おどけ悪魔は寡黙魔女を理解できない②
リリウムの片思い中発言のショックでこの三日間、あまり眠れなかった。おまけにストレスと天敵への恐怖心で胃が痛い。
今日の実習で狩る予定のアリ型の魔獣は、ミスティル達小悪魔を食す天敵である。事前に説明は受けていたし、承諾はしていた。とはいえ、いざ戦場に立ってみると天敵はやはり怖い。凄く怖い。皆の魔力が切れる頃まで偵察役をする事になったが、早く交代して魔力の回復役という名の裏方に回りたい。
近くに気配を感じるだけで総毛立つ。これは本能なのだからどうしようもない事だ。
しかしジョーカーたるもの、それを周囲に勘付かれてはいけない。
見晴らしの良い丘の上でふわふわと浮遊し、時には一回転を加えながら、見た目はふざけた態度で、しかししっかりと魔獣の姿を探す。
それにリリウムの意中の相手を見つけるという大事な使命(?)もあるのだ。怖じ気づいている場合ではない。普段はポーカーフェイスを極めし彼女であるが、きっと意中の相手の前では少しくらい表情を崩すはずだ。偵察の合間に、彼女が隣クラスの生徒とすれ違う度にその表情を目ざとくチェックする。
……一体どの生徒なのだろうか。
小悪魔は力が弱い分、他の小悪魔種族と協力して情報を収集、共有する事が多い。人々の苦悶の表情よりも笑顔を好み、また上級悪魔の前に堂々と姿を現すジョーカーは小悪魔界の変わり者種族と称されてはいるものの、別に他の小悪魔達に嫌われている訳ではない。ゆえにミスティルは生徒の使い魔をしている小悪魔や、学園の周辺に住む小悪魔達としばしば学園に関する情報を交換している。その情報の中には生徒や先生についての情報も多い。
(隣クラスで女子に人気の男子と言うと、人狼のルアル様か、人間の魔法使いのアズライト様辺りですかね……? それとも堕天使のネメシア様か、はたまた竜族のアグニース様か……)
そんな事を考えながらふわふわと偵察を続け、「こちらは異常無しですねー」と一度地面に降り立つ。するとリリウムに不真面目な態度を窘められた。
「お疲れ様。……けどもうちょっと真面目な態度で偵察出来ないの……?」
「何をおっしゃいますかお嬢様! ジョーカーに真面目さを求めるなど、存在意義否定も良いところでございます!」
いつものように軽口を返す。だが戦場でふざけていたら怒られるのは当然の事だ。場合によっては契約相手であるリリウムまで周囲に責められかねない。ゆえに、「それに、偵察の仕事自体はしっかりとおこなっておりますのでご安心を。一応ワタシの命が掛かっておりますので」と、彼女を心配させぬよう、自分の仕事はきちんとおこなっている事を伝える。
胸に手を当てて深々と一礼し、「ではワタシはこれから東側の偵察に参りますね」と言って去ろうとすると。
くい、と袖を引っ張られるのを感じた。振り向くと、リリウムがどこか神妙な面持ちでミスティルの袖をちょこんと掴んでいた。
その仕草がたまらなく可愛い。
ミスティルの顔を見上げている分、若干上目遣い気味なのも愛くるしさに拍車を掛けている。
身悶えしたくなるのをなんとか抑え込み、「? いかがなさいましたかお嬢様?」とさらりと尋ねる。――内心がうっかり顔に出ていない事を祈りながら。
「……あのね、怖ければ無理に参加しなくてもいいからね……?」
思いがけない言葉にミスティルは一瞬きょとんとしたが、すぐに「はは、お嬢様はお優しいですねぇ」と再びへらりとした笑みを浮かべた。
「ですが命懸けのゲームすらも楽しめるのが一人前のジョーカーというものなのですよ。ハラハラドキドキでスリル満点、とても面白そうでしょう?」
「そ、そう……。私にはちょっと理解出来ないけど。私は危険が及ばずに済むならそれに越したことはないと思うけど」
「おやおや、お嬢様には冒険心がございませんねぇ。そんなんじゃ立派な冒険者にはなれませんよ?」
「私、別に冒険者志望じゃないんだけど。将来は魔法薬や魔法アイテムの研究開発の職に就きたい」
「これはまた堅実な将来設計でいらっしゃる。生真面目な貴女らしいですねぇ」
へらへらと笑いながらいつもの軽口を叩くが、内心は全くもって違っていた。
――なんたる事だ。天敵に怖じ気づいているのが彼女にバレてしまっていた……!
