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6、お兄様に脅されました!

 ずっと屋敷にこもって、淑女の何たるかばかりを学んでいたアリスにとって、騎士の一日の訓練はさすがに体に堪えた。

 運動神経や体力がないわけではない。むしろ、運動神経や体力はその辺の令嬢令息に比べれば、ずば抜けてある方だった。

 きっと、アーサーの剣を意識しすぎて好きに剣を振るえないこと、慣れない環境、そして主にヘンリーのせいだろう。


 深くため息を吐いて、馬車の窓にもたれかかった。

 大きな城門が遠ざかる。外を見れば、日が落ちかけていた。いつもは屋敷から見ている、紫色の空だった。

 変わらないのは、屋敷にいてもお城にいても、兄のアーサーに早く会いたいという気持ちだけだ。


 アリスは、剣が大好きだった。

 太陽の光を浴びてキラキラと輝き、線を描く。持ち主によって変わるそれは、まるで魔法のようだった。


 子供の頃なんかは、両親の付き添いで王城に参じ、中庭でずっと剣を振るっていたくらいだ。女が剣を操るなんて、とバカにされたが、バカにしてくる奴は容赦なく叩きのめした。そういう人間が扱う剣は、総じて美しくない。


 自分の力を誇示するだけの剣じゃなく、剣を愛し、誰かのために振るわれる剣がいい。

 だから、アーサーの剣は大好きだ。その剣を見れなくしようとした人間は、やはり許せない。


「どうしたものか……」


 アリスは、馬車の中で頭を抱えた。

 やはり怪しいのは、ヘンリーだ。

 アーサーと一二を争うならば、落とそうと考えてもおかしくない。もしかしたら、蹴落とそうという理由からではないかもしれないが。


 それはともかくとして、後ろを取れる実力者という点でも、近衛騎士見習いではヘンリーくらいしかいなさそうだった。当たり前のように一緒に行動しているなら、隙も見つけやすいだろう。

 だが、アーサーがわざわざ、「近くにいろ」と言ったのも気になる。


 多分、アーサーは何か知っている。あれで誤魔化せたとでも思っているのだろうか。双子の妹の勘を侮らないで欲しいものだ。

 なぜ隠そうとするのか。庇っているだけなのか、はたまたバレるとなにか厄介なことでもあるのか。


 やがて屋敷の前で馬車は止まり、アリスは飛び降りた。御者や外で構えていた使用人は驚いていたが、無視をした。

 考えるのは後にしよう。早く、アーサーに会いたい。その一心だ。


「おかえり、アリス」

「お兄様……!」


 玄関の扉が開かれると、そこで待っていたのは、白いシャツに紺色のパンツをはいた軽装のアーサーだった。

 両手を広げて、アリスの帰りを待っている。迷わず飛びつけば、アーサーも難なく受け止めてくれた。


「おかえり、アリス。大人しくしてた?」

「ただいま、お兄様。お兄様こそ、安静にしていましたか?」


 ちゃんと医者に診せただろうか。少しは良くなっただろうか。王前試合までに、快復するだろうか。

 アリスは不安で仕方ないのだ。

 二度と、アーサーの剣が見れなくなるのが。

 また、あの頃のように戻ってしまうのが。


「安心して。ちゃんとお医者さんにも診てもらったし、今日はずっと大人しくしてたよ」


 アーサーはアリスから離れて、利き手をひらひらと振って見せた。大丈夫だよ、と言いたいらしい。


「本当ですね? お医者様はなんと?」

「あぁ……いや、大丈夫、だって……言ってた……」


 段々としりすぼみになり、ふいとアリスから視線を逸らす。言ってた、のあたりはもう息を吐くような声だった。

 大丈夫じゃないらしい。

 アリスは眉を寄せて、後ろに控えていたロイに目をやった。その意図を受け取ったらしく、ロイは胸ポケットから折りたたまれた手紙を取り出し、アリスへ手渡した。

 アーサーはそれを不思議そうに眺める。


「アリス、それは?」

「肩から上腕部にかけて打撲。骨に異常はなし。全治二週間。以上」

「えっと……」


 その紙を二本の指でつまんで、勝ち誇った顔でぴらぴらと前後に揺らす。

 言わずもがな、医者の診断結果だ。

 アーサーが嘘をつくのは目に見えていたので、診断結果をちゃんともらっておくように、アリスはロイに指示をしていた。案の定であったが。

 目の前の紙の正体が分かったのか、アーサーは口元をひくりと震わせた。


「さて、お兄様。お医者様はなんと?」

「………………暫くは安静に。少なくとも一週間は剣を持つのもやめておけ、と。でも、それ以降は徐々に動かしていった方がいいって」

「なるほど、よく分かりました。でも徐々にということは、すぐに訓練に戻ることは難しい。少なくとも一週間と半分くらいは、屋敷に篭っているべきだと?」

「ううん……要約すると、そうなのかな……」

「では、お兄様の腕が良くなるまで、代わりに私が訓練に行きます」


 アリスはそれはそれは輝かしい笑顔で微笑んだ。


 今日一日では、団員の雰囲気を掴むのに精一杯で、犯人探しまで辿り着けなかった。剣を振るうのを普通に楽しんでしまったせいもあるが、それを抜きにしてもヘンリーという男はだいぶ掴みづらい。

 犯人探しをしたいのはもちろん。アーサーにとっても、訓練を休むのならば理由が必要で、どこかのだれかにやられた怪我で休みますなんて、騎士として格好がつかないだろう。王前試合も目前だというのに。


