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16、お兄様、事件です(2)

「ヘンリー! 一体何が!」

「おそらく人さらいだ。……彼女をかばうのに精一杯で、取り逃がした」


 どうやら、この女性が路地裏に連れ込まれているところを、ヘンリーが間一髪で見つけたらしい。あの距離から発見できるとは、どれだけ目がいいのだろう。


 綺麗な顔をこれでもかと歪めて、気を失った女性を地面に横たわらせる。


 死んでいると思ったのだろうか、少年は「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と叫びながらわんわんと泣いている。周囲の人々も、流石にこの騒ぎで何があったか悟ったらしい。恐怖を顔に浮かべて、遠巻きにこちらを眺めている。


「すみません、濡れた布と水を。それから――」


 アーサーは近くの人に、必要な物を依頼する。人命第一だ。


 泣き止まない少年の泣き声が、わんわんと耳の中でこだました。


 第一地区と第二地区の間は、どの場所よりも問題が起こりやすいのだと。こんな浮かれムードを狙って、悪い奴らはやってくるのだと。ちゃんと理解しているつもりだった。

 それでも。理解しているのと実際に起きるのとでは、違う。これが騎士の仕事なんだぞと、何度も頬を叩かれて言い聞かされている気分だ。


「アーサー、今無闇矢鱈に追うと、余計に混乱する。まずは彼女たちを安全な場所へ。俺は裏道から奴を追うから……アーサー?」


 ヘンリーは手馴れた様子だった。

 彼の言うとおり、この人混みの中を騎士が抜けるのは、混乱をさらに広げてしまうだろう。この状況を放って、犯人を追いかけるのも違う気がする。


 犯人の姿見も覚えているし、ヘンリーが裏道から追いかけると言っているのだから、言うとおりにしておけば間違いないはずだ。もしかしたらこの先の区域の警備をしている騎士が、違和感に気付いて対応してくれるかもしれない。


 ならば目の前の騎士の言う通り、二人を安全な場所へ連れていき、少年の気持ちを落ち着かせてあげるのが一番だ。お姉さんは、気を失っているけどそのうち目を覚ますよ。犯人は、相方が追っているからね。だから大丈夫だよって、声をかけてあげればいい。


 アーサーならこんなとき、どうするのだろう。アーサーだったら。優秀なアーサーだったら。


 頭がぐるぐるとする。平衡感覚がなくなる。深い深いどこかに沈みかけたその時、


「街を守る騎士なんて嘘じゃないか! お祭りは騎士様が来てくれるから安心だよ、楽しいよって、言ってたのに!」


 ハッとした。


 涙をためて顔を真っ赤にした少年が、ヘンリーとアリスを睨んでいた。

 反応できなかったアリスに代わり、ヘンリーが謝罪をする。


「すまなかった。犯人はちゃんと捕まえる、お姉さんも意識を失ってるだけだから――」

「騎士様は、僕たちの味方じゃなかったの! 悪いやつはとっくに逃げちゃったよ! お姉ちゃんをこんな目にあわせたのに!」


 小さな身体が震えている。恐怖でも悲しみでもない、紛れもない怒り。


 彼が望んでいるのは、怖い思いをしたあとの安全な場所じゃない。ヒーローが犯人を颯爽と捕まえて、盛り上がって、お姉さんが生き返って、楽しいお祭りに戻ることだ。


 ――違う。アーサーじゃない。この街を下見した時も、ここに立っている今も。彼らの目の前にいるのは、アリスである。


 アリスは少年の前にひざまずいて、視線を合わせた。その肩が、びくりと怯えたように震える。

 彼は、自分と、目の前にいる騎士の身分の差を、きちんと理解している。騎士の不興を買ったらどうなるか、理解している。それでも、訴えずにはいられなかったのだろう。ならばアリスは、この勇敢な少年の叫びに応えなければ。