一人前のジョーカーとして失格である。いや、それより何より、彼女に情けない腰ぬけだと思われてしまったかもしれない。
この実習の内容説明を聞いた時から、本当は行きたくなんてなかった。天敵との戦いなんて嫌だった。怖かった。
だがリリウムに格好悪いところを見せたくなかった。一人の男として、好きな女性の前では見栄を張っていたかったのである。
ミスティルが人知れず一人打ちひしがれていると。
「やあ、魔力を回復出来るジョーカー君というのは君かい? ……あれ、リリウム?」
二人が声のほうへと振り返ると、堕天使の男子生徒が立っていた。――隣クラスの四大モテ男子の一人、ネメシアである。
「ネメシアさん……!」
リリウムはその青の瞳をぱっと輝かせた。頬もみるみるうちに紅潮していく。
……どうやら彼がリリウムの片想いの相手と見て間違いないようだ。
わかりやすい事この上なくて非常に助かる。非常に助かるのだが、これはこれで少し……面白くない。
「あ、もしかしてジョーカー君ってリリウムと契約した悪魔なの?」
「う、うん、か、仮の契約ではあるけど……」
――『リリウム』と呼び捨てにするような間柄なのか。そうなのか。
「へー、そうだったんだ。実は俺、魔力切れしちゃってさ、魔力の回復をお願いしたいんだけど、いいかな?」
「あ、ごめん、ミスティルはまだ――」
「申ーしわけございませんが! ワタシにはまだ偵察の仕事が残っておりますもので!」
仲良さげに喋っている二人を引き離すようにわざと割って入る。恭しく一礼し、形だけは丁重なお断りをする。しかし。
「偵察は俺のクラスの奴に代わりにやってもらうからさ。頼むよ、今回の魔獣は攻撃魔法でないとまず倒せないからね」
どのみちもうすぐ交代の時間である。それまで代理を立ててくれると言うのならば特に問題はなかろう。それに一秒でも早く裏方に回りたいミスティルとしては、本来ならばありがたい申し出であった。――そう、本来ならば。
はっきり言って、恋敵の魔力の回復などしたくはない。したくはないが、戦場でそんな事を言っている場合ではないのもまた事実。ミスティルはしぶしぶ首を縦に振る他なかった。
「……わかりました。ですが、お湯を沸かすのに三十分程掛かりますので、それまでお待ち下さいね」
「え、湯を沸かすのにそんなに時間が掛かるのか……?」
「最初からお湯や紅茶の状態で出すことは出来ないの……?」
「ワタシは弱小種族の小悪魔ですから、それほどの魔力は持ち合わせていないのですよ」
――実を言うと、頑張ればもう少しだけ時間を短縮する事が出来るのだが、それだと魔力を多めに使わねばならない。それにあまり真面目に働きすぎるのはジョーカーとして相応しい振る舞いとは言えない気がする。うん、きっとそうである。決して恋敵の為に頑張るのが嫌だからという訳ではないのである。
そんな風に自分自身に言い聞かせながら、ミスティルは水の入ったやかんと、とろ火レベルの小さな火の玉を魔法で空中に作り出し、火の玉の上にやかんを乗せた。
「そもそもこのやかんの水、そのまま飲んじゃダメなのか?」
「それだと効果が無いのですよ。小悪魔の魔法というのは上級悪魔の方々の魔法と違って融通が利かないものでして」
上級悪魔の血を引くアナタとは違ってね、と心の中で呟いて。
「ふーん、そういうものなのか。なら仕方ないな」
それじゃまた三十分後にここに戻ってくるよ、と言い残してネメシアは去っていった。
彼の背中が遠くなり、こちらの声が届かない距離になったので。
「……で、お嬢様。彼が貴女の想い人ですか?」
すかさず彼女を問い質すと、彼女はビクリとその肩を震わせた。
……本当にわかりやすい。普段はほとんど感情を表に出さないくせに。やはり面白くない。
「まあ、そうだけど……勝手な事はしないでね?」
「おや、勝手な事、とは?」
「私の気持ち、勝手に彼に伝えたりとか……」
「はは、そんな事はしませんよ、絶対にね。ワタシは恋のキューピッドではありませんからね」
恋敵に有利に働くような真似など誰がするものか。
「そうですかそうですか。お嬢様の想い人はネメシア様でしたか。彼、人気ですよね。学年問わず大層モテていらっしゃるそうで」
「うん、凄く人気。……けどまさか貴方が彼の事を知ってるとは思わなかったわ」
