03.新たな住居
多大なるご厚意を色々と貰って帰る際にもう一度頭を下げたら怒られた。沙織さんには遠慮しすぎだと、孝人さんにはもっと人を頼れと。香織さんは特に何も言って来なかったが何か不満そうだった。
うーん、迷惑を掛けないように考えてはいるんだがどうやらそれが駄目らしい。やっぱり人生は難しいなぁ。そんなことを考えながら歩いていたら住むべき場所に到着していた。
「うわぁ、これだから資産家は」
明らかに家賃だけで生活費どころかバイト代までぶっ飛ぶような高級マンションじゃねーか。つーか、何階建てだよ。高層マンションとか住んだことねーよ。それに窓の間隔からして部屋の大きさおかしくないか。
家族で住むような場所じゃないか、ここ。明らかに一人暮らしとかで住むような場所じゃないぞ。
「呆然としている場合じゃなかった。時間も遅くなったからさっさと挨拶を済ませないと」
確か管理人さんが住んでいるのは一号室だったな。多分夕飯も終わっているだろうから邪魔になる前に渡さないと。インターホンを押してっと。
『どちら様でしょうか?』
「夜分遅くに申し訳ありません。本日こちらに越してくる如月琴音です」
『ちょっと待ってね。今開けるから』
扉から出てきた人は穏やかそうな女性だった。声の様子からこの人がこのマンションの管理人さんだろう。まだ若そうだけど、これで子持ちなんだよな。子供を育てながら、これだけのマンションを管理するのは大変だろうに。
「私が管理人を担当しています伊藤響子です」
「先程も申し上げましたが如月琴音です。よろしくお願いします。あっ、こちらつまらないものですがどうぞ」
「あら、ありがとう。それにしても聞いていた話と違って礼儀正しい子ですね」
「あぁ、やっぱり聞いていますか。ちなみにどういった内容かお聞きしてもよろしいですか?」
「えっと、我儘で他の住民に迷惑を掛けるかもしれないからそうなったら叩き出して構わないと言われているわ。だから私も警戒していたのですが杞憂ですね」
「演技かもしれませんよ」
「それが本当なら自分からいいません。これでも人を見る目には自信があるんです。あっ、今部屋のカギを渡すからちょっと待っていてね」
これは信用を裏切れないな。それに仮に琴音が越して来たら確実に叩き出されたと思うぞ。あれは遠慮や自重という言葉を知らないから力押しばかりで話を進める。
そのくせ話が進まないと癇癪を起すんだから救いようがない。
「はい、これね。部屋は三階の三〇五号室。一番端の部屋だから間違えないように。あと困ったことがあったら言ってね、相談に乗りますから」
「その時はお願いします。それでは失礼します」
第一印象通り親切そうな人である。さて部屋に移動するか。しかし番号から判断して一階辺り五部屋とかどれだけ部屋が広いんだよ。
「あっ、お隣さんに挨拶しておかないと」
三〇四号室の人だよな。怖いお兄さんとかじゃないといいけど。如月家が管理しているマンションだからそういった人達がいることはないと安心はしているんだが顔だけ怖い人もいるからな。
あれ、インターホン鳴らしても誰も出て来ない。こんな夜に留守とは一体何をやっている人なんだろう。いないのならいいや、明日にでもまた尋ねてみよう。
「うん、ないわ」
部屋に入ってみての一言目がこれである。一般庶民からしてみればトイレ、風呂が別々でダイニングキッチン有り、寝室有りの客間有りとか一階建ての家じゃねーんだぞ。明らかに一人暮らしするような部屋じゃない。うわぁ、家賃とか考えたくない。
「しかしダンボールが山積みになっていると思ったが一箱すらないな。衣服すら所持金から出せとか無理ゲーだぞ。あっ、あった」
適当にクローゼットを開けてみたら色々と入っていた。だが色が白と黒しかないしほぼワイシャツだけしかないとかなんだこれ。下はジーンズのみとか、もうちょっと考えられなかったのだろうか。
派手な恰好は俺も拒否するがこれは極端だ。ジャージがあるのは助かるが。
