53.海水浴の寄り道
53.海水浴の寄り道
流石に昼休憩を挟んだとはいえ、疲れてきたな。泳ぎの練習したり、それに付き合って貰ったり。何故か晴海と格闘技紛いの動きをして、護衛の人達から駄目出しを頂いたりしていた。
「もう無理、もう疲れた」
晴海ですらギブアップか。俺もそろそろいいや。疲れたのもあるが、やることが無くなってきたんだよ。
「なら撤収だな」
「何で遊び終わった直後に帰る準備しないといけないのよ。せめて少し休ませて」
香織に言われてしまったが、俺としてはさっさと水着から解放されたいんだよ。走ろうものなら胸が揺れて違和感あるし、何よりその時の視線が痛いこと、痛いこと。男性からも女性からもな。
「もしかして水着気に入らなかった?」
「それは関係ない。というか分かっていて言っているだろ」
「そりゃもちろん」
相変らず俺への弄りは止めないのな。この程度なら問題はないのだが、セクハラ関係は止めて貰いたい。同性なら許されると思わないで欲しい。
「いい身体しているからねぇ、琴音は」
「セクハラだぞ、晴海。改めてジロジロと見るな」
胸を隠すように腕で覆ったら更に見られた。これが他の人達からも向けられるから居心地が悪いんだよ。
「琴音、マジ乙女」
「うっさいぞ、宮古」
乙女って何だよ、乙女って。大体そんな年齢でもないだろ。元が男な俺にとってそれは褒め言葉ですらない。美人と言われても釈然としない位だからな。
「ギャップ萌えだよね、琴音って」
「香織も参加するな! 大体何のギャップだよ」
「いつもの琴音だとそうでもないけど、素を出した状態だと男らしいからね。ほら、口調とか」
「解説をありがとう、晴海」
いらん解説だけどな。普段は敬語を使っているから、女性らしいのだろうか。あまり関係無いような気がするんだけど。ぶっちゃけ学園長には若干素を出しているし。段々自制が効かなくなってきているんだよ、あの人に対しては。
「夕飯どうする?」
「というか何時だよ。……まだ三時位か」
鞄からスマホを取り出して時間を確認してみる。晴海の提案はちょっと時間が早い気がする。うーん、流石に今日はあまり作る気しないけど。
「琴音はうちで食べればいいじゃない。多分準備していると思うから」
「ならご馳走になるか」
偶に食わせてもらっているから今更遠慮する必要もない。それに折角準備してくれたものを無駄にするわけにもいかないからな。今回も有り難く頂くとしよう。茜さんには申し訳ないが。
「じゃあ私と宮古はどっかで食べてこうか」
「あぁ、多分連絡してないから準備するんじゃないかな」
「まだ間に合う!」
確かに今連絡すれば大丈夫だろうな。しかし改めて考えると晴海のご両親は俺と飯を食って大丈夫なのだろうか。今ですらやたら緊張しているというのに。味が分からなそうだな。
「話は変わるんだが、ちょっと相談いいか?」
「おっ、琴音から相談なんて珍しいね。何々?」
晴海から聞き返されたけど、実際は晴海のご両親に許可を貰わないといけないんだよ。行きたい場所があるから帰りに寄ってもらいたいから。
「帰り道の途中に温泉があるんだけど、そこに行ってみたくて」
「何で琴音がそれを知っているのよ」
「下調べで」
実際は過去に行っていたから。海に行った後は決まって温泉で汗を流したものだ。それに併設されているシャワーだけでは海水を全部洗い流せる気がしないからな。特に今は髪が長いから。
「寄って貰っていいですか?」
「「いいですとも!」」
「父さん、母さん……」
快諾してくれたのはいいが、晴海の両親を見る目が冷たい。やっぱり権力に弱いか。別に家の名前を使って何かをする気は全くないのだが。断られたら諦めるつもりだったし。
「ちなみに琴音って温泉だとどの位入っているの?」
「三十分位かな」
「意外と入浴時間長いわね」
「十分休憩して追加で三十分は入るな。合計で一時間か」
「長いわ! 大体琴音は温泉に入ったことあるの?」
香織に二重の意味で突っ込まれた。思わず話してしまったが、琴音として温泉に入ったことなど当然ない。他人と風呂に入ることすら嫌っていたからな。さてどう言い訳するか。
「極秘事項なので黙秘権を行使する」
「何で温泉に入ったかどうかが極秘事項になるのよ」
盛大に呆れられてしまった。本当の事なんて喋れないから流してくれて構わない。言った本人も若干恥ずかしい。
「バスタオルとかどうするの? 施設から借りるしか方法がないと思うけど」
「大丈夫。私は事前に準備してある」
「行く気満々だったのね! というか事前に話しなさいよ」
「いや、お願いが通ると思わなかったから」
俺一人の我儘みたいなものだから。でも温泉へ入るという欲望を抑えることは出来なかった。一年に一回位は入りたいんだよ! しかし今回香織が突っ込み役か。何か新鮮だな。
「ちなみに何を持って来ているの?」
「タオル数種類にシャンプー、リンスは当然だな。あとは」
「もういい、もういいから。あのバッグの中身の殆どが入浴用のだったのね!」
昼食と海水浴だけであれだけでかいバックなんて持って来ない。温泉の事を考えて荷物を用意したからこそ、意外と大荷物になったんだ。
「さて、そうと決まればさっさと準備するか」
「さっきも言ったけどもう少し休憩させなさいよ」
「それだけ入浴する時間が減るじゃないか。時は金なりと」
「それは今使う言葉じゃない! ちょっと引っ張らないでよ!」
朝とは逆に今度は俺が香織を引っ張り回す。それに予定を変更して帰宅するのだから時間も遅くなりそうだろ。俺の我儘で準備してくれている人達に迷惑を掛ける訳にはいかない。だからさっさと温泉に行こう!