「ふふふ、小悪魔の情報収集能力を舐めてはいけませんよ? 人の粗探しは我々小悪魔にとっては生き甲斐ですからね。特に人気者のスキャンダルはね。ですが残念ながら彼には本当に非の打ちどころがなくてですねぇ。成績優秀で生徒会役員もやっていて眉目秀麗、かつ上級悪魔と上級天使の間に生まれた為お育ちも良く、性格も天使側に似たのか社交的で爽やかな好青年」
ついでに言うと清涼感溢れる美声、つまりはイケボである。
何故こうも一部の者にだけ天は二物も三物も与えてしまうのか。ずるい。前世は徳を積みに積んだ高僧か何かだったのだろうか。徳のキャリーオーバーが過ぎる。
もし無理矢理短所を挙げるとするならば、良くも悪くも裏表がない事と、鈍感過ぎる事くらいであろうか。
彼自身は自分が大層モテている事に気が付いていない。裏では【初恋泥棒】、【天然たらし】、【鈍感無自覚系主人公】などといった異名で呼ばれているが、鈍感ゆえ勿論それにも気付いていない。
「まさにハイスペックというやつですね、小悪魔のワタシと違って」
「なんか……機嫌悪い……?」
「……お嬢様以外の方への給仕は気乗りしないだけですよ」
特に恋敵に対しては。
「そうなの? 今までクラスの人達に自分から紅茶を振る舞ってたから、誰に対しても人懐こくて人に尽くすのが好きなタイプなのかと思っていたのだけれど」
「おやおや、人を誰にでも尻尾を振る飼い犬みたく言ってくれますねぇ。ワタシは新参者ですからね、輪の中に溶け込む為に周りに媚を売っていただけですよ」
少し棘のある言い方になってしまった。こういうのは一人前のジョーカーとして失格だ。それに男としても格好悪い事だと思う。わかってはいるのだが……。
一呼吸置き、ミスティルは彼女にずっと聞いてみたかった事を口にする。
「――ねえお嬢様。お嬢様はワタシの事をどう思っていらっしゃるのですか?」
自分の事をどう思っているのか。それは勿論、異性としてどう思っているのか、という意味を含んだ問いだった。
脈無しなのはわかっている。だがほんの少しくらいは――雀の涙程度でも構わないから、異性として意識してくれてはいないだろうか。好感度がゼロやマイナスでさえなければいい。もしも格好良いとか、頼りになる男だと思ってくれているのなら嬉しい。それならば、自分にもまだチャンスはあると思えるから……。
――だが少々直球過ぎただろうか?
小悪魔の模範的恋愛方法三原則にある『思わせ振りな態度で接する』どころか、これではほぼ告白したようなものではないか。
これは小悪魔としては宜しくない。宜しくないが……一人の男としては、ようやく彼女に自分の気持ちが伝わったかもしれない事に少しだけほっとしてしまう。
ミスティルの突然の問いかけにリリウムは「え」、と瞬きする。やはり質問が唐突過ぎて不自然だったか。彼女は小首を傾げて数秒考え、そして。
「コミュ力お化け」
「あー成程ー、お嬢様はワタシの事をそんな風に思っていらっしゃったんですねー。よーくわかりました。誉め言葉として受け取っておきますねー!」
好感度うんぬん以前の問題だった。質問の意図がまるで伝わっていない。真顔で答える彼女を見るに、別にはぐらかされた訳でもなく、本人はいたって大真面目なのであろう。
少なくとも異性としては一切意識されていない事がよくわかった。というか何だコミュ力お化けって。
「ま、どのみちそろそろ他の方々もいらっしゃる頃合いでしょうからね、ティーカップを多めにご用意しておくと致しましょうか」
そう言ってミスティルが魔法で空中にティーカップを複数作り出すと、リリウムが「ねぇ」と彼に声を掛けた。そして。
「私達の仮契約、解除しない?」
「え……」
一瞬頭が真っ白になった。気が付いたらティーカップが全部地面に落ちていた。
「は……? え……? な、なんで……!?」
リリウムがティーカップについて何か言っていた気がするが、まるで耳に入らなかった。
「今全然そういう話じゃありませんでしたよね!? じょ、冗談ですよね……!? そうですよね……!!?」
「えっと……私は本気で言ってるけど……」
「…………っ!!」
リリウムの追い打ちとも言える一言に朝からの胃痛がさらに増した。
……自分は今、一体どんな顔をしているのだろう。きっと絶望に染まった表情をしているに違いない。だがもはやジョーカーらしい笑顔など浮かべていられなかった。
一体全体何がどうなって彼女はそういう考えに至ってしまったのか、まるで理解出来ない。機嫌が悪そうな態度を取ったり棘のある言い方をしたりしたのが癇に障ったのだろうか?
