14、お兄様の仲間達に、罠を仕掛けます
「なんか元気ないな、アーサー。さっきバレル教官に注意されたの引きずってるのか?」
「え?」
近衛騎士見習いの一人に声をかけられて、アリスははたと止まった。
彼はよくアリスに話しかけてくれる一人だった。名前をラズリス・グリードという。グリード子爵家の次男である。亜麻色の髪と、焦げ茶色の瞳で、見た目と同様に穏やかな性格をしている。
我に返ると、鼻孔をくすぐるような芳しい香りがぶわりと広がる。視線の先には、最初は多すぎるとお腹を抱えていたが、だんだんと慣れてきた肉料理。いつの間にか半分ほど減っている。
顔を上げれば、きょとんとこちらを見ている近衛騎士見習い。先ほどの声は、彼から発せられたものだろう。
「そうなのかな……いや、そうかも、うん」
曖昧な返事をすると、もう一人の近衛騎士見習いが声を上げて笑った。
「アーサーってほんと真面目だよねぇ」
「わかる。俺なんか、ご婦人じろじろ見るんじゃない! 視線がキモい! って怒鳴られたけどな。キモいってなんだよ。綺麗なご婦人を見たら、そりゃ男の本能で見ちゃうって」
「ご婦人をじろじろ見ないってのは騎士の礼儀として当然だが、お前の場合は『キモい』視線が余計にバレル教官の癪に障ったんじゃないか?」
「こいつに比べたら、アーサーは完璧だったけどな。ご婦人にびた一文も興味を示さない、言い寄られたときの躱し方も、休憩室への案内だって文句なし。騎士っていうよりもうどこかの王子様かよって思ったよ」
他の近衛騎士見習いたちも、同調するように話に乗ってくる。
ご婦人に興味を示さないのは実は同性であるからだし、躱し方も、騎士の礼儀作法というよりは淑女教育の礼儀作法を参考にしたものだった。案内については、よく分からなかったのでとりあえずご令嬢同士の会話を楽しんでいたら、何故か相手が気分を良くされて評価に繋がったという話だ。種も仕掛けもあるのだ。彼らに言えるはずもない。
アリスがぼうっと彼らを眺めていると、目が合った正面の男が歯を出してニカッと笑った。
「アーサーは気にするかも知れないけど、そんな思い詰めた顔をするほどじゃないと思うぞ。次はばれないように会話することだな!」
もしかしなくても、アーサーを励まそうとしてくれているのだろうか。こんな、たくさんの人が。
ヘンリーの方を見遣れば、申し訳なさそうに眉を下げていた。
なんだかもう、泣きたくなった。
こんなに素敵な人たちに囲まれて、慕われて、アーサーは毎日訓練をしているのだ。早く訓練に戻りたいのは、アリスが心配というのも剣を振るいたいというのと同じくらい、彼らと一緒にいたいのだろう。
アーサーが犯人捜しや復讐を望んでいなかったのは、こういったことからだったのかもと、頭の片隅で考えた。彼らがアーサーを害そうとするならば、蹴落とそうとするだけではない、相応の理由があったのではないかと。
それでもアリスにだって、アリスなりの正義がある。どんな理由があろうとも、人を傷つけていい理由にはならない。
「ありがとう、みんな」
だからアリスは、ここで罠を仕掛けるしかない。
アリスが納得するためにも、アーサーにこの穏やかな居場所を返すためにも。
「バレル教官に注意されたこともそうだけど、もうひとつ気がかりなことがあって」
気がかりなこと? と、彼らは一様に首を傾げる。ありがたい、ちゃんと聞いてくれるようだ。
「今日の礼儀作法は、数日後に開催される夜会のための講義でしょう? 実は妹のアリスが、デビューする夜会でもあるんだ」
「へえ、そりゃおめでとう。散々聞かされていた、ブロワ家のお姫様アリスちゃんをようやく見ることができるんだな」
ラズリスも、ヘンリーと同じような事を言う。アーサーは随分と、彼らにアリスのことを話しているらしい。それならそれで、使いようがある。
アリスは近衛騎士見習いに、恍惚の表情で頷いた。アーサーはそんな顔しないだろうと突っ込まれそうなほど、大げさに。
「そうなんだ。昨日ドレスを合わせたのを見たんだけど、まるで女神が現れたのかと思うくらい美しかった。頭に浮かべるだけで、他の何もかもがどうでもよくなる光景だったよ。きっとほとんどの紳士が、目を奪われるんじゃないかな」
そのドレスに、と続くはずの言葉は呑み込んだ。
主語がないものだから、この発言を聞いた彼らは、アリスが、と勘違いするだろう。とんだシスコンだと勘違いされるだろうし、しばらく兄は、シスコンアーサーと呼ばれるだろう。許して欲しい。
アーサーのことをよく知るヘンリーは、言葉の裏を探るような目で見ている。ローマンは、食傷気味だというように完全に表情をそぎ落としている。二人以外の人間は、ほうと感興を催したように食い気味にアーサーの話を聞いている。
「だからね、心配なんだよ。アリスは今回が大人として初めて参加する夜会で、まだ親しいご令嬢もそんなにいない。僕は挨拶回りでアリスの元を離れることもあるだろうから、どうか彼女が一人でいたら、変な輩に捕まらないよう気にかけて欲しいんだ」
「まあ……俺はかまわないけど。いいのか? 大切な大切なアリスちゃんだろ?」
一体アーサーは、彼らにアリスをどう紹介していたのか。やりすぎかなと思うくらい仰々しく言ってみたのだが、引いているような反応が見えないことから、遠からずこんな感じで話していたのだろうか。
だとしたら随分恥ずかしい。実際に夜会でアリスを見て、がっかりされる確率がどんと跳ね上がってしまった。ドレス効果でいくらかマシに見えることを祈るばかりである。
「ああ。アリスには、近衛騎士の制服を着た人たちは信頼できるから、一人のときはできるだけその人の傍にいるようにと伝えてるよ。ただ、変な噂を流されたら困るから、上手く立ち回ってもらえると助かる」
彼女は人懐っこいし、どうもそういった意識が低いように感じる、と強めに付け加えた。
「アーサーがそういうなら……ご令嬢の安全を守るのも騎士の務めだしな」
一人がそう言うと、他の面々も頷いた。
物わかりのいい騎士たちで助かる。今回の王前試合の優勝はアーサーが貰うが、彼らもどうか立派な近衛騎士になって欲しい。この人達がいてくれるなら、この国もまだまだ安泰だろう。
「ありがとう。期待しているよ」
あとは夜会を待つだけである。
ヘンリーが変な顔でアリスを見ていたが、そっと目をそらした。