179.卒業は晴れやかに④
前座です。
羞恥地獄のような猛特訓のおかげで、俺も琴音も大分上達したと思われる。それでも白瀬から合格と言われることはないけどな。白瀬の合格ラインは遥か彼方に設定されているのだ。
「部屋に帰ったらトレーニング。夜は琴音が、早朝は私といったスケジュールでやっていたので自由な時間がなかったのですよ」
「ハードな生活を送っていたのね」
講堂に到着して、時間を持て余してしまったので今までのあらましを香織に説明していた。早朝のランニングは、ヴォイストレーニングに変わってしまったのだ。理由は他にもあるのだが。
琴音との入れ替わりによる後遺症は以前と比べて、随分と緩和されていた。それでも身体が動かし辛い、怠いといった感じはあった。だから身体を動かすようなトレーニングは控えている。
「あの子まで巻き込んで何をやっているのやら」
「私だけが被害者なのは納得できなかった結果ですね」
呆れたような言われたのだが、琴音を巻き込んだのは結果として正解だった。おかげで白瀬の要求が俺よりも琴音の方に向いていたからな。新しい素材が手に入ったと喜んでいたくらいだ。
「スケープゴートとしてこれほど優秀だったとは思いませんでした」
「可哀そうに」
『やっぱりですかー!』
琴音も薄々とは気づいていたのだろう。なんだかんだと弄られキャラが定着していっている感じがする。だからこそ魔窟の愉悦部である白瀬は食いついたのだろう。これで面子を増やしたら琴音が地獄を見るな。
「白瀬だからこそ、音楽という面だけの要求で済んでいるのです。他の面子までいたら、それこそ収拾がつきません」
「各分野がそれぞれで要求してくるとか地獄絵図ね」
『それは私も勘弁してほしいです。白瀬さんだけでいっぱいいっぱいなのですから』
俺だって他の奴を呼ぼうとは思っていないさ。今回の計画に必要なのは白瀬だけ。他の面子は邪魔でしかない。正直にいえば、他の連中が乗り込んでこないのが不思議なんだ。どこかで嗅ぎ付けてくるとは思っていたのだが。
「余裕がないから不測の事態なんて考えていないのに」
「不吉なこと言わないでよ」
「大丈夫です。恐らく被害者は私達だけですから」
『私にとっては不吉すぎますよ!』
あくまでも最悪な想定だからな。いい方向に考えるとしたら、邪魔をしないように白瀬が牽制してくれたのか。音楽関係で白瀬の邪魔をすると後が怖いからな。悪い方向に考えるのならば、事情を知らないシェリーが誰かを雇った可能性。
「始まるみたいですね。無難で、ちょっとしたサプライズのある卒業式が」
「何が起こるのか知っている私達にとってはサプライズでもないけど」
香織には不測の事態が起こった場合に備えて、今回の計画を話してある。十二本家が関わっているのであり得ないとは思っているが、用心しておくことに越したことはない。馬鹿が喜びそうな事態なんて俺は望んでいないのだから。
「さて、そろそろかな」
卒業式は通常通り執り行われ、最後を迎えようとしていた。流石に人数が多いので卒業証書授与が長く感じたが、やっぱり静かなものだな。何人かは早くも涙を流している人物がいたくらい。
「校歌斉唱!」
おい、待て。何でシェリーの声が聞こえるんだよ。出番はもうちょっと先だろうに。それに白瀬もすでにピアノの席に座っていやがる。二人揃ってフライングしているんじゃない。学生にとっては感動の卒業式だが、あの二人にとってはあまりにも時間が長すぎたのか。
「滅茶苦茶だ」
「それでもまだ混乱は起きていないみたいね。誰も気づいていないのかしら」
気づかれたら駄目なんだよ。約一名は思いっきり気付いているけどな。遠くから見える綾先輩はキョロキョロとした周りを見渡した後に、俺のことを睨んできたのだが。母親の声を聞き間違えるわけないよな。
「我慢の出来ない奴らめ」
「でも、普通に進行しているからいいじゃない」
