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28、お兄さま、困ったことになりました

「……殿下。ひとつ、うかがってもよろしいですか?」

「うん?」

「女性が、近衛騎士になる事は可能ですか? 王前試合に出場することは?」


 思ってもみない提案だったのか、ハインリヒは目を丸くした。ぽかんと口が開いていて、ちょっとだけ間の抜けた顔になる。

 何故かは分からないが、ハインリヒは、アリスが強いことを知っている。

 ローマンを捕らえるための駒に使ったというなら、短剣が仕込めるように細工されたドレスを贈ったのがハインリヒだというなら、間違いないだろう。

 ハインリヒは顎に手を充て、唸った。


「……考えてもみなかったことだが、性別に縛りはないな」


 希望が見えた気がした。

 アリスなら、近衛騎士でもいいところまでいけるはずだ。王前試合で優勝すれば、アーサーの隣に並ぶことも夢ではない。


「だが、あまりすすめはしないな。騎士というのは、それほど輝かしいものではない。どちらかといえば、泥臭い。女性が混ざるとなれば、好奇の目を浴びることになるだろうし、変なやっかみも尋常ではない数を受けるだろう」

「構いません。そんなもの、とっくの昔から慣れております」


 女なのに剣が好きで、才能もあり、みなから「天才」と呼ばれた。その言葉にはもちろん畏怖や憧憬もあっただろうが、同じくらい、好奇と嘲笑も混ざっていたように思う。女のくせに、と内心で馬鹿にしていたのではないか。

 両親の付き添いで王城に連れられてきた時もそうだった。城内に入ることはできず、庭でアーサーと手合わせをしていると、よその令嬢令息は鼻で笑ってきた。女のくせに剣を扱うなど、なんて野蛮なのか、と。アーサーが動くより先に、アリスは容赦なく相手を打ちのめしてきた。

 どいつもこいつも、とても弱かった。まるで水に刃を滑らせるかのごとく、全く手応えがなかった。こんなものが将来、親の爵位を継ぎ貴族の一員になるのかと考えると、とても不安になった。

 相手を蔑む者ほど、口だけは達者な者……ほど、内は弱いのだ。アリスはそれをよく知っている。

 アリスは胸の前に手を充て、ハインリヒを真っ直ぐに見上げる。剣はないが、忠誠を誓う姿勢だ。


「お兄様には及ばないかもしれませんが、それでも必ずや、私は殿下の力になれましょう」 

「……君は本当に、アーサーのこととなると見境がなくなるな」


 ハインリヒはそこまで言って、ふと口を閉じた。流し目で、アリスを見た。

 

「そこまで本気だというなら、ひとつ提案してあげよう。アーサーのそばにいるための、最も確実な方法だ」

「……どんな?」


 アリスは、僅かな期待を込めてハインリヒを見上げる。ハインリヒはその視線を受け、何気ない動きで腰を屈めた。再び、ふたりの距離が縮まる。

 先程のような張り詰めた緊迫感はなく、形容しがたいなんとも言えない空気がふたりの間を取り巻く。

 ヘンリーと同じシルバーグレーの瞳が、まっすぐにアリスだけを映している。

 何度見ても、美しい瞳だな、とアリスは思う。

 以前この瞳と見つめあったとき、アリスは男装していた。でも今は、男と女だ。

 そう自覚した瞬間、不思議と心臓が早鐘を打ち、アリスは慌てて視線を外した。

 ハインリヒが、ふ、と笑う声がする。


「私の妃になればいい」

「………………」


 一瞬、時が止まった気がした。

 弾かれたように、逸らした視線を戻した。開いた口が塞がらないとは、まさにこのこと。

 ハインリヒの顔を見てみても、冗談なのか本気なのか、全く読めない。

 アリスは令嬢らしからず、口と目をこれでもかと開く。ハインリヒも何も言わず、静かにアリスを見つめている。ただ、その瞳の奥に、懇願にも似た何かを感じ取った。


「……それは、王太子妃になるということですか? ご冗談を。お恥ずかしながら私、淑女教育ですら落第点ですのに」

「冗談なわけがあるか。私がこんなことを冗談で言っていたら、大変なことになるだろう」


 それはそうだ。

 しかし、これが冗談ではなく本気だったとしても、困ったことに変わりはない。

 王太子妃など、これまで考えてきた中で一番ありえない可能性である。

 何も言えずにいるアリスに、ハインリヒは続ける。

 

