キミはもう逃げられない〜聖女として呼ばれた平凡女子〜
前作での旅の様子になっていますが、これだけでも読めると思います。
拙い文ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
瀬田伊織は異世界人である。
剣や魔法といった、ファンタジー感溢れる世界とは別の世界から喚ばれた少女である。年の頃は十六で、特別目立つ所の無い極々平凡な容姿と能力しかない。しかしながら彼女はどう言う訳か世界を救う聖女様として、女神に選ばれた。
黒髪茶目と言った色彩は、青や緑、金色といった極彩色が多いこの世界では目立つもののそれだけである。
伊織はいつもの様に学校へと行く為に玄関の戸を押し開けた。その先には燦々と照る太陽と、犬の散歩をするご近所さんがいるはずであった。
しかし彼女が見たのは白塗りの壁に金色の装飾が為された、荘厳な室内。足元には僅かに発光する幾何学模様の魔法陣らしきもの。壁には暖かな光を発する石があり、伊織を中心にして周りを取り囲む黒いローブを纏った人々がいる。
「はっ、なに………?」
思わずついて出た科白は疑問。
当然だ。誰が玄関を開けた先でこんな黒魔術の儀式の真っ只中に出ると思う。しかも、こんな部屋のほぼ中心に。
突然の事に惑う伊織を置いて、周りは「成功だ!」やら「聖女様がおいでになられた」だとか言う。聖女とやらに覚えの無い伊織は更に混乱する。彼等の視線の先に己が居ると分かっていても、そんなはずは無いと心の内で否定した。しかし無情にも、一際高そうな服を纏った壮年の男が放った一言で伊織のまさかと言う疑念は確実なものとなった。
「良く来たな、聖女殿。我が国は、其方を歓迎しよう!!」
伊織を指して聖女というこの男、身なりと周囲の言動からこの国の重鎮であるらしい。もしかしたら国王である可能性も高い。
しかし男の言葉すら理解を拒否した伊織は呆然と周囲を見渡すのみで、言葉を発する事が出来なかった。
まさかこんな、創作物でありそうな展開が我が身に降りかかるなど誰が思おうか。しかし現実は無情。
伊織は周囲を取り囲まれたまま、世界を救えと強要される。そこには伊織の意思も人権も、拒否権すらも無く。
瀬田伊織は、異世界から召喚された聖女として、知りもしない世界を救う旅へと強制的に送り出されたのだった。
◇◇◇◇
「はぁっ!!」
気合と共に突き出された拳は寸分違わず急所に入り、魔物は苦鳴を漏らす事なく光の粒子となって消えていった。それを見届けた後、周囲に残党がいないかを確認すると先程ので最後であったらしい。伊織はふうっと詰めていた息を吐き出すと、グローブを嵌めた手を軽く振って身体を解した。
すると背後から剣を鞘に収める音が聞こえ、続いて低く艶やかな声が掛かる。
「イオ、お疲れ様。大丈夫かい?」
「はい。ジークフリード様もご無事で?」
「問題無いよ。それと、俺の事はジークで構わないと言っているのに」
「いえ………。流石に王族の方を愛称で呼ぶのは憚られますので………」
「イオは真面目だなぁ」
クスクスと笑う目の前の偉丈夫は、伊織が召喚された国の第三王子である。伊織よりも二つ年上の彼は、名をジークフリード・レイズ・ヴァージニアという。
ジークフリードはこの世界では珍しく、また膨大な魔力を持つという証である黒髪と赤い瞳の色彩を持つ。しかし魔法だけではなく剣の才覚も持つ青年は聖女の護衛として選ばれた。容姿もずば抜けて良く、性格も温厚で心優しいときた。当然世の女性が放って置く訳もなく、行く先々で秋波を送られていた。
