前編
少女の名前はゆき。
中学生の女の子。なにもない田舎の道。夏の光がギラギラと輝いて、よりいっそう影を強くする。遠くで蟬たちのズレた合唱。学校からの帰り道。いつもと同じ変わらない日々。
田んぼの横を通りすぎるとき、ある男に出会った。
男の名前は八郎。八郎は煙草をふかしていた。白い煙が遠くへ伸びていく。
「ねぇ」
八郎はゆきに話しかける。
「はい?」
「中学生?」
「はい。そうですけど」
危ない人だとゆきは思う。
「ちょっと付き合ってよ。暇なんだ」
「え?いやです。帰ります」
「そう。ならいい」
八郎はまた新しい煙草を吸い始めた。もうゆきには興味がなくなったように見えた。ゆきは少し動揺しながらも、振り向かないで家にむかった。
*
次の日。帰り道。昨日よりも少しだけ暑い日のような気がした。
また八郎は同じ場所に座ってタバコを吸っていた。
「ねぇ、今日は暇?」
「暇じゃないです。さようなら」
「ならいい」
そう言うとまた、ゆきに興味がなくなった。次の日も、その次の日も、八郎は同じ場所で煙草を吸っていた。そしてゆきに同じ質問をする。
ある日、ゆきは話だけでも聞いてみようかなと思った。話を聞くくらいなら、大丈夫だろうとなんとなく思えた。
怪しい人だけど、怖い人ではなさそうだったから
*
「なんでいつも誘うんですか?」
「んー? 暇だから」
「私以外でもいいじゃないですか。ここ私以外にも女の子通りますよ」
「んー、かわいいから」
「え……」
八郎が余りにもサラッと容姿を褒めるものだから、ゆきはその言葉を受けそこねた。
男の人に容姿を褒められたことは生まれて初めてだった。
「鏡見たことある?」
「ありますけど」
「うそだよ。あんたは普通」
そんなことは知っていた。
八郎は唖然とするゆきを気にせず続ける。
「たとえば……、毎日が同じことの繰り返しのように思えて、なにか刺激がほしいと思ったとき、一番手っ取り早いのが知らない人と友達になることなんじゃないかなぁ」
「友達になりたいんですか?」
「気が合えばね」
「気合わなさそうですね」
「さてと」
八郎はゆっくり立ち上がった。尻の部分についた砂を払い落とす。
「いくか」
とりあえずゆきはついていった。八郎は振り向かいないまま訊ねる。
「名前教えて」
「ゆき」
「俺は八郎」
「ゆきちゃん」
八郎の低い声は、同級生の男子のどれとも違っていた。大人の声だった。
「なに?」
「学校は楽しいかい?」
「あんまり」
ゆきは学校でういていた。
「学校が楽しくないとは、まためんどくさい人生を歩んでるね」
「……」
ゆきはその自覚はあったので、言葉をなくした。
「学校が全てじゃないよ」
「え?」
「ゆきちゃんみたいな学生には分からないだろうけど、この世界はもっと広くて、楽しいことがたくさんあるんだ。あんな堅苦しい檻の中が、この世の全てだなんて思ってほしくなくてね」
そんなことを言う八郎に追いついて表情を見る。少し笑っていたように思う。
「どこまで行くの?」
「俺の車」
「……」
「……帰りたかったら帰ってもいいよ。無理する必要なんかない。たぶん今引き返すのが賢明だよ。こんな男にフラフラついていく女の子がいるから、この世の犯罪はなくならないんじゃないかな」
「八郎は……犯罪者なの?」
「違うって言ったら信じるかい?」
「分からない。ただ、信じてみたい。それが嘘だったとしてもそういう人なんだなぁと、思うだけだから」
八郎が大きく伸びをした。それは涙を流すほどの大きなあくび。八郎の野暮ったい髪が夏の風になびいた。それは二人の汗を止めるには弱かった。入道雲が遠くに見える。暑い。
「ゆきちゃんは少し、外の空気を吸ったほうがいいね。もっと自分の知らない世界を知ったほうがいい」
「そうなの?」
「そうさ」
確信を持っているかのように、自信をもって答えてくれた。
「それは私を助けてくれるの?」
「力にはなるかもね」
「じゃあ私吸いたい」
「行こうか」
八郎の車は小さかった。何の車かは分からない。なるほど、私はそんなことも知らないのか。昔のアニメに出てくるような外車。どこか愛嬌のあるそれは、安っぽい音をたてて扉を開ける。
「乗って」
車は走り出した。二人を乗せて、どこに向かうわけでもなく、ただただ続いていく道を、終わりのない道を。
それがゆきには、すごく怖かった。中学生のゆきには、この平坦に続いていく田舎道が、自分の人生のように思えた。
なにもなく、なにも感じることはなく、ただただ進んでいく。気付いたらもう戻れなくなっている。
「ゆきちゃん窓あけてみな」
新鮮な風が、ゆきの髪の毛を包んだ。今にも壊れそうな非力なエンジン音が、景色の中に溶け込んでいく。
「学校なんて辞めたらいいじゃん」
「私は負けたくないから……」
「そうか」
「八郎。私はこれからどうなるのかなぁ。楽しいと思えることはあるのかなぁ。生きていたいと思えることは、これからの人生であるのかなぁ」
「分からないけど。人生がつまらないのはきっと、楽しく生きてないからだよ。もっと好きに生きてみな。他人に期待するから駄目なんだよ。本当の自分を出して嫌われたなら、そいつとは合わなかった。ただそれだけだよ。気が合う人を探せばいい」
塗装されていない砂利道の影響をモロに受けながら、車は音を立てて進んでいく。地面の形が分かるくらいに上下に揺れていた。八郎はそのことを気にせず、新しい煙草を口に運んだ。
「八郎はいるの?気が合う人」
「探し中」
「難しいね」
「難しいよ。でもきっとこのほうが、人生は楽しい」
八郎の人生観は、絶望の中に希望がある気がした。みんなみたいに真っ白な光の中に、悩みや悲しみの黒い点があるんじゃなくて、真っ暗な黒の中に希望という儚い白い点が一つ、たった一つだけあるような。そんな気がした。




