11、お兄様のお友達と王都の下見に行きます(2)
息の詰まりそうな空間から解放され、アリスは馬車から転げ降りる。ヘンリーは怪訝な顔をしていたが、それどころではなかった。
落ち着かせるために大きく深呼吸してから、顔を上げた。視界に入るのは、鮮やかな赤いレンガ造りの建物。
豪商が主に住まうという第一地区。平民の居住区であるという第二地区以下。どちらもアリスは、初めて足を踏み入れる場所である。
貴族の住まう特別区は、これでもかというくらいに広々としていたが、第一地区や第二地区は、空いた空間は許さないというように、一軒一軒がぎっしりと詰まっていた。
「あっちが大通りかな? 賑やかな音が聞こえるね」
アリスたちが降ろされた場所は静かだったが、ひとつ向こうの道は喧騒で溢れているようだ。
子供の声、男性女性の声、カンカンと何かを打ち込んでいく音。視覚化できるなら、きっとキラキラと弾けているような明るい音だ。
馬車を降りてアリスの後ろに来たヘンリーに、目を輝かせて言うと、ほんのり笑顔が返ってきた。
「王前祭は、国の一大イベントだからな。国民も張り切って準備をするんだろう」
「詳しいんだね」
純粋に感じたことだった。
警護を担当する区域の特徴をすぐさま理解し、アリスに説明してくれた。王前祭だって、国民がどのように感じているかなんて、アリスは考えたこともない。アーサーの王前試合のことで頭がいっぱいだったということもあるが。
騎士だから当然知っている、という限度は超えている気がする。何せ見習いなのだから、そこまで国のことに精通しているとも思いがたい。
まるで何年も前から、国のために務めているような――
「ん? あぁ、そうだな……王前試合や王前祭は、私が小さい頃から楽しみにしている行事のひとつだから」
「へぇ」
楽しみにしているというだけで、問題の起こりやすい区域や特徴などを把握できるものだろうか。祭りだからと、はしゃいでいる姿もイメージできない。
不思議な男だ。
「実際に見てみるのが早いだろうな。おいで、離れないように」
「わ、わかった」
賑やかな声のする方に向かって歩き出すヘンリーの後ろを、アリスはいそいそとついて行く。
アリスはこっそりと、胸を躍らせた。
ブロワ家は騎士の家系なので、王前試合に参加はすれど、王前祭を見て回ることはあまりない。準備期間など、以ての外だ。
静かな裏通りから少し歩けば、大きな通りにぶつかる。聞こえてきた音と寸分違わず、いや、むしろそれ以上に人や物、音で溢れていた。
長い角材を両肩に乗せている男性、大きな布を抱えている女性。きっと、出店の土台作りだろう。他にも、果物を運ぶ女性、その後ろを小さなカゴを持ってついて行く子供。
どこもかしこも、お祭りの準備に精を出しているようだった。
「おや、騎士様、見回りですか? 今年もよろしくお願いします」
「騎士様騎士様、よろしければうちの店に寄っていきませんか?」
「よー、今年は兄ちゃんたちか。随分な男前だなぁ」
騎士服の二人が歩いているのを認めると、住民は次々と声をかけてくる。
ヘンリーが住民の声に応え、アリスもそれを真似て対応する。声をかけてくるのは男性が多い。
というのも、女性はヘンリーとアーサーの美貌に惚れて声にならないようだった。近衛騎士団きっての美男子が二人並べば、一般市民の女性にとっては暴力的なまでの衝撃を与えるらしい。
アリスは感嘆の声を漏らした。
「すごいや……こんなにたくさんの人が、王前祭に関わってるんだね」
「そう。だからこそ、期間中は平和に終われるように、警備をつけている」
結局、毎年何かしら起こってしまうんだがね、と小さく付け足す。
「それなら、今年こそは何がなんでも守らなきゃ」
「……あぁ」
アリスの発言に目を瞬き、そして花が綻んだように微笑んだ。
アーサーのために頑張る気ではいたが、ヘンリーはもっと大きな視野を持っているらしい。それが、騎士なのか。
自身の視野の狭さを少しだけ恥じた。祭りを成功させようとしている彼らのために、ついでに機会があれば、アーサーが活躍するようにしよう。
「まずは、この辺の地理を覚えなくてはいけないよね。メインはこの大通りなの?」
「そうだな、屋台やらが立ち並ぶのは、この大通りだけだ。さっき見たと思うが、裏道は何もなかっただろう?」
「なるほど。人はこの大通りに集中して、裏道は人通りが少なくなるんだね」
人目のつきにくい裏道は、悪さを働こうとしている人間には格好の場所かもしれない。当日は、裏道も気にして見るようにしなければ。
そして裏道の把握も大事だろう。この大通りのように一本道ではないので、きちんと把握してなければ、巻かれる可能性もある。
「逆に、この大通りで騒ぎを起こされるのも面倒だなぁ」
ヘンリーとアリスは、街の様子を観察しながら歩いているが、不規則に動く住民に何度ぶつかりそうになったか分からない。
王前祭が始まれば人はすし詰め状態になるだろうし、こんな所で盗みだの喧嘩など勃発したら混乱は必死である。
顎に手をあてて、考えながら歩いていると、急に肩をぐいと引かれる。
「ちゃんと前を見て歩け。ぶつかる」
「あ、ありがとう……」
「いや…………」
どうやら人とぶつかりそうになり、ヘンリーが抱き寄せて回避してくれたらしい。後ろから肩に手を回された状態なので、背中にはヘンリーの胸板がある。見方によっては、抱擁されているように見えなくもないだろう。
アリスは顔を強ばらせて、そっとヘンリーから離れた。ヘンリーの腕が、所在なさげに宙を浮いている。
外見はアーサーそっくりだが、体型までは真似出来ないため制服で誤魔化している。なので、肩が触れるくらいはなんともないだろうが、ここまで密着するとバレるかもしれない。
そういう防衛意識からだったが、ヘンリーは若干のショックを受けているようにも見えなくない。
「あーっと、……あ、そういえば第一地区とか第二地区の家って、傾斜が急な屋根が多いんだね。こうやって並んでいると、凄い綺麗」
慌てて、話をそらす。
同じような形の家が、大通りを挟んでずらっと並んでいるのだ。
二階建てだが、屋根の傾斜が急で、二階部分は屋根の裏側に隠されるような形。建物の高さに比べて屋根のヘリは低くなっている。赤レンガを使用しているため、色も統一していて、景観が良い。
アリスが住む侯爵邸も凝っており、極彩色の花に囲まれているので外観は美しい。しかし、あれは単体での芸術だ。
第一地区や第二地区は、ひとつひとつの家というよりは、街ごとひっくるめた芸術のように感じる。侯爵邸とはまた違った美しさがある。
「……この国は雨が多いから、傾斜を付けておくと水はけがいいんだ。それに、形を揃えればアーサーの言っている通り、景観もいい」
「機能性と芸術を掛け合わせたんだね。すごいや」
「気に入ったか?」
「うん、とても」
「そうか」
アーサーが守ろうとしている国民、街だ。
アーサーは今、療養のため屋敷に籠っている。アリスが無理やりそうしたとも言うが。
だからアリスが、その分、この街を理解して守る必要があるのだ。
ヘンリーと、当日の動きについて確認しつつ、住民と会話を楽しみつつ、その日の下見を終えた。
帰りもあの馬車だというのだから、アリスは心の中で悲鳴をあげたのだった。