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おどけ悪魔は寡黙魔女を理解できない①

 リリウムと出会ってから数週間。

 彼女は非常に表情が乏しく、また寡黙で淡々とした口調で喋り、感情をほとんど表に出さないお嬢さんであった。


 ジョーカーはトーク力が命だ。この数週間、ミスティルはリリウムにこれでもかというくらい話しかけまくった。しかし口数の少ないリリウムは「ふーん」「へー」「そうなの」程度の返事しかしない。


 それでも彼女は決して無視だけはしなかった。


 どれだけ淡泊であっても、必ず何かしらの反応はしてくれる。

 興を提供する種族であるジョーカーは、無視されるのが最も傷付くのである。それゆえ、無視しないでくれるというだけで、彼女には好感が持てた。

 それに加えて、彼女はとても真面目で勉強家だった。宿題だけでなく、授業の予習や復習も行い、また趣味として魔法薬の研究もしている。魔女は研究熱心な者が多いと聞くが、彼女は特にその傾向が強いように思える。

 ミスティルは根が真面目であった為、そんな真面目な彼女に心惹かれた。――契約上のパートナーとしてだけでなく、異性としても。

 大悪魔の娘に恋をするなど恐れ多いにも程があるが、自身の欲望を優先するのはきっと小悪魔らしい行為だ。そうに違いない。そう自分に言い聞かせる。


 小悪魔の模範的な恋愛方法は大きく分けて三つ。


 1:軽い態度でナンパし、軽い雰囲気で付き合い出す

 2:思わせ振りな態度で接し、相手をその気にさせる事で相手のほうから告白させる

 3:すぐさま体の関係を持って既成事実を作る


 この三択である。

 恋文だの、放課後に校舎裏に呼び出して真剣な態度で交際を申し込むだのといった真面目な告白方法は、小悪魔にとって邪道なのである。とりわけ他者に本心を知られてはならないジョーカーはこの傾向が強い。

 ゆえにミスティルは事あるごとにリリウムを口説くような台詞を吐き、かつ思わせ振りな態度を取ってきた。

 けれども小悪魔は相手を単にからかう時にも同様の行動を取る。そしてその事を恐らくリリウムも知っているのだろう、全くと言っていい程相手にされなかった。単なる戯れ言、からかわれているとしか思っていないのであろう。

 だが根は努力家であるミスティルはその程度では諦めない。


 ある日の事だ。ミスティルは魔力を実体化させて真っ赤な薔薇を作った。

 何層にも重なった花びらを繊細に表現し、色合い、質感、香りも本物そっくりに作り上げた。自分で言うのも何だが、なかなかに会心の出来だと思う。

 彼女の名にちなんだ百合(リリウム)ではなく薔薇なのは、勿論愛の告白の意味を込めているからである。


 だが彼女に花を贈る事においては、もう一つ理由があった。


 興を提供する種族であるジョーカーは、相手を笑顔にする事に喜びを感じる。

 リリウムはとにかく表情が乏しい。無表情でも彼女は充分可愛らしいが、笑えばもっと可愛いと思う。彼女の笑顔が見てみたい。

 この薔薇を笑顔で受け取ってくれたなら、どんなに嬉しい事か。


「花も恥じらう我が麗しきお嬢様ー!」

「……無理にお世辞言わなくていいから」


 自室のキッチンで魔法薬をぐつぐつと煮込んでいるリリウムの元に、いつものようにノックもせずにやってくる。


「おやおや、お世辞などではありませんってば!」

「……で、私に何か用があって来たんじゃないの?」


 視線を魔法薬の鍋に向けたまま、リリウムは淡々と話を進める。早くもあしらわれているらしい。


「ええ、実はこれを親愛なるお嬢様にプレゼントしようかと思いまして。ワタシの魔力で作りました」


 ようやくこちらを向いてくれたリリウムに一輪の薔薇を差し出す。


「! 私に……いいの……?」

「ええ、ええ、勿論ですとも! 部屋に飾るなり、髪に差すなり、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ!」