そんな彼を次の王にと言う声があるも、それら全てを跳ね除けて第一王子で皇太子でもある兄の補佐をする事を選んだと言う。第一王子もこれまた優秀な人物で、政ではその手腕を既に遺憾無く奮っているらしい。第二王子も少々脳筋な所が有るが、しかし騎士団の団長を務める程剣技の才に恵まれていた。あの王からここまで優秀な王子が出来るとは、と伊織は思うが王妃が才能溢れる人であった様なので、そちらの血を色濃く受け継いだのだろう。
因みにイオ、とは伊織という名を発音しずらかったらしいこの世界の人が呼ぶ名である。
「ジーク様、聖女様! お怪我はございませんか!?」
その時、鈴のなる様な美しい声が二人に掛かった。
そちらへと視線を流せば、腰ほどまで有る癖のない黄金色を靡かせ、空色の瞳に心配そうな影を宿した美少女が駆け寄って来る所であった。身に纏うのは白を基調とし、青と銀で刺繍がされた神殿の神官服である。セレナ・リリィと言う、伊織よりも一つ年下の巫女だ。
彼女は秀でた法術使いで、何よりも信心深い。歳も近いという事と、優秀な人材である事からセレナが神殿より遣わされた。性格も慈悲深く、健気でお淑やかで有る為、旅の仲間以前に庇護の対象として見てしまう。
何よりも伊織がこんな美少女を戦わせてたまるかと、彼女を庇うことの方が多かった。
「私は大丈夫」
「俺もだよ。君こそ、怪我は無いかい?」
「私は皆さんが庇って下さいましたから、何とも。あ、ジーク様! 頬から血が出ております!!」
「ん? ああ、これくらい擦り傷さ」
「いけません! どの様な傷であっても、直ぐに治療しなければ!」
「大袈裟だよ………」
そこで初めてジークフリードの頬から微量ではあるが、出血がある事に気付く。旅をして、尚且つ魔物との戦闘をしていれば大なり小なり傷は付く。それ故にジークフリードの言う通り、擦り傷であれば皆気にも留めない。だから伊織も特に気付かなかったのだろう。まあ、気付いた所で回復薬を渡すか治療をしてやるくらしいか伊織にできる事は無いのだが。
しかし血生臭いものとは無縁で過ごしてきたセレナには、その程度の傷であっても見逃せないものらしい。血相を変えて法術を行使している。
正直なところその程度で貴重な魔力を使って欲しくは無いのだが、どうせ言っても無駄であるなら余計な労力は使うべきでは無い。伊織は二人の世界を作り上げ始めた彼等からさっさと離れると、同じく戦闘後で身体を解していたその他の旅の仲間達へと足を向けた。誰も好き好んで馬に蹴られたあとは思うまい。
伊織が聖女として召喚されて五年ほどになる。
どうしてそれ程時間が掛かっているのかと言えば、魔王を封印又は滅する為の力を世界各地に点在する神殿を訪れて手に入れなければならなかったからだ。ゲームの中では凡そ一年でラスボスまで行っていたが、現実だとそうはいかない。既に成人した伊織は、酒の味すらも覚えてしまった。
常日頃から元の世界に帰ると豪語しているものの、しかし記憶は既に薄まりつつある。生死をかけた日常が、あの平穏な日々を塗り替えていく。それが恐ろしくて仕方なかった。両親を、兄や妹を。友達の声や顔が次第に朧げになっていく事に、伊織は何度叫び出したいほどの恐怖に駆られた事だろう。帰りたい、早く。けれど、いつ?
