178.卒業は晴れやかに③
爆発四散するなら周囲諸共に。
デビューシングルを六月までに発売する。それは俺にとっても想定外の要求だった。前提として一緒に歌うというのは考えていた。その為の縛りも用意していたし、対策はできていたはずだったんだ。
「何で?」
混乱から立ち直り、何より聞かなければいけないのはその目的だ。あくまでも学生の内は活動しないと伝えていた。それなのにシングルを出せと要求してくるのはどうしてなのか。ただの私情だとは思えない。
「私達にも旬というものがあるのよ。それが過ぎてしまうと売れなくなる可能性は高くなる。そして、アンノーンの旬は今がベスト」
「今が?」
「正体不明であり、謎が話題を呼ぶ。私との交友もあるのだから正体を知ろうと各メディアが動いているのは当然よね。でも、このまま何も活動せずに話題が沈静化したら?」
「賑やかしだと思われる」
「正解。事務所に所属したとしても曲を売り出さなければ意味がないの。今回の卒業式で話題は上乗せできるから、あとは曲だけなのよ」
覚悟ができていない状態で曲を出せと言われても困るのだが。心構えの問題が解決していない。そんな状態で歌ったところで、聞いた人を満足させられるものができるとは思えない。
「そもそも、私は歌手としてやっていけると思うのですか?」
「技術的な面で言えば、まだ足りないわね」
だよな。俺としての経験があるといっても、歌手を本気で目指して練習していたわけじゃない。あくまでも学生時代の趣味としてだけだ。琴音だって歌った経験なんて音楽の授業くらいだな。
「でも、技術は特訓で克服できるのよ。私だってそうだったのだから。あとはどれだけ想いを歌に込められるか。その面だけでいえば、アンノーンは及第点よ」
「想い、ね」
「どうかしたの?」
若干、声のトーンが暗くなったのを気づかれたか。俺としての期間は残り一か月あるかどうか。幾ら練習したところで、本番の頃に俺が残っているかは分からない。将来の為に琴音だって頑張ってはいるが、お互いにどちらが残るのかはまだ確定していない。そんな湿っぽい気持ちの中で何故か悪戯心が働いてしまった。
「シングルって、基本的に二曲ですよね?」
「そういった決まりがあるわけじゃないけど、定番はそうね」
『やったな、琴音。お前も歌えるぞ』
『アホですかぁぁー!!』
『恥を晒すなら諸共にだ! 魔窟流を舐めるなよ!』
誰が好き好んで一人だけで爆発するか。やらなければいけないと思ったら誰かを道連れにするのは当たり前だろ。しかも、適任者がすぐ近くどころか自分の中にいるのだ。そんな好機を見逃すはずがないだろ。
『すでに私との入れ替わりができるのは実証済みだ。しかも今回は事前準備が可能なんだから、前回よりもリスクは低いはず!』
『意地でも表に出ません!』
『意地でも引きずり出してやるから覚悟していろ!』
「ちなみにこの要求を断った場合、アンノーンの計画には参加しないわよ」
「それは察していたから大丈夫です」
脳内でひたすら出ない、出すと叫び合いが繰り広げられているが、シェリーの言葉もちゃんと聞いている。参加しないのは俺としての計画のこと。これは十二本家とは関係ない俺としてのお願いだからな。何で俺としての借りになっているのだろう。
「でもシングルを出すにしても課題は多そうですよ。事務所が何というか分かりませんし、曲の方だって準備が間に合うのか」
「あら、事務所側ならアンノーンのデビューを心待ちにしているはずよ。それに作曲者はあのシロちゃんでしょう? あの子が何もしていないとは思えないわ」
しっかりとこちら側の内情を把握されているな。唯さんあたりは嬉々としてスケジュールを組むだろうし、白瀬だって何曲くらい作っているのか想像ができない。変わり種じゃないことだけを祈る。
「もし、今回の件がなかったらどうするつもりだったんですか?」
「うんと言うまで熱唱かしら」
うんと言う前に喉が潰れるぞ。連れていかれる場所は何となくそこら辺のカラオケ店のような気がする。何というか歌えるのならどこでもいいやと思っているはず。入り口も一つだけだから逃亡はほぼ不可能だな。
「こちらが折れるしかない状況ですから、シングルの件については了承しました」
「なら、こっちもちゃんと応えないといけないわね。全力で今回の計画を支援させてもらうわ」
