第十話 昇竜
椙澤領内にある虚空蔵寺の床下はこの三日ばかり賑やかになっていた。どこぞの浮浪者集団がたむろしていると噂になるほど。
その中心人物である二宮捨松は、墨谷の女に髭を当たられ、髪を結われていた。
「いててて。もう少し優しく出来んのか」
「何言ってんだい。今まで無精に伸ばし続けた報いさね。もうじき大館から迎えが来るってのに、そんなんじゃ追い払われちまうよ」
と風体に無頓着な捨松を叱りつけていた。忍者は多少育ちが悪いゆえに口が悪い。
もうじき、この集団のお館となる捨松ではあるが、扱いは風来坊のままであった。
アツと、その横に立つムツと言う男も、それを笑いながら見ていた。
「わっはっは。わしらのお館さまにはさっさと出世して貰わんといかん。それには見た目も大事じゃからな」
「そうじゃ。それに名前もいかん。全然侍らしくない」
墨谷の者たち二十人が捨松を囲み、ああだこうだと自分が考えた名前を言う。今まで無頓着な捨松だったが、自分の名前を勝手につけられたくなかったので、自分の名を考えた。
「も、元治はどうじゃ」
「元治?」
「ふうむ」
「いいんじゃない?」
「かっこいいよ」
「日本を元通りの平和にすると言う意味じゃ」
「へー」
「なるほど」
「いいね」
「元治かぁ」
「決まりだな」
「では、これからわしは二宮元治じゃ。そなたたちもそのように呼んでくれ」
「分かった」
「分かったよ捨松」
「捨松。今度は着替えをしなよ」
「そうそう。刀の佩き方を知ってるか? 捨松」
「全然わかっておらん」
「そうか。じゃあ教えてやるな」
数人が寄って刀を装着してくれるがそう言う意味じゃない。
せっかく新しい名前を決めたのに、さっぱりその名前では呼んでもらえず、元治は苦笑いを浮かべた。
そこに、大館からの使いというものがやって来た。
「拙者は風炉右近と申す、椙澤お館さまよりの使者でござる。二宮どのはご在宅かな?」
「はは。拙者が二宮でござる」
無理に取り繕った侍言葉に、後ろに控える墨谷の者たちから失笑がもれる。
「さようであるか。お館様がそなたと面会したいとおっしゃっておる。都合がよいならば拙者と共に参り侍ろう」
「は、はは。今すぐでございますか。かしこまりました」
元治は使者に連れられて、拝領した新品の裃を着用しガチガチになりながら大館の長い坂道を登る。
大手門をくぐり、左にある大きなお屋敷に入り、案内されたのは大きな広間であった。
そこにはすでに数人の武将が上座から並んでおり、上位にはまだ空席がある。おそらく、主君椙澤資和はもちろんのこと、侍大将の高田義重と、足軽大将の河内伴成であろうと推察していた。
やがてトンと太鼓が小さくなる。
「椙澤お館、ご出座ァ」
途端に並み居る侍たちが平伏。
元治も慌てて平伏する。
足音が四つ。それもそのはず、椙澤資和、お恵の方、高田義重、河内伴成が順に入り込み、それぞれ自身の席へとどっかりと座り込む。
元治には真正面の主君の座から資和の声が聞こえてきた。
「そなたが先の戦において、吾らを暗殺集団から守ったものか。仕官を求めていると聞いた。喜んで迎え入れたい」
「ありがたき幸せ」
「名は何という」
「されば、二宮元治にございます」
「元治? プッ」
上位の席からの失笑。頭を下げたまま元治は真っ赤な顔をした。
それほど変な名ではなかったと思ったが、おかしな名前だったのかも知れないと、恥ずかしくなった。
そんな思いとは裏腹にますます笑い声が大きくなる。
元治は上げたい頭をこらえ、平伏していると、自分の前に三つの足音が迫る。それが自分の前にしゃがみ込むのが分かった。
「もうよい。捨松。面を上げよ」
「え? す、捨松?」
元治が顔を上げるとそこには見覚えのある顔が三つ。
ジサブ、サブロウ、シロウだ。
「なんじゃ捨松、その髪は!」
「髭がのうなっとるではないか」
「わっはっは。大変にめかしこんどるのう」
と笑われ、赤い顔がますます赤くなる。