だが普段どんな軽口も無礼な物言いも軽く受け流していた彼女が、その程度の事で契約解除を言い放つ程激高するだろうか……?
いや、感情をほとんど表に出さない彼女の事だ、もしかしたら本当はずっと前から、ふざけた態度を取ってばかりいる自分に愛想を尽かしていたのかもしれない。ジョーカーだから仕方ない、と大目に見ていた――いや、諦めていただけで。今まで言い出しづらくて言えなかっただけだったのではないだろうか。
魔女と悪魔の仮契約の解除権は魔女側にしかない。このままでは一方的に仮契約を解除されてしまうかもしれない。もともと、リリウムはミスティルにこの実習には無理に参加する必要はないと言っていたくらいだ。自分はこの戦場にいてもいなくても良い存在なのだ。下手をしたら今すぐにでも契約を解除されてしまう可能性すらある。しかも一度契約を解除した魔女と悪魔はもう二度と契約を結ぶ事は出来ないのである。
そんなのは嫌だ。今ここで何としてでも彼女を説得しなければ……!
泣き出したくなるのをぐっと我慢し、声が震えそうになるのを抑えながらリリウムに問う。
「お嬢様はワタシの事、もういらなくなったのですか? 嫌いになったのですか……?」
「そ、そんな事はないけど……! むしろミスティルが契約解除したいんじゃないかなって思って……」
「ワタシが契約解除なんて望む訳ないでしょう!? 死んでも望みませんよそんなもの!」
「え、そこまで……?」
「そこまでです!」
自分が彼女との契約解除を望む……?
そんな事、あるわけがない。
何故彼女はそのような勘違いに陥ってしまったのか。
魔女は頭が良いから、自分のような卑小な小悪魔如きには到底理解出来ない複雑怪奇な思考回路をお持ちなのであろうか。
「えっと、なんか私の勘違いだったみたいで、ごめんね……?」
「まったくですよもう~……!」
心の底からの深い深い溜め息を吐く。
だがとりあえず、彼女に嫌われていない事はわかった。それだけは良かった。少しだけ胃痛が軽減した。
「――ではこれにてこの話はおしまいです! 終了です! 契約解除の件は白紙に戻しましたからね!」
勘違いの理由は気になるところではあるが、話を蒸し返してさらに突飛な事を言い出されてはたまらない。変に深掘りせずに速やかに話題を切り替えるのが賢明であろう。
パチンと指を鳴らし、半ば忘れかけていたティーカップの残骸を消し去る。ミスティルの魔力で作られた食器である為、ティーカップを形作っていた魔力の約半分はミスティルの体に吸収される。しかし残り半分は空気中に霧散し、大気に溶けてしまう。つまり無駄になる。
再びティーカップを複数作り出した後、近くにある大きめの切り株の上へと並べ。
「さて、無駄に魔力を使ってしまいましたからね、魔力を回復させて頂くとしましょうか」
「え……わっ!?」
彼女を逃すまいとするかのように、両の腕で少し強めに抱き締め、自身の頬をリリウムの肩や髪に埋める。
「こ、こんな所で抱きつくのはちょっと……! いつ人が通るかわからないし……!」
「何をおっしゃいます。これが貴女の仕事ではありませんか。少なくとも同じクラスの方々はご理解されているはずですが」
「うっ……」
正直なところ、むしろ周囲に見せ付けてやりたいとミスティルは思う。彼女は自分の物だと主張するように。この場にネメシアがいないのが少々残念なくらいだ。
ジョーカーは弱い小悪魔とはいえ、腕力は人間の一般男性とそう変わらない。具体的には、一般的な重さの剣を振るう事は出来るが、その後丸一日筋肉痛で寝込む、その程度の腕力である。
だが華奢なリリウムをがっちりと抱き締めて身動きを奪うくらいは造作もない事である。その気になれば彼女をいつでも組み敷く事だって出来る。
しかし彼女を無理矢理襲うつもりは毛頭ない。他の小悪魔達ならば一切躊躇する事なく己の欲望最優先で行動するのだろうが……。そう考えると、自分はやはり小悪魔に向いていないのだとミスティルは思う。
