げると、そこには、柄の悪そうな男が立っていた。
背が高く、ガタイがいい。多分、この男は冒険者だろう。どちらかというと、冒険者というよりも盗賊の方が似合うが……。
「おう、小僧。てめえがそこに突っ立ってるせいで、ぶつかっちまっただろうが」
「すみません」僕は謝った。
「ぶつかった衝撃で、串焼きを落としちまった。しかも……」
男は自らの胸元を指さした。
「服にソースがついた」
「すみません」
僕はもう一度謝った。
「どうしてくれるんだ、ああん?」
「えーと……」
僕たちの周りにはそれなりに人がいるのだが、誰も僕を助けようとはしない。下手に助けようとすれば、この男に殴る、蹴るなどの暴力を振るわれるからだ。
だから、見て見ぬふりをする。
それは仕方のないことだ。知らない少年のために命を張れる人間は、そうはいない。
「その……弁償しますので、許してください」
僕は下手に出た。下手に事を荒立てると、ろくな事にならないからだ。
「許さねえ」
しかし、男は僕の申し出を拒否した。
「おまえ、俺の幼なじみを寝取った男に似ててむかつくんだよ」
とても、理不尽だ。そんな理由で「むかつく」と言われても、とても困る。
それにしても、幼なじみ、ね……。
「恋人ではなく?」僕は尋ねた。
「きっと、あいつも俺のことを好きだったはずだ。そうだ、そうに違いない!」
やや興奮したように男は言った。
「恋人じゃなくてただの幼なじみなら、それは寝取られるとは言わないのでは?」
「うるせえ! ぶち殺すぞ、おらっ!」
男は僕の服の襟を掴んだ。そして、そのまま近くの路地裏まで引っ張っていく。
「あの、どなたか助けてくれませんか?」
僕の言葉は黙殺された。
◇
「ひっひっひ……ぶち殺してやる……俺の大切な幼馴染を寝取りやがったあの男……クソクソクソ……お前を殺せばあのときの怒りがなくなって、きっとすっきりするに違いない……」
男はぶつぶつ呟いていた。ヤバい薬をきめているみたいだった。
僕はどうするべきか悩んだ。できるだけ穏便にことを収めたくはあるのだが、相手は明らかに好戦的で、話せばなんとかなるようには思えない。
とすると、戦うしかない。幸い、路地裏には僕たち以外に人はいない。殺さないように手加減して魔法を放ち、すぐにその場から立ち去る――。
……よし。
「〈ファイア――」
しかし、僕が魔法を発動させる前に、炎の球が男を強襲した。巨体が吹き飛んだ。近くの壁にぶつかると彼は気を失った。
「……え?」
「久しぶりね」
聞き覚えのある声に、僕はとてもびっくりした。
――彼女だった。
どうして? どうして、彼女がここにいるんだ?