ぶっちゃけ、単独では達成不可能な計画だからな。独力でもやれないことはないが、準備が大変だし、目撃された場合ドン引きされる可能性がある。魔窟の参戦は白瀬だから抑えも効くし、奴はそこまで動くタイプではない。
「ロケーションを考えるとPVにしたいわね。それはやっぱり駄目?」
「私が箱を被りますよ」
「あー、あのラジオ放送で被ったという箱ね。どういうのかしら?」
「あれ」
棚の上に無造作に置かれている箱。後ろ側を正面にしているから、普通なら中央に穴が開いている箱にしか見えないよな。あれでも高価なものだから中身を清掃、消毒、消臭してちゃんと保管しているのだ。
「サインしちゃ駄目?」
「笑わずに真顔でそんなことを言うのは貴女くらいですよ」
シェリーの広告塔になるのは勘弁。サインを書かれてしまうと事務所が違うから箱が被れなくなってしまう。唯一の姿を隠す手段なんだぞ。変なマスクを被るよりはマシかと最近では思っているのだから。
「PVということは新曲ですか?」
「もちろんと言いたいところだけど、流石に時間がないわね。既存曲をアレンジしてデュエット用に作り直すのが精いっぱいかしら」
「何日くらい掛かりますか? 練習とかも必要ですから」
「舐めないで頂戴。三日もあれば十分よ」
何か三日も掛からないような気がする。そして完成したら、俺は拉致られるだろう。地獄の猛特訓が始まってしまう。逃亡しようにも俺の活動範囲は把握されているから無理かな。
「アンノーンはこれからが大変ね。私との特訓に、新曲の練習も合わさるのだから」
「喉が持つといいのですけどね」
『お兄さん。私も歌わせるようですけど、本番の頃にどうなっているか分かりませんよ?』
『大丈夫だ。間に合わないのなら、本番を前倒しすればいい』
『わー、意味が分からないほどに強引な手段ですね』
問題があるとすれば、俺と琴音が入れ替わった際のリスクだな。前回は身体が動かなくなるという副作用があったが、今回は琴音に事前準備をしてもらい実行する予定。リスクは低くなるが、それでも全く副作用が無くなるとは思っていない。
『それに私の存在を他の人に知られるのは不都合とかないのですか?』
『相手が白瀬なら大丈夫だろ。魔窟の連中は大概頭がおかしいから』
『ある意味で信頼していますよね』
琴音は俺の過去の記憶を見ているから、奴らがどんな奇行をしていたのか知っている。本当にこんなことをしていたのか疑ってしまうレベルだから。中には危機感が死滅しているものもいたな。
「さて、これで作戦の相談も終わったことだし。ご飯でも一緒にどう?」
「遠慮しておきます」
「遠慮なんてしなくていいのよ。全額私の奢りよ」
「それでも止めておきます」
奢りだろうと何だろうと、飯を食った後の行動は予測できる。すなわち、朝までカラオケコース。明日は休日でも、俺はバイトのシフトが入っているのだ。徹夜で仕事をしたくはない。
「それじゃ仕方ないわね。無理矢理にでも連れて行くわ」
「嫌だって言っているでしょうが!」
『因果応報です。お兄さん』
腕を掴まれて引き摺られるように玄関へ連行されてしまう。何で十二本家の関係者は強引な連中が多いんだよ。これは諦めて参加するしかないか。そして道連れの人員を確保しなければ。シェリーと二人とか地獄を見てしまう。
「琴音ちゃーん。今日の晩御飯は何かしら? お邪魔しましたー」
「明日、休みらしいですよ」
「なら参加確定ね」
笑顔でやってきて、シェリーの顔を見た瞬間に逃げようとした茜さんを確保して売り渡す。これで休憩時間が作り出せる。もう一人ぐらい欲しいから、凜あたりでも連れ込むか。
「琴音ちゃんが私を売り渡すなんて。でも、私も同じことをするから批判できない」
「茜さん。一緒にデスマーチしましょう」
喉が枯れ果てるまで歌わされるのだから誰だって嫌だよな。凜も巻き込んで行われたカラオケは朝方まで続いたらしい。俺はバイトがあると言って、何とか午前三時頃に解放してもらえた。
翌朝に死んだような顔をした茜さんと凜。すっきりした表情のシェリーが部屋を訪ねてくるとは思わなかったけどな。帰る家はここじゃないだろ!
しんみりとした話にする予定だったのですが、書いてみたらこれですよ。
リスクの結果とか、白瀬の反応とかは後で書くかもしれません。
むしろ、リスク込みで諸共爆散を狙っているのかが分かりませんけどね。
最近平和だと思ってたらデコピンの如く、扱いに困るものしかありません。