「それに、ネメシア様とて悪魔の血筋の者。魔女と悪魔の契約の事をご存知ないはずがありません。契約した魔女と悪魔が抱き合っていたところで気にはしませんよ」
「そ、それはそれで傷付くんだけど……! 少しは気にしてほしい……」
恋する乙女としては至極当然の台詞ではあるのだが、やはりミスティルは少しばかり面白くなかった。
「――ねぇお嬢様。何故あのような倍率お高めのお方に惚れ込んでしまわれたのですか? やはり顔ですか? それともお強いからですか? 性格? 血筋? はたまた人気者の彼に黄色い声を上げるというこの学園の流行りに乗ってみただけ??」
一体彼のどの辺りに惚れたのか。とても気になる。強さや血筋と言われてしまったら小悪魔風情にはまず太刀打ち出来ないが……。
「違う。そういうのじゃない……あ、でも性格っていうのは合ってるかも……」
リリウムは語った。
自分の魔力が暴走してしまった際、ネメシアが助けてくれた事。
その時、彼に傷を負わせてしまったが、彼は笑顔で許してくれた事。
「ほー、それはそれは。一度助けて貰った程度でそこまで惚れ込むだなんて、お嬢様は案外ちょろいのですね」
彼女よりも自分のほうが遥かにちょろい自覚はあるが、そこは棚に上げておく。
ミスティルの言葉にリリウムの片眉がぴくりと動く。少し怒らせてしまったかもしれない。しかし彼女の口が批判の言葉を紡ぐ事はなかった。
「うん……自分でも単純だと思う。でも好きになっちゃったから、どうしようもない……。」
そして少しだけ寂しげな表情でぽつりと言う。
「変わり者の私が学園の人気者を好きになるのって、やっぱりおかしいかな……?」
独特のセンスの持ち主である彼女が普通の人と同じ相手を好きになるというのはおこがましい事なのではないか、とでも彼女は言いたいのだろうか。
別に誰が誰を好きになろうが本人の自由であろう、とミスティルは思う。その恋が成就するかどうかはともかくとして。
それにミスティル自身もまた、変わり者種族の中のさらに変わり者であり、なおかつ大悪魔の娘という高嶺の花に恋をしている身である。密かに想いを寄せる事すら許されないなんて、そんなの悲しすぎるではないか。
また、確かに彼女が変わり者であるという事は同意する。しかし彼女の嗜好や考え全てが常識外な訳ではないのだ。
彼女に出会ったばかりの頃は、ジョーカー特有の目を気味悪がらないくらいだから、さぞやゲテモノ系が好きなのだろうとミスティルは思っていた。自室にはきっと禍々しいデザインの燭台やら蛇の骨格標本やらウツボカズラ型のゴミ箱やらが置かれているのだと想像していた。
しかし実際は小動物がデザインされた小物や家具が小綺麗に置かれた、年頃の少女らしい、可愛らしい部屋であった。また本棚には魔法書や薬草の本だけでなく、恋愛小説らしい物も収まっていた。
彼女にだって普通なところはあるのだ。――いや、見方を変えれば、普通の物もそうでない物も受け入れる事が出来る、とても器の大きい女性なのだと言えるのかもしれない。
「……別にそんな事はないでしょう。それに、お嬢様は猫やウサギなどの小動物がお好きなところとか、ごく普通のセンスもお持ちではないですか。お嬢様は単にストライクゾーンが広いだけなのでしょうよ」
「そう、なのかな……?」
「ええ、ええ、きっとそうでしょうとも! それに好きな物の幅が広いのは良い事ではありませんか。それだけ幸せを感じる機会が多いのですから、とってもお得な事でございますよ!」
ミスティルの言葉に、リリウムの表情が少しだけ明るくなった。
本当は、他の男に恋するリリウムの背中を押すような真似などしたくはなかったのだが、いつになくしょんぼりとしている彼女を放ってはおけなかった。