「…………ほんとのほんとに、いいの……?」

「もう、当然ではありませんか! 男に二言はございません!」

「……そう。それなら」


 ありがとう、と薔薇を受け取り。


「魔力で出来た花は魔法薬の香り付けに最適なのよね」


 そう言って魔法薬の鍋に放り込み、本当に煮込み出してしまった。


 想像の斜め上を行き過ぎる行動に、ミスティルはただただ引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。彼女ではなく自分が笑ってどうするんだ、と自分自身に突っ込みを入れたくなる。

 だが魔法薬を煮込んでいる魔女の前に良質な素材を差し出し、なおかつ『煮るなり焼くなり』などといった紛らわしい言葉を用いてしまった自分が悪い。

 それにあの「…………ほんとのほんとに、いいの……?」は「…………ほんとのほんとに、(素材として鍋で煮込んでしまって)いいの……?」という意味だったのだろう。

 ゆえに彼女は悪くない。……多少言葉足らずな気はするけれども。

 そんな風にミスティルは己を無理矢理納得させるのだった。


 完成した魔法薬はとても良い出来だったらしい。

 すると彼女は少しだけ――そう、ほんの少しだけ――嬉しそうに微笑んだ。


 ――過程は大分予定と違ってしまったが、結果的に彼女の笑顔を見る事が出来たのだからまあ良いか、などと思ってしまう。……こういう所が我ながらちょろ過ぎると思う。

 やはり自分は小悪魔に向いていない。


 さらに時は流れ、彼女と出会ってから約一ヶ月が経過した頃。

 ミスティルは魔力で淹れた紅茶とクッキーをトレイに載せてリリウムの自室にやって来ていた。

 彼はいつも、まるで執事のようにリリウムに尽くしている。それは勿論彼女へのアプローチの一貫であり、弱い自分でも彼女の役に立つ事が出来るのだとアピールする為であった。


 普通、小悪魔は誰かに献身的に仕えるという事はしない。言われた事だけ、報酬の分だけしか働かないのが小悪魔だ。

 ゆえに本来ならばこれは小悪魔らしからぬ行動であるが、下心があるがゆえの行動であり、自身の欲望の為なのだから、小悪魔として正しい姿であると言えるはずだ。きっとそうである。

 そんな風に自分に言い聞かせながら、リリウムと他愛ない会話を楽しむ。そして彼女のさらさらの髪を撫でながら魔力を頂く。普段はリリウムの華奢な体を包み込むようにハグするのだが、今、彼女は紅茶を飲んでいる最中なので仕方がない。つい先程もいつも通りに抱き付こうとして彼女に窘められてしまった。


 魔女と契約した悪魔は直接触れ合った部分から魔力を吸収する。彼女の魔力は甘い果実のような、例えるならば桃のような、そんな味がする。手で触れているのに口の中いっぱいに味が広がるというのは何とも不思議な感覚である。飴を舐めている感覚が一番近いだろうか。

 いや、もしかしたら脳がそのように錯覚しているだけなのかもしれない。魔女の魔力には相手の好みの味を感じさせる効果でもあるのだろうか。そうする事で魔女の魔力への依存性を高め、契約した悪魔を虜にしているのかもしれない。恐るべし、魔女の魔力。


 彼女の魔力は美味しい。だがそれ以上に、大好きな彼女に触れる事が出来る。抱き締める事が出来る。魔力摂取はミスティルにとって至福の時間であった。

 実のところ、ミスティルは魔力量は少ないものの、魔法に使用する魔力も少量で済む為、リリウムの魔力を頻繁に吸収する必要など無いのである。たまに魔力摂取を装ってただただスキンシップを楽しんでいる時さえある。ミスティルがリリウムから吸収する魔力は本当に微量である為、魔力が吸収されていてもいなくても、リリウムにはわからないのである。

 普通に触れ合うだけならば彼女は大人しくミスティルのされるがままになっており、何も言ってはこない。しかし。


「それと、セクハラは禁止」


 彼女の形の良い胸に触ろうとしたら手の甲をつねられた。


「おっと、これはこれは手厳しい。ほんのスキンシップのつもりでしたのに」


 それなりの痛みはあったが、勿論顔には出さない。それより何より、珍しく少しむっとした表情をしているリリウムが可愛くて仕方がない。普段の彼女は喜怒哀楽をほとんど表に出さないが、決して無感情な訳ではない。たまにはこんな風にごく普通の反応をする時とてあるのだ。

