41.騙した者が勝者
41.騙した者が勝者
もう少しで夏休み。だけど相変らず体育の授業で水泳は続いている。不慣れながらやっと二十五m泳げるようにはなったな。慣れないことをすると本当に疲れるよ。
「ふぅ、風が気持ちいい」
水泳が午後の授業の最後だったために後は教室に戻って荷物を回収したら帰れる。今日は近藤先生が気を遣ってホームルームは無しだからすぐだな。
「すまない。ここら辺で如月琴音と言うポニーテールの女性を見なかっただろうか」
立ち止まって風に当たっていたら声を掛けられて、反射的に私ですと返そうとして言葉に詰まった。詰まった俺、よくやった。
「こちらでは見ていません。もう教室に戻ったのではないでしょうか?」
「そうか。くそ! やっと包囲網を抜けたというのに」
演劇部の人、早く捕縛にやってきて! と声を出したいが目の前にこの人物がいる限り迂闊な行動は取れない。琴音にとっては取るに足らない存在だろうが、俺としては天敵だから。
「あぁ、彼女の罵声が聞きたい」
相変らずの変態だな! 怖気が走るわ!
「んっ? 君と俺は何処かで会わなかったか?」
「いえ、初対面です」
この人が俺の顔を知らなくて助かった。外見は話を聞いていて髪型の把握までは出来ていたのだろうが、写真などは出回っていなかったのだろう。演劇部の本気が見て取れるわ。
「それよりもその人を探さなくて大丈夫なのですか?」
「そうだった! 待っていろよ、我が君」
全力で逃げるわ。去っていく後姿を見送っていたら息を切らしてやってきた演劇部部長と出くわした。あんたら、放課後に何をやってんだよ。
「すまない。突破された」
「時間の問題だったでしょうから仕方ありません。それにしても髪を下しているだけで気付かないとは」
「今の君と直接会っていないからだろう。それにそれだけでも大分印象が変わるからな」
そういうものかね。でも今回はその節穴の目に感謝しないとな。あれと会話していると気持ち悪すぎて手が出そうだから。でもあれなら喜びそうだな。
「他の部員も捕獲に動いているのだが、今までと違ってあいつも本気だからな」
「前から思っていたのですが、何故演劇部の方々はそこまでやるのですか?」
会長とどのような密約が行われたのか分からないが、そこまで必死になるような理由が分からない。だから興味本位で聞いてみた。
「あいつの行動は色々と問題があるからな。被害者が出る度に部の活動費を減らすと言われているんだ」
「退部にさせた方がいいですよ」
そっちの方が部としては一番楽な方法だろうに。それともそれが出来ない理由でもあるのだろうか。
「部員としては優秀なんだよ。配役に文句は言わないし、演技力も高い。ただしあの悪癖が無ければな」
思うんだが、何でこの学園で優秀な人って問題を抱えている場合が多いんだろう。会長然り、あれ然り。
「それに抑え役がいないと誰も止める奴がいないぞ」
「それは困りますね」
毎日あの変態に付き纏われると思うとゾッとする。やっと評価が戻ってきたというのに絶対に変な噂が流れる。何でこうまで問題が付き纏ってくるのか。
「偶にガス抜きさせた方がいいのは分かっているんだが、適任者がいない上に今は如月の事しか頭にないからな」
適任者がいたらいたで問題だと思うのだが。そう言えばあの人はどうだろう。何となく嬉々としてやると思うのだが。
「綾先輩はどうですか?」
「霜月に頼めるわけないだろ。それにそういったのとは正反対だろ」
部長は綾先輩の本性を知らないのか。そりゃ一緒のクラスじゃないとあの人の本性を知る機会もないか。
「実際に霜月とあれが出会った時があったんだが。マジで霜月が引いていたな」
綾先輩でも引くくらいとはあれの変態指数は度し難いな。しかしそうなると俺が知っている人で適任者はいないと思う。
「去年の私の行動とはいえ、今だと後悔の念が尽きません」
「完璧な王女様だったからな。あいつにとっては理想的だったんだろ。演劇部としては悪の王女が適任だと思っていたんだが」
真面目に琴音の行動がそれなんだよな。
「だけど君と接触してから演技の幅が広がったんだよな。色っぽさが増したというか」
男に色っぽさが増してどうするんだよ。
「そのおかげか女子から告白されることが増えてな。だけど冴島の奴、如月に心奪われていると断ったから」
大迷惑である。
「そしたら女子から君への恨みが増えた」
知らない所で悪評が増えていたのかよ。このことは琴音も知らなかったことだな。ある意味で琴音が影響を与えたと言えなくもないが、これに関して俺が何かをしようとは思わない。