「そう、僕たちは味方だよ。悪は決して見逃さない。神に誓おう。だから――もう一度だけ、僕たちを信じてくれないかな」


 すん、と鼻をすする音がした。

 決してうんとは頷かない。赤い目でただじっとアリスを見つめている。やってみろ、ということだろう。十分だ。


 「任せて」少年に伝えて、すっと立ち上がる。男が逃げた方向を確認する。上を見上げる。真っ直ぐに、赤いレンガの屋根が並んでいる。大丈夫。


「……君、何を考えている?」


 女性の介抱を続けていたヘンリーが、何かを決心したように立ち上がるアリスをいぶかしげに見つめる。アリスは、ヘンリーを見ずに答えた。


「あの男を、さっさと捕まえる」

「は? いや、待て、この人混みを押し倒して行く気か? アレは私が追うと」

「地上がダメなら、上から行く」

「上って……。待て、なぜ後ろに下がるんだ」


 ヘンリーは嫌な予感でもしたのか、しゃがんだまま眉を顰める。それもそうだ。なぜかヘンリーをじっと見て、助走でもつけるかのように数歩後ろに下がっているのだ。


「騎士でしょ、ちょっとくらい耐えてよね」

「だから何を考えて――」


 アリスは言うやいなや、ヘンリーの返事も聞かずに走り出す。


 さすがに焦ったのか、女性から僅かに離れた瞬間。ヘンリーは衝撃に呻いた。


 アリスはヘンリーの肩を土台に、宙へ飛び上がる。そのまま屋根の上に降りてもよかったのだが、怯えきっている住民へのパフォーマンスも必要だろう。身体を一回転させてから、軽やかに片膝をついて着地した。


 「おぉ!」「なんだ!?」という驚きと歓声が、下から沸き起こる。住民の反応に満足して、アリスは男が逃げていった方へ、屋根を伝って駆け出す。



「君っ! 何を考えているんだ!? 危ないだろうっ!」

 ヘンリーの焦りとも怒りとも取れる声が聞こえたが、気にしない振りだ。叫ぶ元気があるなら、先程踏みつけた肩は無事なのだろう。やはり騎士は鍛え方が違う。


 アリスは屋根の上を走り、屋根と屋根の間を飛び越え、男を探す。茶色の服を着た、黒髪短髪の、細身の男。あの様子ではまだ遠くへは行っていないだろうし、先ほどの様子からすればそれなりに目立っているはずだ。


「見ーつけた」


 視線の少し先に、行き交う人を押しのけて逃げる男。なんだなんだという視線を集めているので、やはり目立っていた。

 アリスはにたりと口角を上げて、片方の靴を脱いだ。大きく振りかぶって、狙いを定めて――


「ぐぁッッ!?」


 靴は男の頭に勢いよく飛んでいき、まともに食らった男はそのまま倒れ込む。騎士の靴は、あの過酷な訓練に耐えるように作られているのだから、直接食らった男の衝撃は想像しやすい。意識を失わなかっただけ、拍手喝采ものである。


 いきなりうめき声を上げて倒れた謎の男に、周囲の人間はざわざわとし始める。


「はーい、みなさん危ないから避けてね〜っと!」


 そんな中に落ちてきた、爽やかでどこか場違いな、のんびりとした声。

 状況を把握できていないながらも、その声に従う彼らは優秀である。ぽっかりと空いた空間に、アリスは屋根から飛び降り危なげなく着地する。


 空から降ってきたイケメンに、動揺の声から歓声に変わる。「何々!?」「何かのショーかしら?」ショーではなく本物の事件なのだが、恐怖に包まれるよりはマシだろう。


 アリスは演技めいた微笑みを浮かべて手を振りながら、未だ頭を抱えて蹲っている男の横に立った。


「いって……おい、ふざけんな! いきなり何飛ばしてきて――ぐっ」

「ふざけないでいただきたいのは、こちらなんだがね」


 横に立つ人物に気付いてわめきたてる男の腰を、アリスは真顔で踏みつけた。


「ハレの祭りにケチをつけるとは、許しがたい愚行。そんな君には、とっておきの場所を案内して差し上げよう」


 ――牢獄という素晴らしい場所を。

 アリスの言葉を最後まで聞き取った男は、さっと顔色を変える。そして意を決したように、懐に手を滑り込ませた。


「くそっ」

「何だそれは」


 液体の入った手のひらサイズの瓶を取り出した男の腕に、アリスは鞘に収めたままの剣を突き刺す。わかりきっている事だっただろうに、ぎゃあと叫ぶ男の手から、その小瓶が転がり落ちた。


 背中に足を置いたまま、転がり落ちた小瓶を拾う。すると、鼻の奥をつんと刺すような独特の香りがした。

 ――以前もこの香りを、苦手だなと感じた気がする。


「これは何だ。答えろ」

「はっ、騎士ともあろう方が知らねえのか。答えるわけねぇだろ」

「――そうか」


 これ以上この男と話すのは無駄だろうと判断したアリスは、剣を持ち上げ首の後ろを突いた。

 糸が切れたように地面に転がる男を尻目に、目の前で小瓶を小さく振ってみる。毒か何かだろうか。男の口ぶりからして、騎士なら知っているらしい。後でヘンリーに聞いてみるか。


 それよりも。


 アリスは小瓶から視線を外し、さてどうしたものかと眉尻を下げた。

 周囲には人だかりができていて、全員アリスに注目している。わああという歓声に、困ったように手を振るしか手段がなかったのだった。




ここで、アリスの変装編終了です。

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