一般的な小悪魔種族から見れば、これは小悪魔らしからぬ行為であろう。だが他者を笑顔にする事を喜びとするジョーカーとしては、きっと間違った行為ではないはずだ、とミスティルは思う。
「ですがですがお嬢様! 彼のような高物件はきっとライバルも多い事と存じます。オススメは出来かねますねぇ。もしかしたら既に告白のチャンスを虎視眈々と狙っている方がいらっしゃるかもしれません。いえいえ、それどころかもう恋人だっていらっしゃるかもしれませんよ!!」
彼女が少し元気になったところで、彼女にネメシアの事を諦めるようさりげなく促す。こういう姑息なところだけは自分は腐っても小悪魔なのだと思い知らされる。
「あの、もうちょっと声を小さくしてくれると助かるんだけど……」
「おっと、これはワタシとした事が、失礼致しました」
つい至近距離で力説してしまった。先程のリリウムの爆弾発言による混乱がまだ尾を引いているのかもしれない。彼女には悪い事をしてしまった。
と、彼女が突然、「あのねミスティル」、とミスティルの体を押しのけた。急な事にミスティルは一瞬驚いたが、それよりもリリウムの青の瞳に真っ直ぐに見つめられ、ドキリとする。
しかし次の瞬間には違う意味でさらにドキリとさせられるのだった。
「もうすぐネメシアさんが戻ってくるでしょう? そしたら彼に告白しようかなって」
一難去ってまた一難。
本日二度目の爆弾発言が投下された。
胃痛が増した。そろそろ胃が爆発するかもしれない。
「え……!? こ、これからでございますか……!? そ、それは流石に急すぎるかと存じますが……!」
「でも思い立ったが吉日って言うし」
「急いては事を仕損じるという言葉もございますよお嬢様! そういう大事な事はもっと慎重に行動するべきです! ただでさえハードルの高いお方なのですから! お嬢様は口下手でいらっしゃいますし、もう少し準備期間を設けても宜しいかと!」
むしろ準備期間を設けたいのは他ならぬミスティル自身であった。このままでは今日中にもリリウムとネメシアがくっついてしまうかもしれない。そう考えるとさらに胃痛が増していった。
もっと時間があれば、彼女を説得して諦めさせる事だって出来るかもしれないのに――……!
「それに先程も申し上げた通り、既に恋人がいらっしゃる可能性とてございますので、まずはもっと相手の事をリサーチするべきかと! ええ、そのほうが良いに決まっておりますとも!!」
ミスティルは何としてでもリリウムの告白を阻止しようと熱弁を振るう。が、しかし。
「……ミスティル……貴方もしかして、私にネメシアさんを諦めさせようとしてない……?」
ギクリとする。だがいつもの笑みを浮かべ、しらばっくれる。
「……おやおや、お嬢様にはそのようにお見えになるのですか?」
「……貴方は小悪魔だもの。小悪魔は人の恋路を邪魔するの、好きでしょう?」
――どうやら彼女は、ミスティルが彼女への恋心から邪魔をしているという事には気付いていないらしい。
周囲に本心を知られてはならぬジョーカーとしては、ほっとする。ほっとするが……少しがっかりする気もするのは気のせいだろうか。
「――はは、流石はお嬢様。バレてしまいましたかー。ええ、その通りです。ワタシは小悪魔、恋のキューピッドなどではなく小悪魔。お邪魔虫役のほうが性に合っているものでして、つい」
ジョーカーらしく誤魔化しの台詞を吐く。そう、それはジョーカーとしてとても正しい行為である。
それなのに。
口にした瞬間、彼はとてつもない後悔の念に襲われた。
今この瞬間こそが、彼女に自分の気持ちを打ち明ける最大のチャンスだったのではあるまいか。
貴女が好きだから邪魔しているのだと。
他の男の元になんて行かないでほしいと。
真剣な態度で伝えていたら、きっと彼女だって信じてくれたのではないか……。
だが一度口から出てしまった言葉は、もう戻らない。
「……あんまり度を超えた邪魔をするようなら本当に契約解除しちゃうからね……?」