そればかりが伊織の胸中を駆け巡り始めた頃に、ようやっと最後の神殿で聖女としての光の力を完成させた。後は魔王城に住まうこの世の災厄である魔王を倒すのみ。今はそこへ向かう途中であった。
伊織は気を紛らわす様に頭を振ると、近くで剣の様子を見ていた傭兵の男へと声を掛けた。
「ハンス! 怪我は無い?」
「おー、イオ。ははっ、見ての通りオレはどうもねぇよ。お前は………、いや、あの王子様が居てお前に怪我がある訳ねぇか」
「それならよかった! でも、ジークフリード様がどうかしたの?」
「あー、気付いてねぇならそれでいいさ。それにしても、相変わらずだなあの二人は」
「んー……、まあね」
ハンス・ガルムと言う男は旅の道中で魔物から助けてくれた傭兵だった。無精髭を生やし、焦げ茶色の長髪を適当に纏めた襤褸を纏った男は当初は随分と怪しかった。しかし身なりを整えると随分と男前で、どうやらとある国で軍の上層部にいた事も有るらしい。気さくでお人好しの男は、旅の仲間の兄気分として良く面倒を見てくれる。だから伊織も彼には随分と懐いていた。
そのハンスが言う二人とは巫女と王子様の事で、二人が並ぶと物凄く絵になる。それに一度二人の世界に入ると恋人同士の様な雰囲気を纏うのだ。それには流石に辟易するも、巫女に想いを寄せる他の者達がこぞってその雰囲気を壊しに行くので、甘ったるい空気はすぐに霧散する。
しかし傍目からでも両思いだと言うのに、彼等はまだ仲間の域を出ていない。何故かは伊織の預かり知らぬ事ではあるが、さっさとくっついて欲しいというのも本音である。
「ま、オレはお前が気にしないならそれでいいさ」
くしゃくしゃと頭を撫でられて、伊織はわっと短い悲鳴を上げた。それにケタケタと笑うハンスに剥れてみせるも、直ぐに機嫌を治してハンスのしたい様にさせる。
伊織と巫女であるセレナは良く比べられる事が多い。
年は一つしか違わず、性別も同じ。女神に選ばれた聖女と神殿の巫女。似た立場の二人は仲は良好であるが、しかし周囲はそんな二人を放って置かなかった。平凡な見目の聖女よりも、可憐な美少女である巫女。どちらが聖女に相応しいかと良く仲間内でも言われていた。それに何処に行けどもセレナを聖女と勘違いし、伊織はそのお付きと間違われる。髪を短く切り落とし、格好も簡素で少年の様な出立であれば皆がセレナを聖女と勘違いするのも無理はない。
それに戦い方も魔石を嵌め込んだ杖を媒体に術を行使するセレナに対し、聖女の証である光の気を拳や脚に纏わせた肉弾戦を主にする伊織では仕方ない。だから皆がか弱そうなセレナを庇うのは必然で、重傷を負わない限り伊織は心配などされた事は無い。例外は聖女の護衛と言う重責を担うジークフリードと、兄貴分のハンスくらいか。
セレナは容姿も性格も、どれを取っても申し分ない。同性にすら憧れを持たれる。故に仲間の男性陣が彼女の寵愛を競うのも無理はないだろう。
だが件の神殿前でセレナを同行させるか否かで揉めるのはやめて欲しかった。危険が付き纏うのはいつもの事だろうに、彼等は伊織の事など考えてもくれない。その為伊織は彼等が揉めている間に一人で神殿に入り、そこに巣食う魔物を倒して番人にその力を示していた。それはハンスが仲間となるまで続き、彼等が揉めているから仕方無しに一人で行っていたと言うのに、何故か危ないから一人で行くなと小言をもらう事になっていた。
何度パーティーを解散し、巫女と王子様を国に返して一人で旅に行こうと思っただろう。己と巫女の扱いの差に思う所がなかった訳ではない。しかし伊織とてセレナを隠れ蓑にしているという負い目があるので、それは言い出せなかった。
だがそれもあと少しで終わるのだ。
魔王城は直ぐそこまで、という所まで来ている。ハンスという理解者も得た。だから伊織はこの茶番を繰り広げられても、笑って流せるのだ。
だが伊織は気づかなかった。ハンスと伊織が兄妹の様に戯れているその様を、笑顔でセレナの話を聞きながらどろりとした暗い瞳でジークフリードに見られている事など。何も。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。