「今だとあの人の評価ってどうなっているのですか?」
「顔とかはいいけどキモイ人になっているな」
妥当な所だな。普通に接するなら紳士的なんだが、一度スイッチが入ると途端に変態へと変貌するらしい。はた迷惑な。
「部長、捕獲完了しました。あっ」
二人の男性部員に両腕を取られて、先程別れたあれがやってきた。そして二人は俺がいることに気づくと失敗したといった顔をする。そりゃ会うのを避けていた人物の目の前に連れて来てしまったのだから。
「ご苦労さん。それじゃ撤」
「そこで何をしている?」
「……あちゃー」
さっさと去るつもりだった部長の声に被るように掛けられた声。俺も部長も声の主を確認して盛大にタイミングの悪さを呪った。今まで部長が俺の事を名前で呼ばなかったことに対する配慮が全部無駄になりそうだな。
「長月さん、これは」
「如月。今度は何をするつもりだ」
何とか長月が喋る前に事情を説明しようとしたが無駄だった。この瞬間、演劇部の人達の努力が全て無駄になった。お疲れさまでした。
「せめて一学期は持たせたかったのに」
「今までありがとうございました、部長。それとこれから難度が上がるでしょうが宜しくお願いします」
ターゲットを視認できたのだ。これからは目標に向かって真っすぐ向かってくるだろうな、これは。その前に防壁を築けばいいのだが、裏を掛かれれば人数的に厳しいだろう。
「き、君が如月琴音だったのか」
「先程は騙して申し訳ありませんでした。冴島さん」
だけどまだ全てを諦めたわけではない。つまり彼に今の俺は去年の琴音とは違うということを印象付けること。そうすれば俺から興味を失う可能性だって出てくる。
「おい、如月。今度は」
「後で説明しますので少しの間、黙っていてくれませんか」
傍から見るとこの構図はいらぬ想像を掻き立てるだろうな。琴音が命令してあれを此処に連れて来させて悪逆の限りを尽くすとか。これにとってはご褒美になるだろうが。長月にはそう見えているのかもしれない。
「離して貰っていいですよ」
「だが」
「冴島さんが私に危害を加えないことは知っていますから」
物理的にはな。精神的には盛大にダメージを与えてくる存在だというのは知っている。だからこそ今までの琴音とは真逆の行いをする必要があるのだ。それを部長も気付いてくれたのだろう。部員に離すように伝えてくれた。
「あぁ、我が君よ。やっと君に出会うことが出来たよ」
うん、芝居掛かったセリフだけど俺の前で土下座するの止めてくれないかな。しかも頭に足を乗せ易い位置でやるのも意味ないから。琴音ならやるだろうが、俺は絶対にやらんぞ。
「冴島さん。そのようなことをすると制服が汚れますよ。ほら、立ってください」
微笑むような表情を作って手を差し伸べる。本当はこれと触れ合うのも嫌なのだが、今は我慢だ。今我慢すればこれから解放されるかもしれない。
「えっ?」
「遠慮せずに私の手に掴まって下さい。それとも私に触れるのは嫌ですか?」
これは演技している俺にもダメージが入るな。誰だよ状態だから。こんな所を知り合いに見られた後でどう弄られるか分からないな。誰も居ないことを祈ろう。
「き、君は如月琴音だよね?以前の君はどうしたんだい?」
「えぇ、正真正銘如月琴音です。お忘れになられましたか?」
動揺が見て取れるな。誰がお前に好まれるような言葉を掛けてやるものか。真心と親切心の言葉でお前を退治してくれる。
「掴まって下さい。それにこのような状況を他の方々に見られたら冴島さんも大変でしょうから」
絶賛俺が大変なんだよ。だから呆けていないでさっさと立ってくれ。
「ち、違う。こんなの俺の求めている如月じゃない。君は誰なんだ!」
「そう言われましても困りますね。部長さん、長月さん。私は如月琴音で合っていますよね?」
使えるものは何だって使ってやる。だからさっさとこの状況から俺を開放してくれよ。段々と自分の行動で鳥肌が立ち始めたぞ。
「そうだな。俺は初めてじゃないから断言できる。長月もそうだよな」
「そ、そうですね。彼女が如月琴音であることは合っています」
こんな彼女は知らないと最後に呟いたのは聞こえたぞ。自分のキャラじゃないのは俺だって自覚しているさ。だけど今後のことを考えるなら目の前の脅威から遠ざかる為に必死なんだよ。
「顔を上げて下さい。そのままですと冴島さんも喋り辛いでしょう?」
下着が丸見えになるだろうがそこは気付かないでおこう。もしこれが顔を上げたらそれを理由にして恥ずかしがればいい。やるならとことんやってやるよ!
