10、お兄様のお友達と王都の下見に行きます
「さて、先日から話しているように、諸君らには王前祭の警備にあたってもらう。今日は、担当する区域を発表する」
バレルの声が響き渡る。
快活な声を耳に入れながら、アリスは配られた用紙に目を落とす。
描かれているのは王都の地図で、かなり広い範囲で行われるようだった。城のすぐ近く、貴族や豪商の住まう区域から、道を下って平民の住まう区域まで。
バレルの言っていた担当の区域は、丸印で区分けがされている。その丸印の中に担当ペアの名前が書いてある。
「ほう。私たちは、第一地区と第二地区の間か」
アリスの持っている紙に、影がさす。同時に、柔らかな声が耳をくすぐった。
「ちょっと、急に来られると驚くんだけど」
「驚いたって顔してないよな」
ヘンリーだった。
頬と頬がくっつきそうなほど近付いて、手元の地図を一緒に覗いている。
顔には出ていないが、さすがのアリスだって驚いている。ほとんどを屋敷の中で過ごし、異性と関わる機会なんてそうそうないのだ。
この間から、名前を呼んだり膝枕してきたりこんなに近づいてきたり。男性というのはこんなにもパーソナルスペースが狭いものだろうか。
それともやはり、アーサー限定なのだろうか。
遠い目をしたとき、バレルが言葉を続けた。
「警備もそうだが、何をするにも『立地を理解する』というのは重要事項だ。ということで、今日は担当区域を実際に見てくるといい。開催目前ということもあって、そこかしこで盛り上がっていると思うぞ」
「おお」という、思わず口から出てしまったような、呟きの歓声が湧いた。彼らの纏う空気も、心做しかウキウキしているように感じる。
訓練で明け暮れる日々を送る彼らにとって、王都に下りてゆっくり歩いて回るということが、中々できないのだろう。
立地の理解、というのは、警備を行うにあたって重要なことなのだろう。知らぬ所に急に放り出されても、何かが起こった場合に、立ち回ることが難しいからだ。
その中に少しだけ、たまには厳しい訓練から離れて、羽を伸ばす時間も必要だという意味も込められているような気がした。
これまで頑張って訓練に参加してきたアーサーに、アリスは少し申し訳なく思う。ヘンリーと一緒に、これから守っていく場所を見たかったのではないだろうか。
それでも、王前試合に参加できなくなるよりは、まだいい方法を取っていると思いたい。
「アーサー、私たちも行こうか」
「うん」
続々と王城の外に向かっていく列から、だいぶ遅れてついていく。
「第一地区と第二地区の間は、一番問題が起こりやすい場所だ」
歩きながら、独り言のように呟いた。アリスは、そうなのか、と返事をせずに黙って聞く。
王都では強制ではないが、身分である程度居住場所が決まっている。特別区は、貴族の邸宅。第一地区は、豪商の家が主に立ち並び、第二地区以下は、平民の居住区となっている。
つまり、アリスとヘンリーが警備するのは、豪商が住まう区域と平民が住まう区域の境ということだ。
貧困街であればヘンリーの主張も分からなくもないが、なぜ第一地区と第二地区の間で問題が起こりやすいのか。
「第一地区は、衛兵がいつも数人体制で警備しているのは知っているか?」
「え? あぁ、うん」
知らないけれど、アーサーはきっと知っているはずなので適当に返事をする。
それとこれとでどういう繋がりがあるんだろうか。
「だから普段は、あまり犯罪が起こらない。だが、王前祭が始まると道が埋まるくらいの人でごった返すんだ。そうすると、どうなると思う?」
「……警備の目が、行き届きにくくなる?」
「そういうことだ。第二地区以下は、言い方は悪いがゴロツキがわんさかいる。第一地区に足を踏み入れるタイミングを、目を光らせて待っているだろうよ」
なるほど。それで第一地区と第二地区の間は、問題が起こりやすいのか。
王前祭という盛り上がりを利用して、第一地区に潜り込み、悪さを働く。人が多ければ、衛兵の追跡もままならない。立地を理解しているゴロツキの方が、圧倒的に有利だろう。
「毎年、何かしら騒動がある区域だ。ここに配置されたということは、腕を見込まれているということでもある。心してかかれよ」
アリスは頷いた。
これは、ただでさえ高いアーサーの名声を、さらに高めるチャンスかもしれない。平和なのが一番ではあるが、万が一騒動が起こった場合に、颯爽と悪者を捕まえるヒーロー。
かっこいいじゃないか。
「そのためには、まずは街並みを見ておかないとね」
「……まぁ、半分は、王前祭の雰囲気を楽しんでこいよということだろうから。気張りすぎも良くない」
一瞬で意見を覆しすぎではないだろうか。
つい三秒前まで、心してかかれと騎士らしいことを言っていたはずだ。それともアリスのまとう空気が硬すぎたのか。
要するに、今回はほどほどにと伝えたいらしい。難しい課題である。
アリスは口をとざすことで、返事をしておいた。
■
アリスたちが警備をする区域は、王城から離れている場所にある。徒歩でいけば、一時間はかかるだろうか。
そのため、馬車を使って目的地まで行くことになる。大通りは人が多いので、小さめの馬車で裏道を使うらしい。
そのことにアリスは胸をなでおろした。さすがに、一時間歩きっぱなしは辛い。
普段第一地区あたりを警備している衛兵は、王城から歩いていくというのだから驚きである。
嬉々として馬車に乗り込んだのだが、ひとつ誤算があった。
「……ねぇ、近くない?」
「仕方ないだろう。そういう馬車だ」
裏道を通る用の馬車ならば、もちろん馬車の中も狭い。
乗り込んだところ、男二人――アリスは女だが――入るのが精一杯の空間だった。
肩がピッタリとくっつき、相手の一挙一動が触れたところから直に伝わってくる。
できる限りの抵抗として、身を縮こまらせて触れないように頑張ってみるが、大した意味を持たなかった。ヘンリーの見た目に反したがっしりとした筋肉が、呼吸をする度にアリスを刺激する。馬車が揺れれば、太ももが擦れる。
(異性とこの状態って、淑女としてどうなの!? いや、今は男だけど!)
何度でも言うが、ヘンリーは見とれる程に端正な顔立ちをしている。筋肉もしっかりついていて、あの剛剣だ。アリスは、アーサーのように強い男は嫌いではない。
そんな人物とこんな近距離でいれば、アリスの気持ちは落ち着かなくなる。この緊張が、ヘンリーに伝わってしまうかもしれない。
恐る恐る、ヘンリーの方に視線を向けてみて、拍子抜けした。
ヘンリーは何も感じていないのか、興味がないのか、黙って窓の外を眺めている。
(それもそうよね。これは仕事だし、男二人詰め込まれたところで何もないか)
アリスが女である事を抜きにしても、ヘンリーはアーサーをそういう感情で見ているのだと思っていた。こんな狭い空間で二人きりとなれば、何かが起こってもおかしくないと考えていたのだが。
だがそうではなく、これが男性同士のスキンシップなのかもしれないと、今までの彼の行動に納得をする。
そこでやっとアリスは落ち着きを取り戻し、ヘンリーと同じく、動きゆく街並みを眺めることにしたのだ。
だから最後まで、ヘンリーの耳が真っ赤に染まっていることに、気づくことはなかった。