 ちなみにミスティルは根は真面目であるが、別に純情という訳ではない。ゆえにこれは小悪魔らしさ、ジョーカーらしさを追求した訳ではなく、単に彼がスケベなだけである。


 その後、実はリリウムにプレイボーイだと思われていた事が発覚したりと、なかなかショッキングな出来事はあったものの、彼女との会話はとても楽しかった。寡黙な彼女がこれだけ喋ってくれるのは珍しい事だった。

 また、会話の中でたまたま睡眠時間の話になった。

 ミスティルは寝るのが好きだった。寝ている間は小悪魔らしい、ジョーカーらしい振る舞いについてあれこれ悩まずに済むからである。ジョーカーらしく生きる事は彼の誇りではあったけれど、常にそれに徹しているのは疲れてしまうから。

 だが今はリリウムと過ごす時間のほうがずっと大切であった。


 彼女の愛くるしい姿をもっと見ていたい。

 彼女の鈴の()のような綺麗な声をもっと聞いていたい。

 彼女ともっと触れ合いたい……。


 欲を言い出せばキリがない。

 彼女に対する独占欲は日に日に増してゆく。

 彼女は「まだ一ヶ月程度しか経っていない」と言っていたけれど、自分にとっては「もう一ヶ月」だ。恋の種が芽吹き、育っていくには充分な時間だった。

 しかしそれと同時に、思う。

 今後リリウムが他の悪魔とも契約したら、彼女はその悪魔とも自分と同じように触れ合う事になる。

 それは凄く嫌だ。

 だが弱い小悪魔に過ぎぬ自分には、彼女を独り占め出来る権利などない。彼女が魔女としてより高みを目指すならば、強い悪魔との契約は避けては通れない道なのである。

 いや、それどころか、弱い小悪魔などもういらないと、仮契約を解除されかねない。仮契約解除の権限は魔女側にしか無いのだ。つまりリリウムの気分一つでこの関係は終わってしまうのである。何としてもそれだけは避けねばならない。


 丁度、三日後には隣クラスとの野外合同実習がある。少しでも役に立てるように、せめて足を引っ張らないように、今のうちに魔力を補充しておくべきであろう。いわゆる食い溜めという奴である。

 また、一向になびかないリリウムへのアプローチとして、ここらで一度大胆に攻めてみるのもありな気がする。平たく言えば、夜這いを掛けようかと考えている。


 小悪魔は貞操観念がゆるいところがあるが、全く興味のない相手に夜這いを掛けたりはしない。それは魔力摂取の為のついでの行為だったとしても、である。

 それに万が一子供が出来てしまった場合は小悪魔とて、きちんと責任は取る。小悪魔にだって最低限の責任感はあるのだ。その分、複数の女性が同時期に懐妊して困った事になる者もいるようだが……。

 ともあれ、そのくらい真剣な気持ちで接しているという事を、彼女に気づいてもらいたい。さらに欲を言うならば、この一夜をきっかけに男女の仲になれたらなお良い。

 勿論無理強いをするつもりはない。彼女に嫌われてしまっては元も子もないのだ。あくまで相手の同意を得てから事に及ぶつもりだ。


 そしてその日の夜、風呂から出て寝間着に着替え、ガウンを羽織った後、転移魔法でリリウムの部屋を訪れた。


「お嬢様ー、貴女のミスティル、再び参上致しましたー」

「せめてドアから入ってきて」


 リリウムは露骨に眉をひそめてむすっとしている。彼女がここまで感情を表に出すのはかなり珍しい事だ。……つまり割と怒っている。

 だがその程度で怯むミスティルではなかった。――正確に言えば、一瞬だけ内心怯んでいたのだが、勿論顔には出さない。


「いやー、この格好でお嬢様のお部屋に入っていくのを他の方々に見られてしまうとまずいでしょう?」


 ミスティルは自身のガウンを指差して言った。


「……で、何の用? 私今、寝間着なんだけど」

「寝間着姿も素敵ですよお嬢様!」


 彼女は今、ネグリジェに身を包んでいる。普段は『可愛い』や『綺麗』という言葉が似合う彼女だが、今はなかなかに色っぽくて刺激的である。

 ミスティルはリリウムの目の前にずい、と身を乗り出した。突然距離を詰められ、リリウムは驚きに目を見開く。


「あのねお嬢様。魔力を吸収する時は直接触れ合わなければならないでしょう? ですが普段の状態ですと触れ合える面積があまり多くないでしょう? ワタシね、貴女の美味しい魔力をもっと沢山頂きたいのです。だからもっと沢山貴女と触れ合いたいのです。――全身で、ね」