「珍しく琴音が暴走している気がする」
「珍しいものを見たね、晴海。これは中々見れないよ」
いや、二人も動いてもらわないと先に進まないんだが。勝手に俺を評価していてすまないが、俺も暴走すること位あるぞ。何たって勇実達と付き合っていたんだから。俺だけがまともな訳がないと自覚はしている。あの中ではまともな方なだけだ。
「温泉で一杯とかいいよね」
「だから俺達は勤務中だ」
「いやいや、時間によっては大丈夫じゃないかな」
「駄目よ」
晶さんの要望は主任さんによって呆気なく却下された。ここでの鬱憤が仕事終わり後に爆発しないと良いが。絶対に今日は飲みまくるだろ。
そしてやってきた温泉施設。旅館ではなく、温泉と休憩施設がある日帰り入浴を目的としたような場所だ。男だった頃はよく入りに来た場所だが、あの頃と全然変わっていないな。若干古びた程度か。
「……忘れていた」
「入浴するんだから当然でしょ」
温泉という言葉で完全に忘却していたが、風呂に入るんだから当然全員素っ裸になる必要がある。未だに俺はまともに見れない。だが目を瞑って入るのは危険すぎる。
「慣れなさい」
「と言われても」
「えっ、琴音って女の裸が苦手なの?」
宮古が気づいてしまった。香織一家しか知らないことが友人達にばれた瞬間だな。
「男の裸は?」
「見たことすらないのにどう返せばいいんだよ」
そういう晴海はどうなんだよ。全裸の男がいきなり目の前に現れても悲鳴を上げない自信はあるのだろうか。答えは当然否だろう。男だった頃の俺ですら悲鳴を上げるわ。
「ほら、全員バスタオルで隠したから琴音も目を開けなさい」
服を脱ぎ始めてから俺はずっと目を閉じていた。その間に俺自身も服を脱いでタオルを巻いていたが。眼を閉じていてもそれ位は出来る。
「だからプールの着替えでも時間が掛かるのね」
「やっぱりそうなっていたのね。予想的中か。面倒ね」
面倒とかいうなよ。俺だって困っていることの一つなんだから。ただ女性に対してこれなんだから男性の裸と直面したら一体どうなるのやら。そんな事態に遭遇しないのが一番なんだけどな。
「いつまでも喋っていないで入るぞ」
「誰の所為だと思っているのよ」
はい、俺の所為です。やっぱり今日の突っ込み役は香織だな。他の二人は呆れて何も言ってこない。一緒に居る時間の長さによるものか。
「それにしても改めて思うけど、面倒臭くない。髪洗うの」
「実際面倒」
全員で並びながら洗い出した所で香織から声を掛けられたが、言われたことには納得できる。これだけ長いと洗うのに時間が掛かるんだよな。洗い残しの可能性だってあるし。
「そう言えば何で琴音は髪を伸ばしているの? 今の琴音なら面倒とか言って切りそうなのに」
「隣家の人に泣かれるから」
俺の返しに宮古が唖然としている。理由なんてそんなものだ。毎日顔を合わせている人が髪を切った翌日に恨みがましく俺の事を見てくるんだぞ。ちょっといつもより短く切っただけで。バッサリ切ったらマジで泣かれそうなんだよ。
「茜さんだっけ。琴音が頭の上がらない人よね」
「そういう風に見えているんだ。私と茜さんの関係って」
実際には茜さんの胃袋を俺が掴んでいるんだけど。それなのに茜さんのお願いに弱い俺。何だろう、何かがおかしい。食事関係に関しては断れるのに。
「へぇ、そんな人がいるんだ」
「何だよ、晴海。含みがあるような言い方だな」
「何でもないよ~」
これが男性なら恋バナやら話は弾むだろうが、相手は女性である。それも勝手に嫁認定するような変わった人だぞ。何だろう、前世からそういう人との巡り合わせが良くあるのだが。
「え~と、誰か髪を結うの手伝ってくれないか」
「はいはい」
温泉に髪を付ける訳にはいかない。自分の部屋の湯船なら気にもしないが、流石に公共のマナーは守らないと。だけど一人で結うのは慣れていないし、難しい。
「何でこんなに伸ばしているのに痛まないのやら」
「それは私も思うけど、髪質じゃないのか」
俺の髪に触れながら羨ましそうに声を漏らす香織だが、俺だって不思議に思っている。特に今の時期だと直射日光に触れる機会も多くて痛みそうなのに。茜さんのケアが効いているのだろうか。
「ほい、完成」
「ありがとう。しかしタオルと相まって重さが凄いな」
