第一話 出会い
その男は戦国の一雄である椙澤資和の領内を歩いていた。
杉の大木が立ち並び、その木立の隙間から吹く風に涼し気な顔をする。
身の丈五尺二寸(156cm)、髪はボサボサ、ヒゲはぼうぼうと生い茂っており、風体はみすぼらしい。
町人でもない、浪人でもない。浮浪者。今で言うホームレスだ。猫も気に留めないで通り過ぎる。
そんな男はいつも寝泊まりする椙澤家の菩提寺である虚空蔵寺の床下に入ろうとした。
寺の床下は高い。座っても頭にまだ隙間ができる。
彼にとっては座って半畳寝て一畳あれば良いので丁度良い寝城。だがそこはいつもとは違っていた。
「うん?」
いつもの自分の部屋……といえば大げさであろう、床下に二枚のムシロを敷いただけ。
そのムシロの上に黒装束の男が横たわっており、それが気配に気付きパチリと目を覚ます。
「……おや。そなたの住処でござったか。これは失礼した」
といって、体を引きずって別の方向に這い出そうとする。
「おやおや、待ちなされ」
見ると、足がケガをしているようだ。それもかなりの深傷。
「なんとも可哀想に。よいよい。横になっておいて下され」
男はそう言うと、ケガをしている男に近づいてそのままムシロに横にならせ、自分は町に走って行き、農家の肥かつぎや、薪割りなどの日雇いの仕事をして粟やら魚、傷に効く膏薬。そして少量の酒を買って戻って来た。
笑顔で床下を覗くが、目的の男がいない。
それもそのはず。彼はもぞもぞと気配を消して、這いながら奥に逃げようとしているところであった。
「これこれ。わしじゃ。ええと、そなたは……名はなんじゃったかな?」
「そういうお前の名はなんじゃ?」
男は思わず噴き出した。それにつられて黒装束の男も。やがて二人して笑い合う。互いにまだ自己紹介もしていなかったのだ。
床下の男は体を引きずりながら出て来る。人の良さそうな男に心を許し始めていた。
「すまん。追っ手かと思った故」
「追っ手? 誰ぞに追われておるのか?」
「いや、実は人藤勢と迫勢の戦があったのはご存知か?」
「うんうん。人藤勢の勝ちであったのじゃろう」
「わしは迫勢として参戦しておったのじゃ」
「されば……墨谷の里のものか?」
墨谷の里とは、迫の諜報部隊があつまる場所である。
いわゆる忍者軍団。
床下の男は黒装束であったのでこの男はピンと来たのだった。
「むむ……。なぜ墨谷のことを知っておる」
「いやいや、ワシは兵法を学んでおってな。そういうのにも詳しいのじゃ」
「ほほう」
黒装束の男は足が痛いのか、顔を歪めて足を伸ばして座った。
「さて。互いの名を知らんでは話しもなかなかできん。ワシは、墨谷の里のアツじゃ」
「アツ? さても珍妙な名前じゃの」
「暑い時に産まれたからじゃ。そう言うお前はなんという?」
「捨松」
「人のこと言えるかい!」
「松の木の下で拾われたからじゃ! 文句があるか!」
二人とも向き合って、吊り上げた眉毛を下げ天高くはははと笑い合う。
「まぁ、名前なんてどうでもいいがの~」
「そうじゃな」
二人は床下から出て、ちょうどよさげな平たい石の上に座った。
捨松はアツの傷口を水で洗い膏薬を貼ってやると、アツは最初痛そうな顔をしたが、それは次第に和らいでいく。
捨松はその顔に安心し、寺の中から小枝や薪を拾い集めて持って来る。
石で囲って焚き火をする頃には、アツが捨松の買ってきた川魚を串刺しにして焼く準備を整えていた。
「ほう。なんとも手際のいい」と捨松。
それにアツはにこやかに微笑む。
「足が治るまでしばらくご厄介になり申す」
「あややや。そんな挨拶は結構。わしも借り暮らし故」
どうにも気の合う二人。出会った夜に笑い合いながら酒を飲んで楽しんだ。
「足が治ったらどうするのじゃアツよ」
「うむ。墨谷の生き残りを捜し、墨谷の再興じゃ」
「ほう。血気盛ん。その意気じゃ」
その言葉にアツは最初は笑っていたが次第に笑顔が曇り、重く口を開けた。
「墨谷の棟梁である墨谷 犬山さまは討ち死になさってしまった。墨谷の地も迫の地も人藤の土地になってしまった。意気盛んでも、どうすることもできん」
そう言って僅かに口の端を上げる。
そんなアツの肩を捨松は元気付けるようにぴしゃりと叩いた。
「どうすることも出来なくも無い。わしは近々、この土地の領主である椙澤お館に仕官するつもりだ。人藤とは真っ向に敵対する椙澤資和様の元で、天下を狙うのだ」
あまりの物言いに、アツはしばらく真顔になり、やがて口を大きく開けて大爆笑。あまりに笑いすぎて足が痛くて引きつりながらそこを抑えた。
「やいやい。笑うな。夢くらい語らせろ」
「ヒィヒィ。とんでもない大言壮語をするやつじゃ。お前のような侍とも浪人でもないものに、椙澤お館が見向きもするか!」
「椙澤お館には軍師がおらん。知将の千代田卜斉どのは、なるほど頭はよいが奇略を考えられるかと言えばそうではない。軍略の妙計は天文を読み、地の利を知り、人の和を説く者に備わるのだ」
捨松の初めてのそれらしき言葉にアツは言葉を失った。しかし、ニヤリと笑う。
「ではお前に乗っかれば、やがてこのアツは墨谷に帰れると言うことか?」
「無論。その時はこの捨松をお館様と呼べよ?」
「誰が」
アツは胸の前で腕組みをして眉をひそめる。
しかし、捨松の笑顔を見ているとついついつられて笑ってしまっていた。
「ふん。その折にはお前をお館と呼んでやるわい。それどころが、墨谷一党全員がお前をあがめるだろうよ」
「ふふふ。奇略には諜報機関が重要だ。よろしく頼むよ」
「お、おう」
この日できた縁は二人の生涯の絆となる。
捨松は十数年後に迫の地を奪還し、アツを墨谷の棟梁としてそこに据えるのだが、まだ二人は地盤すらなかったのだった。
お館・お館様:主君を指す言葉
棟梁:忍者のトップ