10、幻想
1時間後にやっと夜は魚系の料理がいいですと言うので、じゃあ買い物にと言うと執事が現れてあっという間に出て行った。もやしと2人部屋に残される。
「美桜さんひとまず着替えますか?僕があのまま連れて来てしまったので。その後、荷解きを手伝いますよ。」
「じゃあお言葉に甘えて。」
とおずおずと服ばかりの部屋に入る。壁にはズラーっと服が並び中央にもふもふとした毛束の白い絨毯とスツールと鏡が置かれている。
私は壁にかけられている服の中からシンプルなシャツとズボンを選んだ。靴下や下着も箪笥の中に入っている。サイズピッタリで、もうここまで来たら怖いより便利な気がしてきた。何でも知ってて何でも揃えてくれるもやし。
「お待たせしました。」
「わあああ可愛い!シンプルな装いが美桜さんの美しさ、可憐さをより引き立てるね!」
あなたのTシャツとジーンズという装いとそんなに変わらないが…。
「美桜さんじゃあ荷解きしましょうか!服関連は触らないようにしますね。じゃあ僕はこちらを。」
とキッチンと書かれたダンボールを開け始めた。私はさっきの部屋に戻って服や下着を片付ける。ていうかちょうど私が持って来た衣類分だけ箪笥や壁にかけられるスペースが空いている。便利だなぁ。衣類はダンボール2つなのですぐに終わってリビングに戻ると、もやしはいないがガタガタと音がするので他の部屋に荷物を入れてくれているようだ。残っているダンボールは父と書かれたダンボールのみ……。これは玄関のクロークの奥に入れておく。
私は一足先に荷解きを終えてキッチンを確認し始めた。調味料は勿論、お米や乾物、缶詰等、日持ちする物がたくさん入っている。
「朝ごはんはおにぎりにしよう。」
父さんのせいで3食しっかり食べる体になってしまった。炊飯器は…なんだか…分からないけど…美味しく炊けそうな感じのやつだ。スイッチ押すだけだし大丈夫でしょ…うん…大丈夫…でしょ。
味噌汁も作ろう。ワカメだけでも美味しいし。なんだか楽しくなってきたぞ。
「美桜さんはお料理が好きなんですね!」
いつの間にかもやしが満面の笑みで隣に立っていた。
「好きですね。食べる事が好きだったので。」
「だった?」
不思議そうに言う。
「昔、太っていていじめられた時に色々言われたんです。そんな時庇ってくれた男の子に酷い事を言った子がいてそれから痩せようと頑張って…。昔の話です今は普通に食べられるし。」
そうだ昔…あっくんは庇ってくれただけなのに色々言われて…私はそれがとてもショックでそれからあっくんは私を庇ってくれなくなって…。
そうだった思い出したあっくんは庇ってくれなくなったんだ。どうして忘れていたんだろう?
でも自分で蓋をしたのかもしれない見たくないことに思い出したくないことに蓋をした。それで理想のあっくんを作った。
「美桜さん僕が居ます。僕は何からもあなたを守ります。だから他の男になんて囚われないで。」
私の手を握って言う。
「ふふそんな類の話じゃないですよ。ただ子供だっただけです。」
「僕は君を助けたいんです。だから昔の事だろうとあなたを傷付けるものは全て排除します。」
「優しいんですね。私は何も返せていないのに。」
「美桜さんはここに居てくれるだけで良いです。ここで安心して過ごしてほしいです。美桜さんは僕の最愛の人なんです。」
真面目な顔をして私に言う。もやしのこんなストーカー発言も今は怖いというよりただ嬉しい気がした。私の事をこんなに考えて想ってくれる人がこの地球上に存在するという事自体が嬉しかった。
この日は父さんがいなくなって初めて安心して眠った。
「何故?どうして?」
いざ就活!と始めたけどほぼ100%書類で落とされて書類が通っても面接の日が来る前にお断りの電話がかかってくる。でも就活を初めて2週間、1社も面接に辿り着けないなんて。
「何故?どうして?酷い。」
私はベッドに飛び込んだ。履歴書を書いても書いても無駄になっている気がする…。
「アルバイトさえも受からないなんて…。」
不況か?不況だからなのか?やめようネガティブ思考に陥っている。少し気晴らしに図書館へ行く事にした。いじめられていた時も両親が喧嘩していた時も友達が居なくて教室に居場所がなかった時もいつも図書館だけが私の居場所だった。
外はもう夏真っ盛りで暑く汗をかきながら図書館を目指す道中スーパーでお茶を買って飲んだ。熱中症で倒れないように気を付けてくださいともやしが毎日お小遣いをくれるのでちゃんと言う事を聞いて飲み物を飲むようにしている。
ピロリンという音がして携帯を見る。もやしからのメッセージで、今何してるんですか?僕は仕事中です。という数時間毎の定期連絡だ。もやしは私の事を全て把握しておきたいらしい。今から図書館へ行きます。と返信しておく。ちょうど図書館についたので音が鳴らないように設定してから中に入り怖い話のブースに直行する。結局、いつも最初はここに来てしまう。つーっと指で本をなぞりながら選んでいると、ぼおっとしていたのか人と当たってしまった。慌てて小声で謝る。
「すみません、少し集中していて。」
と顔を見上げると敦だった。でもいつもの格好とは違って普通に年相応のカジュアルでオシャレな格好だ。上から下まで真っ黒なのはスーツ姿と変わりないが。大きいサイズのTシャツにスキニータイプの黒のジーンズに黒の革靴を履いている。この前買った服の中にはなかった物だ。という事は私服?