「ど、どうして……!?」
「勇者がうざかったからパーティーから抜けてやったのよ」
そう言って、彼女はにっこりと笑った。
「そうなんだ。君が死んだって噂が流れてたから……よかった、生きていて」
「あんたも死んだって噂流れてたわよ」
「あはは……」
「ま、あたしはそんな噂、信じちゃいなかったけど」
やはり、彼女はにっこりと笑った。
「そういえば、勇者はあんたのことを『自分から出て行った』って言ってたけど、本当はあいつに追い出されたんでしょ?」
「うん、まあね……」
「あんたが出て行くとしたら、あたしに一言いうもんね」
「うん。黙って出ていったりはしないよ」
僕たちが再会を喜びながら話していると、誰かがやってくる足音と声が聞こえた。彼女が魔法を発動させたときの姿を見られたのか……。
「とりあえず、ここから離れましょ」
そう言うと、彼女は僕の手を握って走り出した。
◇
「あんたさ、これからどうやって生きていくつもりなの?」
店でご飯を食べていると、彼女が尋ねてきた。
「どうしよっかなって考えてる」
「……その、よかったら、あたしと一緒に暮らさない?」
「えっ?」
「嫌なら無理にとは言わないけど……」
「そんな。嫌なわけないよ」
「じゃあ、一緒に暮らしましょ」彼女は言った。「実はね、勇者パーティーを抜けてから、あたし冒険者として暮らしてたの」
そこで、彼女はお茶を飲んだ。
「でね、あるクエストをこなしたときにね、依頼人からえらく感謝されて、報酬として土地をもらったのよ」
「土地?」
「そ。まあ、土地といっても、何もないだだっ広い平地なんだけど」
「その土地に住むの?」
「うん。あたしたち二人でさ、土地を耕して自給自足の生活をって考えてる。……どう?」
「いいね」
決して楽な生活ではないと思う。けれど、それは冒険者などをして暮らすよりも、ずっと楽しいものだと思う。
「これから、よろしくね」
「よろしく」
◇
「ようやく、ここまでたどり着いた……」
そびえ立つ魔王城を見上げて勇者は言った。
「あいつら――賢者二人が抜けたことは予想以上に痛かったな……」
勇者は自分さえいればどうにでもなるだろう、と思っていたがそれは大きな間違いだった。彼が思っていたよりも、パーティーを抜けた二人の賢者の存在は大きかった。
道中、二人の賢者の穴を埋めるように加入してきた者たちは皆、強力な魔物との戦いで命を散らしていった。
結局、残ったのは、勇者と剣聖と聖女の三人だけだった。
「ま、私たちだけで余裕でしょ」剣聖は言った。
「勇者様さえいれば、魔王を殺すことは容易です」聖女は言った。
「それもそうだな」
勇者は二人の言葉に頷いた。
「俺と聖剣さえあれば魔王なんてどうにでもなる。魔王が好みのタイプだったら、何とかして俺のハーレムに加える。そうでなければ、殺す。いずれにせよ、俺は救世の英雄として崇められる」
「さあ、行こ!」
剣聖は勇者の腕を引っ張った。
「すべてを終わりにしましょう」
聖女は歩き出した。
「ああっ!」
勇者は力強く頷いた。
そして、勇者パーティー三人は魔王城の中へと入った。
入り口の巨大な両開きの扉には、鍵がかかっていなかった。まるで魔王が勇者たちを歓迎しているかのようだ。
勇者は不用心だな、と思った。
魔王城の最上階にいるであろう魔王の元まで進んでいくが、道中、一体たりとも魔物は現れなかった。なので、勇者は拍子抜けした。
やがて、三人は魔王城最上階の奥にある部屋の前までたどり着いた。その部屋の扉は、明らかに他の部屋の扉と比べると、違った。何が違うのかはよくわからない。しかし、本能がこの部屋の中に強大な存在――つまり、魔王がいると告げている。
勇者は扉を蹴り開け、部屋の中へと入る。部屋はとても広かった。最後の戦いを繰り広げるのにふさわしい部屋だといえる。