「おっと、それはとてもとても困りますねぇ、怖い怖い。ええ、ええ、肝に銘じておきますとも、お嬢様!」
いつもの笑顔で軽口を返すが、内心ではビクリとしていた。
それは困る。本当に困る。笑えない冗談だ。いや、冗談なのか本気なのかすら判別出来ない。表情乏しく淡々と話す彼女の本心はまるで読めないのである。ジョーカーである自分よりもよほど本心を隠すのが上手いとミスティルは思う。――本心を隠しているつもりはないのかもしれないが。
「……でも、既に恋人がいる可能性は確かに否定出来ないとは思う……」
どうやら先程のミスティルの熱弁は無駄ではなかったようだ。
彼女にはこのまま考えを改めて頂きたいものである。
「ええ、そうでしょうそうでしょう! お嬢様もとっても怪しいとお思いになるでしょう!?」
「うん、まあ。……けど、小悪魔の情報収集能力でもそこはわからなかったのね」
「おおっと、これは痛い所を突いてきますねぇ。所詮小悪魔の力には限度がございますゆえ、格上の相手が本気で隠そうとしている事を窺い知る事は出来ないのですよ」
これは嘘ではない。もっとも、もっと前にリリウムに意中の相手がいる事がわかっていれば、持てる力とあらゆる手段を用いて全力で調べ上げていたのだが。
「……そう。なら、やっぱりこれから彼に直接聞いてみるのが一番ね」
「いえ、ですからそこはもう少し慎重にですね……! 別に今日でなくとも宜しいではありませんか。ましてやここは戦場ですよ? 我々は今戦闘中であり、命懸けの任務の真っ最中なのですよ!? 色恋に現を抜かしている場合ではないんじゃないですかね……!?」
ミスティルの言葉にリリウムははっとしたような表情になる。
真面目な彼女は正論が最も効果的なのである。
よし、とミスティルは心の中で拳を握る。
「そう……だよね。ごめん。敵の殲滅が済むまで、戦闘に集中していないと駄目だよね……!」
「そうですそうです、お嬢様! ではこの話はまた後日に……」
「それじゃ戦いが終わった帰り道に告白する!」
「なんでそうなるんですか!?」
このお嬢さん、手強いにも程がある。
ビビりで豆腐メンタルの自分とは違い、彼女のメンタルは鋼で出来ているのだろうか。
「え、だってそれなら別に問題はないでしょう……? いつまでも悶々とした気持ちでいるのは嫌だし、既に彼女がいるのがわかればスパッと諦めが付くし」
「それはまあ……そうかもしれませんけどー……」
一見大人しそうに見えるリリウムであるが、実はかなりの行動派である。そして割とポジティブである。流石は失敗を恐れず常に試行錯誤で魔法や薬の研究をし続ける魔女の一族のだけの事はある。
すると彼女はやや冷たい目を向けてミスティルに言った。
「……ミスティル。これは私の問題だから。パートナーの悪魔とはいえ、貴方には関係ない事だから。これ以上は邪魔しないでほしい」
『貴方には関係ない』
グサリとくる。
関係ある。凄くある。だがそれを主張する事は出来ない。自分は本音を隠し続けねばならぬジョーカーなのだから……。
「…………かしこまりました。お嬢様の仰せのままに」
胸に手を当てて深く一礼し、そのまま項垂れる。
もう彼女を止める事は出来ない。
このまま二人が付き合いだしたら毎日のろけ話を聞かされたり、彼に贈るプレゼント選びに付き合わされたり、彼との進展状況について相談されたりするのだろうか。
いや、他者に頼る事を嫌う彼女の事だ、自分なんぞを頼ったりはしないかもしれない。そして彼女と共に過ごす時間も徐々に減っていくのだろうか……。
考えているうちにまた泣きたくなった。だが我慢しなければ。
するとそんなミスティルにリリウムがおずおずと声を掛ける。
「え、えっと、あのねミスティル。最近勉強や野外合同実習の訓練ばかりだったからさ、今度の休日に街の中心部に何か甘い物でも食べに行きたいなって思ってるの。ミスティル甘い物好きでしょ? 付き合ってくれると嬉しいんだけど、どうかな……?」
