176.卒業は晴れやかに①
卒業式編開幕です。
予定されていた別れ。いれば騒がしく、いなくなれば少しだけ寂しく感じるかもしれない。そんなセンチメンタルを味わうわけもない卒業式が本日執り行われる。どうせ、私生活にがっつりと食い込んでくるだろうからな。
「遂に元凶の双翼が居なくなるのですね。これで平和になればいいのですけど」
「元凶の一端である琴音がいる時点で平和とは無縁ね」
香織からの手厳しいツッコミを貰いつつ、会場となる講堂に移動している。葉月と霜月の卒業式。保護者以外の参加は許されていないが、終わった後に各家でパーティーでも行われるかもしれないな。主人公不在で。
「送別会を何で私の部屋でやらないといけないのでしょうか」
「一番自由が効くからじゃない?」
「準備をする私の身にもなってください」
「部屋の提供に、料理の準備となると忙しいわよね。琴音以外にも誰かいないと厳しくない?」
「帰宅後に準備していては間に合わないので美咲を配置することにしました。馬車馬のように使ってやります」
「何か私怨を感じるわね」
正月に私を裏切った恨みを存分に込めているからな。美咲にとってはご褒美さえ貰えるのあれば、そんな恨みなんて感じないだろうけど。何で仕事を割り振ったら別で褒美を渡さないといけないのか。
「何か企んでいる?」
「何でそう思うのですか?」
「最近、忙しそうに動き回っているじゃない。お店が休みの日だって、どこかに行っているみたいだし」
「ちょっと相談事を片付けているだけですよ」
厄介な案件をな。頼まれたのはバレンタインデーの一件が終わってから数日後だったか。喫茶店に凜が現れ、俺に相談を持ち掛けてきたのが始まりだった。おかげで色々と大変なんだよ。
いつも通りの喫茶店でのアルバイト。お客さんも減り始め、終わりの時間が近づいてきた時に、狙ってやってきたみたいに凜が来店してきた。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
「琴姉に相談があるの」
「奥の席にご案内します。どうぞ、こちらに」
既存のお客さんにはすでに配膳を済ませてある。新たに来店してこない限り、俺の手は空いている状態だからな。少しばかり凜の話に付き合ってもいいだろう。ある程度自由があるのはこの喫茶店としての緩さだな。
「ご注文をお伺いします」
「ミルクティーとお勧めのデザートで」
「かしこまりました」
ちゃんと注文してくれるのだから、ちゃんとお客として相手をしないとな。これが仕事抜きなら嫌そうな顔をしているだろう。厄介ごとがやってきたと。それにしても随分と真剣な様子だな。
「琴音。これを出したら今日は終わりでいいぞ」
「いいのですか?」
「時間も僅かだからな。それに随分と思い詰めているように見える」
それは俺も感じている。ふざけた感じでもなく、こちらの様子を窺っているわけでもない。凜から伝わってくるのは真剣にこちらへと何かを聞きたいという意思。真面目な霜月なんて慣れないな。
「こちら、注文のお品になります。はい、仕事はここまで。それで私に相談って何?」
「もうすぐ綾姉の卒業。その時に何か思い出に残ることをしたい」
「卒業式自体が思い出に残ると思うけどな」
「それだけじゃ駄目。綾姉にとって学園は楽しい場所じゃなかったから」
「そうか?」
クラスを統率し、一部分ではあるが自由を獲得していた。そんな場所を作り上げておいて楽しくなかったとは思えない。それに本音を言い合える木下先輩だっていたんだ。環境としては悪くないだろう。
「私達、霜月家にとって本音を出せる場所は限られている。最初の頃なんて随分とストレスを溜め込んでいたのは間違いない」
「それは何となく分かるけどな」
ただし、俺の記憶にある綾先輩はいつでも陽気で元気な先輩だったけどな。陰りのある様子なんて一度も見たことがない。上手く隠していたのかもしれないが。
「綾姉にとって琴姉は特別な存在だった。仮面を被っているようで何も隠していない。本音を出し続けているのに人を惹きつける」
「それは買い被り。私はやりたいようにやっていただけ。最初の頃はそれなりに気を使っていたんだぞ」