部屋には段差があり、奥の方が高くなっている。その最奥部には、荘厳な玉座があった。玉座には小さな女の子が不敵な笑みを浮かべて座っている。
玉座は今までの大柄な魔王のサイズに合わせて作られたのだろう。少女が座るには、サイズが大きすぎた。だからか、少女はまるで人形のようにも見えた。
少女は可愛らしく、美しかった。年齢は一〇~一二の間くらいだろうか。背は一三〇センチほどだった。まだ発達しきっていない体を、黒を基調とした服で覆っているが、その露出は激しく、どこか妖艶さをにおわせる。
「妾の城へようこそ、勇者諸君」
「ロリっ娘だ……」勇者は呟いた。
「ロリ……? なんだそれは?」
魔王は聞き覚えのない言葉に首を傾げた。
「まあいい。それにしても、三人だけか?」
もっと、大人数でやってくると思っていたのだろう。魔王はやや拍子抜けしたかのような顔をして見せる。
「あんたなんて三人もいれば充分よ」
剣聖が馬鹿にしたように言った。
「ふうむ」
魔王は不快そうに顔を歪ませた。
「妾もなめられたものじゃな」
事実、彼女にとって、剣聖の馬鹿にしたかのような言葉は不快だった。
「この城の中に魔物がいないのはなぜですか?」聖女は尋ねた。
「部下たちではおぬしらには敵わんだろう」
魔王は勇者一行のことを決して侮ったりはしなかった。かつて、勇者を侮った魔王がどのような末路をむかえたかをよく知っているからである。
そして、魔王にとって部下は駒ではない。部下が一体死んだからといって、悲しむものではないが、無駄死にさせて何も思わないほどでもないのだ。
「どうせ敵わないのなら、わざわざ無駄死にさせることもない。そうだろう?」
「魔王でも部下を思いやる心があるんですね」
聖女は意外そうに言う。
「妾を猟奇的殺戮者だとでも思っているのか? 妾だって魔物だって生きている。人間と同じように生きていて、感情だってある」
「では、なぜ人間を殺すのですか?」
「なぜ?」魔王は笑った。「では逆に尋ねるが、なぜ人間は魔物を殺すのだ?」
「人間を殺すからです」
「だがしかし、人間だって魔物を殺すぞ?」
「先に手を出したのは魔物の方でしょう」
「証拠はあるのか?」
「証拠!?」聖女はヒステリックに叫んだ。「証拠ならあります。聖典にそう記されているからです」
「その聖典やらが真実のみを記している証拠はあるのか?」
「な、何っ!?」
聖女は魔王を睨みつける。
「まあまあ、そんな不毛なやりとりは戦闘が終わってからにしてくれ」
勇者は聖女をなだめた。そして、聖剣を引き抜いた。
「一応聞いておくけど、降参する気はないか?」
「降参?」魔王は笑った。「勝つのはこの妾じゃぞ。降参なぞするものか」
「好みのタイプだから、できれば殺したくないんだけどな……」
「言っておくが手加減はしないぞ?」
「しなくていいぞ」勇者は軽く言った。「来いっ!」
魔王の纏う雰囲気ががらりと変わるのを、勇者たちはひしひしと感じた。それは幼げな少女が纏うにはふさわしくないものだった。まるで、世の中の殺意や悪意を濃縮したかのような重さがあった。
魔王。
幼げな少女は魔物の長なのだ。
「ぐぅ……」
剣聖が苦しげに息を吐く。
「こ、これが魔王の力……」
聖女は呆然としたかのように呟いた。
「私たちはたったの三人で勝つことができるのでしょうか?」
「怯むな!」
勇者は仲間二人を叱咤した。
「聖剣さえあれば……聖剣を突き刺すことさえできれば、俺たちの勝ちなんだ!」
「で、ですが……」聖女は勇者を見た。
「あ、あんな化け物に傷をつけることなんて……私たちにできるかしら?」
そう言って剣聖は玉座の方をちらりと見た。
――しかし、玉座の前には魔王はいなかった。
魔王は転移魔法を発動させて、一瞬にして剣聖の背後を取っていた。
「そうじゃぞ」
魔王は剣聖にそっと囁きかける。
「おぬしらでは妾に傷一つつけることさえかなわん」
