190.一歩目を踏み出す
最終幕、始まります。
ここからは末妹が主体です。
眠りから覚め、瞼を開ければ、そこは確かに記憶の中にある光景。自分の部屋であると感覚的に分かっているのに、それでも初めてだと思ってしまうのは奇妙でしかない。
「とりあえず、兄と姉を殴りたい」
最初の一言目にこれを選ぶ辺り、自分がどれほど現状に不満を覚えているのか分かってしまう。何だよ、将来の進む道に歌手が含まれているとか。喫茶店の店員だけでいいじゃないか。しかも回避不可能とかどうすればいいの。
『新しい朝が来た~。希望の朝だ~』
「何やってんだ、姉ぇー!」
スマホから流れてきたラジオ体操の歌に全力でツッコミを入れる。ノリノリで歌っていた状況を今になって記憶が浮かび上がってくる。滅茶苦茶満面の笑みで歌いやがって。恥ずかしさはどこに行ったんだよ。
「ちくしょう。仕掛けの記憶だけ曖昧にしやがって。何でこんな小細工ができるんだよ」
何かを仕掛けたという記憶はある。だけど、兄と姉が何を残していったのかを思い出せない。事前に知られないようにするためであろうが、自分自身に罠を残していくとか何を考えているんだ。
「おい。何で部屋の中に久寿玉を設置しやがった」
他にも何かを仕掛けていないかと周りを見渡すと明らかに違和感があるものを発見してしまった。これを見落とすのは無理があるな。そして、無視することもできない。中身が気になってしまうので、引っ張ってみると。
「どうせ、誕生おめでとう。とかだろうな」
『負けるな、頑張れ! 未来には希望だってあるよ!』
「ソダネー」
凄い平坦な声が漏れてしまった。その未来に問題があるのを二人だって気づいているはずなのに。将来の就職に問題があるけど、それ以上に厄介な案件を残し過ぎなのだ。何で私がその負債処理をしないといけないのか。
「というか、姉がはっちゃけ過ぎなのだが」
ここまでの仕掛けは姉が残していったもの。そして、兄の仕掛けがまだ見つけられないことに若干の恐怖を覚える。姉ですらこのテンションなのなら、兄はどんな状態で仕掛けを作ったのか。こういった面では兄の方を警戒しないといけない。
「いや、冷静な方の兄ならまだ手心を加えてくれている可能性も」
何も仕掛けていないという可能性は考慮していない。だって、何かをしたという記憶があるのだから。部屋の中にはメッセージカードが置かれているだけで、他に怪しい物はないな。
「とりあえず、出るか」
ドゴォーンッ! と部屋のドアを開けた瞬間に爆発音が響いて、心臓が止まりかけたのだが。
「あの、馬鹿兄がぁ!」
生まれてすぐのドッキリにしてはやり過ぎだろ。あまりのショックに膝の力が抜けて座り込んでしまった。爆音が響いてきた方を見れば、寝起きドッキリとかで見るバズーカ砲が廊下に設置されていた。
「何? あの兄は生まれてすぐの妹を殺す気か?」
何でタイミングを合わせることができたのかは、赤外線センサーをドアに仕掛けていたから。ある程度ドアを開ければ、センサーに触れて連動したスイッチが起動する。すでに小細工の範囲を逸脱しているぞ。
「リビングに向かうまでが怖すぎる」
自分の部屋からリビングまでは少しの距離しかない直線。見た目には何もないように見えてしまうのだが。仕掛け人が兄である以上、絶対に何かをやっていると確信してしまう。
「とにかく、進むか」
驚きによって抜けていた力も戻り、歩くことができるようになった。どうせ、時間経過で解除されるようなものでもないのだから進む以外に選択肢はない。一歩、二歩と警戒しながら歩みを進める。
『油断大敵』
「表現方法ぉー!」
三歩目で壁紙が剥がれて、血が滴るようなペイントの文字が出てきたのはホラーでしかない。どれだけセンサーを設置しやがったんだよ、あの兄は。しかも応援とかではなく、単純に驚かせにきてやがる。
数秒後に廊下を埋め尽くさんばかりのクラッカーの破裂音が背後から連続で鳴らされたのが、更に恐怖で緊張していた自分を追い詰める。