「違う、違う。こんなのは違う!」
勢いよく立ち上がると脱兎の如く去って行った。あれはマジ泣きしていたな。そんなにショックだったのかよ。でもこれで何とかなったな。
「疲れたー」
「お疲れさん。いい演技力じゃないか。やっぱり演劇部に欲しいな」
「あれを前にしてずっとこれを続けるのは勘弁して欲しいのでお断りします」
「残念だな。だが今の演技を続けられるのならちゃんとしたお嬢様になれるんじゃないのか?」
「気疲れするので嫌なんですよ。普段通りに出来るのが一番楽なんですから」
それを考えると綾先輩の擬態は凄いな。素を一切見せずに日常を送れているのだから流石だ。あの境地に行くのは俺には無理だよ。
「一体何が起こったんだ?」
そう言えば長月がいたの忘れていたな。そのまま何処かに去ってくれれば面倒事が減って楽なのに。
「特に何も。ねぇ、部長さん」
「そうだな。演劇部の問題に如月が巻き込まれただけだ。それを彼女が解決してくれたのだから何も問題はないな」
乗ってくれて助かるよ。流石は会長と付き合いのある人だけの事はある。中々に気付いてくれる人だ。
「だが彼は最初引き摺られるように連れて来ていたではないか」
「私が居合わせたのは偶然です。それに上級生に命令できるほど私は偉くありません」
確かにあの写真撮影で演劇部の人達とは仲良くなった。だからってそれを利用して変なことをしようとは思っていない。というかやれんよ。
「そうですね。琴音さんが偶然居合わせたのは本当ですよ。私が証明します」
「ひぃ!?」
真後ろから聞こえた声に反射的に悲鳴が出てしまった。何で綾先輩がここにいるんだよ!?
「あ、あの。綾先輩。いつから見ていたのですか?」
「琴音さんが風に当たっている辺りからですね。何か面白いことが起こりそうな気がしたもので」
最初からかよ。しかもその予感は何なんだよ。未来予知でもないんだから分かるはずもないのに。的確に当ててきたぞ、この人。
「ここは図書室へ向かう通り道ですよ。私が居ても不思議じゃありませんよ」
確かにそうだけど。あまりにもタイミングが合い過ぎている。長月がタイミング最悪な状況で現れたというのに、綾先輩がタイミングが良すぎる。
「ほら、さっさと離れないとややこしくなるよ」
耳元で囁かないでくれるかな!?
「私の証言ではご不満でしょうか。長月さん」
「いえ、霜月家の方の証言を疑うことはしません。それでは失礼します」
真面目に何をしに来たんだろうね、彼は。そして逆に捕獲された俺はこの後どうなるんだろうな。
「綾先輩。私はこの後予定があるので失礼します」
「駄目ですよ。私とお話しする約束をお忘れになったのですか?」
そんな約束をした覚えは微塵もないんだけどね!
「お時間は取らせません。ちょっと先程の演技についてお話ししたいだけですから」
絶対に弄る気満々だろ! ちょ、腕を引っ張るな! 部長さん、助けて!
「はい、全員撤収。お疲れさまー」
さも知らないように指示を出してんじゃないよ! ここで空気を読むなよ! 誰か助けて!
長月君、意識改革開始です。
何とか年末に間に合いました。何が書きたかったのか謎ですけど。
恋愛要素も入れようとしましたが、筆者には無理でした。
あと感想で筆者を登場人物として出したらとあったのでちょっと考えてみました。
うん、主人公がひたすら突っ込み役になる構成しか出来ません。書くとしても閑話でお蔵入りですね。
それでは皆様、今年一年大変お世話になりました。
来年もどうか宜しくお願い致します。