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22、「天才」とは所詮、他人がつけたレッテルにすぎないのに

 代々王家の護衛騎士を勤めてきたブロワ侯爵家に、双子の兄妹が生まれた。

 屋敷中は喜びに包まれ、盛大に祝福した。

 誰もが、兄が優秀な剣士に育つことを、妹は美しい淑女に育つことを望んでいた。いや、そうなるものだと思っていた。


 だが実際に二人が育ってみれば、剣の才能を開花させたのは妹。誰もが魅了されてしまうような、美しく力強い剣を振るうのは、妹の方だった。

 兄も人並み以上の才能はあったが、妹には遠く及ばない。

 両親は気にしなかったけれど、周囲の人間はそうではない。失望や絶念の目を彼に向けた。たまに、言葉にする人間もいた。


 双子の兄は、わけも分からないまま苦しい立場に置かれることになる。

 なぜ周囲の人間が冷たく当たるのか。落胆するのか。出来損ないでも見るような目を向けるのか。

 代わりに、双子の妹は可愛がられていた。素晴らしい剣を扱うのだと。兄に辛くあたる人間が、妹には優しい目を向ける。


 妹を恨んでも仕方ない状況になっても、兄は一度も妹に強く当たることはなかった。優しく、大切に、決して辛いという感情を見せなかった。

 そうして兄は、剣の天才である妹に気付かれないように、誰にも見られない場所でこっそりと剣を握るのだ。


あの日も、そうだった。


「アリス様の剣は、本当に美しくていらっしゃいますね」

「あぁ、我が子としてとても誇らしいよ」


 手放しにアリスを褒める、誰か。

 嬉しそうに、アリスの頭を撫でる両親。

 悪意のない、どちらも心からの褒め言葉だった。


 それを聞き流しながら、少女は無表情に窓の外を覗いた。美しい花がさざめく中庭。その先の芝生に、小さな身体が立っている。

 ぎこちない動きで、大きな重い剣を必死で振っていた。その手がいつも、豆だらけで血だらけなのを、少女は知っている。


 人々は、「アリスがアーサーの全てを奪っていった」「妹に剣の才を奪われた可哀想なアーサー」「神に愛されなかった双子」と好き勝手言う。

 果たしてそうだろうか、とアリスは思う。

 アーサーは剣の天才ではないが、努力の天才だった。言葉通り、アーサーは以前と比べて剣の腕は確実に上がっている。なのになぜ、誰も兄を褒めないのか、認めないのか。


(――あぁ、そうか)


 少女は気付いた。

 それでも人々が認めないのは、すぐ側に剣の天才(アリス)がいるからか。


 アリスはぎりと奥歯をかみ締めた。


 どんなに周囲に貶められても、反抗もすることもなく擦れることもなく、黙って剣を振るい続けた強い兄を。

 剣の天才と呼ばれる妹と比較されても、その原因であるアリスを決して嫌うことはなかった優しい兄を。

 ただひたすらに、剣と向き合おうとしている努力家の兄を!

 

 コイツらには、その尊さが理解できないのだ。


 ――そしてその日を境に、アリスは人前で剣を振るうことをやめた。立派な淑女になるのだと、人々に言い放って。


 アリスの発言は周囲の人間に驚愕をもたらした。

 けれども、反対する者はいなかった。剣の天才が消えてしまうことは嘆けど、本来の姿はそうであるべきだから。

 男である兄には剣を、女である妹には楽器や刺繍糸を。世の摂理を、双子の兄妹に押し付けた。


 次第に、アリスの代わりにアーサーが剣の天才と呼ばれるようになった。アリスは苦手な楽器や刺繍、礼儀作法や勉学に追われるようになった。

 アリスはそれでもよかった。アーサーがこっそりと二人分の剣を持って来て、一緒に打ち合いをしてくれる。

 大好きな兄が、心の底から嬉しそうに剣を振るっている姿を見られるだけで、幸せだった。

 例え大好きな剣を二度と握れなくなっても、大好きな兄が、大好きな剣を握ってくれていればそれで。

 それでよかったのに。


「お兄さまを傷つけたのは、あなたですね」


 だからこそ、愛しい兄の腕を潰そうとした人間を、アリスは決して許さない。

 アーサーが剣を握れなくなるというのは、アリスの幸せを奪うことであり、アリスのこれまでの人生、決意、覚悟のすべてを潰すということだから。


 アリスの憎悪の瞳を受けても、対峙するローマンは穏やかな表情で首を傾げる。


「……なにを言っているんだい? 君は知らないかもしれないけれど、僕はアーサーのことを尊敬しているんだ。傷つけるわけがないじゃないか」

「私、気付いたんです。人を傷つけるのは何も、恨み妬みからだけではないって」

「君の言っていることが理解できないな。君はアーサーの妹のくせに、発言も行動も意味不明だ。家に籠って、教育をやり直してもらったら?」

「愛からでも、人を傷つけることは出来るということです」


 ローマンからアーサーへと投げられるのは、歪んだ愛だ。

 憧れの人に自分を見て欲しい。自分だけを見て欲しい。振り向かせたい。どれだけ尽くしても、見向きもしてくれないのならばいっそ――


 ローマンは、哄笑した。


「尊敬してやまないから、傷つけて自分の元から離れないようにしようと? その考えはむしろ君が持っているんじゃないのか? 僕がアーサーを傷つけたという証拠は、何もないじゃないか」


