26、お兄さまの晴れ舞台です!
王前試合は、王城の中に併設されている演舞場で行われる。
このときばかりは、王族もバルコニーから気まぐれに覗くのではなく、演舞場がよく見渡せる鑑賞席が用意される。目に留まる者があれば、側近騎士に選んだりもする。
そして出場選手の親族はもちろんのこと、全ての貴族の登城が許される。
加えて、王前祭がもっとも盛り上がるときでもある。庶民は試合を観戦できないため、城下から祝い盛り上げるのだ。
アーサーに手を引かれ、アリスは馬車から降りる。
城門の前には、どこもかしこも馬車で埋め尽くされており、ひっきりなしに行き来している。アリス達を乗せてきたブロワ家の馬車も、二人が降りたのを確認すると、さっと離れていった。
次々に押し寄せる馬車からは、華やかに着飾った貴族たちが、楽しそうに話しながら降りてきて、演舞場へと向かっていく。
アリスはそっと、隣に立つアーサーを盗み見る。
新調した近衛騎士の制服を、ぴっしりと着こなしている。銀糸の刺繍が、太陽の光を浴びてキラキラと輝く。
今日のアリスも、アーサーの制服にあわせたドレスを着ている。白い絹地に織り込まれた、銀糸の刺繍。裾と胸元に様々な花をあしらっている。豪華だが、銀糸のみで縫い込まれているため、上品に仕上がっている。
ただし、デビュタントのときのドレスと違い、Aラインのすっきりとしたかたちになっている。短剣を仕込むような隙間もない。大人しくしていろということだろう。
アーサーから目を離し、城門を見上げると、レチアーナ王国のシンボルであるルチア鳥が描かれた旗がそこかしこに立っていて、はためいている。
それらの眩しさに、アリスは思わず目を細める。
王前祭が庶民の祭りであるなら、王前試合は貴族の祭りなのだ。
貴族にとって王前試合は、血なまぐさい戦いというよりは、一種の娯楽なのだろう。オペラやバレエとなんら変わりがない。
王城の門を越えると、普段の静謐な静けさとは異なり、一気に熱気に包まれる。ピリピリと肌を刺すような空気に、アリスの心も思わず騒ぐ。
アリスよりも高揚しているのは、アーサーだろう。
隣に立つアーサーを、アリスはそっと見上げる。
表情こそ引き締まっているが、興奮しているのが伝わってくる。アーサーは何かを確かめるように、腕を回し、手のひらを握り開いた。怪我をした方の腕だ。
動きにぎこちなさはなく、怪我は完治したと見ていいだろう。
「……今、僕がここに立てているのは、アリスのおかげなんだろうな。ありがとう」
そういってアリスを見るアーサーの表情は、アリスが一番大好きなアーサーの笑顔だった。陽だまりのように柔らかく、なごり雪を溶かすあたたかさ。
怪我をして帰ってきたときの、痛みに耐えるような、困ったように無理やり笑おうとした表情が、影のようにずっと、アリスの頭の中にあった。今のアーサーの表情は、それすらも吹き飛ばしてくれる。
――この笑顔のためにアリスは、剣も未来さえも捨ててきたのだ。
途端、アリスの目頭はぶわりと熱くなった。安堵から崩れ落ちそうになるが、踏ん張ってなんとか耐える。
「わ、アリス!? どうしたの」
「いいえ、なんでもございません……! 私も、この日を心待ちにしておりました」
そう言葉にしながらも、アリスの心の中には複雑な感情が渦巻いていた。
確かに、この日を待ち望んでいた。アーサーの危険となる人物を排除し、怪我が癒えるのを待ち、万全の状態で王前試合に臨めることを。
それは紛れもなく、アリス自身が望んだ結果だった。
しかし同時に、アリスの心には寂しさと不安が巣食っていた。アーサーが王前試合で勝利を収めれば、ハインリヒの目に留まることは間違いない。いや、既に目に留まっていて、随分と関係も深めているようだった。側近騎士に選ぶ気ですらいるのではないかと思う。
それは喜ばしいことではあるが、アリスにとってはアーサーと離れ離れになることを意味していた。今のアリスには、登城する権利がない。故に、アーサーとは今以上に会える機会が限られる。そう想像すると、胸が締め付けられる思いだった。
