12、お兄様からのプレゼントです!
アリスが動く度、光沢のある純白の布がふわりと舞う。細かな偏光ラメを含んだ、不規則に重なったレースが、キラキラと七色に光る。
はちみつ色の絹のような柔らかな長い髪。夜明けを思わせる琥珀色のつり目がちの瞳。陶器のような滑らかな白い肌。
アリスの全てを惹きたてるために用意されたようなドレスだった。
その姿を見て、アーサーは感心したように頷いた。
「うん、まだ仮縫いの状態だけど、とてもいいね。社交界デビューを飾るドレスにはぴったりだ。何か気になるところは?」
デビュタントのドレスは、白を着用という決まりになっている。他の参加者と区別をつけるためでもあるし、純粋無垢の状態で社交界デビューを果たしますという意味もあるらしい。
なので、既にデビューをしている女性は、社交界で白のドレスは厳禁。デビュタントの女性にのみ許される色としている。
逆に言えば、デビュタントは全員、白のドレスを着ることになるのだ。複数人いる場合は、晴れ舞台にもかかわらず埋もれてしまうこともままある。
ただしドレスの形は自由なので、布の質や刺繍、飾りなどで、他のデビュタントと差をつけようとするのだ。
ここで差をつけて注目を浴びれば、今後の社交界でもいくらか上手く行きやすい。逆に埋もれてしまえば、そこからの巻き返しは難しいだろう。デビュー前から、社交界での水面下の戦いは始まっているということ。
既に淑女教育で落第点の烙印を押されているアリス。デビュタントとして失格と言われるかもしれないが、社交界での争いもドレスにも興味はなかったので、アーサーに任せ切りにしていたのだが。
まさかこんなに素晴らしいドレスを用意してくるとは、夢にも思わなかった。質、形、装飾のどれにおいても文句の付けようがない。
侯爵家としての矜恃が許さないのか、ただのアーサーのセンスなのか。いずれにせよ、今回参加するデビュタントのドレスでも、上位に組み込む出来だろう。
「……お兄様がこんなにセンスが良いなんて知りませんでした……」
「あぁ、用意したのは僕じゃないんだけどね」
「え?」
じゃあ誰が、と問いかけても、アーサーは満面の笑みを浮かべるだけで何も答えない。これは、どんなに問い詰められても答える気はないぞ、という顔だ。
どこぞの誰とも知れぬ者が用意したドレス、ということだろうか。いや、まさか、アーサーがそんなものをアリスに着せるはずがない。
おおかた、デザイナーにアリスの絵姿を見せるかして、生地からデザインから全て投げたと判断するべきだろう。優秀なデザイナーである。
「こっちは僕から」
アーサーはアリスの目の前に立つと、大きく何かを広げた。それはアリスの頭の上に被さるように、柔らかな感触を与えた。
「ふふ、まるで花嫁みたいだね。きっと、デビュタントの中でいちばん綺麗だ」
アーサーは、アリスの姿を見て喜び満塁といった顔で微笑んだ。
アリスの頭上に纏うのは、白いヴェール。こちらもデビュタントのドレスコードとなっている。
「本当ですか!? 多少のヘマをしても許されるくらい綺麗ですか!?」
「いや……ヘマはしないで欲しいかな」
アリスは納得がいかない顔で、頬を膨らました。
近衛騎士見習いの訓練後に淑女教育は続けられていたが、未だに『合格』をもらうことができないでいる。同年代の女性は一通りの淑女教育を終え、すでに社交界デビューをしている。さらに言うなら、その先の花嫁修業までたどり着いている人もいるらしい。
デビュタントとして参加する夜会では、女王陛下の謁見に、ハインリヒ王子も参加するのだ。アーサーの妹として完璧な淑女でいなくてはいけないのに、これは由々しき事態。
アリスのもっぱらの悩みである。
「僕の怪我の具合もよくなってきたし、そろそろ訓練に戻ろうと思ってる。アリスも、淑女教育に専念した方がいいだろう?」
「でも……」
「『犯人捜しができていない』?」
アーサーの言葉に、小さく頷く。
そもそも、兄に成り代わって王城に潜入した本来の目的は、アーサーを酷い目に合わせた人間への報復だ。だが、その目的は果たされていない。
訓練を楽しんでいた節は否めないが、どちらかといえば、決めかねている――と言った方がいい。
それなりに近衛騎士見習いたちとは会話を重ねてきたが、アーサーを蹴落としてやろうなどという悪意は感じられなかった。それどころか、今回の王前試合ではアーサーかヘンリーが優勝して当然という、尊敬の念すら抱いていたように思う。
となればヘンリーではという結論に落ち着く気がするが――
(ヘンリーも、決定打に欠けるのよね……。怪しい部分もたくさんあるけれど)
逆に、アーサーに手出しできそうな場面もたくさんあったはずだ。でも、彼はアーサーを傷つけてやろうという素振りは見せなかった。むしろ大切な人として扱っている気配すらある。……それもそれで、アリスには複雑な心境である。
となると、近衛騎士の人間ではなく、騎士や衛兵の仕業と考えるべきか。
「お兄さま、白翼塔に、他の塔に所属している人が来る事ってありますか?」
「うーん、ほぼほぼないんじゃないかな。合同練習とかあれば話は別だけど」