 嘲笑うように、ローマンが両腕を開いた。

 その言葉を聞いたアリスは、心底残念だと言うように首を振り、ため息を吐いた。そして左手に持っていた剣を捨て、ドレスのポケットをゴソゴソと漁る。


「証拠があればいいんですね?」

「あるものなら」

「では、これは?」


 アリスが左手に掲げたのは、小さな瓶。中には半分ほどの液体が入っていて、見せつけるように振ると、ちゃぷちゃぷと音を立てた。

 その小瓶を見た瞬間、ローマンの顔色はさっと変わる。慌てたように、自らの服の至る所を触れていく。そして目的の触感がなかったのか、驚愕にあふれた目で小瓶を見た。


「どこで、それを……」

「残念ながら私、あのとき気絶していなかったんです。ローマン様直々に運んで下さったので、お陰で揺るがぬ『証拠』を手に入れることができました」


 ローマンが悔しそうに、奥歯をギシリと鳴らして、目の前にいるアリスを睨む。

 この小瓶の中の液体は、マスクレアだ。強力な香りを発するマスクレアは、レチアーナ王国では認められていない。製造はもとより、輸入・所持も禁止されている。

 安全な場所で淑女教育を受けていたアリスは、知識はあれど実際に目にする機会などなかった。

 だから気づくのが遅れたのだ。初めてローマンと訓練で対峙したときに嗅いだ、不思議なにおい。倉庫に行った時に僅かに嗅いだにおい。あれは、強力な香りを発する薬の残り香だったのだ。

 この薬を利用して、倉庫に行ったアーサーの意識を奪って傷つけたのだろう。それならば、あのアーサーに傷をつけられた事も納得がいく。


 だが、ローマンにはまだ余裕が残っているのか、口角を無理やりに上げて笑った。


「それが、なんの証拠になる? 僕がアーサーを襲ったという証拠にはならないだろう?」

「そうでしょうか?」

「……何が言いたい」

「これ、私ひとりだけに使ったにしては、中身が少ないですね。まだ余罪がありそうです」 


 アリスは小瓶を見せつけるように持ち上げ、軽くひと振りした。ちゃぷんという水の音が、二人の間に静かに響く。


「ああ、そうでした。あの日、暴漢に襲われたときに着ていた兄の服は、大切に保管してありますの。あの時は泥で分かりにくかったんですけど、水分が抜けたら足跡が随分くっきりと浮かんできました。あなたと、そこに転がっている男たちの靴と、照合させることにしましょう」


 アリスは、視線をローマンに向けた。

 冷ややかな月光の中、凛と立つアリスを纏う空気は、言葉に言い表せない程に冷めきっていて恐ろしかった。


「力で敵わないから、薬を使用して優位に立とうと? 騎士の考えとは思えない、愚かな行為ですこと」


 言い捨てて、薬をまたポケットの中へ戻す。

 後でアーサーを問い詰めよう。彼はきっと気付いていたはずだ。それでも黙っていたのは、きっと――


「違う……違う違う違う! 僕はアーサーを尊敬している! 優位に立とうなど考えてない! 何も知らないくせに、偉そうに語るな!!」

「なら、なぜお兄様を襲った! 尊敬をしていたはずのお兄様を、あなたは愚かにも卑怯な手を使って、騎士から引きずり下ろそうとしたんだ! 他にもやり方はいくらでもあったはずなのに、なぜ!」

「仕方がなかったんだ!」

 

 アリスの追及に重なるように、ローマンは叫んだ。

 

「仕方がないじゃないか! アーサーはどんなときでも、『剣の天才』だった。僕がどれだけ努力して足掻いたところで、僕は『のろまなローマン』だ。アーサーに届きやしない。だったら! アーサーが僕のところに来ればいい!」

 

 アリスは、ローマンと対峙したときから、アーサーへの『愛』というものを感じていた。だが、ローマンが向ける愛がどういった『愛』なのかは、上手く汲み取れていなかった。

 それがようやく、わかった気がする。

 憧れで、大好きで、理想で、認めてもらいたくて、追いかけて、追いかけて、それでも手が届かなくて。ずっと遠いところにいる。

 

「自分がどうにもならないから、相手を自分と同じところまで落とそうなんて、愚かな考え以外のなにものでもありません。あなたは這い上がるべきだった」

「お前に何が分かると言うんだ!? 体格に恵まれず、技術にも恵まれず、一代限りの騎士伯だと揶揄される僕の気持ちが、お前にわかるか!?」

「だから? あなたは、自分だけが不幸でめぐまれないのだとでも仰りたいのですか?」


 それが不幸だというなら、アーサーだって不幸だ。

 男だからと勝手に剣の腕を期待され、勝手に失望される。何よりも近い存在に、剣の天才がいる。目をそらすことも、八つ当たりをすることもできないほど、双子の妹という存在は大きく、障壁だったはずだ。

 でもアーサーは、決してアリスを害そうなどとしなかった。自分が、血のにじむような努力をして、這い上がってきたのだ。


「お兄様が、努力もせずに『剣の天才』の名をほしいままにしているとでも? ふざけんな! 努力を諦めた人間が、お兄様を語る資格などない!」 


「煩い煩い煩い煩い煩い煩い!! ……それを、返せぇぇぇぇぇ!!!!」


 完全に我を失った、怒り狂った表情で殴りかかってくる。アリスはすぅっと目を細めて、応戦するように剣をひと振りしたのだった。


「騎士の何たるかが分からない貴方に、ひとつ、騎士の格言を教えて差し上げましょう。人の恨みというものは、海よりも深く山よりも高く、剣よりも鋭いものなのですよ」


 それは騎士の格言ではなく、お前の格言だろう――と反論できる者は、残念ながらその場にいなかった。

 ローマンは天才の一閃――いや、ブラコンの剣の一閃を前に、倒れたのだった。


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