 「ジョーカーたるもの、夜も楽しませて差し上げなければ」、と付け足して。


 その言葉の意味が通じたのか、リリウムの頬がほんのり赤くなった。可愛い。


「そういえばテントウムシって凄い肉食だった……」

「え、テントウムシ、でございますか?」

「あ、ううん、何でもないの、気にしないで」


 何故この状況でテントウムシという単語が出てくるのか。まったくもって理解不能である。やはりこのお嬢さん、一筋縄ではいかない。


「えっと、悪いんだけど、貴方の望みに応える事は出来ない……」

「おや、それはまだ、我々の契約が仮のものだからですか? 仮契約の悪魔とはそこまでの関係にはなれない、と?」

「そうじゃない。私は……そういうのは好きになった相手としかしたくないの。ごめんね……」


 魔女は悪魔と関係を持つ事を全く躊躇わない者も珍しくはないが、どうやら彼女は身持ちが固い女性のようである。それはそれで少しほっとする。彼女が今後他の悪魔と契約したとしても、その悪魔と恋仲にさえならなければ、体を許す事はないだろう。――自分が『好きになった相手』に該当していないと明言されてしまったのは結構ショックではあるが。


「やれやれ、お嬢様は相変わらず真面目ですねぇ。まあそんな所も魅力的ではありますが」


 肩を竦め、「それともお嬢様、もしや意中の相手でもいらっしゃるのですか?」と軽口を叩く。――そう、あくまで軽口。冗談のつもりだったのに。


 ボッ、と先程とは比べものにならないくらい、リリウムの顔が耳まで真っ赤に染まった。


(――え……)


 胃の辺りがずしりと重たくなったのをミスティルは感じた。


(お嬢様のこの反応、まさか図星……!?)


「おや、おやおやおやぁ? からかい程度に尋ねただけなのですが、もしや図星ですかぁ?」


 無理矢理笑顔を貼り付けてはいたものの、心の中では滝のような冷や汗をかいていた。


「これまでそういう素振りは全くありませんでしたよね? という事は同じクラスの男子ではない、という認識で間違いございませんか?? ねえねえどなたがお好きなのです? ワタシの存じ上げるお方なのでしょうか? まだお付き合いしている訳ではないのですよね??」


 ついまくし立てるように問い質してしまう。こういうのはジョーカーらしくない。冷静にならなければ。

 頭ではわかっているのに……。


 リリウムは少しだけ思案した後、ついに観念したのか、ぼそりと言った。


「……うん。片想いだけど。隣のクラスの人。……それ以上は教えない」

「ほう、ほうほうほう! これは興味深いお話が聞けました。丁度三日後は隣クラスとの野外合同実習の日。これは非常に楽しみです! とってもとっても楽しみですのでワタシ、今日は早めに寝ようと思います。それではお休みなさいませお嬢様」


 一方的にリリウムにそう告げると、半ば逃げるように転移魔法を展開し、ミスティルは去っていった。



 ――暗い自室へと降り立った彼は、ふらふらと力なく背中から壁にもたれ掛かる。

 目頭が熱くなり、涙が滲み出す。


 ――泣くな、泣くな。一人前のジョーカーたるもの、常に笑顔でいなければ。泣いちゃ駄目だ。


 それに今はまだ彼女の片想いなのだ。まだ諦める段階ではない。

 三日後の野外合同実習の討伐対象は自分達小悪魔にとって、大変危険な存在であると事前説明で聞いている。命がけの任務となるかもしれない。しかし構うものか。それより何より、まずは彼女がどこの誰が好きなのか、徹底的に調べ上げねば……!


 ミスティルは暗い自室で一人、そう固く決心したのだった。

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