これからはアリスが、自分自身のための未来を掴み取っていかなければならない。アーサーと離れたとき、自分はいったい何がしたいのだろう。
ヘンリーに出会い、関わっていくうちに、アリスの中では新たな可能性がほんのりと芽生え始めていた。けれども彼がハインリヒだとわかった瞬間に、その可能性は崩れ落ちてしまったのだ。
アリスは慌てて、ぐいっと目元を拭った。それから、めいっぱいの笑顔を返す。
「お兄さまのご武運を、心よりお祈り申し上げます」
「……うん。ありがとう、アリス」
演舞場にたどり着くと、道はふたつに分かれる。
ひとつは、王前試合に参加する選手の道。参加資格の有無を確認したり、参加記録をとったりする必要があるためだ。
もうひとつは、参加者以外の貴族が観戦する席に繋がる道。試合が始まるまでにはまだ時間があるため、歓談スペースも設けられている。軽食も用意されているというのだから、至れり尽くせりである。
ぽんと、アリスの頭の上に手が置かれた。アーサーの手だ。
「大丈夫、心配しないで」
「し、心配などしておりません……!」
「そう? じゃあ、行ってくるよ」
アーサーはひらりと手を振って、参加選手の列へと向かっていった。まるで、いつもの訓練に行くかのように軽く、堂々とした足取りだった。
アリスは無意識に、頭に手を置く。少しだけ崩れた髪に、じんわりと胸があたたかくなる。
アーサーの背中をぼんやりと眺め、暫くそこから動けないでいると、雑踏に紛れてやけに鮮明に響く足音がした。
かすかにどよめく声も聞こえる。
――来た。
アリスは深呼吸をし、目を上げた。
「やあ、アリス」
「……ハインリヒ殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
聞きなれた声に振り返ると、青藍の髪をした端正な顔立ちの男が立っていた。ヘンリーではない、ハインリヒだ。
片手を上げながら気軽に近付いてきたハインリヒに、アリスは恭しく頭を下げて挨拶をする。
そのアリスの様子に、ハインリヒは軽快に笑った。
「はは、そんな畏まらなくても。この前のように、剣を突きつけても構わないぞ」
「……殿下」
「冗談だ。そう怒らないでくれ」
ハインリヒは両手を挙げ、肩を竦めた。
茶髪ではない、腰に剣も下げていない。もっといえば、近衛騎士の制服ですらない。
彼はもう、第一王子ハインリヒに戻ったのだ。
その事実を今、まざまざと感じている。先程まであたたかかった胸が、急速に冷えていく。まるでぽっかりと穴があいてしまったように。
アリスは悪あがきをするように、問いかけた。
「……殿下は、試合には参加なさらないのですね」
「当たり前だ。ヘンリーという近衛騎士は存在しないし、王族席に私がいなかったらすぐ騒ぎになるだろう」
「そうですね……」
ただでさえ、ハインリヒは騎士の間で色々と言われているのだ。ついに側近騎士が選ばれるかもと期待されている中、ハインリヒが王族席にいなければ、騎士達の落胆も不満も大きなものになるだろう。
ハインリヒが本気で戦うところを見てみたかった、などとは口が裂けても言えなかった。
ハインリヒは顎に手を充てながら、にこりと笑った。
「試合が始まるまではまだ時間があるな。少し散歩しないか? 案内しよう」
「まさか、殿下に案内いただくなど恐れ多く……聞いてます?」
アリスの返事を聞くことなく、ハインリヒはさっさかとひとりで歩いていってしまう。まさかこのままひとりで行かせるわけにもいかず、アリスは仕方なくその後ろについて行く。
この王城でなにかあるとも考えづらいし、ハインリヒほどの腕があれば多少のことは乗り切れるだろう。とはいえ、この血気盛んな時期であることも考えると、護衛のひとりも付けずにハインリヒをひとりで歩かせるには不安があった。
戦力は多い方がいい。少なくともアリスには、その戦力となる腕があった。




