寡黙魔女はおどけ悪魔を理解できない②
そして三日後。
平原を見渡せる小高い丘にて、ミスティルはふわふわと浮遊していた。たまにくるりと一回転したりして空中遊泳を楽しんでいるが、別にただただ遊んでいる訳ではない。
「こちらは異常無しですねー」と西側の偵察を終えた彼は地面に降り立った。
ミスティルは魔力の回復役としてこの実習に参加しているが、他の生徒達の魔力が切れる頃までは偵察役として働いている。もうしばらく経ったら次の偵察役と交代する時間である。
この野外合同実習は学校外のとある平原に赴き、2クラス合同、かつ生徒達だけで魔獣狩りを行うというものである。引率の教師は採点の為に各クラスの担任計2人が同行しているだけであり、基本的に戦闘には参加しない。
とはいえ今回の魔獣の討伐難度はそれほど高いものではなく、一般の生徒ならば不意打ちでもされない限り、命に関わるような重傷を負う事はまずないと言って良い。――そう、『一般の生徒』ならば。
攻撃手段をほとんど持たぬジョーカーは、本来戦闘が非常に苦手であるが、野外合同実習では他の生徒達が攻撃役や盾役を担ってくれる為、終始サポート役に徹する事が出来る。彼は転移魔法だけでなく浮遊魔法も使える為、偵察にはもってこいの人材であった。しかし偵察役に任命された理由はそれだけではなかった。
「お疲れ様。……けどもうちょっと真面目な態度で偵察出来ないの……?」
「何をおっしゃいますかお嬢様! ジョーカーに真面目さを求めるなど、存在意義否定も良いところでございます!」
わざとらしく怒ったような、嘆くような声を上げる。
さすが道化の小悪魔、戦場でさえもふざける事をやめない。もはや感心さえする。
「それに、偵察の仕事自体はしっかりとおこなっておりますのでご安心を」
胸に手を当てて深々と一礼し、「一応ワタシの命が掛かっておりますので」と付け加える。
哺乳類同士でも食物連鎖があるように、クマが人間を襲うように、魔族同士でも食物連鎖がある。上級悪魔や魔獣の中には小悪魔を捕食する種がおり、今回の実習のターゲットの魔獣はまさにそのタイプであった。
この魔獣は硬い外骨格と強力な大顎を持ち、アリのような姿をしている。また群れを成して大移動をする習性がある。
今この地にいる彼らも別の地からやってきたそうだ。この近辺に棲む小動物型の稀少な小悪魔や、魔法使いの使い魔として召喚された小悪魔が次々に被害に遭っており、街からの討伐依頼が学園に持ち込まれたのだという。
言葉の通じる上級悪魔ならば、ジョーカーのその自慢のトーク力で丸め込む事も出来るが、言葉の通じぬ魔獣にはそうはいかない。ジョーカーにとって、魔獣は天敵以外の何物でもないのである。
被食者は捕食者の気配に敏感である。ゆえにミスティルは誰よりも早く魔獣の接近に気付く事が出来る。それが彼が偵察役に選ばれたもう一つの理由であった。
勿論彼にとって危険な任務となるであろう事は事前に説明済だ。その時は嫌な顔一つせずに承諾してくれたが……今思えばやせ我慢していただけだったのかもしれない。
すぐ近くに天敵がいるというのは本能的に凄まじい恐怖を感じる事だろう。ミスティルの例のごとく貼り付けられた笑顔もどこか引き攣っているように見える。
「ではワタシはこれから東側の偵察に参りますね」と言って去ろうとするミスティルの袖を、リリウムはくいと引っ張る。振り返ったミスティルは少し驚いたような顔をしていた。
「? いかがなさいましたかお嬢様?」
「……あのね、怖ければ無理に参加しなくてもいいからね……?」
この実習はあくまでリリウムに課されたものであり、彼に参加の義務はない。戦闘の際は後衛にいるとはいえ、被食者である彼は敵に狙われる可能性が高いのだ。無理に連れていく必要はなかろう。