「というか今の時期のものが最低限か。夏物とか冬物は自分で揃えろと。これ、バイトしなければ軽く詰んでるな。あとはパソコンがあるし携帯プレイヤーと冷蔵庫は食材満載。一人暮らしさせる気あるのか?」
初期装備が充実し過ぎてる。あとはちょっとした小物だな。本棚とかカレンダーとか、エプロンや調理用の物、あとは髪を纏めるものもある程度用意した方がいいだろう。
明日は百均にでも行くか。それである程度のものは集まるはず。専門店というのも考えたが時間も足りないし、尚且つ衝動買いなんかしたら目も当てられない。
「取り敢えずTVとか使わないもののコンセント抜いておくか。あとはシャワー浴びて寝る」
肉体的な疲れよりも精神的な疲れの方が大きい。自殺した女の子に乗り移ったとか衝撃がでかすぎる。んでいきなりの一人暮らしで、自分が良家のご令嬢とか何これ状態だぞ。
洗濯とかは三日に一回位の頻度でやるかな。それに合わせて風呂に入るようにして水の使い回しして回数減らして電気の節約。色々と考えないとな。
「というかスタイルいいな」
病院では結構焦っていたからそこまで気にしてなかったが、改めて見ると出るとこは出て引き締まるとこは細い。あれだけのぐうたら生活をしていて何でスタイルを維持できているんだ。
しかし胸あるな。何カップあるんだ。えぇと下着は……Eか。
「あまり意識したら駄目だな。変なことを考えたら自己嫌悪しそうだ」
実際行動に移したら自己嫌悪どころじゃないな。意識はまだ男のままだから自制しないと。というか髪洗うの面倒臭い! シャンプーどんだけ使うんだよ!? リンスも同じくらい使うんだよな。
男の時なら一回押す程度なのに、それにそれを洗い落とすとなるとお湯も結構使う。節約のために髪切るか。でも看護師さんにも髪は伸ばしていた方がいいと言われていたからなぁ。
それに二学年に上がる前にバッサリ切ったら不審に思われるか。目立った行動をすれば変な噂が流されそうだな。
「また悪巧みしてるとか。悪いイメージほど払拭するのが難しいんだよな。というか髪が乾かん」
ドライヤーで乾かしているのだが如何せん髪が長くて時間が掛かる。やっぱり意外と弊害が多いな。というか女性はよく毎日こういうことをやっていられるな。
男だった頃は自然乾燥でも乾くからあまり意識していなかったが女性とはこうも面倒臭いのか。
「よし寝よう。夜更かしほど電気代が無駄になる」
全部の電気を消してベッドの布団に潜り込む。あぁ、新品の布団の匂い。しかし反省を促すための一人暮らしのはずなのにこの至れり尽くせり感は何なんだろう。
まぁ庶民としての感覚が無ければ地獄なんだろう。えっと、目覚ましは朝の5時にセットしてっと。うん、おやすみ。
あぁ、知らない天井だ。お約束のことを考えながら鳴っている目覚ましを止める。やっぱり今の時期だと暗いな。水を一杯飲んで、適当に髪を梳かして纏めてジャージに着替えて準備完了。
「さてまずはランニングから始めるか」
正直昨日の行動だけで筋肉痛になっているのだが、これから先バイトとかで体力も使うのだから肉体強化は必須だろう。目標は前世並に動ける身体を作ること。
今日は初日だから軽く流す程度にしておくか。昨日で体力無いのは把握しているから無理してもいいことはないだろう。
「取り敢えず適当に流しながら走って帰ってきますか」
ルートは適当にしよう。昨日はさっさと寝たからネットで地図すら開いていないから地理なんて全く把握していない。琴音の記憶でもこの街に関してはそこまで詳しくない。
まぁ移動がほぼ車で高級店しか回っていなかったからなんだが。このお嬢様は全く持って何をしたかったのやら。
「つーか、十分で体力が尽きるとかマジでないわ」
何で流す程度で走ってこの短時間で足がガクガクと震えているんだよ! まともに歩いていたら普通は持つもんなんだが。あまりにも体力に関するスペックが低すぎる。
