38.敵陣待ったなし
38.敵陣待ったなし
あの後に霧ヶ峰さんと打ち合わせをしてその日は別れることにした。平日は図書館で、休日は喫茶店で勉強会を行う。何故喫茶店かと聞かれたが曖昧にはぐらかしておいた。やっぱりサプライズは大事だよな。
「さてやりますか」
「そうですね。テキパキと終わらせないと間に合いませんからね」
集合時間に遅れることなく到着すると木下先輩がすでに準備を進めていた。俺よりも早く来ているとは思わなかった。やる気があるなぁ。
「それでは私はオニギリを握っていきます」
「私は豚汁ですね」
これも打ち合わせ通り。俺が作ると豚汁は大雑把な味付けになる可能性があるからな。俺よりも美味い人に任せるのが一番だ。そうすれば俺も美味いものを食えるし。
「さてと中身は何にしようかな」
色々と揃っているからな。鮭は鉄板として梅干し、おかか、昆布。シーチキンも作るか。バリエーションは豊かな方がいいだろう。作った後に中身が分からなくなるのはご愛嬌だな。
「そう言えば隣人の方の朝食は良かったのですか?」
「昨日の内に説明をしていたので事前にオニギリとおかずを渡していましたから」
残念そうにしていたが仕方ないだろう。それは茜さんも分かっていた。
「私が琴音を縛っちゃいけないからね」と。本当にいい人だよな。嫁扱いさえ無ければ。
「木下先輩は具、どうしますか?」
「鮭と昆布でお願いします」
一通り作り終えたら当然自分達の朝食を用意しないとな。味見も兼ねているから問題はない。俺は何にしよう。サッパリと梅と鮭にしようかな。
「それではちょっと遅いですが朝食にしましょうか」
「ですね。朝食抜きで授業を受けるのも辛いです」
やっぱり数を作るだけあって時間ギリギリなんだよな。あと三十分後には教室に入らないといけない。味付けに失敗した場合はどうするか?休憩時間にでも整えるしかないだろうな。
「頂きます」
俺と木下先輩以外の声に振り返ると何故か当たり前のように小梢さんがいた。いつの間にかとかは問わない。それはいつものことだから。だけど何で飯を食いに来ているんだよ。
「狙っていたから」
「追加で作らないといけないんですから勝手に取らないでください」
追加で二つ作らないといけないな。すでに自分で配膳しているから今更返却を求めるのは遅いな。別に生徒会関係者だから用意するのも吝かではないんだが。
「さっさと食べましょう。時間がないのは変わりませんから」
空腹で授業は勘弁して欲しい。待っている間に豚汁が冷めてしまうと思ったので、二人を待たずに啜る。
「ズズッ、……美味しい。流石木下先輩ですね」
「琴音さん、フライングですよ。こういうのは同時に食べるのが醍醐味なのでは?」
「責任追及は小梢さんに」
「うぇ、何も言えないけど」
小梢さんが来なかったら普通にそうなっていただろうな。しかし自宅での朝食を抜いてまでここに来るとは。何を期待していたのやら。
「むぐむぐ。それにしても料理手馴れているよね、琴音は」
「自炊しているのならオニギリ位作れないと問題ですよ」
「そうだけどさぁ。出来ない私からしたら凄いと思う」
ご飯を握るだけだというのに。確かに手馴れていないと形が歪だったり、硬さにムラが出たりするけど食べる分には影響ないだろ。
「それよりも私はここまで味が整った豚汁は初めてですね」
ごった煮だからな、俺の豚汁は。確かにあれも特有の美味さがあるが、やっぱりこっちの方がいいな。特に朝食だと。朝に濃いものはちょっとキツイな。
「お褒め頂き光栄です。琴音さんの舌に合って良かったです」
「私に合せるのではなく三年三組に合わせるものですよ」
「そうですけど、やっぱり一緒に作った人に美味しいと言って貰えるのが一番ですよ」
それは嬉しい言葉だな。でも豚汁を作ったのは木下先輩一人なんだよな。俺はオニギリを握っていただけ。握るだけなら味に変化はない。中身に相当なものを入れていない限りな。
「ほら、さっさと食べないと食器を洗う時間が無くなりますよ」
「おっと、そうですね。少し急ぎましょう」
「ほーい」
口の中に物を入れながら喋るなよ、小梢さん。しかし小梢さんは本当に自由だな。影の薄さまで利用して本当に色々とやるよ。でも他の人まで来なくて良かった。香織とか小鳥とか来ても断らないといけなかったからな。友達だからと言って食べさせるわけにはいかないから。
「それじゃ木下先輩。また昼休みに」
「えぇ、この企画もそれで終わりですから頑張りましょう」
意外といえば会長が顔を出さなかったな。何かあったのか。それとも来ても邪魔になると考えたのか。うん、後者はないな。まぁ昼休みはやってくるだろうな、確実に。
午前の授業が終わった後に急いで家庭科室に向かうもまだ三年三組はやってきていないようだ。木下先輩もまだだな。取り敢えずエプロンを着用して豚汁を温め直すか。
「遅くなりました」
「大丈夫ですよ。準備と言っても特にありませんから」