そもそも、ジョーカーは本来争いを好まぬ種なのだ。本当は戦場に立つ事すらも嫌だったのではなかろうか。
ミスティルは一瞬きょとんとした後、「はは、お嬢様はお優しいですねぇ」と再びへらりとした笑みを浮かべた。
「ですが命懸けのゲームすらも楽しめるのが一人前のジョーカーというものなのですよ。ハラハラドキドキでスリル満点、とても面白そうでしょう?」
「そ、そう……。私にはちょっと理解出来ないけど。私は危険が及ばずに済むならそれに越したことはないと思うけど」
「おやおや、お嬢様には冒険心がございませんねぇ。そんなんじゃ立派な冒険者にはなれませんよ?」
「私、別に冒険者志望じゃないんだけど。将来は魔法薬や魔法アイテムの研究開発の職に就きたい」
「これはまた堅実な将来設計でいらっしゃる。生真面目な貴女らしいですねぇ」
……なんだか話がだんだん脱線していっている気がする。
リリウムが話を元に戻そうと口を開きかけたその時。
「やあ、魔力を回復出来るジョーカー君というのは君かい? ……あれ、リリウム?」
二人が声のほうへと振り返ると、そこには雪のように真っ白な髪と黒曜石のように黒き瞳、そして背に鴉のような黒い翼を生やした、堕天使の男子生徒が立っていた。
「ネメシアさん……!」
リリウムの心臓はドキンと跳ね上がった。みるみるうちに頬が紅潮していくのを感じる。
目の前にいるのはリリウムの片思いの相手、ネメシアであった。
「あ、もしかしてジョーカー君ってリリウムと契約した悪魔なの?」
「う、うん、か、仮の契約ではあるけど……」
緊張して舌が上手く回らない。
「へー、そうだったんだ。実は俺、魔力切れしちゃってさ、魔力の回復をお願いしたいんだけど、いいかな?」
「あ、ごめん、ミスティルはまだ――」
まだ偵察の仕事が残っているの、とリリウムが言い終える前にミスティル本人が割って入った。
「申ーしわけございませんが! ワタシにはまだ偵察の仕事が残っておりますもので!」
ミスティルは恭しく一礼しながらも、しかし力のこもった口調できっぱりと断った。が。
「偵察は俺のクラスの奴に代わりにやってもらうからさ。頼むよ、今回の魔獣は攻撃魔法でないとまず倒せないからね」
硬い外骨格に覆われたアリ型の魔獣に武器で傷を付けるのは至難の業であり、こういった相手には魔法攻撃のほうがよく通るのである。
恐らくネメシアは前衛で攻撃役を担当しているのだろう。敵の殲滅にはまだまだ時間が掛かる。一度魔力を回復させてやらねば戦況は苦しいものとなるだろう。それにどのみちもうすぐ次の偵察役と交代する時間だ。それまで代理を立ててくれるというのなら特に問題はないだろう。
「……わかりました。ですが、お湯を沸かすのに三十分程掛かりますので、それまでお待ち下さいね」
「え、湯を沸かすのにそんなに時間が掛かるのか……?」
「最初からお湯や紅茶の状態で出すことは出来ないの……?」
ネメシアとリリウムの問いに「ワタシは弱小種族の小悪魔ですから、それほどの魔力は持ち合わせていないのですよ」とさらりと答えながら、ミスティルは魔法で水の入ったやかんと小さな火の玉を空中に作り出した。そして空中に浮かせた状態のまま、火の玉の上にやかんを乗せる。
火の玉は弱火よりもさらに弱い、所謂とろ火に近かった。成程、これでは確かに三十分は掛かりそうである。
「そもそもこのやかんの水、そのまま飲んじゃダメなのか?」
ネメシアは美味しい紅茶を飲みたい訳ではなく、あくまで魔力を回復したいだけである。別に味が付いていようがいまいが、お湯であろうが冷水であろうが、何だって良いのである。
「それだと効果が無いのですよ。小悪魔の魔法というのは上級悪魔の方々の魔法と違って融通が利かないものでして」
ふーん、そういうものなのか、なら仕方ないな、とネメシアはしぶしぶ納得した。そして三十分後にまたこの場所に戻ってくる旨を二人に伝えると、クラスメイトに偵察役を頼みに去っていった。