他のスペックについても調べてみる必要があるな。あとでバッティングセンターにでも行ってみるか。
「あんた、何やっているのよ」
公園のベンチで休んでいたら声を掛けられた。というか昨日聞いたばかりの声だからすぐに誰かが分かったけど。
「香織さんこそ何をやっているのですか?」
「私は早朝トレーニングよ。知らなそうだから言っておくけど私は陸上部よ」
「そうなのですか。私は体力作りです。バイトをするにしても疲れて動けないとか迷惑ですから」
「本当にあんたがあの如月だとは思えないわね。何があって変わったのか知らないけど」
「あっ、そういえば腕時計を借りたままでした。あとでお返ししないと」
「別に母さんはあげると言っていたわよ。それとあんた、学園からバイト申請書を貰うのよね?」
「そうです。ちゃんと許可を取っておかないと後で問題が起こっては色々な人に迷惑が掛かりますから」
「なら学園に着いたら私に連絡しなさい。どうせあんたじゃ信用されないだろうから」
「いいのですか?」
確かに教師に事情を説明しても信用してもらうまで時間は掛かるだろうが、香織さんが何で協力してくれるのか分からない。学園では忌み嫌われている琴音を助けるだけのメリットはない。
むしろデメリットしかない気がするのだが。もしくは両親の為に手伝ってくれるという事だろうか。
「いいのよ。今のあんたを初見で如月だと分かる人は学園に居ないわよ」
「あぁ、化粧の所為ですね。今からあれを思い出すと無いですね」
「それだけじゃないんだけどね。スッピンで十分美人なのに自分で下に落とすとか思わないわよ。というか昨日もスッピンだったのね」
「化粧は面倒なのでもういいです。上手い化粧の仕方も分からないので以降もスッピンで勝負します」
「あんたならそれで十分だろうけど、女としてはどうかと思うわよ」
「お金が無いので化粧品を買うだけの余裕なんてありません。なら最初から使わない方を選びます」
「つくづくお嬢様とは思えないわね。それじゃ私は行くけど、ちゃんと連絡しなさいよ!」
「えぇ、宜しくお願いします。それではまた後で」
走り去る香織さんを見送ってから俺も自宅に向けて歩を進める。走ったところで体力切れになることが分かっているから今は歩いて向かう。季節的に風が吹けば肌寒いだろうが火照った体には丁度いい。
さて朝食は何にしよう。ご飯は磨いですらいなくて無理だからパンでも焼くか。あとは目玉焼きを作ってサラダとコンソメスープでいいな。兎に角、足が早い食品を優先的に消化しないと。
「あっ、お隣さんが帰ってきてる。というかあの人……」
三階に登ってみれば丁度隣の住人が部屋に入ろうとしているところだった。何か朝から昨日会った人達とよく会うな。取り敢えず自室から手土産を取ってさっさと挨拶するか。
恐らく仕事帰りだろうから寝られる前に挨拶しないと。はい、ピンポーンっと。
『何ですか?』
「早朝から失礼します。昨日隣に越してきた者です。詰まらないものですがお渡ししたい物もありますので」
『えっ、この声って』
慌てて走ってくるような気配はするけど音が全く外に聞こえてこない。どうにも防音性能が異様に高いんだよなぁ、このマンション。多分宴会とかして騒いでも隣室に聞こえないだけの性能があるだろう。
「やっぱり琴音ちゃんじゃない!」
「昨日ぶりです、看護師さん。まさかお隣さんだとは思いませんでした」
「偶然って凄いわね。あっ、そういえば私の名前を言ってなかったわね。私は佐藤茜よ」
「佐藤さんですね。よろしくお願いします」
「茜と呼んで。それで琴音ちゃんは朝食はもう食べたの?」
「いえ、これから作りますけど」
あっ、茜さんの目が光ったような気がする。たかる気満々なのが丸分かりなんだが。うーむ、どうしよう。正直他人に与えるほどうちの家計に余裕はない。まぁ今回はいいか。
どうせ食材は初期装備の物だし、使い切れなかったら捨てるしかないしな。
