第三話 奇略を託す
それから数日後。
山々に囲まれた左藤領と椙澤領の国境付近に捨松はいた。
手には竹簡と筆を持ち何やら書き記している。
日も暮れかけ、竹簡をしまい野宿する竹藪に向かおうとしたときであった。
槍を抱えた武者が、馬にまたがり供のものを連れて真っ直ぐに駆けてくるではないか。
捨松に嫌な汗が流れる。咄嗟に逃げようとするも大声で咎められた。
「おいおい、百姓! 貴様何奴じゃ? ここでなにをしよる」
乱暴な口の利き方の侍だ。
捨松は、命の危険を感じて下がって地面に平伏した。
「怪しいヤツ。忠兵衛。いかがする」
「されば、正虎さま。敵の間者やもしれませぬ。そうそうに斬ってしまいなされ」
正虎。それは捨松も知っている名前であった。
椙澤八四郎正虎。領地を得て刈谷正虎と名乗っている。
これぞ、椙澤資和の実弟。だがよい噂は聞かない。
暴虐で私利私欲が強く、何度も資和とぶつかり合っている。
と言うことは、その周りに控えるお供は腰巾着の戸倉長時と上村忠兵衛であろうと察したが、そんなことを考えている場合ではなかった。
その正虎が刀を抜いて、振り上げる。
捨松は驚いて、後ろに転げてしまう。今日が自分の命日となってしまうのか? 仕官もまだしていないのに。アツとの約束はと、胸の中がひんやりと冷え込んだ。
「ふふふ」
馬上で刀を構え笑いながら正虎は、捨松に近づいてくる、その時であった。
「こら! なにをしよるか!」
見ると、別の騎馬武者が駆けてくる。正虎は振り返って眉間に皺をよせた。
「ぬう。やばい。戯れは終わりじゃ。長時。忠兵衛。参るぞ」
そう言うと、供のものを連れて駆け出して行ってしまった。
駆けて行く際に、馬に泥をかけさせゆく。
捨松の顔にベットリと泥や馬の糞やらがついた。
そんな捨松に騎馬武者は馬から下りて体を起こしてやった。
「なんとも、むごいことをなさるもんじゃ。ケガはないか?」
「は、はい。大丈夫……」
今度はその騎馬武者を追って来たのは二人の侍。
仲が良いのか手を上げてにこやかに声をかけてきた。
「あ、いたいた。おーい、ジサブ……」
そう言っているのを途中でそのジサブという武者は手を上げて言葉を静止する。
「お、おう。人がおったか。なんともヒドい姿に……」
「い、いえ。泥がついただけです故」
捨松はバタバタと着ている服で泥を払った。
おそらくこの三人は警護のものであろう。そしてここは河内伴成の陣の近く。ひょっとしたら口を利いてもらえるかも知れないと僅かながらに思った。
「ここは戦場じゃぞ? 気が立っておるものもおる。こんなところでなにをしておったのじゃ?」
そう言われると捨松の方でも嬉しくなる。何も狂って戦場に来ているわけではない。自分が思っている軍略がどう活用できるか、考えるのが好きなのだ。
数日、見てきた戦の状況。それを思い出せば今後の行く末が見えてくる。
「いえ、もはや椙澤勢の勝ちでございます」
そう言って三人を見ながら、衣服についた泥を払いながら立ち上がり乱雑となった野っ原を指差した。
「ごらんなさい。この左藤勢の陣の跡を。椙澤勢の奇襲によほど慌てたのでしょう。兵は武器も取れず、鎧も着れずただただなぎ倒されて行くだけ。まったく見事でございます」
味方を褒められて嬉しくなったのか、ふふんと得意気な三人の侍。しかし、捨松は続ける。
「これで勝ったようなものですが、危うい。危険の上に立った勝利でございます。あの山城は難攻不落にて、そう簡単には落とせますまい。この土地はとれましょうが、防御には弱い。いずれまた取り返されてしまいましょう」
捨松がさらに指す方には普立山という切り立った山。
その山頂には山城があった。
城主は篠山典禅。
左藤誇る歴戦の勇者だ。
「いかに、侍大将の高田義重どのが勇猛といえ、椙澤資和さまが戦上手といえ、あの山城では五百やそこらの兵では落とせますまい。作戦が無いわけでもございませんが」
そこまで言うと、侍の一人が声を荒げた。
「お館さまと藤次郎さまが考えた作戦にケチをつけおって。大言壮語するやつじゃ。篠山典禅は忠義な男。策などでどうにかなるか!」
と怒鳴ると、それに対してジサブが手を上げて制止しながら聞いてきた。
「まぁまぁまてまて。さればなにか手だてはあるか?」
それに対して捨松は語り出す。
「さすればこのような計はいかがでしょう?」
その目は輝きを増し、とても浮浪者とは思えない大将ぶりな語りであり、どちらが侍なのか分からなくなってしまうほどであった。