191.二歩目は前進して停滞する
早朝からケーキを食べるという、よく分からない状況になっているのは兄と姉の所為だ。傍から見ると、自分で仕掛けた罠に自分で引っかかって、疑心暗鬼になっているというね。私は悪くないのに。
「うん。走って頭の中をリフレッシュしよう」
春の陽気はもう少し先と思える冷気で、頭を冷やす。沸点近くまで上がりかけていたからな。走るルートは兄に倣って適当。ではなく、兄が初めて走ったコースを思い出しながら。そうすれば、目的の人物と合流できるはずだから。
「おはよー」
「珍しいわね。琴音と合流するなんて」
兄は本当に適当にルートを決めているので、香織と朝に出会うのは珍しい。今回は私の都合で狙ってやったのだけど。香織は私の事情を知っているし、相談する相手としては適任のはず。
「というわけで、初めまして」
「あー、そういうこと。琴音もそうだったけど、妹まであっさりしているわね」
事情を隠すべき相手はちゃんと選んでいるからな。香織は兄と姉の両方を知っている人物だから、隠す必要は一切ない。むしろ、こちらの愚痴を聞いてほしい相手でもある。主に兄と姉の悪戯被害の愚痴を。
「それにしても雰囲気が若干女性らしくなった以外に変化が見られないわね」
「一応は兄と姉の統合体みたいなものだから。見た目は一切変わらないし、性格の変化だって些細なものかな」
「つまり、以前の琴音よりもパワーアップしているのね。やめてよ、私まで巻き込むの」
「騒ぎを起こす前提で話さないでほしい。それに、パワーアップしているはずなのに兄と姉に朝から振り回されていた」
「何を残していったのよ、あの二人は」
私としては何かを引き起こすつもりは微塵もない。兄の所為で変な印象を残されているが、これから静かに過ごしていけばそんな印象も薄らぐだろう。負債処理で変な印象を持たれそうだけど。
「盛大な寝起きドッキリを仕掛けられた。姉よりも兄の方が性質が悪い」
「詳しく聞くから、公園に向かうわよ」
何でそんな楽しそうに聞こうとしているのだろう。私の被害はそんなに面白いのか。それとも、兄と姉が何をやかしていったのか気になっているのかもしれない。姉はともかく、兄は何を仕出かすか常人には思いつかないだろう。
「それで、何をされたの?」
「姉は応援とか、これからを頑張れとか」
「琴音ちゃんらしいわね。それで、問題の琴音は?」
「バズーカ砲と血文字を用意していた」
「あの馬鹿は」
やっぱり香織でも頭を抱えるか。お互いに自販機で飲み物を買って、公園のベンチに腰かけているが私としても香織と話していて違和感はない。他人という感じがしないのは兄と姉の影響だろう。
「最後まで馬鹿をやるのは、琴音らしいけど。それでも生まれたばかりの妹に対してやることじゃないわね。普通に考えたら恨みでもあるのかと思うわよ」
「まだ残っていたら絶対に爆笑していたと思う。私でも同じ感情を抱くから」
「妹も同じ穴の狢とか業が深いわ」
同じ人物だからな。兄と同じような考えになっていても不思議じゃないし、姉と同じ思いを抱いても間違いじゃない。どちらかに偏ってしまう場合もあるけど、それは私の好みの問題になる。
「しかし、遂に妹の登場とは。琴音も不思議な生態をしているわね」
「香織は何とも思っていないのか?」
「そりゃ、寂しいとかはあるけど。あの二人が決めたことだし、ちゃんと残していったじゃない。二人にとっての自分を」
「負債を背負い込んだ私の身にもなれってんだ」
「そこは同情するわ」
自分を残していった。それがどういう意味を思って発した言葉かは分からないけど、妹に未来の負債を残していくのは間違っていると断言できる。金銭の負債ではなく、これから起こるであろう厄介な出来事を残していったのだ。
「どうするんだよ。学園長の結婚式」
「琴音が頑張るしかないわね。私は陰ながら応援してあげる」
「矢面に立ってくれ」
