第二話 一時の別れ
それから一月半。
捨松は農家の手伝いをして日当を稼ぎ、食糧と膏薬を買いアツを手厚く看病した。
アツは言葉でお礼は言わないものの、捨松の義理堅い気持ちに多大なる感謝を寄せていた。
僅かな油の灯り。二枚のムシロの上に互いに横になり語り合った時間は二人を親密にさせていた。捨松の仕官の夢。その仕官から派生するであろう、アツの故郷の奪還。いつしか二人はその夢を実現させようと思っていたのだ。
やがて、アツの足も回復し跳躍で折れやすい柿の木に登れるほどになっていた。
「まるで猿のようじゃな」
「猿とは失礼な」
「いやぁ、するりするりと見事見事。もはや完治したも同然じゃな」
「そうだな」
二人はそんなことを言いながら笑う。アツは捨松に己の技を見せるように両手で細枝を掴んで何回転もしてみせた。捨松は驚きと尊敬で驚嘆の声を上げる。
それを見計らい、突然表情を変えたアツは木の枝に両足をかけ、だらりと体を逆さに垂らして捨松の顔の高さに逆さの顔を向けた。
「捨松。一時の別れ」
「なに?」
突然の言葉に戸惑う捨松。しかしアツはいつもの冗談話ではなかった。黒装束の首の部分を掴んで口元まで上げるともはや真剣な目しか残らない。アツは腕組みをしたまま続けた。
「この一月半、厄介者のワシを嫌な顔一つせずに看病してくれたこと感謝に堪えん。怪我をしておるワシを抱えていたのでは仕官もし難いであろう。仕官に集中してくれ。ワシもこの緩やかさについつい甘えてしまったよ。ワシは墨谷の生き残りを探しに行く。それまでに椙澤お館に仕官しておいてくれよ」
「お、おいちょっと待ってくれよ」
「いや待たん。立派な大将捨松の家臣を集めて参る。墨谷一党をガッカリさせんでくれよ。頼むぞ」
そう言うとアツはふっと消えてしまった。まるでつむじ風のように。アツのいた枝だけが僅かに揺れていたがそれもおさまってゆく。捨松の上げた手が空しく下がった。
「立派な大将か……」
捨松はポツリとつぶやく。
アツの言うとおり、侍でも浪人でもない一介の浮浪者が仕官できるなどと狂気の沙汰だ。
椙澤資和は近隣に名前を轟かす名君主である。と言うことは、知識人でも常識人でもある。
それが捨松のようなものを目に留めるなどと奇跡に近いものであった。
椙澤資和には頼みとする大将が二人あった。歳も近く仲も家臣扱いしない間柄。
親類でもある高田藤次郎義重。
彼は椙澤勢の侍大将で軍事の帥。近隣の敵対する武将からは「鬼」と言われていた。
戦場では獅子のように暴れ回り、恐れられている。
「赤鎧の鬼高田」。義重もその呼び名に誇りを感じるほどだった。
もう一人は河内文左衛門伴成。
こちらは元々侍ではない。椙澤資和の屋敷である大館に出入りする薪売りの息子であったが、父が商談の折に、資和と義重と遊び、馬の扱いが非常に達者であったので、河内の姓を受け近習に取り立てられ、やがては足軽大将となった男である。
騎馬隊を率いさせれば天下一と領内では歌われている。
「やっぱり、河内どのに面会するべきかな?」
捨松は寺の床下でポツリとつぶやいた。
アツが出て行ってから仕官への気持ちがなおさら強くなっていた。
すぐさま椙澤資和に面会しようとしても門前払いであろう。
それならば、もともと侍ではない河内伴成のほうが境遇を知ってくれるのではないだろうか?
そこで戦働きをして、椙澤資和に近づく。
そんな道のりを考えていたのだ。
そんな折、椙澤資和が隣接する領主である左藤秀政に勝負をかけた。
三千の兵を率いて国境で激しくぶつかっている。
それを町で聞いた捨松はいても立ってもいられなくなり、少しの荷物を持って国境へと向かっていった。