やってきた木下先輩もエプロンを着用してそれぞれで作業に取り掛かる。三年三組の人もやってきたな。というか木下先輩自身が三年三組だった。
「オニギリは一人二個までですよ」
「何で水着写真載ってなかったんだよ」
「拒否しました」
「お約束だろ」
「知りません」
「次回は確定だよな」
「次回なんてありません」
「俺達の無念は知っているだろ」
「いい加減にしないとお昼ご飯抜きにしますよ」
「「「すいませんでした!!」」」
ノリがいいクラスだな。普通に対応している木下先輩も慣れているよ。俺は一切声を出さないで黙々と豚汁を配っている。上級生の評判はまだあまり変わっていないと聞いているからな。
「大体足りそうですね」
「……」
「別に無理して黙さなくてもいいですよ。このクラスは琴音さんのクラスと同じで若干特殊ですから」
「特殊ですか?」
「えぇ、ある人物のおかげで耐性が出来ています。だから今の琴音さんなら普通に接してくれますよ」
つまり去年の俺は別として見てくれるという事か。というか誰の所為で耐性で来ているんだ?会長は別のクラスだったよな。そういや会長来ないな。
「その人物って私かな?」
「猫は被らなくていいのですか、綾」
「別に私のクラスだしさ。琴音だって知らない仲でもないからいいでしょ」
うん、誰だろう。この人。俺の知っている人物とそっくりなんだけど雰囲気が変わり過ぎている。大人しくて笑顔が可愛い人ではなかったのか。ねぇ、霜月先輩。
「誰ですか、このフランクな人は?」
俺の発言に「わっはっは」と笑っているが、別人のように思えるな。俺が人の事を言えるような立場じゃないのだが。
「二重人格を疑うのも分かります。これが霜月綾の本性です。それにしても綾。貴女は何処で琴音さんと仲良くなったのですか?」
「霜月先輩とは図書室で会っていましたが、事務的な言葉しか交わしていません」
本の貸し借り程度の会話しか本当にしていないんだよな。まぁ俺の情報はあの人経由で流れたんだろう。
「あにぃからメール貰ったからね。如月家のお嬢様と焼肉パーティーしたとね」
「返信は?」
「不倫?と送ってみた」
頭の中が自由な人か。そろそろまともな人がやって来ないかなぁ。でも旦那さんの内容も悪いな。妻と一緒にと付けておけば疑われなかったというのに。
「妻の嫁だから問題ないだろと返されて何が何やら分からなかったけどさ。通話で話してバッチリ理解したよ」
旦那さん公認にするなよ!この兄妹からは厄介な匂いがする。関わったら大変面倒臭いことになるという直感がする。うん、不味った。
「いやぁ、話を聞いたら爆笑しちゃった。肉の取り合いまでしたっていうじゃない」
「二人とも遠慮も何もなかったので仕方ないことです」
「うんうん。琴音は私と同じ匂いがするなぁ。全くと言っていいほどお嬢様が似合わないよね」
「貴女は擬態すれば十分通用すると思いますよ」
「かったるいんだよね。素を出せる状況って意外とないからさ」
むしろ社交界でこんな素を出したら不味いな。俺もある程度は擬態しているが、霜月先輩ほどじゃない。よくもまぁ続けられるよ。
「あの、一つ聞きますが霜月家を継ぐ気はあるんですか?」
「無いよ。あるわけないじゃない」
即答かよ。
「あにぃと私は性格的に難がありと言う事で除外されているよ。継ぐのは妹。私が反面教師になった所為か唯一まともだからね」
自分が異常であることに気付いているんだな。まぁ俺も如月家の中で異常であることは分かっている。そういう面では一緒なんだよな。
「綾が霜月家を継いでしまったらお家断絶しますよ」
「言うじゃない薫。まぁ間違っちゃいないけどね。あはは」
いやそこ、笑い事じゃないんだけど。そしてまだ見ぬ妹さんよ、心中お察しするよ。苦労性だろうなぁ。
「このように二面性がある人を保有しているので琴音さんの事も大丈夫なのです。変に疑うことはしていませんから」
「それに薫と一緒にいることが多いじゃない。なら問題ないと思うわよ。私のお気に入りでもあるんだから」
生徒会の活動上、木下先輩と一緒にいることは多いからな。俺一人だと色々と曲解されそうだから。それがいい方向に向かったという事か。
「だけどさぁ、何で水着姿をお披露目しなかったのよ。私だって期待していたんだから」
「期待されるほどのものじゃないと思いますけど」
「薫や書記の子はスタイル的にあまり期待してなかったよ。やっぱり期待するのは琴音だよね」
「綾。ちょっと話したいことがあるのですが」
「事実じゃない。僻まない僻まない」
仲がいいな、この二人。木下先輩なら取っ組み合いの喧嘩とかにならないだろうけど、この状況を霜月先輩は楽しんでいるな。
「ほら、こんな胸を持っているんだもの。こういうのはもっと活用しないと。ほらほら」
「ちょ、ちょっと!?いきなり胸を揉まないでください!」
何でいきなり胸を鷲掴みにしてくるんだよ!俺も突発的にやられたから反応が遅れて防御できなかった。というかいつまで揉んでんだよ!