「……」
もう、何かを叫ぶだけの気力すら湧いてこない。早朝で薄暗い廊下なのも恐怖感を煽っている。それすらも兄は利用していたのだろう。自然と涙が出てきたのは仕方ないよ。
「一人、怖い」
孤独であるのが怖いと思ってしまった。そして、兄の暴走が猶更怖いと実感してしまう。こういう時に誰か話せる相手が居れば、全然安心できるのだがそんな相手がいるはずもない。
「掃除を誰がすると思っているんだ」
とりあえず、冷静に現実を見よう。クラッカーの連続使用により、廊下の状況は大惨事となっている。何でクラッカーを見落としたのかというと、背後確認を怠った私が悪い。後ろ側なんてこの状況で見ないよ。
「この状況でリビングのドアを開けるのは怖すぎるんだけど」
妹に試練を与えるにしても早すぎるし、もうちょっと手心を加えてほしい。最初から全力の兄姉の相手なんか生まれたばかりの私に太刀打ちできるわけがない。一応は兄と姉の統合体であり、能力としては私の方が上のはずなんだけど。敵う気が一切しない。
『この先、罠はない』
「信じられるかぁー!」
ここまでやられて、リビングに通じるドアに貼られた張り紙を信じられるはずがない。剥ぎ取り、丸めて床に叩きつけて前を向くと、もう一枚小さな張り紙が下に隠されていた。掌コロコロ状態か。
『本当ですよ』
「猶更怪しいぞ」
一枚目が兄だとして、二枚目は姉のだろう。筆跡も同じだから紛らわしい。仕掛け人として行動している姉を信用してはならない。通常の姉なら全然まともなのに。誰だよ、こんな姉に変えてしまったのは。
「ドア周辺、良し」
僅かにドアを開けて、隙間からリビングの様子を確認する。問題ないことを確認してから少しずつドアの隙間を広げていく。何で自分の部屋で行動しているのに、ステルスミッションみたいなことをしなければならないのか。
「見る限りは怪しい物はないか」
でも、これで安心してはならない。あの兄ならば、巧妙に隠して何かを仕掛けていても不思議ではないから。だが、カーテンの裏まで探してみても本当に怪しい物はなかった。いや、一個だけ不審なものはあった。
「何でショートケーキ?」
リビングのテーブルに置かれてたケーキ。きちんとラップまでされているから昨日から置かれたもの。そして、その隣にはメッセージカード。そこにはたった一言だけ書かれていた。
『誕生、おめでとう!』
「祝うのなら罠を仕掛けるな! あと、ここはホールで準備しろよ!」
一気に緊張感が抜けてしまった。よく考えたら茜さんが来るのだから、リビングに罠は設置しないか。片付けが大変になってしまうから。変な部分で気遣いされているのだが、兄と姉の仕掛けはこれで全部かな。
「朝からドッと疲れた」
将来や兄か姉のフリをすればいいのかとか、色々と悩むべきだったのかもしれないが、あの二人の攻勢によって悩む暇すらなかった。そして、今更悩むのも馬鹿らしく思えてしまう。
「それが狙いだったのか。でも、気遣いの仕方が根本的におかしい」
姉はまだ分かる。だが、兄の罠は明らかにドッキリの範疇を超えている。なぜ、生まれたばかりの妹に恐怖体験をさせる必要があるのか。そりゃ姉が即答でキレるといったのも理解できる。
「コーヒー淹れよ」
せっかくケーキがあるのだから食べてしまおう。早朝のランニングをする気はあるが、少しだけ落ち着く時間が欲しい。ここまで心乱れた状態で外に出たくはない。まずは冷静になろう。
「ちくしょう。普通に美味い」
何で朝からケーキを食べているのかはさておき。味覚の記憶から、これが沙織さんの手作りなのが分かる。姉は料理できないし、兄も甘味関係はそれほど詳しくないからな。
「最初の一言は間違ってなかったな」
もういないけど、兄と姉を一回だけでも殴りたい。それか、何かしらの意趣返しがしたい。そんな決意を持った最初の朝だった。
エールを送る感じで罠を考えたら、なぜかこうなりました。
姉は予定通り、兄が予定外。
主人公は変わりましたが、殆ど変わっていない気がします。