188.これは次に繋げる為の布石②
帰る気のないお客様ほど迷惑なものはない。だけど、ここはお店ではなく私の部屋だから強気に出たところで拒否されるのが目に見える。力で何とかしようにも人数差で勝てるはずもない。つまり、詰んでいる。
「琴音君と区別するために僕は如月さんと呼ばせてもらうよ」
「私は琴音ちゃんにしようかな。薫はどうする?」
「私は変わらず琴音さんと呼ばせてもらいます。区別するつもりはありませんから。私にとってはどちらも大切な後輩です」
「本当にこの中の良心で助かります」
すでに霜月さんが私を弄ろうとしているのは確定的。そして、葉月さんもまだ私に対する質問を止めるつもりは無さそう。その中で良心的な役割を担ってくれる木下先輩の存在は本当に大きい。
「如月さんが彼と呼ぶ琴音君。彼ということは男性的な側面かな。如月君にそんな一面があるなんてね」
「私としての側面ではありません。彼は私の憧れや願いとして生まれた人格です」
「ほーん?」
何ですか、霜月さんの興味津々みたいな表情は。葉月さんは何かを考えるように黙ってしまったけど、逆に霜月さんが私との距離を物理的に縮めようとしてきている。逃げようにもこの部屋の中ではいずれ追い詰められてしまう。
「今のは琴音さんが悪いです。そんな乙女のような表情をしてしまっては。私も少々興味が出てしまいました」
「私、そんな表情をしていましたか?」
「えぇ、まるでこれこそが本当の初恋のような感じでした」
それはどうなのかな。あの時はまだ小さかったから恋愛というものを理解していなかった。今も理解できているとは言えないですけど。むしろ、今は恋愛方面から距離を置きたい感じです。それなのにお兄さんの所為でそちら方面でキューピッド役をしなくてはいけない。
『いやいや、あれは私にとっても事故のようなものだったからな』
『それはそうなのですが。なぜ、そのようなものを引き寄せてしまうのですか?』
『私だけの所為みたいに言っているけど、もしかしたら琴音も少しは関与しているかもしれないんだぞ』
それは絶対にない。私のままであったのなら、茜さんが興味を持つはずが。いえ、ありますね。私の寝顔を見て、気に入ったと言っていたので。でも、料理ができない私があの人と今の関係を築けるとは思えない。
『いや、茜さんなら料理関係なくこの部屋に入り浸ると思う。そして、静流さんがやってくるのは当たり前だよな』
『私だったとしても学園長は依頼してきそうですね』
何てことでしょう。私だったとしても逃げられなかったとは。しかも、十二本家からの依頼であれば、私だったら猶更断れなくなってしまう。おかしい、私はお兄さんとは違ってトラブルメーカーではないはずなのに。
『というか、初恋云々に関して何もないのですか?』
『別にそれは個人の自由だからな。それに琴音だって確固たる自信はないんだろ?』
『そうですね。お兄さんに恋をしていたのかどうかは私にも分かりません』
『だったら、私が気にするのは違うな』
そういうところはドライですよね。お兄さんにとって恋とはどんなものだったのでしょう。誰かにドキッとするような場面はあったはず。恋とかよりも、もっと心臓に悪い物ばかりだったと思いますけど。
「表情がコロコロと変わっているのは琴音君と会話でもしているのかな?」
「そんなところです。彼もこの会話を聞いていますから。お互いに共通にしているのはおのれ、学園長めです」
「とんでもないところに流れ矢が飛んで行ったね」
だって、歌手としての道自体も始まりは学園長なのですから。あの人の依頼がなければ、こんな未来は発生する可能性すらなかった。ただ、漠然とした将来を考えていたかもしれない。
「琴音君との交代は自由にできるというわけじゃなさそうだね。如月君のままでいるのだから」
「主人格はあくまでも私です。彼と入れ替わるとやはり多少の障害が起こってしまいます」
「如月君の二重人格は僕達の思っているものとは違っている感じがするね」
それはそうでしょう。だって、二重人格とは違うのですから。本来の人格交代であれば障害なんて起こるはずもない。私とお兄さんは全くの別人であるからこそ、このような歪な関係になってしまっている。