並み居る武将の前だが心やすい友だ。
思わず声を張り上げる。
「うるさいわい。文句をいうなぃ」
そう言って笑い合うものの元治はよく状況がつかめずに首を傾げた。
「はて? お館さまは?」
と言うと、ジサブが笑顔で自分の顔を指差す。
見るとジサブの裃の家紋がいつもと違い、椙澤家を示す、五七桐。
ようやく分かった元治、慌ててもう一度平伏した。
「なんともご無礼を! どうかお許しを!」
「はっはっは。よいよい。大軍師をお迎えするのに周の文王を気取ったが、なかなか上手くいかず、このような形となった。こちらこそ許せ。許せよ」
「……大軍師。もったいないお言葉!」
「いやいや。先の暗殺集団のこと、良く気付いてくれた。そうでなくては今ごろ吾も、藤次郎も文左衛門もあの世行きだ。これからも、吾を支えて欲しい。よろしく頼む」
「ありがたき幸せ!」
かくして、二宮元治は椙澤に仕官が叶った。
五百石で召し上げられ、大館の城下に大きな屋敷を拝領し、そこで墨谷党と寝食を共にし、深い絆を結んだ。
それから椙澤資和の知恵袋となり、出世して行った。
しばらくして。
「これ。藤次郎、文左衛門、捨松。金山を見に参るぞ」
「はは!」
資和の命により三人は、大館の広間より立ち上がる。
資和の兄弟付き合い以上のものが一人増えた。
もはや元治の信頼は不動のものとなっており、元治もその信頼に応える作戦を立てた。
金山に向かうために大館の廊下を歩く四人の最後尾には、お恵の方と侍女が二人。そのお恵の方が元治の帯をつかむ。
「あッ……」
「ほっほっほ。元治や。金山の視察か。大事じゃのう」
「ははぁ。お方様。また新たな金脈を見つけまして、これの量を見に参るのでございます」
「さようであるか」
にこやかに笑うお恵の方であったが、その間に侍女二人が二人を追い越し屏風のように立ち、見えなくしたところでお恵の方の美しい目がカッと光る。
「いつまでも遊んでないで、さっさとお館様を大館にお返しになりゃれ! この前のように此方の屋敷で朝まで飲んだくれておったとなったらただじゃおかんからの!」
思わず廊下でたじろぐ元治。
お恵の方の迫力に驚いて背中を壁に打ち付けた。
そこに資和が玄関先から顔を覗かせる。
「おい、お恵。捨松。なにをしよる。さっさと来い」
「ああん。資和さまぁ。元治から新しい金脈について聞いていたんですぅ」
「さようかぁ。お恵は勉強家じゃのう」
「そんなことぉ。そんなことないぃ」
それを聞くと資和の顔が玄関の方へ引っ込む。お恵の方の余りの豹変ぶりに元治、目を白黒させているのを、お恵の方はギロリと睨みつけた。
「元治。お館様がお呼びぞ! なにをグズグズしよるか! さっさと行きゃれ!」
「は、はい!」
近隣に敵無しと言われた二宮元治。
しかし、この主君の愛妻にだけは生涯頭が上がらなかったようである。
さて、寺の縁の下で主君資和と高田義重、河内伴成の行く末を予想した元治の言葉は後年明らかとなる。
椙澤、高木、高科の同盟軍は、人藤勢を攻め、人藤を徹底的に追い詰めるが、ここで椙澤正虎が手柄を立てようと抜け駆けし、それを諫めるために河内伴成が正虎を追いかけるものの敵の奇襲に遭い討ち死に。
河内伴成を討たれ、捕らえられた正虎に激高した椙澤資和は感情ままに敵陣に単騎で斬り込んでいくのを、高田義重は馬の手綱を取って諫め、守りながら自陣に連れ帰るも全身に矢を50以上受け針鼠のようになって絶命。
結局、人質となった正虎と、土地の交換を申し入れられ、身内可愛さに椙澤資和は折れ、大将を二人失ったまま領地に戻り、愛妻お恵の方に手を握られながら失意のうちに病没する。
二宮元治はその後、資和の嫡男である和頼に仕え、人藤、左藤を滅ぼし、親友たちの仇を討った。その後、和頼より十万石の迫の地に封ぜられ墨谷党に墨谷の地を返しアツとの約束を果たした。
あの寺の下の風来坊が、まるで鳳凰のように大きく翼を広げ天下にその名を轟かせる男となったのであった。