「良ければ私にも作ってくれないかな。作るだけの気力も体力もないのよ」
「いいですけど、私がシャワーを浴びた後ですよ。今のままだと汗臭いので」
「なら私も浴びてくるわ。それより何で汗をかいているの?」
「早朝トレーニングで体力作りです」
茜さんの目が険しくなった。あっ、そういえば昨日まで俺は入院していたんだった。そりゃ退院して次の日に走り回るとか心配もされるか。体調はすこぶる良好なんだが。
「全く、自分の身体を大事にしなさい」
「すみません。ご心配をお掛けします」
「もうちょっと自重しなさい。体調が悪くなったらすぐに私に知らせなさい」
「分かりました。それではまた後で」
取り敢えずちゃっちゃとシャワーを浴びますか。乾かしている時間はあまりないからタオルでも巻いて床に水滴が落ちないようにして朝食を作りますか。といってそれほどの作業でもないんだが。
まずはコンソメスープ。具材は玉ねぎと人参。火に掛けている間に目玉焼きを焼いてトーストとサラダの準備。出来上がったものをテーブルに並べる。調味料は塩コショウと醤油。茜さんが何派か分からないからな。
これで食費がゼロなんだから初期装備様様である。
「琴音ちゃん! 鍵くらい掛けなさい!」
「茜さんがすぐに来ると思ったので」
「だからって女の子の一人暮らしなんだから用心しなさい! このご時世、何があるのか分からないのよ。それに髪はちゃんと乾かしなさい!」
色々と怒られた。櫛とドライヤーを取られて世話を焼かれているが、その間もクドクドと忠告を言われている。耳に痛い内容だが、前世が男なんで勘弁してください。
朝から精神的に疲れてくる。
「あ、茜さん。朝食が冷めるのでそろそろ」
「全く手間の掛かる妹みたいね。おぉ、美味しそうな朝食。それじゃいっただきまーす」
「いただきます」
ふむ、スープがちょっと薄味かな。というか味の評価なんてこれ位しかない。他の物なんて焼くか切るしか作業が無かったからな。目玉焼きが上手く半熟になったのは良しとしよう。
「いやぁ、琴音ちゃんは料理が上手ね。これならいつ嫁に行っても問題ないわ」
「これ位誰でも出来ると思いますけど」
あの、茜さん。何で沈黙して視線を逸らすんですか。この人、まさか料理できない人か! でも看護師って勤務時間が結構変則的だから大体外食や惣菜で済ましそうだもんな。
そうなるとちょっと提案してみるか。
「タイミングが合えばこれからも作りましょうか? 食費を入れてもらうというのが条件ですけど」
「いいの!? ぜひお願い!」
よし、これで食費が少し浮く。浮いた分で珈琲とか嗜好品の補充に当てよう。飲み物が水だけとか俺が持たない。前世でもそうだったが友人からはカフェイン中毒者の烙印を押されている。
否定はしないが。
「茜さんは珈琲派ですか? 紅茶派ですか? あと食べれない物はありますか?」
「私は珈琲かな。食べれない物は特にないから琴音ちゃんに合わせるわ」
「分かりました。珈琲淹れますか?」
「うーん、今はいいかな。これから寝るし」
珈琲飲んでもすぐに寝れるのは俺だけなのだろうか。他の飲み物と変わらない気がするんだが。まぁいいや、取り敢えず片づけて制服に着替えないと。
「学園はまだ春休みじゃないの?」
「アルバイトの申請書を貰わないといけませんので。流石に私服で職員室に入る気はありません」
「お嬢様がバイトとか。そういえば料理するのは初めてなのよね。なのに私よりも腕がいいとか……」
すいません、前世で自炊しまくっていたので変に女子力が高いのだ。おかげさまで低資金でも生活できる。あっ、スカートの丈が戻っている。あのパンツ見えるようなスカートとかマジ勘弁だったから良かった。
さて少しゆっくりしてから学園に向かいますか。あぁ、珈琲が美味い。
新規連載で上げた直後に読者がいっぱい来てくれて驚きました。
何があったのだ・・・。でも感謝感謝です。
あとで確認したら感想拒否していた。何をやっとんだ、私は。