「美桜ちゃんこの間はどうもね。」
低い声で囁く顔は怒っているが、私には何故こいつが怒っているのか分からない。
「ホテルに泊まれて良かったでしょうが。」
「そうかな。」
今日は語尾を伸ばさずゆっくり話さない。あれはキャラを作っていたのか?
「何が言いたいの?」
私は睨みながら言う。敦はヘラヘラと笑いながら言う。いつもと笑い方さえ違う。
「俺はホテルに行ってないって事。」
「へえそう残念ね。」
「あの2人は嘘をついてるって事だよいいの?」
「それはそうだけど、あんたも家に帰れないという嘘をついた事になるわよ。同罪じゃない?」
「へえじゃあ俺も許してくれるんだ?」
嘘をついたと認めたな。敦が距離を詰めて来るので少し後ずさり気が付いた。しまったこちらは壁側だ。しかも怖い話のブースは図書館の1番奥で誰も来ない。
「ええ私は皆に優しいから。」
「そっか。偉いね。篤輝さんは優しい?」
「ええ優しい。」
もやしの名前を知っているのか。どういう関係?いやこいつが一方的に知っているという可能性も捨てきれない。
「俺はもっと優しくしてあげるよ。」
とうとう背中に壁が当たった。もう逃げ場はない。
「どうしてあんたに優しくしてもらう必要があるの?関係ないでしょ。」
敦がむっとして顔を近付けてきて耳元で囁く、時折耳に当たる唇がくすぐったい。
「だって俺あっくんだもん。君のあっくん。俺の事をあの頃からずっと想い続けてくれてたんでしょ。可愛いねそんな子初めてだよ。俺を好きなんでしょ付き合ってあげるよ。嬉しい?」
敦はニコニコと笑いながら私を見て言う。さっきまでの怒りは消えたようでキラキラと瞳を輝かせている。
あっくん…私のあっくん…そっかやっと分かった。そうだったんだ。
「……あっくんは嘘をつかないし、あんな血まみれになるような仕事もしない。」
「でも俺は君を昔から知ってるし、君のあの写真のあっくんだと証明できる。君、昔は今より太っててお母さんが出て行ってから余計にいじめられるようになった。何より君と同じ写真を持ってる。いじめてた馬鹿共の名前も言える。」
私は敦の話を遮って言う。
「分からない?あっくんはあんただったけど、もうあんたじゃないの。私のあっくんなの。」
「あ?何それ?」
敦が低く威圧的な声で問う。
「あっくんは私が作り上げた私だけのあっくんなの。その元があんただろうともう関係ないの。ただの偶像っていうだけあっくんは私の理想。男としてじゃない人としての理想なの。それがあっくんという名前っていうだけ。あんたに心があるとか好きとかそういう事じゃないの。」
敦を真っ直ぐに見上げる。敦は不機嫌そうに、
「何それ?俺に価値はないって言いたいの?」
と私を射殺そうとしているのかと思う程睨んでくる。
「そうじゃないわ。あんたの事そんなに知らなかったし。ただ私のあっくんはあんたじゃないっていうだけ。あんたがあっくんでもあんたに興味はない。あっくんは私が作った私だけのもの。」
「何それ?意味分かんない。俺が付き合ってあげるって言ってるのに!あっくんなんだよ。人気者だったあっくんが底辺のお前と居てやるって言ってんの!」
「申し訳ないけど何を言われても私はあんたに興味無い。ごめんなさいね誤解させちゃって。私も今分かったから本当にごめん謝る。じゃあもういい?帰るから。」
と横を抜けようとするとグッと腕を掴まれる。そういえばもやしは殆ど私に触れない、触れたとしてもこういう風に強く掴んだりは絶対にしないだからもやしといると安心できるのかもしれない。この人は私を傷付けるような事をしないと思えるのだと思う。だからこそこんな風に乱暴に私に触れる敦はあっくんに相応しくない。
「……やだ。俺1人なんだよ。誰も傍に居てくれなくて寂しいよ。少しの間だったけど君といてなんだか幸せで。ねえ俺と一緒に居てよ。お願い。」
敦が顔を伏せ私の腕を掴んだままズルズルと膝をつき許しを乞うように言う。
「それって私じゃなくていいでしょ。あのもやしは私がいいと言ってくれるの。」
と静かに言うと敦は私を見て諦めたように腕を離す。私が歩き出すとまた私の前に立ちはだかり捨て台詞を吐き捨てた。
「ねえ美桜ちゃん、篤輝さんは君の事を誰から聞いてると思う?知りたかったらここに来て。」
と私の手に紙を握らせ微笑みながらフラフラと歩いて行った。
「誰から?ってどういう意味?」
紙には住所が書かれていて顔をあげるともう敦はいなかった。