彼の背中が遠くなり、こちらの声が届かない距離になると。
「……で、お嬢様。彼が貴女の想い人ですか?」
ドキリと再び心臓が跳ね上がる。
ばれていたか。頬が熱くなっていくのを感じてはいたが、思った以上に顔が赤くなっていたのかもしれない。
「まあ、そうだけど……勝手な事はしないでね?」
「おや、勝手な事、とは?」
「私の気持ち、勝手に彼に伝えたりとか……」
「はは、そんな事はしませんよ、絶対にね。ワタシは恋のキューピッドではありませんからね」
彼の言動がいまいち信用ならない事は既に熟知している。どこまで信じていいのやら……。
「そうですかそうですか。お嬢様の想い人はネメシア様でしたか。彼、人気ですよね。学年問わず大層モテていらっしゃるそうで」
「うん、凄く人気。……けどまさか貴方が彼の事を知ってるとは思わなかったわ」
「ふふふ、小悪魔の情報収集能力を舐めてはいけませんよ? 人の粗探しは我々小悪魔にとっては生き甲斐ですからね。特に人気者のスキャンダルはね」
実に質の悪い生き甲斐である。とても小悪魔らしい。
「ですが残念ながら彼には本当に非の打ちどころがなくてですねぇ。成績優秀で生徒会役員もやっていて眉目秀麗、かつ上級悪魔と上級天使の間に生まれた為お育ちも良く、性格も天使側に似たのか社交的で爽やかな好青年。まさにハイスペックというやつですね、小悪魔のワタシと違って」
……なんだか妙に上級悪魔と小悪魔を比較してくる。
いつも貼り付けているにやにやとした笑みも無く、少しむすっとしている気がする。
「なんか……機嫌悪い……?」
「……お嬢様以外の方への給仕は気乗りしないだけですよ」
「そうなの? 今までクラスの人達に自分から紅茶を振る舞ってたから、誰に対しても人懐こくて人に尽くすのが好きなタイプなのかと思っていたのだけれど」
「おやおや、人を誰にでも尻尾を振る飼い犬みたく言ってくれますねぇ。ワタシは新参者ですからね、輪の中に溶け込む為に周りに媚を売っていただけですよ」
なんだか少し棘のある言い方である。
するとミスティルは一呼吸置いて。
「――ねえお嬢様。お嬢様はワタシの事をどう思っていらっしゃるのですか?」
「え」
急なミスティルの質問にパチクリと瞬きする。
――ミスティルの事をどう思っているか?
それは具体的にどういった事を言えばいいのだろうか。今言ったイメージだけでは駄目という事なのだろうか。
小首を傾げ、一、二秒考える。そして。
「コミュ力お化け」
「あー成程ー、お嬢様はワタシの事をそんな風に思っていらっしゃったんですねー。よーくわかりました。誉め言葉として受け取っておきますねー!」
誉め言葉として受け取っておくも何も、コミュ力の乏しいリリウムにとっては最高の誉め言葉のつもりだったのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。むしろさらに不機嫌にさせてしまったようだ。
いつものへらへらとした彼からは想像もつかない姿である。今日の彼は一体どうしてしまったというのか。
リリウムは考える。
彼はリリウムと仮契約した小悪魔に過ぎず、この学園の正式な生徒ではない。学園にやって来た時だって、使い魔として召喚されたのだ。
片や上級悪魔の血を引くネメシアは、正式な生徒どころか生徒会役員である。同じ悪魔の血筋だというのに格差がありすぎる。内心彼を妬んでいても不思議ではないのではなかろうか。……そしてそれは、上級悪魔の中でもとりわけ高位の存在である大悪魔の血を引くリリウムに対しても言える事で。
そもそもミスティルの両親は上級悪魔に殺されているのだ。先日話した時には悲観している様子は無いように見えたが、本当はネメシアやリリウムを含めた、上級悪魔の血縁者全体を恨んでいるのではなかろうか。
