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27、散歩……ですか?

 ハインリヒは、どうやら青冠塔の方へ向かっているらしかった。青冠塔は王族が使用する場所で、貴族は通常足を踏み入れる機会はない。とはいえ例外もあり、王族に出仕する貴族は、会議などがあれば登城する。ブロワ侯爵家もそのひとつだ。


 青冠塔には、白、赤、黄色の低木で囲われている。近衛騎士の白、騎士団の赤、衛兵の黄色とそれぞれのカラーを反映している。彼らが王族を守る、そういう意味で植えられているのだろう。

 

 アリスがまだ小さい頃、両親に連れられて何度か来たことがある。中に入ることはなく、アーサーとともに三色の花が咲き誇る青冠塔の中庭で待機していた。

 もちろん、大人しくベンチで座って待っているはずもなく、アリスとアーサーは剣を持って手合わせをしていた。

 稀に他の貴族の令息令嬢と一緒になることもあったが、少なくとも令嬢はしずしずとベンチに腰掛け、お眼鏡にかなう令息がいないか吟味していたように思う。令息も基本ベンチ横で令嬢の相手をしていたが、近衛騎士や騎士を目指す子は、剣を振っていた。

 そうすると、令嬢であるアリスがひとり剣を握っているのを見て、バカにしてくる者が出てくる。残念なことにアリスの方が何枚も上手で、こてんぱんにやって剣も心もへし折ること、数しれず。その後、アーサーに叱られるまでがセットであった。

 アリスはなんだか懐かしい気分になって、軽く目を閉じて息を吸った。

 あれから、アリスとアーサーは歳をとった。無邪気に剣を振っていたあの頃より、たくさんの責任や役割がのしかかっている。

 

 そんな事を考えながら、護衛感覚のつもりでハインリヒの後ろについていたが、どういうわけかハインリヒは歩くスピードを緩め、いつの間にやらアリスとハインリヒは並んでいた。

 はっとして、わざとスピードを緩めてみても、ハインリヒもそれにあわせて歩幅を狭める。これ以上遅く歩けば、亀よりも遅いスピードで歩く王太子と侯爵令嬢という、随分と滑稽な光景になってしまう。

 とうとうアリスは我慢できずに口を開いた。

 

「どういうおつもりですか」

「言っただろう、散歩しようと」

 

 まさか本当に、散歩するだけだというのか。この国の王太子が、ひとりの侯爵令嬢を連れて王城内を共に散策するなど、見る人が見れば誤解されかねない行為だ。しかも今日のように、王前試合で人がいつも以上に集まっていれば、目撃される可能性は非常に高い。

 一体何が目的なのだろう。残念ながらアリスには、いくつか心当たりがあった。

 

「……夜会のときのことを、お咎めになるおつもりですか? それとも、お兄さまに変装していたこと? 王前祭のときのこと?」

 

 この間はローマンを含め怪我人もおり、状況も状況だったため、罪を追及される暇もなかった。あえてこのタイミングで二人きりになるということは、アリスの仕出かしたことを咎めるつもりなのだと思った。

 アリスとて、自分の無礼は自覚しているので、ハインリヒの誘いに乗ったのもそれを覚悟してのことだ。

 だかハインリヒは、不思議そうにアリスの方を見た。

 

「確かに君のしたことは褒められたことではないかもしれないが、私は何も言っていないだろう。自ら言い出すとは、随分と追及されたいと見える」

「私とて、進んで罰を受けようなどとは思っておりません。ですが、私が犯した過ちは、私自身が受ける必要がございます。お兄さまは関係ありません。どうか、王前試合では公正なご判断を」

「…………」

 

 アリスが心配しているのは、アーサーのことに尽きる。アリスの行為が、アーサーの足を引っ張ってしまうのではないか。今日の王前試合は、アーサーの未来がかかっているのだ。

 そしてアーサーの進退を決めるのは、目の前にいるハインリヒに違いない。アリスの存在のせいで、アーサーが側近騎士になれないなど、あってはならない事だ。

 しばらくアリスを見つめたあと、ハインリヒは諦めたようにため息を吐いた。

 

「……王前試合に私情は挟まない。約束しよう」

 

 その言葉を聞いて、アリスの張り詰めていた緊張がふっと切れた。終始強ばっていた表情が、ほんのり柔らかくなる。

 なぜかハインリヒは微妙な顔をしていたが、アリスは全く気にとめなかった。

 

「ありがとうございます。殿下の寛大なお心に、感謝申し上げます」

「あぁ、もうそういう事にしてくれて構わないよ……」


 手に負えない子供を相手にしたかのように、疲れきった表情で首をゆるゆると振った。

 それから表情を引き締め、思い出したように口を開いた。


「そうだ、ローマンの処遇についてなんだがな。近衛騎士の除名、そして爵位の剥奪となった。軽いと受け取るかもしれないが、貴族だったからな。これでもできうる限りの処罰だったと思って、許して欲しい」