「絶対に嫌よ。碌でもないことに巻き込まれるのは修学旅行で懲りたわ」
たったの一回で見切りをつけられてしまったのか。規模としてはそれなりに大きい物だったと記憶している。私もあんなものに巻き込まれたら、友達関係を見直していたかもしれない。それを考えれば、よく香織は付いてきてくれているよ。
「恋のキューピットとしての役目を全うしないとね」
「なった覚えもないし、何かをした覚えもない。よって、私には何の責任もないと断言できる」
「それを周りが許してくれたらね」
「すでに詰みの段階だよなー」
周りが私を必要としているのは知っている。そして、佐伯先生が魔窟の奴らにまで連絡を取ろうとしている時点で私に逃げ道は残されていない。皐月家の力を借りたら、連絡先を入手するなんて簡単だろう。
「顔というか、全身を隠す用意をしておかないと」
「何を着込むつもりよ」
それこそ修あたりに協力を要請して、着ぐるみでも借りるか。マイクだって中に仕込んでしまえば、何とでもなる。アンノーンが誰かであることは絶対にバレてはいけないのだから。主に私の平穏の為に。
「そういえば、香織は私との付き合い方を変えるつもりはあるのか?」
「ないわよ。琴音は琴音のままなんだし。多少の変化位なら受け入れるわよ。それをあの子たちも望んでいるでしょうからね」
「それは助かるけど。何というか、香織も変わったよな。最初は私の変化なんて受け入れなかったのに」
「あの時の私はまともだったわよ。でも、琴音と付き合って色々なことを経験した影響かな。肝が据わったとも言えるわね」
「変人の仲間入りか」
「それは断固否定させてもらうわ」
別人格を形成するような人間の言葉を信頼してくれる時点で、人ととして大事な何かを捨てているような気はするんだけどな。主に常識を。兄の周りがそんな連中ばかりだから、感覚が麻痺しているのかもしれない。
「それじゃ、これからもよろしく。香織。狂人兄姉の後始末のフォローをお願い」
「容赦ないのは相変わらずみたいね。言っておくけど、そっちに関わるつもりはないからね」
寝起きの妹に対していたずらを仕掛ける兄姉を狂人と称して何が悪い。それに関わるつもりなくても、こっちが勝手に巻き込んでしまえばそれでいい。そこは兄の真似をすればいいだろう。気付かないうちにズルズルと穴の中に引きずり込むようなイメージだろうか。
「それじゃ、私は朝食の準備があるからそろそろ行く」
「そうだ。丁度良い良かったわ。今日の夕方にお店に来て頂戴」
「今日は休みじゃなかったか?」
「こっちにも事情があるのよ。約束だからね」
「了解。予定はないから、寄らせてもらう」
勤務に変更があったのか、それとも香織個人としての用事だろうか。兄と姉の記憶を参照しても、これといったものは出てこない。偶に香織の家で夕飯をいただく場合があったから、それ関連かな。
お互いの要件が終わり、私としての初めての友人となった香織とは別れた。用事に関して一抹の不安はある。香織の用事でなければ、あの二人が暗躍している場合があるからだ。兄と姉ではなく、厄介な先輩の方が。
「気にしてどうにかなる相手でもないんだけどな」
朝食を作りながら、あの先輩たちが何を仕掛けてくるのか予想をしようとしたのだが、全く想像ができない。破天荒さでは兄と姉に匹敵するような相手だ。むしろ、あの兄ですら勝てないような人たちに私が敵うとも思えない。
「真面目に厄介な人脈を築きやがったな、あの兄は」
類は友を呼ぶとは言うけど、それにしても相手が厄介すぎる。魔窟しかり、十二本家しかり。それに今の私を見て、小鳥がどのような行動をするか分からない。兄は何の心配していない様子だったけど。
「小鳥の憧れがどの方向なのか分からないんだよな。格好いい女性を目標としているようだけど、兄は男性らしさが出過ぎていたんだよな」