下手に傾げると、首から嫌な音が鳴りそうだ。水分を含んだタオルを巻いているのだから当然なんだけど。何処かに頭を乗せないとゆっくり浸かれないな。
「しかしユッサユッサと揺れるわね。憎たらしい」
「何処見て言っているんだよ。いや、言わなくても分かるけど」
バスタオルを巻いているだけだから歩く度に揺れてしまう。しかも晴海は湯船に浸かっているので下から見上げているようなものだ。男だとしたら視覚的な暴力になっているだろうな。
「はぁ~、蕩ける」
「琴音、何かエロいよ」
温泉に浸かった俺の第一声に香織が突っ込んできたが、返す余裕はない。温泉はやっぱり極楽だ。
「ご飯食べている時のような表情ね」
「幸福感でいっぱいだから」
「食事の時にも思ったけど、お嬢様としてどうなのよ」
まぁ安っぽい幸福感だよな。お嬢様としては間違っているだろうが、庶民としてはこの程度でいいんだよ。価値観を合わせる努力なんてする気もないから。
「元の生活に戻る気あるの?」
「そんな努力をしているように見えるか?」
「全く見えない」
むしろ今の生活の方が元の生活なんだよ。お嬢様の生活なんて前の俺が知るはずもない。琴音の記憶であるとはいえ、そんな生活を俺が送れるとも思えない。将来の事なんて今は考えないようにしている。そこまで考える余裕もないからな。
「香織もさぁ。今の琴音を見てたら分かるじゃない。元の生活に戻ろうとしている人が喫茶店でアルバイトなんてするわけないじゃない」
「晴海の言う通り。もっとこう何か別の事をするだろ」
「何かって?」
「知らない」
お嬢様に戻る為に必要な事なんて俺が知るはずないだろ。家に貢献することか、それとも俺自身が性格を合わせるのか。どれも無理だな。想像も出来んわ。
「あぁ、染み渡る~」
「真面目な話しているのにいきなりだらけないでよ」
「温泉入っている時に無粋な話をするのが悪い」
「何で私が悪いみたいになるのよ」
香織には悪いが、優先度は温泉の方が高い。将来よりも今。そして温泉こそが至高。
「じゃあ話題を変えるわ。琴音の肌って綺麗よね」
「何でそっちに行くんだよ~」
「突っ込みに力が無いわね」
脱力中だから。それに温まっているのに、更に熱くなったらのぼせてしまう。長く入っていたいのにのぼせて中断してしまうなんて愚行はしたくない。
「今なら琴音に何をしても許される気がする」
「晴海止めておいた方がいいよ。後が怖いって」
何やら他の二人が物騒な事を言っているが聞こえないことにしておこう。確かに今なら何をされても流してしまいそうである。
「寝るのだけは止めてよね」
「寝たら死にそうだからやらない」
「まるでやったみたいに言うわね」
実際やったら死に掛けたから。自分の家の湯船なら慣れているからまだいいが、温泉での睡眠は真面目にヤバい。そしてそのまま駄弁りながら温泉を満喫していた。
「いやぁ、いい湯だった」
「何だろう。海に遊びに行ったはずなのに全部温泉に持っていかれたような気がする」
「だね」
俺の所為だと言いたいのだろうか、晴海よ。俺にとっては温泉が本来の目的であり、海の方がついでなんだよ。今度は旅館とかに一泊して温泉三昧してみたい。
「もっと入っていたかった」
「これ以上は時間が無いわよ。家で母さんたちも待っているんだから」
「仕方ないか」
迷惑を掛けるほど俺だって考えなしじゃない。その位の理性はある。だけど名残惜しいな。
「冬のイベントは旅館とかにしようか」
「賛成!」
「よしそれで組もう」
素晴らしいではないか、晴海。それならば優先して予定を組むぞ。休みだって店長に相談して絶対に勝ち取ってやる。
「それじゃ本当に帰るわよ。父さん、安全運転でね」
「あ、あぁ。分かっている。慎重に運転するぞ」
まだ緊張しているのだろうか、おじさん。そろそろ慣れて来たかと思ったけど、そんなことはなかった。もし良ければ護衛の人達と運転を交代して貰った方が良かっただろうか。まぁ今回のイベントで友人達との親睦は深まったな。ただこれを誰かに知らせたら嫌な予感がする気がする。
何故か温泉回を書いていました。
海水を洗う→なら温泉という訳の分からない発想が原因です。
次回は閑話を投稿する予定です。
それと連絡ですが、本日から働きますので投稿が不透明になりそうです。
多分、投稿ペースはあまり変わらないと思います。