第六話 傑女
さて、その三人は酔った足のまま河内伴成の屋敷を通り過ぎる。そして、下館と言う、高田義重の大きな屋敷も通り過ぎ、椙澤資和の住まう屋敷である大館に向かってゆく。城とは違い、大きな平屋のお屋敷だ。
広くて長い坂道を上がり、大手門をくぐると、右には警護をするために宿直する侍の控える施設があり、左にはそれこそ椙澤資和の屋敷だ。
彼らはなんと、右側ではなく左側へ足を向ける。互いの肩を組みながらふらふらと正門に入った。
そこには三つ指をついて迎える侍女たちと、赤い着物姿の美女がいた。白い小顔に紅を塗った頬。唇は油を塗ったように光りふっくらとしている。そして美しく輝く大きな目。これは資和の妻であるお恵の方である。
数え十四で資和の正室となり八年。四人の子を産んでいるが未だに領内にお恵の方を越える傾城なし。それが笑顔で三人を迎えた。
「お帰りなさいませ、夫さま。藤次郎に文左衛門も」
「お恵。ただいま帰ったぞ。皆もつつがないか?」
「ええ。このように、お館様のお帰りを首を長くしてお待ちしておりました」
「さようか。では部屋で改めて飲むとしよう。藤次郎、文左衛門。共をせい。お恵は給仕をせよ」
「かしこまりました。藤次郎も文左衛門も遠慮せずに。これ御許たち。大将たちの上着を直して差し上げなされ」
と、お恵の方は侍女たちに指示をした。
なんと驚いたことに、ジサブは領主である、椙澤二三郎資和であったのだ。
サブロウは、あの鬼の高田藤次郎義重。
シロウは、馬を扱えば天下一。河内文左衛門伴成であった。
三人は草履を脱ぎ、屋敷の中に入ると談笑しながら資和の部屋へと向かう。それに続く二人の侍女を率いたお恵の方ではあるが、笑顔で高田義重の帯を掴んだ。
「ほっほっほ。藤次郎。袴が汚れておる。今日は何をして遊んだのえ?」
「やや。お方様。領内の巡察でございますよ。巡察。それに拙者はお供であって、遅くなるのは二三郎がいけないのです」
高田義重は、資和と幼い頃から共に生活した従兄である。その頃からのクセが抜けず、気を許したものの前では主君にも関わらず「二三郎」と呼び捨てで呼ぶ。お恵の方はそれが面白くないわけではない。別の理由で声を張り上げた。
「お だ ま ん な さ い」
先に進む資和をそのままにして、声を聞かれないよう高田義重と河内伴成に顔を近づけて怒りをあらわとし足止めにするお恵の方。後ろに控える侍女二人は、前に歩んでそれを資和から隠すように屏風のように立ち隠してしまう。広い廊下でお恵の方は二人を美しい目で睨み倒した。
「そなたたち二人がお館様を止めもせずに遊ばせておるから、私とお館様の時間が短くなると思わんのか! この粗忽者!」
この領内で、まさか高田義重と河内伴成を叱りつけるものなどない。ないはずなのだが、お恵の方の叱責にただただたじろぐ二人。歴戦の武者が形無しだ。
「さてはお館様はどこぞで女子でも拾い、そなたはその女衒でもしているのであろう!」
「そ、そんなことは致しませぬ。二三郎はお方様一筋故……」
お恵の方の迫力で。背中が床につきそうなくらい折れ曲がってしまった二人。鬼と騎馬天下一もあったものではない。
「ではそなたたちは、なんじゃ。衆道か? お館様を酔わせて襲うつもりか。この男色ものめ!」
まさか一日のうちに二度も男色と言われるとは思わず、高田義重は無駄な抵抗をした。
「そんなことはございません。我らも奥方のみでございます」
それにニヤリと笑うお恵の方。
「さようか。ではさっさと帰って奥方の中と七を抱くと良かろう」
と二人の女房の名を出した。
「あの」
「それとこれとは」
なかなか部屋に来ない三人にしびれを切らし、資和は部屋から顔を出して呼ばわった。
「おい。お恵。藤次郎、文左衛門。なにをしよる。さっさとこい」
それに鬼の形相から可愛らしい女子の顔に戻ったお恵の方は振り返り甘い声を出した。
「ああん、資和さまぁ。恵は止めたんです。必死に止めたんですけどぉ、お二人が帰るって聞かないんです」
「何、そうなのか?」
「そうなんですぅ。そうよね。二人とも!」
と、鬼の形相で振り返る。慌てて二人は頭を縦に振った。
「さようか。二人とも今日は一日ご苦労であった。また明日も公務のために出仕せよ」
「は、ははぁ」
二人ともそう言って頭を下げるのを、お恵の方は侍女を呼ばわって大手門まで見送らせた。
自宅の屋敷に向かう二人の大将。高田義重は道の脇の笹の葉をちぎって口に咥える。
「鬼の藤次郎どのも、形無しですな」と伴成。
それを義重は鼻で笑う。
「文左衛門こそ」
戦場では長槍を構える大きな手を頭の後ろに回して伸びをする伴成に月明かりが降り注ぐ。
「まぁ恵どのに言われたら」
「おいおい。まだ未練があるのか? 嫁もおるくせに」
「藤次郎どのこそ」
「馬鹿を言うな。もう未練などないわ」
そう言うが、伴成の顔をまともに見られない虚言。
戦災孤児で大館の侍女となった「恵」に恋をしたのは主君、資和だけではなかった。ここにいる大将二人も。
しかし主君の正妻となりあきらめるしかなかった。その夫は親友の資和である。
彼らが生涯、決して領内に敵を入れることはしなかったのは、護るべき、愛するべきもののためであったのだ。