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24、ハインリヒという人

「アリス!」

 

 最初に部屋に入って目にしたのは、一閃。小窓から差し込む月夜の光を反射して、夜空に流れる流星のように鋭く、迷いなく線を引く剣だった。

 

 次に響いてきたのは、まるでダンスでも踊るかのような、軽快なヒールの音。重いはずのドレスをそうと感じさせない動きで、ふわりとレースを翻し、はちみつ色の柔らかな髪もそれに合わせて踊る。

 どんな騎士でも魅力させてしまうような、迷いのない無駄のない剣さばきだった。

 

 ――なんて、美しい。

 

 ハインリヒに浮かんだのは、まずその感情だった。視線を逸らせない。どうしようもなく、心が惹かれる。胸が踊る。手を伸ばしたくなる。

 

「ハインリヒ殿下、アリスは……」

 

 ハインリヒは、息を切らして追ってきたアーサーの言葉を遮るように、片手を挙げて制した。

 アリスは、ハインリヒが来たところで気付きも気にもしないだろうが、ことこのアーサーという男に関しては別だ。恐ろしいほどの嗅覚と執着を発揮する。

 

 もう少し、この美しい光景を目に焼き付けていたいと思ってしまった。

 助けに来たはずなのに、ただ見ているだけとは何事かと、アーサーからの強い抗議の視線を受ける。だが、そもそも彼女はそんなもの必要としない。むしろ助けを邪魔だと感じてしまうタイプだろう。

 それは、床や壁に転がっている兵士を見れば明らかだった。屈強な体格をした兵士が、重症とも呼べない程度の怪我しか負っていないのに、まるで死んだようにぴくりとも動かなかった。

 心が折れたのだ。自分よりも細く、儚く、戦いを知らぬようなか弱い令嬢ひとりに、こてんぱんにやられてしまった。立ち上がれぬのも無理はない。

 

 見た目で判断すれば、痛い目を見る。

 それはハインリヒ自身でも痛感していることだった。


 ■


 ローマンは項垂れたまま、悔しそうに奥歯を噛んだ。ギリッと音が聞こえてきそうな程に、唇が歪んでいる。

 

「なんでだ……どうしてなんだ……。どうして僕は、アーサーになれない? どうして、お前なんかに負けるんだ……?」


 アリスの中に、今までローマンに抱いていた憎しみや憤怒の感情に加えて、「あわれみ」が生まれた。

 だから、答えた。ぽつりと、静寂な水面を刺激しないように、慎重に石を落とすように。

 すとんと表情が抜け落ちたような、さめざめとした空気を纏って、ローマンを見下ろした。

 

「……あなたは、お兄様にはなれない」


 それが全てだ。

  

「けれど、お兄様だって、あなたにも、私にも、ヘンリーにもなれないの。自分自身を見つけてあげないと、誰かの憧れには決してなれない」


 打ちのめされたように、腕で顔を覆ったローマンを、アリスは無表情に見下ろす。

 アーサーを傷つけた彼は、許せない。とても腹立たしい。けれど同時に、哀れだとも思う。

 周囲の才能ばかりに目を奪われ、自らの才能を殺してしまったのだから。


「お兄様は、私になろうとはせず、自分の剣を追い求めた。あなたは、自分の剣を信じず、他人の剣を追い求めた。それが、あなたとお兄様の違いよ」


 似たようなことを、ローマンと初めて手合わせしたときにも、言ったような気がする。もっとも、あのときはアーサーの姿だったわけだが。

 ローマンは何かに気付いたように、はっと顔をあげた。自分を見下ろすアリスの顔を、まじまじと見つめる。


「お前……!?」


 何かを思い出すように視線を彷徨わせたあと、急に笑い出した。先程のような哄笑ではない、泣いているのではないかと思わせる、弱々しい笑い声だ。


「そうか、そういうことか……。あれだけ痛めつけたのに、翌日普通の顔して出てきたのが不思議だったんだ」

「………………」

「憧れてたはずのアーサーの剣を見抜けないほど、僕は耄碌していたんだな……」


 そう言ったっきり、ローマンは貝のように黙り込んでしまった。 

 

 ふと、ささやかな風が、アリスの頬を撫でた。この部屋に続く扉が開いている――いや、誰かがいる!

 アリスは気配を感じて、はっと入口に視線を向けた。男が二人。


「――どなた?」

 

 アリスは警戒して、剣を構え直す。男は何も言わない。じっと立って、こちらを見ている。その男の後ろに立つアーサーに気付き、表情を険しくした。

 

「まさか、ローマンの仲間? お兄様から離れなさい!」

 

 ぶわりと、毛が逆立つほどに殺気を放つ。あまりの殺気に、近くで項垂れていたローマンが驚いて飛び退いた。

 殺気を向けられた男は怯むでもなく、楽しそうに口角を上げて、腰に下げている剣に手を置いた。

 やるつもりだ。

 しかもこの男、ただものではない。強い気配を感じる。

 じり、とアリスが脚に力を入れたところで、アーサーが男を庇うように前に立った。


「お兄様!?」

「剣を下ろすんだ、アリス。この方は、違う」

「……違う?」


 ふっとアリスを取り巻く空気が緩んだ。

 アーサーはそれを察して、脇に避けてから恭しくその男を示した。


「このお方は、レチアーナ王国第一王子のハインリヒ殿下であらせられる。もう一度言うよ、アリス。剣を、下ろしなさい」


 アーサーの諌める声とほぼ同時、アリスは剣を投げ捨て地に伏せた。

 ここまで、汚さないように気をつけていたお気に入りのドレスが汚れるのも厭わなかった。

 

 ――やってしまったのだ。

 

 血の気という血の気が引いた。指先が震え、頭が真っ白になる。

 そういえば、ハインリヒも夜会に来るという話を聞いていた。しかし始まってすぐあたりに、アリスはホールを抜け出してしまい、ついぞハインリヒの顔を知ることはなかった。

 せめて顔を見てから、抜け出すべきだったと後悔しても、後の祭りだ。

 とんでもない人に、アリスは剣を向けてしまった。アーサーを守ろうとして、逆に危うい立場に陥らせてしまったのだ。


「ハインリヒ殿下とは知らず、大変な御無礼をしました。罰は如何様にでもお受けします。ですがこれは私の独断であり、兄であるアーサーは預かり知らぬところでございます。どうか、どうかご容赦を」

「――まったく、君はどこまでもアーサーひと筋なんだな」


 呆れたように降ってきた声に、アリスははたと止まった。

 聞いたことがある声だ。しかも、ずっと最近に。

 アリスは顔を上げる。ハインリヒは、ツカツカとアリスの前まで歩いてきて、片膝をついた。


「数日ぶりだな、アリス。兄のために、私が贈ったドレスで地に伏せるとは、いったいどういう了見だ?」 

「――――――!?」


 アリスの表情は驚愕に染まり、声にならない悲鳴を上げた。

 目の前で意地悪い笑みを浮かべる男は、髪色こそ違うものの、騎士見習いの中でヘンリーと名乗っていた男に違いなかった。

侯爵令嬢アリス編、完結。

次回より【王前試合編】、最終章予定です。

よろしくお願いします。

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