23、「天才」に憧れていたんだ
アリスがいない。
それに気づいたとき、アーサーは片手で顔を覆った。隙間から、深い深いため息が漏れ出る。
次から次へとくる貴族の挨拶を捌いて、ようやく落ち着いてホールを見渡したら、この有り様だ。
歩いてホールを巡ってみても、やはりアリスの姿は見当たらなかった。そして、ローマンもいない。
何が起こったか、瞬時に理解する。
「大人しくしていてって言ったのに……全く……」
それで聞くアリスではないと、分かってはいるけれど……。
一体どこへ行ったのだろう。
辺りを見渡していると、同僚のひとりが声をかけてきた。
「やあ、アーサー。何か捜し物かい?」
ちょうどいいところにきてくれた。
ダメ元で尋ねてみる。
「アリスを探しているんだ。見かけなかった?」
「え? あ、ああ……君の妹さんか……」
「?」
なんとも微妙な反応が返ってきて、アーサーは首を傾げる。
「見かけたのか?」
「いやぁ、見かけたっていうか、なんというか」
挙動不審に目を泳がせていたが、アーサーの無言の圧力に根負けしたのか、息を吐いた。許しを乞うように両手を挙げて、言った。
「俺が見かけたんじゃない。だが、その……ほら、君の妹さんは目立ってただろう? だから皆が注目してるし、ほら……」
「はっきりしてくれ。急いでるんだ」
「ああ、うん……その、怒らないでくれよ? ……どこぞの男と、抜け出したのを見たって人が」
視線が、ホールの外にある庭に向けられた。
アーサーは顔を顰めて、舌打ちをする。あそこだ。
「お、怒らないでって言ったじゃないか。デビュタントなんて、夜会に興味津々だろうし、別におかしな事じゃ」
「アリスはそんなんじゃない!」
「わ、わかってるって……」
そこまで言って、気まずくなったのか、これ以上口を滑らすのが怖くなったのか、同僚はそそくさと逃げていった。
早速、庭にある建物に向かおうと踵を返す。と、突然、後ろから肩を叩かれた。ぐいと引っ張るように肩を掴まれ、アーサーは少し仰け反る。
アーサーに気配を気取られず近づくことができるのは、彼の知る中で二人しかいない。
アリスと、そして――
「アリスはどこへ行った?」
耳元で囁くように発せられた言葉に、アーサーは背筋が凍った。
遅かった!
アーサーは緊張しながら、その人物の名を呼んだ。
「……ハインリヒ殿下」
恐る恐る振り向くと、爽やかな笑顔を浮かべたハインリヒが立っていた。
てっきり、国王陛下や女王陛下と同じように、メインの大扉から盛大に入場するものだと思っていた。そのため、まだ大丈夫だと安心していたのだ。
アーサーはつとめて冷静に返す。
「……なぜ大扉からいらっしゃらないのですか。これでは誰も、殿下がいらしたことに気付かないですよ」
「むしろそうするつもりで、こっそり入ってきたんだ。気付かない方が悪い」
この御仁も大概変わった人である。
「話を逸らすな、アーサー。私の質問に答えられないのか?」
「いえ、あの……」
「アリスはどこへ行った?」
アーサーは諦めて、正直に告げる。
「……離れに行くのを見たという人が」
ハインリヒは、苦虫を噛み潰したように、綺麗な顔をこれでもかと顰めた。嫌悪感に満ちている。
「あそこか。相手が何をしようとしているか察せてしまうのが、腹立たしいな」
今度取り壊そう、と聞こえたのは空耳ではないだろう。
ハインリヒは襟を正した。
「その噂を流したのも、奴の指示だろうな。行こう」
「はい」
二人は顔を見合せ、頷いた。どちらともなく、走り出す。
アーサーは胸が締め付けられる思いだった。アリスは強い。けれどそれは、彼女が剣を持ったときだけ。剣の天才でも、剣を置いてしまえば普通の女の子なのだ。
アリスが簡単にやられるとは思わない。それでも、不安は拭えない。どうか無事でいてくれ。