その点からいえば、私は小鳥の理想に近づいたのかもしれない。兄に、姉の女性らしさをプラスされているから女性としての自覚はきちんと持っている。心配なのは、小鳥が今まで以上に暴走しないかどうか。
「厄介な案件しか出てこない」
本当に憂鬱になってくる。楽しいと思えることが出てこない。いや、考えを変えたら企画を立てたら面白く感じるかもしれない。参加者が魔窟か、十二本家の人間の時点で頭おかしい事態に発展して楽しさなんて吹っ飛ぶが。
「おはよう、琴音ちゃん」
「おはようございます、茜さん」
「うん? うーん?」
「どうかしましたか?」
「何か髪を下ろした琴音ちゃんの印象がちょっと変わったかなーと」
髪を結っている場合は兄の影響が、髪を下ろしている場合は姉の影響が強く出る感じがする。ただ、それは外見的に判断できるものではないのだが、何で茜さんは簡単に気付いたのだろう。
「嫁が嫁らしくなって、私は嬉しいなー」
「まるで以前の私が主夫みたいに見られていたようですね」
「それは否定しないわ」
いや、私からしたら兄の印象的に間違ってはいないのだけど。それが私に対する印象になっているのは理不尽でしかない。兄に対するフラストレーションが際限なく高まっていく感じがする。
「嫁が一年経ったら変化するなんて飽きなくて嬉しいわ」
「特に変わったつもりはないんですけどね」
茜さんに兄や姉のことを喋るつもりはない。何というか、話したら悔しさでのた打ち回った挙句に延々と恨み言を聞かされ続けるような気がしてしまう。嫁になったつもりは一切ないのだけど、愛が重い。
「うん。でも朝ごはんが美味しいのは変わらない」
「失敗すれば良かったですか?」
「それはそれで好ましいのだけど、時間と食材の両方を無駄にするのは駄目よね」
失敗しても、茜さんとして美味しい展開なのか。ある意味で茜さんも何をしたらダメージを与えられるか分からない存在だよな。そして、朝食を食べ始めた頃に私にとっての悪夢が始まった。
「あら、琴音ちゃんがテレビをつけるなんて珍しいわね」
「えっ、つけてませんけど?」
基本的に朝にテレビの電源を入れるのはニュースの確認などをするために茜さんがやる。私はやらないのに、今日に限ってテレビが勝手に付いたのだ。嫌な予感しかしない。
「設定を間違ったみたいですね。ちょっと消してきます」
こういう時に限ってリモコンが遠い。恐らく、兄か姉がワザとそういった配置にしたのだろう。そして、茜さんまで罠として活用するのであれば私にとって恥ずかしく、茜さんにとって大変喜ばしい映像を流すはず。絶対に止めなければ!
「ダーメ。琴音ちゃんにとって想定外の事態は、私にとっての好展開の予感がするのよ」
「はーなーせー!」
「必死になるということはそういうことよね。絶対に離さないわ」
席を立ち、リモコンまでもうちょっとの所で茜さんに背後から抱き締められて、床に転がる羽目になってしまった。そしてテレビの画面に映し出されたのは兄と姉のレコーディング風景。しかも、編集されたもので兄と姉の二人が画面に映っている。
「これって、新曲? しかも雰囲気の違う琴音ちゃんが二人同時に見られるなんて垂涎ものよ!」
「消せー! むしろ、殺せー!」
「絶対にダメよ! あっ、この映像はダビングで頂戴ね」
何が罠を残してないだよ。最後に特大の爆弾を起爆させやがった。しかもダメージ増加と行動妨害の両方を担う、茜さんの配置が完了した瞬間を狙うとか。明らかに狙ってやりやがったな。
「絶対に許さないからなー!」
もういない二人に対しての怨嗟なんて意味はないのだけど、それでも我慢できずに叫んでしまった。これがいつかは笑い話となるのは、ずっと後の話になるだろう。
停電から数十分後に蛍光灯死亡によるダブルパンチで、家電まで走る羽目に。
自分の記憶で買うと高確率で失敗するので、サイズ確認のため父に連絡。
帰って確認すると、蛍光灯のサイズが違うことが判明。
ウッカリは遺伝なのでしょうか。