こっちはハラハラするから止めてほしい。どうして計画を組んでもそれ通りに進んでくれないのか。いや、慣れているけどさ。更にアドリブを投入する奴がいないだけマシか。でも、サプライズの意味がなくなったな。綾先輩だけ。
「うーん、私は動けるような状況じゃないし。このまま放置かな」
「後のことを考えると琴音は動かない方がいいわね」
あまり目立つような行動をすると後の計画に響くからな。黙って今の席にいるのが賢明だ。どうせ目の前では勝手に事態が進むだけ。あくまでも今の状況は余興でしかないのだから、あの二人だって無茶はしないだろう。
「校歌歌い終わったけど、私の歌はこれで解決にならないかな?」
「小鳥ちゃんから駄目ですの合図が送られているわよ」
何で離れた席の小鳥が俺の考えを察しているんだよ。流石に卒業生である葉月先輩に動きはないな。俺がいる位置は卒業生の後方だから、思いっきり振り向かないと確認できない。綾先輩の場合は仕方のない反応だった。
「はーい。これで終わりっていうのは味気ないわよね?」
「満を持してシェリーの登場。ここまでは段取り通り」
「すでに段取り崩壊していなかった?」
気にしなければいいのだ。シェリーの登場で卒業生も在校生も色めき立っているが、こっちは予定外の行動をしないかどうかハラハラしている。魔窟と同じで何をするか予想ができないんだよな。
「皆の疑問はちゃんと理解しているわ。私から言えるのは一言だけ。サプライズを友人に頼まれたの」
「友人は多そうだよな」
「その中に最近話題の人も含まれているものね」
名前を出さないだけマシだと思っている。綾先輩や葉月先輩は気付いただろうな。発案者が俺であることを。これで気づかないほどあの二人は鈍くない。そしてこれから起きることは二人にとって拍子抜けするようなものだ。
「でも、私一人で歌うのは今回だと相応しくないわね。壇上に一人、それに全員で歌いましょうか。はい、そこの彼女。上がってきて頂戴」
指名されたのは当然ながら綾先輩。不思議なことにシェリーは綾先輩と親子であることを隠し続けている。それこそメディアすら黙らせてまで。それが娘の為だと思っているんだろうな。間違ってはいないけど。
「感動も何もないって感じだな。一瞬、睨まれた気がする」
「あの中に琴音がいないからじゃない?」
恥を晒すつもりはないからな。綾先輩にとって、俺も含んだ三人で歌いたいと思っていても、今回だけはそれができない。あくまでも余興で俺が目立ってはいけないんだ。本番はこの後。
「おかしいな。最初はここが本番のつもりだったはずなのに」
「面子を考えると琴音が巻き込まれた方が本番らしいと思うわよ」
シェリーと白瀬。だけどシェリーにとっては娘の卒業式だぞ。普通だったら、俺なんかよりも娘を優先するはずなのにあの人は自分の欲望を優先した。卒業式は今回だけしかないのにな。
「随分と泣いている人が多いな」
「卒業式で大物歌手がお祝いに駆けつけてくれるなんて普通じゃ考えられないわよ。感極まっても仕方ないわ」
全員での合唱が終わり、シェリーは綾先輩とハイタッチしてから去っていった。その後ろ姿に会場からは惜しみない拍手が送られているが、それに対して手を振るだけで応えて消えていく。
「さてと、本番の準備をしますか」
「気をつけなさいよ。特に最後を」
「リハーサルは無事に済んでいるから大丈夫」
全員が教室に移動する中で俺だけがこっそりと抜け出していく。目指すべき場所は屋上。そこが卒業式の本当のサプライズが行われる場所。覚悟を決めて、テンションを上げるか。
連休をどう過ごしていたのか。
編集して、書き足して、息抜きに狩りをしていただけでした。
おかげでリメイク版の『元令嬢の誘拐召喚:改』の公開に踏み切ったのですけどね。
やるきっかけは盛大な自爆でしたけど。