並走するハインリヒは、アーサーにちらりと視線を向ける。
「随分と顔色が悪いな。あのアリスのことだ、上手くやれる」
「そりゃ、アリスは剣を持たせれば向かう敵なしですが、今は丸腰ですよ!」
「問題ない。ドレスの内側に、短剣を仕込めるよう細工をしてある」
「……は?」
予想外の言葉に、アーサーのスピードが緩まる。ハインリヒは歩調を合わせる気はないようで、自然、アーサーがハインリヒの後ろについて行くかたちとなる。
「あの子なら、ドレスの細工にも気付くだろう」
「な、なんてことしてくれたんですか!? そんなの、背中を押しているようなものではないですか!」
「その通りだ」
「――っ!? なんでっ」
「だってお前は――首謀者を捕らえる気はないのだろう?」
アーサーは息を呑んで、目を見開いた。頭上から冷水を浴びせられた気分だった。
唇を噛み俯いたアーサーを尻目に、ハインリヒは続ける。
「これがただの傷害事件であり、被害者本人が罰を望んでないのであれば、私も何も言わない。けれど、これはただの傷害事件ではない。禁止薬物を使用した事件だ。騎士が、知っていてこれを見逃すとなれば、大問題だ。除名処分にもなり兼ねん」
「それは……」
「アリスも馬鹿じゃない。お前が犯人を追及する気がないことも、禁止薬物が関わっていることも、このまま見逃せばお前が処分を受ける可能性があることも、すべて分かっていたはずだ。兄がやらないのであれば、片割れの自分が――そう考えたんだろう」
その通りだった。アーサーは何も言えなかった。
押し黙ったアーサーに、ハインリヒは小さく息を吐いた。
「分からないな。なぜ、ローマンが犯人だと言わなかった? 禁止薬物を所持している疑いがあると、私に突き出さなかった? 情をかけるほど、深い仲でもなかったろうに」
アーサーの目が昏く沈む。
「…………同じだなと、思ったんです」
「同じ?」
「ローマンは、天才ではない。天才だと思っている僕に憧れて、努力して、それでも追いつかなくて」
とつとつと語るアーサーに、ハインリヒは目を細めた。
「天才」を誰と重ねているのか、名前を出さなくても分かる。
「恨む気持ちも、分からなくはないんです。追いつきたくても追いつけない、その悔しさが。けれどアリスは、僕のそんな汚い気持ちすら砕くほど、僕に愛をくれた。僕はローマンのそんな気持ちを、砕くことができなかったのでしょう」
「別にお前が悪いわけではないだろう」
「そうですね……いや、でも、ローマンに僕を『天才』と思わせてしまった時点で、騙しているようなものですし」
アーサーは決して、剣の天才などではない。
例えアーサーの剣を見た誰かが、「彼は天才だ」とその場では思ったとしても、アリスの剣を見てしまえば一瞬で手のひらを返すだろう。
アーサーの剣が人より劣っているわけではない。むしろ、人並み以上だった。それでも、アリスの隣に並ぶと霞んでしまう。それほどまでに、天才の剣は別格だった。
だからこそ、アリスは剣を手放した。ただ、アーサーを「天才」へと押し上げるためだけに。誰もが喉から手が出るほど欲しがるその才能を、いとも簡単に、自ら封印したのだ。
悔しい。羨ましい。恨めしい。
けれも、愛しくて仕方がない。
例え、下駄を履かされているのだと分かっていても、天才のエゴだとしても。
アーサーを大切にしようとするその気持ちが、何より尊い。
身近な人は、アリスのことを極度のブラコンだと言う。けれどアーサーだって、アリスに負けないくらいのシスコンだ。
アリスは強い。分かっていても、万が一アリスにかすり傷ひとつでも負わせたとしたら、アーサーは怒り狂ってしまうだろう。
ふと、ハインリヒは顎を上げた。
「あそこだ」