「これは、私よりあるわね」
「いい加減にしなさい、綾。琴音さんも迷惑しているのですから」
木下先輩が引き剥がしてくれて助かった。オニギリと豚汁を持っていたために両手が塞がっていたんだよな。零さないように持っているのが大変だった。
「男共!これで満足か!女子は物足りなくて申し訳ない!」
「「「ありがとうございます!」」」「「「ご馳走様です!!!」」」
「うむうむ、私を敬うように」
「「「ははー!」」」
何だろう、この茶番。本当にノリがいいな。木下先輩だけが頭を押さえている辺り、苦労しているんだろうな。何だろう、この感じ。誰かに似ている気がする。
「少々特殊と言うよりも大いに異常だと思います」
「一年の時からずっとクラス替えのない特殊なクラスですから」
問題大有りのクラスかよ。過去に何をやったら他との生徒交換がないようなクラスに固定されるんだよ。
「問題のある性格に加えて、綾は人を扇動するのが上手いのです。そのおかげで今回の球技大会も優勝できたといえるのですが」
「はっはっは、裏情報から写真集の話を聞いてね。これは是が非でも優勝を捥ぎ取らないといけないと思った次第よ」
厄介な人物にいらん能力を与えるなよ!と声を大にして言いたい。
「もしかして会長の行動に木下先輩が慣れているのは」
「えぇ、綾の所為ですね」
「何か知らないけど葉月は私の事を避けているのよね。何でかな?」
「私としては助かります。綾と会長が組んだら私でも逃げ出します」
道理で会長が来ない訳だ。木下先輩の言いたいことも分かる。二人が組んだら何が起こるか分からない爆弾になりそうだからな。俺も逃げるわ。
「しかし勿体ない。それだけの容姿を持ちながら使わないなんて」
「何を言っているんですか。それと見ないでください!」
「「「サーセン!」」」
胸をガン見するな、胸を。香織が言っていたことが何となく分かるな。背筋が薄ら寒く感じたわ。視線って怖いな。というか俺のクラスと同じと言っていたが、このクラスは違うと思う。うん、断じて違う!
「ねぇねぇ、もう一品作ってよ」
そして自由だな、この人。もう収拾がつかないぞ。
「木下先輩がクラスに染まらなくて心底良かったと思います」
「薫は唯一の良心かな。参謀ではあるけどね」
暴走しているのは分かっているのかよ。それに参謀役が決まっているってことは木下先輩も過去に何かしらやらかしているということじゃないか。そこの所どうなんだろう。
「……過去の汚点です」
顔を逸らしながら言わないでくれ!内容を気になるけど、怖くて聞けないぞ!あっ、ヤバい。ここ敵陣の真っただ中だわ。何とかして逃げ出さないと。
「急用を思い出したので失礼します。片付けには戻ってきますので」
「もう一品作るまで逃がさないよー。大丈夫、琴音の事は食べないから」
腕を掴まれて逃亡阻止された。あんたの言っていることは信じられないから怖いんだよ!というか俺の事を弄るのが目的だろうが!
「琴音さん、こういった場合の対処法を教えておきます」
状況が改善されるのなら何でもしますから至急教えてください!
「人間、諦めが肝心です」
遠い目をしながら言わないでくれるかな、木下先輩!それは改善にならないからな!むしろ悪化するわ!何かもうツッコミ疲れてきた……。
一番性格の変更が起こったキャラとなりました。
当初の設定はあのままだったのに霜月のテーマを自由にしたら崩壊しました。
次話では擬態版をお送り致します。
そして筆者は初めてドリップ珈琲を飲みました。
味は白湯同然の薄味に口の中が非常にザラザラしますね。
インスタントと間違えて入れたのですから当然の結果でした。
母の視線が痛かったです。