また、悪魔はプライドの高い者が多い。小悪魔には比較的その傾向は少ないものの、彼は案外プライド高い男なのかもしれない。最初は魔女の魔力目当てで契約をしてしまったが、だんだんと後悔を感じてきているのではなかろうか。だが自分から契約を持ち掛けた手前、契約解除を自分から申し出るのにばつが悪いのかもしれない。
そう考えると先程の彼の問いは、「お嬢様はワタシの事をどう思っていらっしゃるのですか? (ワタシは貴女の事が嫌いですが)」という意味であり、自分のこの気持ちに気付いてほしい、という訴えが込められていたのかもしれない。
それならば。
「ま、どのみちそろそろ他の方々もいらっしゃる頃合いでしょうからね、ティーカップを多めにご用意しておくと致しましょうか」、と空中にティーカップを複数作り出すミスティルに、リリウムは「ねぇ」と声を掛け。
「私達の仮契約、解除しない?」
「え……」
ガチャガチャガチャン、と空中のティーカップが一斉に落下した。落ちなかったのは既に空中に固定されていた火の玉とやかんだけある。
「は……? え……? な、なんで……!?」
ミスティルは両目を大きく見開き、顔色もまるで潮が引くようにサーッと青ざめていく。
「あの、ティーカップが大変な事になってるけど……」
しかしリリウムの言葉が届いていないのか、はたまたティーカップなどどうでも良いと思っているのか。
「今全然そういう話じゃありませんでしたよね!? じょ、冗談ですよね……!? そうですよね……!!?」
「えっと……私は本気で言ってるけど……」
「…………っ!!」
ミスティルの顔がさらに青くなった。今にも貧血で倒れそうな勢いである。
あまりの狼狽っぷりにリリウムも思わず目を丸くする。
……もしや自分の推理は間違っていたのだろうか。
「お嬢様はワタシの事、もういらなくなったのですか? 嫌いになったのですか……?」
「そ、そんな事はないけど……! むしろミスティルが契約解除したいんじゃないかなって思って……」
「ワタシが契約解除なんて望む訳ないでしょう!? 死んでも望みませんよそんなもの!」
「え、そこまで……?」
「そこまでです!」
……どうやら本当に自分の推理は間違っていたようである。
そんなにも魔女の魔力を得られる機会を失いたくないものなのか。魔女の魔力には中毒性でもあるのだろうか。
それにしても、彼がこんなにも取り乱すだなんて思わなかった。なんだか悪い事をしてしまったようだ……。
「えっと、なんか私の勘違いだったみたいで、ごめんね……?」
「まったくですよもう~……!」
はぁぁぁぁ~~……っとミスティルは今まで見た中で最も深い深い溜め息を吐いた。
……少なくとも、彼に嫌われている訳ではない、という事で良いのだろうか?
変に心配を掛けてしまった事は大変申し訳なく思っているのだが、正直なところ、少しだけ――ほっとした。
彼はいつも軽口を叩いてばかりだし、しょっちゅうからかって来るし、スケベなところがあったりするけれども、リリウムを本気で困らせるような真似は決してしない。それどころか、どういうわけかリリウムにとてもよく尽くしてくれている。
また、他の生徒達が使い魔として連れている小悪魔達は、勉強を嫌がって授業中は召喚者から離れて自由時間を満喫している者が多いが、ミスティルはリリウムの隣で静かに授業を聞いている事が多かった。もしかしたら一見不真面目そうに見えて、根は真面目で勉強熱心な男なのかもしれない。
それに無愛想なリリウムにいつも根気よく話し掛けてくれている。本人はきっと張り合いがなくてさぞやつまらなく感じているだろうに、それを非難する言葉は一切言わないのだ。
彼と出会ってからまだそれ程の時間は経っていないけれど、彼と共に過ごす時間は楽しかった。
