鍵を持ったら?
澄んだ水が流れる美しい川に、色とりどりの花が咲き誇る広い野原。
どこからか心地良い音楽が流れてくるその方向には、美しい男女が語らい笑い合っている。
何人かは竪琴の様な物を奏で、それに合わせて歌を歌っている人もいた。
まるで楽園と呼ぶに相応しいこの景色は、どこかで見た覚えがある。
ここはどこだろう?
見た事がない筈なのに、なんだか懐かしい様な気がする‥‥
テレビで見たルネッサンス時代の、宗教画を覚えているのかもしれない。
えーと旧約聖書?
何かあの人達の服装は古代ギリシャの彫刻みたいだし、東洋人でない事は確かだ。
まあいいや、とりあえずあの人達に聞いてみよう。
僕等の英語が通じればいいんだけど。
フィンはそんな事を考えて前へ進み、美しい人々に近付こうとした。
ところが、進もうとしても全く前へ進めない。
透明な壁の様な物に阻まれて、進む事が出来ないのだ。
見えない壁は押してもビクともしない。
暫く頑張って押してみたが、諦めてその場に座り込む。
その内に妙な圧迫感を感じて、息苦しくなって来た。
胸が苦しい!
なんだか重いし‥‥
何だこれ?
苦しい‥重い‥!
「フィン兄!早く起きて!」
サラの声にフィンはビクッと体を震わせた。
「お寝坊フィン兄!早く起きないと遅刻するよ!」
サラはフィンのちょうど胸の辺りを跨いで、顔を覗き込んでいる。
「夢‥‥!?道理で苦しいと思ったよ!起きる前に死ぬ所だった」
「えーサラそんなに重くないもん!」
「いや、確実に重くなってるからやめて!死ぬからね!一歩間違えば本当に死ぬからね!」
「分かった、もうやらない。早く起きて!」
「起きるから!ちょ、マジやめて!」
サラはフィンの布団の上をゴロゴロ転がり始めた。
最近これが気に入っているらしく、転がり方もハンパない。
フィンの足元まで転がると、また胸元まで戻って来る。
フィンは堪らず布団を持ち上げサラをクルクルと簀巻きにして、布団ごとサラをギューッと抱きしめた。
「捕まえた!いたずらっ子はどこの子だ?」
キャーと喜びサラはジタバタと暴れている。
この、サラが名付けた『布団クルクル』までやらないと、サラはやめてくれないのだ。
「2人共!ご飯いらないの?早くしなさい!」
呆れ顔のケイトリンが戸口で腕を組んでいる。
「「はぁい!」」
サラを離して布団から出してやると、フィンは着替えて洗面所へ向かった。
ペンダントのチェーンの先には、しっかり鍵が下がっている。
フィンはそれを服の下に隠して、1日過ごしてみる事にした。
朝食を済ませてカバンを自転車のカゴに入れると、学校へ続くいつもの農道を走った。
季節は夏。
早朝とはいえ、日差しは強い。
あと3日で夏休みに入るから、この暑さも暫くは避けられるだろう。
学校の自転車置き場へ自転車を停めていると、同じく自転車通学の友人である川堀と一緒になった。
「‥‥っはよ」
随分と疲れた顔で川堀が挨拶をする。
「おはよ!なんか疲れてんじゃね?まさか勉強のし過ぎとか?」
「んーいつもと変わんないよ。ただ、昨日塾の帰りにコンビニ寄ったらさ、変な女の人に追いかけられたんだよね。マジで怖かった!」
「えっ!!追いかけられたって、警察には行った?」
「うん。警察に向かって走ったんだけどさ、俺の背中を叩いたらどっかに行っちゃったんだよ。本当なんだったんだろう?その後から体は怠いし、頭は痛いし散々だよ」
「背中‥?」
フィンは何気なく川堀の背中を見た。
すると背中の真ん中に、変な生き物がしがみ付いている。
サッカーボールくらいの大きさで、丸い体に短い手足、胴体と同じ大きさの頭が乗っていた。
ギョロリとした大きな目が顔のほぼ半分を占め、鼻と口は穴が空いているだけの様だ。
鍵持ってたって全然変わらないじゃん!
バッチリ見えるんだけど。
あーでもこいつのせいで川堀は体調不良なんだよな。
なんとかしてやらないと。
でも、どうやって?
ジーっと背中を見つめるフィンに、川堀は不思議そうに尋ねた。
「えっ?俺の背中に何か着いてる?」
「ん?いや、この背中に何か魅力でもあんのかなぁと思って。ほら、わざわざ追いかけるくらいだし」
すると川堀はまんざらでもない顔をして、いつものおちゃらけキャラになる。
「やっぱ分かっちゃうのかなぁ。俺から溢れ出る男の魅力が。男は背中で物を言うってね!」
「いや、溢れ出てるのは、チャラさだけだからね。その自慢の背中が汚れてるから、ちょっと叩いて落とすよ?」
「えっ?汚れてた?」
「うん。動くなよ?」
川堀はコクンと頷いて、大人しく待っている。
今迄こういうおかしな生き物を、避けるだけで触れた事は一度も無い。
フィンが怖がると奴等は喜んで追いかけて来るからだ。
でも、川堀は大事な友達だし、なんとかしてやりたい!
その一心で勇気を出して、フィンは川堀の背中に手を伸ばした。
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