「憧れと言っていたけど、琴音君のベースとなったのはやっぱり彼だよね?」
「そこは否定しません。あの人との出会いは私にとってあまりにも衝撃的で、忘れられない思い出です」
「悪夢的な?」
『そこの馬鹿を黙らせろ』
「白瀬さん。黙れと言われていますよ」
「手も足も出せない琴ちゃんなんて怖くない。私も気持ち悪くて動けないけど」
流石に私もお兄さんのように容赦ない攻めをしようとは思わない。それにそこまで踏み込んでしまえば、魔窟に染まってしまったような感じになってしまう。私まだそこに辿り着きたくはない。
「うーん、まだまだ謎はあるけどそこは謎のままにしておいた方が楽しめそうだね」
「全部を解き明かすつもりはないと?」
「だって、如月君は全部を正直に答えてくれる気はないよね?」
「秘密にしておきたいこともあります」
「だったら、これ以上追っても無駄だよ。友好な関係を続けたいのであれば引き際も肝心だよ」
ここで本当に引いてくれるのであれば私としても助かるのだけど。葉月さん相手だとそれがブラフである可能性もある。油断していたら、いつの間にか足元を掬われるかもしれない。
「というわけで選手交代」
「へい、琴音ちゃーん!」
「みぎゃー!?」
いきなり後ろから抱き締められて、思いっきり叫んでしまった。いつの間に私の前から後ろに移動したのか全然分からなかったんですけど!
「おー、この反応は琴音と全然違うわね。うんうん、超新鮮」
『野獣が解き放たれてしまったか』
『自分は被害を受けないからって冷静に言わないでください!』
「琴音ちゃん。私といいことしましょう」
「耳元で囁かないでください!」
「そろそろ交代しておかないと僕が綾に責められそうだったからさ」
「私はスケープゴートじゃないのですよ!」
「ほっほっほ、ここがえぇーのかー?」
「みゃー!?」
「そこまでにしておきなさい、お馬鹿」
「んぎゃっ!?」
人の胸を揉み出したエロ親父こと、霜月さんは良心的存在の拳骨によって轟沈した。いや、もっとボコボコにしてやってもいいのですよ。何だったら私も痛みで蹲っている霜月さんに蹴りを入れてやりましょうか。
「琴音だったら無意識で拳が飛んでくるだろうから、琴音ちゃんなら大丈夫だと思ったのに」
「ただのセクハラですからね、綾」
「追い打ちしないのは如月さんの優しさだね。琴音君だったら容赦なく蹴り転がすだろうからさ」
『何だったら口の中に唐辛子を拳分入れてやるな』
『鬼や悪魔のような所業ですね。それ、採用します』
というわけで唐辛子をグワシッと握ったら、露骨に私から距離を取られてしまった。やっぱりこういったのは迅速に行動へ移さないと悟られてしまいますか。経験の差が獲物を仕留めるチャンスに繋がる。ちゃんと覚えておきましょう。
「ヤバい、ヤバい。私が再起不能にされるところだった」
「綾の自業自得ですよ」
「そうです。それだけの罪を犯したのを自覚してください」
「唐辛子は琴音君の入れ知恵かな。やっぱり、やり方がえげつないね」
「その被害者がここに転がっている」
この量を口に入れられたら白瀬さんだって悶絶どころの話で済んではいなかったはず。喧嘩みたいな騒ぎの発端になった量はそれほど多くはなかった。それでもダメージは大きかったみたいだけど。
「以心伝心というわけじゃないだろうけど、やっぱり行動に琴音君が絡んでくると厄介だね」
「油断も隙もあったもんじゃないわ」
「それは霜月さんです」
葉月さんに注意を向けすぎると霜月さんが襲い掛かってくる。だけど、霜月さんを警戒していると葉月さんの言動に引っかかってしまう。このコンビ、厄介すぎます。
『何を今更』
『お兄さん。よくこの二人に対応できましたね』
『人数が二人ならまだ優しい方だろう』
魔窟基準で考えないでほしいです。私では二人でも十分に脅威なのですから。でも、そろそろ終わりにしないとゾンビたちが復活してきそうなんですけど。どうしましょう。
キンキンに冷えたコーラを飲んでしゃっくりが止まりませんでした。
その状態で歯を磨き、うがいをして、しゃっくりで咽て、顔面水浸しです。
なぜ私は二回も洗顔しないといけないのでしょうか。しかも就寝前に。