ミスティルの事は嫌いではない。むしろとても大切なパートナーだと思っている。
もしも本当に彼に嫌われてしまっていたのだとしたら、少し――いやかなり――寂しいから。
「――ではこれにてこの話はおしまいです! 終了です! 契約解除の件は白紙に戻しましたからね!」
そう言いながら、ミスティルはパチンと指を鳴らした。すると無惨な姿と化していたティーカップの残骸が一瞬のうちに消え去った。こういう時、魔力で出来た食器というのは非常に便利である。再びティーカップを複数作り出した後、近くにあった大きめの切り株の上へと並べると。
「さて、無駄に魔力を使ってしまいましたからね、魔力を回復させて頂くとしましょうか」
「え……わっ!?」
両の腕でリリウムを包み込むように抱き締める。そして自身の頬をリリウムの肩や髪に埋める。それはさながら飼い主にすりすりと自分の首を擦り付けて甘える猫のようであった。
いつものようにリリウムの魔力を吸収しているだけではあるのだが……。
「こ、こんな所で抱きつくのはちょっと……! いつ人が通るかわからないし……!」
幸い、今は近くに誰もいないが、他の生徒や先生達がいつやって来るかわかったものではない。特にネメシアにはこんな姿絶対に見せられない。
あと何となくいつもより抱き締める力が強い気がする。
「何をおっしゃいます。これが貴女の仕事ではありませんか。少なくとも同じクラスの方々はご理解されているはずですが」
「うっ……」
リリウムは攻撃、回復、援護の魔法を使えるバランス型だ。しかしまだ高位の魔法を使う事の出来ない彼女は、言ってしまえば器用貧乏である。
こういった集団戦では、例えば攻撃役ならば攻撃魔法に特化した生徒に担当してもらう事になる為、彼女はもしもの時――つまり攻撃役の生徒が戦えなくなった時――用の補欠要員でしかない。
だが勿論もしもの時が来るまで何も仕事が無い訳ではなく、それまでは『偵察役かつ魔力の回復要員たるミスティルの魔力を回復する役』をする事になっている。
役割についてはまず、クラス内で話し合って役割分担を決める事になっており、その後隣クラスも含めた同じ役割の者同士でさらに具体的な話し合いをする。
クラスでの話し合いの結果、リリウムがミスティルの魔力の回復役になる事は満場一致で決定したし、リリウム自身も異議はなかった。
だが普段、人前ではせいぜい手を繋ぐ程度だったのに、これは流石に目撃した者に吃驚されるのではなかろうか。
「それに、ネメシア様とて悪魔の血筋の者。魔女と悪魔の契約の事をご存知ないはずがありません。契約した魔女と悪魔が抱き合っていたところで気にはしませんよ」
「そ、それはそれで傷付くんだけど……! 少しは気にしてほしい……」
異性として完全に眼中に入っていない事になるではないか。それは流石に寂しい。
「――ねぇお嬢様。何故あのような倍率お高めのお方に惚れ込んでしまわれたのですか? やはり顔ですか? それともお強いからですか? 性格? 血筋? はたまた人気者の彼に黄色い声を上げるというこの学園の流行りに乗ってみただけ??」
「違う。そういうのじゃない……あ、でも性格っていうのは合ってるかも……」
リリウムはミスティルに抱き締められた状態のまま、ネメシアに助けてもらった時の事を説明した。
「ほー、それはそれは。一度助けて貰った程度でそこまで惚れ込むだなんて、お嬢様は案外ちょろいのですね」
その言い方に多少ムッとはしたものの、自覚はあるので「うん……自分でも単純だと思う。でも好きになっちゃったから、どうしようもない……」と素直に頷く。
「変わり者の私が学園の人気者を好きになるのって、やっぱりおかしいかな……?」
嗜好も思考もどこかずれている自分が普通の人と同じ対象に好意を寄せるのは、やはりおこがましい事だろうか……?