「琴姉の最初の頃はよく分からないけど。私が琴姉の話を聞くようになったのは生徒会に所属してからだから」
葉月先輩の所為でがっつりと表側に出されたからな。過去もそうだが、何で俺は強引に表側に出されてしまうのか。のんびりと裏側で暗躍してみたいとはいつだって思っているさ。暴れ回っている方が多いが。
「似ているようで全く似てない。だから綾姉は興味を持ったと思う。お互いに巻き込むような台風になるなんて思わなかった。相乗効果が恐ろしい」
「私が巻き込まれている場合が悲惨すぎるんだが」
人の人生を狂わせている家があるなんて誰が考えるよ。勝手に歌手の道を整備して舗装までされて、逃げ道を防ぐようにガードレールまで設置しやがったんだぞ。こっちは速度制限を設けるのが限界だった。
「琴姉と関わるようになって綾姉は随分とスッキリした様子。だから琴姉なら綾姉の学園での思い出を作ってくれると信じている」
「馬鹿をやれと?」
「それは勘弁して。絶対に生徒全員が巻き込まれる」
そんな規模でやろうとは思わないさ。なにせ投入できる人員が限られている。学校行事で大惨事を起こす場合は一致団結した馬鹿を結集しなければならない。その結果を残したのが魔窟なので、経験だけはある。だが二度とやるつもりはない。絶対に。
「別に特別なことを用意する必要はないだろ。綾先輩を歌わせればいい」
「何で?」
「歌うのに仮面は必要ないだろ。母親を誘って壇上で歌わせるだけでも記念になる」
シェリーと綾先輩のデュエットを俺は見たことがない。綾先輩が遠慮している様子は感じないから、シェリーに何かしらの考えがあるのだろう。何となく思うのは、人前で歌った綾先輩が仮面を脱ぎ捨てられるかどうか試すためなのかもしれない。
「でもママは卒業式に来る気はないと思う。あれでも有名人だから」
「保護者として来たら、大混乱だろうな。それこそ生徒も保護者も。だからゲストとして呼べばいい」
仕事としての出演依頼なら、人前に立つのは歌う時だけ。混乱も最小限に抑えられるはず。難しいとしたら、学園長の説得と、シェリーが出演を承諾してくれるかどうか。そこは無理を通すしかない。
「琴姉。協力は惜しまないから、交渉をお願い」
「私が?」
「こういった交渉は琴姉の方が得意。私がやっても失敗する確率が高そう」
提案したのは俺だから勝算はある。学園長に関しては弱みを握っている上に、結婚式でのスピーチという貸しがあるからどうにでもなる。問題となるのはシェリーだ。交換条件として何を言われるのか予想が付かない。
「母親の暴走は止めろよ」
「それは無理」
「断言するなよ」
「私とママでは馬力が違う。それこそ私と綾姉とパパが力を合わせないとママは止められない」
どれだけパワフルなんだよ。確かに初めて対面したときは力強さを俺だって感じた。だけど、霜月総出じゃないと止められないほどだとは思わなかったな。流石は世界を駆け巡った歌手か。
「交渉する相手としては最難関過ぎる。協力を取り付けたとしても私の被害がヤバそうだ」
「そこは何とか被害を小さくするために協力するから」
「食い止めるとは言わないんだな」
「できないことは言わない主義だから」
世の為、人の為に霜月家はずっと仮面をし続ける必要があるのではないだろうかと真剣に思ってしまったぞ。嫁いで感染してしまったシェリーにも問題はあるが。パワーで何でもゴリ押すのはどうなんだよ。
「仕方ない。後輩の為に一肌脱ぐか。ただし、貸し一つだからな」
「甘んじて受け入れる。でも、手心は加えてほしい」
「何言ってんだよ。倍返しでしてもらうつもりだからな」
「えー」
情けない顔をするなよ。こっちは腹を括ったのだから、そっちだって覚悟を決めろ。さてと、それじゃ必要なものを揃えるために動くとしようか。貸しを作る羽目になるかもしれないが、それは全部凜に背負わせよう。本人には言わないけど。
そして、俺はこの選択を後悔することになる。頑張れ、未来の私!
結婚式への魔窟参戦は二人ぐらいを予定していたんですけどね。
いつの間にか団体参加のご予定が組まれていました。何でかな?