 申し訳なさそうに眉を下げて言う。

 どうやらハインリヒは、アリスがローマンに対して随分と怒っていると思っているようだ。

 確かに、王城に乗り込む前は、呪い殺す勢いで犯人を探し出そうとしていた。

 でも、アリスはローマンのことを知ってしまった。

 ローマンは、哀れな騎士だった。他人にばかり目を向け、自分の力に気付けず、そのまま騎士の道は閉ざされてしまった。ローマンにとってそれは、一番つらい結果だったのではないだろうか。

 それ以上の処罰など、どうして望めるだろう。 


「ブロワ侯爵には、私の命でアリスを王城に潜入させていたことにしてある。ローマンを捕らえたのは君だし、流石に言い訳がつかなくなるだろうからね」


 ふと、アリスが表情を消し、唇を噛んだ。ぐっと拳を握る腕が震える。

 そして覚悟を決めたように、ハインリヒを睨み上げた。

 

「殿下は、すべて知ってらっしゃいましたね?」

 

 アリスの言葉に、ハインリヒは目を細めた。口を挟むことはなく、静かに続きを促される。

 

「お兄さまを襲ったのが誰なのかも、どのような方法を使ったのかも、どこで襲われたのかも。ローマンの異常な執着も。そして私が、お兄さまに変装していたことも、その理由も。すべて分かっていて、黙っていた」

「その通りだ」

「殿下の命で、私を潜入させたというのも、あながち間違いではないですよね? 私は、殿下の望むとおりに行動していた。倉庫に連れて行ったのも、あそこで休憩したのも、私に犯人を気付かせるため。ドレスに短剣が仕込めるように細工したのも、殿下ですね。全ては、ローマンを捕らえるために」


 ハインリヒは何も言わない。

 だから余計に、アリスはカッと頭に血が上るのを感じた。勢いで手を伸ばし、ハインリヒの胸元を掴み寄せた。

 精悍な顔が、ぐっと近づく。

 

「どうして止めなかったのですか!? アーサーだって、あなたの大切な民でしょう! 無事に治ったから良かったものの、少しでも間違いがあれば、お兄さまは二度と剣が握れなくなっていたのかもしれないのに!」

 

 アリスの手が震える。

 今になって、その可能性の恐ろしさが襲ってくる。

 アリスがあの時、無理やりにでも入れ替わりをしていなければ、アーサーは無理が祟って、本当に腕を駄目にしていたかもしれない。それ以前に、当たりどころが悪ければ、命に関わっていた可能性もある。

 アーサーに限ってそこまでのヘマをするとも思えないが、なにせ相手は違法薬物を使っているのだ。

 常識は通用しないと考えた方がいい。

 

「確かにアーサーも大切な民だが、それ以前に王族を守護する近衛騎士だ。自分の身くらい自分で守ってもらわねばならぬし、私情で違犯者を見逃すなどあってはならないことだ」

「でも!」

「現にアーサーは、気付いていながらローマンを捕らえようとしなかった。近衛騎士として失格だ」

「っ!」


 口を開いて反論しようとするアリスを咎めるように、ハインリヒは片手を挙げてアリスの手を掴んだ。そのまま、そっと離される。

 

「アーサーは近衛騎士――未来の側近騎士になると思うが、それは我が身を王家に捧げたというのと同じこと。今回のように、自身の身を軽んじられては困るのだよ」


 そこで悟った。

 ハインリヒは、アーサーを見捨てたわけではなかった。騎士としてどう動くか、見ていたのだ。

 いわば、側近騎士に相応しいかのテストをしていたといっても過言ではないだろう。

 

 ――本気だ。ハインリヒは、本気でアーサーを側近騎士に選ぼうとしている。

 

 アーサーが側近騎士に選ばれるということは、アリスとアーサーの別離を意味する。もっと言えば、社交界デビューしてしまった今、アリスは近いうちにどこかの貴族に嫁ぐ事になる。

 ヘンリーという人物は存在しなかった。存在しないどころか、第一王子という雲の上の存在に変わってしまった。アリスはこれから、全く知らない男の元へ、ひとりで、嫁がねばならないのだ。

 それは果たして、アーサーのためになるのだろうか? アリスにはもう、それしかできることはないのだろうか?


「アーサー自身で捕らえるのが一番理想ではあったが、あいつには分身(アリス)のような存在がいるからな。他の者にはない、アーサーだけが使える強みといってもいい。だから、今回は容認した」


 分身。

 ――そうか。

 アリスはもうひとつの可能性を見出した。


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