「……別にそんな事はないでしょう。それに、お嬢様は猫やウサギなどの小動物がお好きなところとか、ごく普通のセンスもお持ちではないですか。お嬢様は単にストライクゾーンが広いだけなのでしょうよ」
リリウムはふわふわもこもことした小さな生き物が好きだ。ゆえに彼女の部屋には猫やウサギのデザインが施された小物や家具が置いてある。ミスティルはそれに気が付いていたらしい。
「そう、なのかな……?」
「ええ、ええ、きっとそうでしょうとも! それに好きな物の幅が広いのは良い事ではありませんか。それだけ幸せを感じる機会が多いのですから、とってもお得な事でございますよ!」
軽い調子で語る彼はいつの間にやらいつもの様子に戻っていて、少しだけ安心する。
「ですがですがお嬢様! 彼のような高物件はきっとライバルも多い事と存じます。オススメは出来かねますねぇ。もしかしたら既に告白のチャンスを虎視眈々と狙っている方がいらっしゃるかもしれません。いえいえ、それどころかもう恋人だっていらっしゃるかもしれませんよ!!」
「あの、もうちょっと声を小さくしてくれると助かるんだけど……」
「おっと、これはワタシとした事が、失礼致しました」
この超至近距離で力説されると流石に耳が痛む。
だが彼の言う事は一理ある気がする。いつ他の女子生徒に取られてしまうかわからない。
ならば先手必勝が得策か。
「あのねミスティル」
リリウムは密着状態のミスティルを一旦押しのける。
彼の赤い瞳と目が合う。いきなり押しのけられたからか、少し吃驚したような顔をしている。
「もうすぐネメシアさんが戻ってくるでしょう? そしたら彼に告白しようかなって」
「え……!? こ、これからでございますか……!? そ、それは流石に急すぎるかと存じますが……!」
「でも思い立ったが吉日って言うし」
「急いては事を仕損じるという言葉もございますよお嬢様! そういう大事な事はもっと慎重に行動するべきです! ただでさえハードルの高いお方なのですから! お嬢様は口下手でいらっしゃいますし、もう少し準備期間を設けても宜しいかと! それに先程も申し上げた通り、既に恋人がいらっしゃる可能性とてございますので、まずはもっと相手の事をリサーチするべきかと! ええ、そのほうが良いに決まっておりますとも!!」
……先程からなんだか妙に熱弁を振るってくる。まるで自分の告白を阻止しようとでもしているかのように……。
――ああそうだった。彼は小悪魔なのだ。という事はだ。
「……ミスティル……貴方もしかして、私にネメシアさんを諦めさせようとしてない……?」
「……おやおや、お嬢様にはそのようにお見えになるのですか?」
にっこりと、いつもの笑みを浮かべる。とても胡散臭い笑顔だ。そんなミスティルにリリウムは告げる。
「……貴方は小悪魔だもの。小悪魔は人の恋路を邪魔するの、好きでしょう?」
「――はは、流石はお嬢様。バレてしまいましたかー。ええ、その通りです。ワタシは小悪魔、恋のキューピッドなどではなく小悪魔。お邪魔虫役のほうが性に合っているものでして、つい」
……やっぱりか。これも小悪魔の習性なので仕方のない事ではあるのだが、このまま邪魔され続けるのはごめんである。
「……あんまり度を超えた邪魔をするようなら本当に契約解除しちゃうからね……?」
今回は先程とは違い、本気で言っている訳ではないが、この小悪魔にはこのくらいの牽制が必要であろう。
「おっと、それはとてもとても困りますねぇ、怖い怖い。ええ、ええ、肝に銘じておきますとも、お嬢様!」
こちらも先程とは違って取り乱したりはせず、笑顔を浮かべたままだ。彼の言葉はいまいち信用できない為、一応警戒はしておこう。
まあそれはともかくとして。
「……でも、既に恋人がいる可能性は確かに否定出来ないとは思う……」
「ええ、そうでしょうそうでしょう! お嬢様もとっても怪しいとお思いになるでしょう!?」
「うん、まあ。……けど、小悪魔の情報収集能力でもそこはわからなかったのね」
「おおっと、これは痛い所を突いてきますねぇ。所詮小悪魔の力には限度がございますゆえ、格上の相手が本気で隠そうとしている事を窺い知る事は出来ないのですよ」
……こんな事を言っているが、本当は知っていてわざと隠している可能性もある。このおちゃらけた男の本心は本当に読めない。
とはいえリリウムは別にミスティルに協力して欲しいわけではない。自分の事は自分でやるのがリリウムの信条である。
「……そう。なら、やっぱりこれから彼に直接聞いてみるのが一番ね」
「いえ、ですからそこはもう少し慎重にですね……! 別に今日でなくとも宜しいではありませんか。ましてやここは戦場ですよ? 我々は今戦闘中であり、命懸けの任務の真っ最中なのですよ!? 色恋に現を抜かしている場合ではないんじゃないですかね……!?」
言われてみれば全くもってその通りであり、いわゆるド正論である。
どうやら自分は相当周りが見えなくなっていたようだ。恋は盲目とはよく言ったものである。
特にミスティルにとって、今回の魔獣は天敵なのだ。もっと戦闘に集中しろ、青春している場合ではない、と非難してくるのはごく当然の事であった。
「そう……だよね。ごめん。敵の殲滅が済むまで、戦闘に集中していないと駄目だよね……!」
「そうですそうです、お嬢様! ではこの話はまた後日に……」
「それじゃ戦いが終わった帰り道に告白する!」
「なんでそうなるんですか!?」
「え、だってそれなら別に問題はないでしょう……? いつまでも悶々とした気持ちでいるのは嫌だし、既に彼女がいるのがわかればスパッと諦めが付くし」
「それはまあ……そうかもしれませんけどー……」
ミスティルはまだ笑みを浮かべたままだが、苦笑いというか、困り顔に近いというか、なんだか焦っているようにも見える。
何故そんなにも人の恋路を邪魔したがるのか。小悪魔界隈ではそういったノルマでもあるのだろうか。
悪いが、彼のノルマ達成に貢献してやるわけにはいかないのである。
「……ミスティル。これは私の問題だから。パートナーの悪魔とはいえ、貴方には関係ない事だから。これ以上は邪魔しないでほしい」
「…………かしこまりました。お嬢様の仰せのままに」
ミスティルは胸に手を当て、深く一礼した。
いつもは窘められても涼しい顔をしているくせに、今は明らかにしょんぼりしている。その姿は叱られて尻尾と耳をへにょりと垂らした忠犬を彷彿とさせた。
少しきつく言い過ぎただろうか……?