「アリスがそこまでする必要はないよ。またいつ襲われるか分からないし、危険だよ」

()()()に、危険だと?」


 アーサーは一瞬言葉に詰まったが、しっかりと頷く。

 けれどアリスは納得がいかないという顔で、片手をぱっと開いた。


「ならば、お兄様にとってはもっと危険な場所です。私は今日、それを痛感しました」

「まさか! 誰かに何かされたのか!?」

「……どちらかいうと、お兄様が……」

「僕?」


 アリスではなく、アーサーが危険だ。

 ヘビに睨まれているにもかかわらず、それに気付かず水浴びを楽しむカエルのような状態では困るのだ。とはいえ、無理やりにヘビに睨まれていることに気付かせたくはない。だからアリスは、こっそりヘビを退治するのだ。

 危険分子を取り除き、安全な場所にしてからアーサーを送り出す必要がある。


「それともお兄様、なにか心当たりでもあるのですか?」

「え?」

「お兄様は、危険とおっしゃいました。『何が』危険なのです? いえ、『誰が』と聞くべきでしょうか。心当たりがあるから、そこまで頑なにおっしゃるのでは?」


 アーサーは唇を真一文字に引き結んだ。浮かぶ表情からは、何も読み取れない。

 その空気にアリスがたじろぎ始めた頃、アーサーは再び口を開いた。静かで、淡々とした声だった。


「アリスにとって僕は、そんなに頼りない?」

「まさか!」

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 そう言われてしまえば、アリスは何も言えない。

 アーサーは昔から、こうと決めたことは断固として遂行する人間だ。だから今回もきっと、何か考えがあるのだろう。


「私は、お兄様の邪魔をしていますか?」


 アリスは、アーサーを助けるつもりで、入れ替わって訓練に参加した。アーサーの大切な仲間を騙してまで。

 良かれと思ってやったことだったけれど、邪魔してしまうのであればアリスの望むところではない。

 

「そんなことはないよ。アリスはアリスの好きにやったらいい。ただ、僕のためだけに突っ込んでいくのは、やめて欲しいかな」


 それは難しい注文である。

 無理をしているつもりはない。突っ込んでいるつもりもない。入れ替わりも上手くいったと思う。

 ならば、こうしてアーサーに成り代わってまで王城に行こうとしている理由は?


「……私は」

「うん」

「お兄様の剣が、好きなんです」


 だから、アーサーが剣を握れないようにした人間が許せない。そんな人間は、自分が徹底的に懲らしめてやらないと気が済まない。襲われて怪我をして、剣を持てなくなったという視線を周囲から受けるアーサーを見たくない。

 アーサーが犯人にさほど興味を持っていないのなら、なおさら。

 その感情はもはや、アーサーのためではない。アリス自身のためだ。


「……そっか」


 納得したようなしないような、微妙な表情を浮かべた。


「父様と母様から、アリスがいない理由を聞かれたよ」

「えっ」

「適当に誤魔化しておいたけど、代わりにひとつ条件だ」

「条件、ですか?」

「そう。条件だ」


 きょとんとするアリスの目の前に、二本の指を立てる。すらりとした綺麗な指だが、所々にあるタコが、彼が騎士見習いであることをまざまざと感じられる。

 二本の指の間から覗くアーサーの瞳は、楽しそうに細められていた。


「十日後に、王家主催のパーティーがあるのは知ってる? それに参加して、女王陛下に謁見すること。まぁ、つまりは社交界デビューだね、おめでとうアリス!」

「お、おめでたくない……!」


 年齢的にはいつ社交界デビューしてもおかしくないのだが、()()()()()()()()()は落第点と言われている。

 巷のご令嬢は、淑女教育を軽々と悠々と、赤子の手をひねるレベルで出来るらしく、アリスは何度嘆いたか分からない。

 そういった事情から、アリスの社交界デビューは先延ばしにされてきたのだが。


 まさか、男装して城に潜り込むという淑女として有り得ない行動の代わりに、社交界デビューしろと言われるとは夢にも思わないだろう。それでいいのか。

 そんなアリスの心情を悟ってか、アーサーはニコリと笑って付け加える。


「あぁ、そのパーティーには、ハインリヒ王子殿下も出席なさるから、くれぐれもヘマはしないでくれよ」

「ハインリヒ王子殿下、というと……」


 ハインリヒ・レチアーナ。レチアーナ王国の第一王子である。

 噂によれば、ハインリヒは第一王子という立場でありながら、側近騎士をつけていないという。

 その理由も様々で、人間が嫌いだからだとか、第一王子としての自覚がないからだとか、側近騎士をつける必要がないくらい剣の技術に長けているからだとか。


 だがそろそろ、そう、次に開催される王前試合で側近騎士を決めるのではないか、と貴族の間では密かに臆測がされている。

 ならば、間違いなくアーサーがふさわしいとアリスは思うが。


「アリスの行動によって、今後の僕の出世にも関わると思ってね」


 悪魔だ。悪魔のほほ笑みである。

 無害そうな笑顔の裏、言葉ではアリスの心を抉りにかかっている。

 アーサーの出世のためというならば、アリスは完璧な淑女としてパーティーに出席する以外の選択肢など、あってないようなものだ。

 アーサーはそれを分かって言っているに違いない。


 アリスは低く唸った。

 頭の中で、犯人探しと社交界デビューの天秤が揺れる。

 社交界デビューはしたくない。とはいえ、犯人探しができなくなるのも嫌だ。アーサーがやらないのならアリスがやらねば。

 しばらく悶々としたあと、アリスの天秤は傾いた。


「かしこまりました、お兄様。社交界デビュー、します」


 どうせ今逃れたって、遅かれ早かれ社交界デビューはしなければならないことである。ならば、自分のやりたいことを条件に少し早まるくらい、なんだと言うのだ。


 少なくとも女王陛下の謁見とハインリヒの前では、失敗をしないように気をつけるようにすればいい話だろう。

 覚悟を決めたアリスに、アーサーは満足げに頷いた。






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