何の脈絡もない突然のお誘い。しかもいつもの淡々とした口調ではなく、どことなく柔らかいというか、優しい声音であった。
きっと部外者扱いしてしまった事を申し訳なく感じ、彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。一見クールな印象の彼女であるが、根は優しいのだ。
ちなみに、先日うっかり自分が甘党かつ苦い物が苦手なお子様舌である事をリリウムに教えてしまったのだが、ミスティル自身は自分のその嗜好を少々恥ずかしく思っている。彼女に格好悪いと思われていなければ良いのだが……。
「……おや、お嬢様からデートのお誘いを頂けるとは、なんたる光栄……おっと、現在恋愛中のお方にこんな事を言ってはいけませんね。これは失言でございました」
「そのくらいは別にいいよ。でも私以外にはあんまり不謹慎な事言っちゃ駄目だからね……?」
「ええ、ええ、勿論でございますとも、お嬢様!」
彼女が自分の事を気遣ってくれたのは素直に嬉しい。
――これが恋人同士でのデートの約束だったならば、もっともっと嬉しかったのだが。
その後、リリウムはネメシアと帰還前にもう一度会う約束をした。そして魔獣との戦闘が終わり、リリウムは彼の元へと赴いた。自身の秘めた想いを伝える為に。
その間、ミスティルは一人、彼女の帰りを待っていた。
彼女の告白結果が気になって気になって、かつてない程胃が痛む。なんだか背中のほうまで痛くなってきた。胃潰瘍になっていなければ良いのだが。
胃痛持ちとして生まれてきてさえいなければ、自分の人生にはもう少しゆとりがあったのではないか、とミスティルは思う。いや、そもそもの話、胃痛持ちの小悪魔など自分くらいのものであろう。
小悪魔は刹那主義の快楽主義の楽観主義、物事を深く考える事などほとんどないのである。
自分が何故このような小悪魔らしからぬ性格に生まれたのか、ミスティルは心当たりがない訳ではなかった。
彼の遠縁には上級悪魔がいるのである。互いに面識はない程の遠い親類ではあるが、その血は確かに彼の中に流れている。
上級悪魔は小悪魔とは違い、真面目で思慮深く、責任感が強くて誇り高い者が多い。また独占欲も強い。自分はその性格だけが隔世遺伝してしまったのだろう、とミスティルは推測する。どうせなら性格だけでなく魔力の強さも遺伝してほしかったものである。
せめて自分が胃痛持ちである事くらいは彼女に打ち明けるべきだろうか。魔女の薬は良く効くという。見習いとはいえリリウムもある程度の薬は作れる。彼女に胃薬を作って貰うのもいいかもしれない。彼女が作ってくれた薬ならどんなに苦くても飲み干せる自信がある。
……だが自分が胃薬を渡されている一方で、リリウムの恋人となったネメシアは彼女から愛情たっぷりの手作りクッキーを渡されていたりするのだろうか。
その様を想像し、気分も胃もさらに重苦しくなる。
じわじわと両の目が潤み、そしてついに涙腺が崩壊してしまった。
結局自分は子供の頃から何も変わっていない。泣き虫で情けなくてみっともない、格好悪い存在だ。
だがせめて、泣いていた事を彼女にばれないようにしなくては。早く涙を止めねば、白目部分が黒い右目はともかく、普通の人間と変わらぬ左目は真っ赤に充血していたらばれてしまうだろう。こんな時だけは左目も右目と同じだったら良かったのにと思ってしまう。
自分は身も心も弱い。リリウムの暴走魔法を勇敢に食い止めたネメシアとは実に対照的だ。きっと自分がネメシアの立場だったら彼女を助けに入るなんて出来なかっただろう。――どのみち小悪魔風情に大悪魔の魔力を継ぐ彼女の暴走魔法を止める事など出来やしないだろうけれども。
何も出来ない彼は、今もこうして彼女の帰りをただただ待つ事しか出来なかった。