仮とはいえ契約を結んだパートナーであるわけだし、「貴方には関係ない」と言われて、自分だけ除け者にされているように感じてしまったのだろうか……?
彼は案外寂しがり屋なのかもしれない。
もしくは、契約した魔女に恋人が出来たら共にいられる時間が減る――魔力を得られる機会が減ってしまう、と危惧しているのかもしれない。
そんな事はない、ちゃんとこれまで通り大事なパートナーとして接する。
それがわかってもらえるように、何とか彼を安心させてあげなければ……。
リリウムは出来る限り優しい声でミスティルに話しかけた。
「え、えっと、あのねミスティル。最近勉強や野外合同実習の訓練ばかりだったからさ、今度の休日に街の中心部に何か甘い物でも食べに行きたいなって思ってるの。ミスティル甘い物好きでしょ? 付き合ってくれると嬉しいんだけど、どうかな……?」
人間が水だけではしばらくの期間しか生きる事が出来ないように、契約した悪魔も魔女からの魔力だけで生きていく事は出来ない。生存活動には普通の食事も必要なのである。
悪魔種族によって食べる物は違うが、ジョーカーは人間とほぼ同じであり、ミスティルは特に甘味の物が好きである。ちなみにコーヒー等の苦い物は苦手なのだそうだ。それを聞いた時、不覚にも可愛いと思ってしまったのは秘密である。
「……おや、お嬢様からデートのお誘いを頂けるとは、なんたる光栄……おっと、現在恋愛中のお方にこんな事を言ってはいけませんね。これは失言でございました」
「そのくらいは別にいいよ。でも私以外にはあんまり不謹慎な事言っちゃ駄目だからね……?」
彼の軽口は相手によっては怒りを買ってしまい、半殺しにされかねないので。
「ええ、ええ、勿論でございますとも、お嬢様!」
……まだ多少表情に陰りを感じるものの、いつもの笑顔に戻ってくれてひとまず安心する。
……それにしても、なんだか今日のミスティルは表情がころころ変わる。やはり天敵との戦闘に緊張して、多少情緒不安定になっていたのだろうか……?
――その後、ネメシアや魔力切れになった他の生徒達がやってきて、予定通りミスティルは彼らに紅茶を振る舞った。
そしてリリウムはネメシアにこっそりと、実習が終わったら帰る前にもう一度会って話がしたい旨を伝え、ネメシアもそれを承諾した。
さらにその後は戦闘もいよいよ大詰めとなり、補欠要員であるリリウムも前線に駆り出された。また魔力の回復役であるミスティルは、次から次へとやってくる魔力切れの生徒達の為に、紅茶用のお湯をひたすら沸かし続けた。
魔獣との戦闘が終わる頃にはほぼ全ての生徒が生傷だらけでへとへとであった。
それでもリリウムはネメシアの元に赴き、ネメシアもまた約束通りリリウムと話をしてくれた。
本当に律儀で誠実な御仁である。
そしてリリウムは自分の想いをネメシアに伝えるのだった。