ぞわり、ぞわり。
魔王の影から黒い靄のような物質が顕現した。それは、まるで生き物のように蠢き、大きな鎌となった。
魔王がその漆黒の鎌を振るうと、剣聖の右腕はなんの抵抗もなく、ずるり、と地へ落ちた。切断部からは血があふれ出た。
「ぎぃぃいああああああああぁぁぁ――っ!」
剣聖は甲高い悲鳴を発した。
「なっ……!?」
さすがに勇者は動揺した。
「か、回復魔法を――」
「動くな」
魔王は回復魔法を発動させようとした聖女と、聖剣を脇に構え走り出そうとした勇者を牽制した。
「少しでも動いたら、この女を殺す」
「ひ、卑怯者っ!」聖女は罵った。
「卑怯者?」
魔王はおかしそうにくつくつと笑った。
「戦いに卑怯もクソもあるか。勝ってこその戦いだ。妾は勝つためならば手段を選ばないぞ」
勇者はどうするべきか悩んだ。剣聖は自らにとって大事な仲間――いや、仲間以上の大切な存在だ。しかし、魔王の言うとおりにしたところで、状況は好転しない。
「ぐぅ……」
恋人。
勇者にとって剣聖は恋人であり、ハーレムの一人である。しかし、勇者には他に聖女という恋人もいるし、今まで赴いた街に一〇〇人を越える愛人がいる。
そう、勇者にとって剣聖は代わりのきく存在である。剣聖のその圧倒的剣術も魔王を倒せば用済みである。
だから――。
勇者は剣聖を切り捨てることにした。
「た、助けて……」
剣聖は涙を流しながら勇者に言った。
「悪い」
「……え?」
「おまえの犠牲は忘れない」
聖剣を脇に構え走り出した勇者を見て、魔王は剣聖を盾にした。
「え……? 嘘……。嘘でしょ……?」
剣聖は信じられない、と言った表情を浮かべた。
「世界の平和のためだ!」
「やめ――」
「うおおおおおおおおおおっ!」
勇者は低く構えた聖剣を突き出した。
聖剣は剣聖の体ごと魔王を貫く。
「が……はっ……」
剣聖は愛した者に裏切られて死んだ。その瞳は絶望に満ちていた。
「勝った……」
勇者はにやりと笑って呟いた。自らの勝利を確信していた。
「――と思ったじゃろ?」
「――っな!?」
背後から聞こえた魔王の言葉に、勇者は慌てて振り返った。その瞬間、漆黒の鎌が勇者の体を袈裟懸けに切り裂いた。
がはっ、と血を吐きながら勇者は倒れた。
「そ、そんな……確かに貫いたはずなのに……」
勇者の前方には、剣聖と魔王が重なり合うように倒れていた。その体には聖剣が深く突き刺さっている。
勇者は力を振り絞り、何とか上体を起こした。
「魔王が二人……だと!? くそっ! 双子なんて聞いてないぞ! ミステリーじゃ禁じ手だっていうのに!」
「妾は二人もいないし、双子でもないぞ」
「なん……だと!?」
「ほれ、あそこに倒れている偽者をよく見てみろ」
そう言って魔王は指を指した。
そこに倒れていたのは――。
「なっ!?」
――聖女だった。
「幻惑魔法じゃ」
魔王はつまらそうに言った。
「それにしても、仲間が一人減っていることくらい気づけ」
「ぐっ……」
「仲間を平然と犠牲にする男が勇者とはな。まあ、そのくらいの姿勢でないと、妾に傷をつけるのは無理か……。いや、おぬしのような外道でも、妾に傷一つつけることはできなかったな」
くっくっく、と笑ってから、まるで別人のように冷たい表情を勇者に向ける。
「た、助けてください……」
勇者は声を震わせて言った。
「何でもします、何でもしますから、どうか命だけは……」
「助ける? 妾がおぬしを助ける? そんなわけなかろう。妾の同胞が一体どれだけおぬしに殺されたことか。殺された者には妾の友達もいたんじゃぞ!」
魔王は勇者の顎を蹴り上げた。
「ぐはっ……」
勇者はごろごろと地面を転がる。
「殺してやる。それも、できるだけ無残に残酷に殺してやる」
「ひ、ひいぃ……」
勇者はガクガクと体を震わせながら失禁した。