「では、こっそり他の塔に紛れ込むのは?」
「難しいと思う。制服が違うからすぐに分かるし。制服を貸したとかなら可能性はなくはないけど、そんなことしたら規律違反で退団させられるよ」
気付かれれば、の話である。気付かれなければ、罰するも何もないのだ。
現にアーサーは、襲ってきた犯人を『覚えていない』『たぶん後ろからやられた』と曖昧な証言をしている。そうなれば、確かな証拠でもない限り立証は不可能となってしまう。
再び襲ってこないのは、身元が判明するのを恐れてのことなのだろうか。一度失敗した相手に再度仕掛けて、反撃されることを恐れてか。アーサーを怪我させるのは不可能だと悟ったのか。
あるいは――
ふと考えるように黙り込んだアリスをどう思ったのか、アーサーは子供をあやすような穏やかな声をアリスに向けた。
「アリスのことが心配なんだよ。いくら僕そっくりに変装していたとしても、アリスは女の子で、周囲は男しかいない。もし何かの拍子で、そのことが周囲にばれてしまったら」
「いいえ、お兄さま」
アーサーの言葉を止めたアリスの声は、いやに低かった。顔を上げて、アーサーを見る目は据わっている。
「私が心配なら、もう少し時間をください。ちょっと、考え方を変える必要がありそうです」
「え……?」
「恨み妬みから来ているのかと思っていましたが、そうじゃないのかも」
アーサーは面食らったようだった。妬み以外に何が、そんなはずは、ともごもごも口を動かす。どうやらアーサーは、人の妬みを買ったために襲われたと思っているらしい。やはり、何か知っているのでは、とアリスは疑惑の目を向けるが、それでアーサーが答えてくれるならこんなに遠回りはしていない。
「お兄様、本当に、怪我の具合は良くなっているのですね?」
「それは、もちろん。そろそろ訓練に戻ってもいいんじゃないかって、医者からは言われてるよ」
アーサーのぎこちない頷きに、アリスはほっと息を吐いた。
「分かりました。では、罠をひとつ仕掛けて、王前祭初日の警備が終わったら、私は騎士をやめて淑女に戻ります」
「わ、罠? アリス、一体何をしようとしてるの?」
「内緒です」
立てた人差し指を唇の前に持ってきて、いたずらににっこりと笑う。そうすればアーサーは、うっと肩をすくませるのだ。どうやらアリスの笑顔に弱いらしいと気付いたのは、随分前のことである。
本当は罠を仕掛けたら終わりにしていいのだが、どうしても王前祭に参加してみたかったのだ。
ヘンリーと一緒に見た町は、とても美しかった。町並みはもちろんだが、たくさんの人々が交差する大通りや、賑やかな声、楽しそうな表情。すべてがアリスにとって美しい光景だった。
もしも王前祭当日ならば、もっと素晴らしいに違いない。
二度と見れないかもしれないその場所を、一度でいいから足を踏み入れておきたい。
「王前祭の警備は、ヘンリーと一緒だったよね」
「はい。そうです」
「分かった、初日だけだよ。危険なことがあったら、ちゃんと彼を頼ること。無茶をしちゃダメだからね」
「はい。もちろんです」
納得しているのかしていないのか、アーサーはイマイチ信用ならない顔で瞬きをした。
「ということは、ヘンリーとは案外上手くやってるのかな?」
「まあ、お兄様のご友人ですし……」
仲を壊すことをしてないだろうなとか、失礼なことをしてないだろうなとか、そういう確認だろうか。
アリスは視線を宙に滑らせつつも頷く。
アリスなりに上手くやっているつもりだし、アーサーとの仲も保っていると思う。自分の剣を投げ捨ててアーサーの心配をするとか、膝枕をするとか、人にぶつかりそうだからと腰を抱くとか。
少々、スキンシップが激し目のところもあるが、それがアーサーとヘンリーの付き合い方というならば何も言うまい。
「それは良かった。ヘンリーはいい人だろう?」
「そうですね、お兄様のことを大切にしているなと感じます」
「ああ、そう……。まあ、今はそれでいいか……」
アリスの回答が腑に落ちないようだった。
よく分からないが、アーサーはそれ以上何か言ってくることはなかった。ドレスは今の形で製作を進めるよう依頼するね、とだけ言葉を残して、部屋を後にした。
入れ替わるようにしてメイドがドレスを脱がしに来たので、これで話はおしまいと言うことらしい。
普段着のドレスに着替えさせられ終わったアリスは、デビュー用に用意してもらった真っ白なドレスをじっと眺める。
胸元には流れるような刺繍と、控えめなパールの装飾。そして天使の羽のように広がる、ラメの散ったレース。ファセットカットの宝石で作られたピアスとネックレス。ただじっとしているよりも、踊ったり動いたりした方が、本来の美しさを発揮するようなドレスである。
まるで、アリスはそういう人間だろう? と訴えかけられているようだった。
「これは本当に、お兄様が用意してくださったものじゃないんですか?」
絵姿を見ただけのデザイナーが、ここまでアリスの性格を理解するとも思いがたい。絵姿を見ただけならば、もっと控えめの、Aラインのきゅっとしたドレスを作って寄越しそうなものである。
照れ隠しであんな言葉が出たのだろうか。いつか、教えてくれるだろうか。