「それに、アリスが落第点だって? 面白いことを言う。まだアーサーに教えてもらっていなかったのか」

「……どういう意味ですか?」

「アリスが受けているのは淑女教育などではないよ、王妃教育だ」

「………………は?」


 今度こそ、アリスは驚きに目を剥いた。

 王妃教育だって? いったい何の目的で?

 にわかには信じられず、アリスは視線を落として逡巡する。そういえばアーサーは、アリスが「落第点だから」「淑女失格だから」という度に、何か言いたそうにしていた気がする。

 まさか。

 アーサーとハインリヒは、結託していたとでもいうのか。そうだったとして、いつからだ。


 無言の時間が続く。

 アリスがなかなか答えられないのを察したのか、ハインリヒは屈めていた腰を上げ、アリスから離れた。

 

「……ひとりで考える時間も必要だろうから、私は先に演舞場に戻ってるよ。話を通しておくから、落ち着いたら王族席の方にくるといい」


 アリスは、すぐにうんと頷けない。地面を睨みつけたまま、微動だにできない。

 ハインリヒは、ひとりで考える時間が必要だと言った。でも実際は、考えられる時間の猶予はそんなに与えられていないのだろう。

 王族席に行ったときが、アリスが答えを出さねばならないときだ。

 王太子の申し出を、断ることなどできるはずがない。断ったとして、待っているのは見知らぬ貴族に嫁ぐ未来だけ。

 だったら、王太子妃となることは、アーサーのそばにいるために最も有効な手段なのではないか?


 ハインリヒは踵を返し、アリスから遠ざかっていく。途中、思い出したように声を上げた。

 アリスは思わず、ハインリヒの方を見る。ハインリヒもまた、振り向いてアリスを見ていた。

 

「ひとつだけ、言っておこう。まさか、騎士見習いひとりを捕らえるために、この私がわざわざ、気のない女性にドレスを贈ったなどとは考えていないだろうな? 細工はおまけにすぎないぞ」 


 そう言うと、今度こそハインリヒは振り返ることなく、演舞場に向かっていった。


 (そんなこと……言われても……)


 今の口ぶりからすると、ハインリヒはアリスに気があると宣言しているも同然ではないか。

 なぜ。どこで。いつから。

 アリスが淑女教育だと思って受けていたのは、実は王妃教育だった。随分前から仕込まれていたのだろう。

 となると、アリスがアーサーに変装して王城に潜入したタイミングでは、時系列が合わない。


 しかし、剣を放棄し、淑女教育に徹すると発言したときから、アリスはまともに屋敷から出たことはない。異性に会うことなどなく、ましてや王太子と間見える機会など一度もなかったはずだ。

 なのにどうして、ハインリヒはアリスが強いことを知っていたのだろう。

 どうして、アーサーに扮したアリスを見分けられたのだろう。

 どうしてハインリヒは、アリスが最も動きやすく、アリスの戦い方を熟知したようなかたちのドレスが作れたのだろう。

 だって普通、アリスの外見に一番似合うドレスを選ぶはずなのだ。今着ているドレスみたいに、Aラインの落ち着いた、淑やかなドレス。アーサーですら、きっとこのようなドレスを作るはず。

  

 考えれば考えるほど、泥沼にはまっていく気分だ。


 たぶんその答え合わせが、王族席で行われる。そして、アリスの未来も決まるのだろう。

 

 覚悟はできていた。でも、納得はしていない。

 やはり、確認しなければいけないのだ。

 アリスは力強く顔をあげ、ハインリヒの後を追うように、演舞場へと足を踏み出した。



 


不器用ハインリヒ

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