魔王は指をパチン、と鳴らした。すると、どこからともなく、大量の魔物が現れた。そのうちの四人(彼らは人型だ)が、それぞれ勇者の四肢をがっちりと掴み、身動きを取れないようにした。
「そう簡単に死ねると思うなよ」
「嫌だああああああああああああああああああああああ――――っ!」
「黙れ」
勇者は拷問部屋へと連行された。
その部屋で拷問は行われた。拷問はここには書き記せないほど、陰惨で絶望的なものだった。古今東西、あらゆる種類の拷問が、人体実験でもするかのように行われた。死ぬ寸前まで拷問が行われた後、回復魔法がかけられる。それが延々とループする。
果てしない拷問の中で、勇者は過去に自らのパーティーを追放した賢者と、その賢者を追ってパーティーを出て行ったもう一人の賢者のことを思い出した。
もし、あいつらがいたら、こんな結末には至らなかったかもしれない。あいつらさえいたら、魔王を倒すことができたかもしれない。
実際はどうかはわからない。しかし、そう思った。
剣と魔法の異世界に転生することができて。
しかも、自分には才能があって。
それで、驕ってしまったのかもしれない。
勇者は二度目の人生を後悔しながら、意識を手放した。
◇
僕たちは少しずつ土地を開拓していった。
基本的には僕たちは二人で生活した。しかし、生活をするうえで足りないものがどうしても出てくる。そういったものは、近くの村に行って買ったりした。といった感じで、多少の交流が生まれる。
今日も、村の女の子(といっても、僕とそう変わらない年齢だが)が僕たちの家にやってきた。女の子の住む村はどちらかというと田舎だが、その子はなぜか情報通である。なので、もちろん僕と彼女が賢者だということも知っている。
そんな女の子は今日、重大なニュースを持ってきた。それは、勇者パーティーが壊滅した、というものである。
もちろん、僕はとても驚いたし、同時に魔王が帝国に攻めてくるのではないか、と危惧した。しかし、そうはならないようだ。
勇者パーティーが壊滅してから少しして、皇帝の元に手紙が届いた。その内容は和睦を結ばないか、というものだった。そして、皇帝はその提案にのることにした。
手紙は他の国にも届いたらしく、その国々の王たちはどのような選択を取るべきか悩んだが、帝国が和睦を結ぶという情報が入ると、いずれの国もすぐに和睦を結ぶことに決定した。
というわけで、世界は平和になった。もちろん、これですべての争いがなくなったわけではないが、以前よりは平和になったのは間違いないだろう。
なぜ、魔王が人間と和睦を結ぼうと思ったのかはわからない。しかし、平和になったのはいいことなので、特に誰も気にしなかった。もしかしたら、死んだ勇者が関係しているのかもしれない。あるいは勇者の存在など何の関係もないのかもしれない。
世界が平和になろうとも、僕たちの日常は変わらない。今日も今日とて、畑を耕す日々だ。畑ではいろんな作物を作り、自給自足に近い生活をしている。
僕たちの日常は変わらないが、変わったものが一つある。それは、僕と彼女の関係性だ。僕と彼女は元同級生から恋人になって、やがて夫婦となった。
そして、増えたものも一つある。
それは――。
「お父さん」
「なに?」
「お母さんがお昼ごはんできたから帰って来てって言ってる」
「うん、わかった」
僕が娘と手を繋いで家に戻ると、妻はこちらを見て微笑んだ。
「おかえり」と彼女は言った。
「ただいま」と僕は言った。
変わらない日常。もしかしたら、こんな日常を退屈だ、と思う人もいるかもしれない。しかし、僕にとってそれはとても大切なものだ。
僕が勇者パーティーを追放されなかったら、彼女が勇者パーティーから出て行かなかったら、僕たちの人生はまったく違ったものになっていただろう。しかし、きっとこうなる運命だったのでは、と思う。
そんなことを思いながら、僕たちは今日もスローライフを送る――。