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175.バレンタインデーのお礼参り⑤


 廊下を全力疾走という、注意が飛んできても不思議じゃない逃走劇の末に目的である職員室に辿り着いた。負け犬の遠吠えで諦めてくれたと思ったのだが、そんなに甘くはない。


「スカート抑えながら、階段数段飛ばしは危険だな」


 態勢が安定しない。男性だった頃はそんなもの気にもしなかったのだが。一応は女性として気を付けるべき点については意識しているつもりだ。脇が甘いと香織から小言を貰うことが多いな。


「ちくしょう。職員室は卑怯だろ」


「そもそも脚力が違い過ぎる。十二本家はインテリ方面が多いんじゃないのかよ」


「施設を有用に使うのは当たり前です。それと私はアウトドア寄りですからね。それじゃ、お疲れ様です」


 息切れしている追手の方々を尻目に職員室のドアを開く。流石に職員室の前で大騒ぎの捕物をやる勇気はないだろう。それが普通なのだ。職員室の中にまで殴り込みかけるような馬鹿は魔窟だけだろ。


「えーと、近藤先生は」


 二学年の担任として今年は本当にお世話になったからな。お世話になった人たちに渡すと決めていたのだから、近藤先生は外せないよな。ちなみに茜さんには朝の内に渡してある。思いっきり抱きしめられたさ。


「はい、近藤先生。チョコクッキーの差し入れです。毎日お疲れ様です」


「最初の頃との違いに呆れるぞ。あの頃は大人しくしてくれていると思ったんだがな。何で校内を全力疾走しているんだよ」


「やむにやまれぬ事情がありまして」


「上級生から追われるような事情が何なのか気になるところではあるな。去年みたいなことをしていないよな?」


「まさかですよ。チョコを渡せと追われただけです。多分」


 俺も追われている理由は知らないけど、そんな理由だろう。去年は加害者側に立っていたが、今では俺も被害者側だな。基本的に逃亡劇のみでこちらから反撃しようとは思っていないけど。学園の中だと味方についてくれるのが厄介すぎるのだ。


「事態が好転しているのに、厄介事が増えているのは気のせいか?」


「それは私にも分からない謎ですね」


 去年よりも交友などの人間関係はかなりの改善が見られているのは確かだ。その交友関係のおかげでトラブルに巻き込まれているのはなぜなのか。性格に問題のある連中とつるむのは俺から引き継いだものなのだろうか。


「基本的に私も巻き込まれているのですよ。主に十二本家の面々が原因です」


「それに乗っかっているのがお前だろ。嬉々として動いているのが容易に想像できるぞ」


「私のイメージってどこから変わったんでしょうか?」


「そりゃ、修学旅行からだろう。あんな無茶な真似をするような奴だとは思わなかったぞ」


 やっぱりそこかな。十二本家の連中だったら、あの二次会だと答えるだろう。本性を出すのが早いか遅いかの違いでしかなかったけど、どちらも俺としての印象を決定づけた瞬間かな。


「如月だけは真っ当になってくれたんだと思っていたんだけどな」


「他の面子は変わりそうにないからな。霜月は真面目な印象が強いが、葉月は自由だからな。一年組だってどうなることやら」


「あの面子なら大丈夫だと思いますよ。上級生に反面教師役が揃っていますから」


「その中に如月も含まれているんだろうな」


 否定できないのが辛い。確かに後輩たちからの信頼はある。絶対にこの人はやっちまうという悪い信頼感が。その割にはちゃんと頼りにもされているからよく分からないんだよな。


「琴音ちゃーん!」


「だから何度も言っていますが、いきなり後ろから抱き着かないでください」


「ウーン? 何か最近は反応が淡泊な感じ?」


「キャシー先生が毎回後ろから抱き着いてくるのでいい加減慣れました。他にも理由はありますけど」


 あとは茜さんの影響で。あの人もスキンシップ過剰だから。いくら恥ずかしがり屋の琴音であろうとも毎回抱き着かれていたら、耐性だって獲得できる。ただし、それは抱き着いてくる人物が同じである場合のみ。


「あー、あれの影響か。嫁さん役は大変だな」


「ォー、近藤先生は結婚してました?」


「俺じゃなくて如月の話だな。半同居人に嫁呼ばわりされているんだよ。しかも、本人が拒まないからノリが加速する一方」


「ちゃんと否定はしましたよ。全く効果がありませんでした」


 最初の頃は嫁と呼ばないでくれと何度もお願いしていたのだ。それでも一切聞き入れてくれなかったので一か月ちょっとで諦めた。もうこういう人物なんだと割り切ることにしたのだ。人間、慣れるものだよなとは思ったさ。


「しかし、如月とキャシーが重なっている姿は男には目の毒だな」


 だから近藤先生は視線を逸らしているのだろう。他の教師は男性がやっぱり視線を逸らしているし、女性の方は呆れたように溜息を吐いている。俺よりも、身じろぎして形が変わるキャシー先生の胸が原因だろう。


「あっ、キャシー先生。これ、どうぞ」


「Thank you!」


「お前たち、本当に仲良くなったよな」


 そりゃ出会う度にハグされたり、要求されたりといったことを毎回やっていれば元々嫌いでない限り、親密度は上がるさ。最初の頃は抱き着かれる度に精神的疲労を味わったものだ。慣れって怖いな。


「残すは学園長と佐伯先生だけですね」


「あー、あそこに突っ込むのか。如月も怖いもの知らずだな」


「私でも尻込みするヨー」


「何があるのですか?」


「静流はいつも通りなんだが、学園長がな。幸せオーラ出しまくりで」


「激甘で胸焼けしそうヨ」


 まさかクリスマスからずっとその状態なのだろうか。良かった、正月に皐月家へ行かなくて。あそこに行っていたら、どんな目に遭わされていたのか想像できない。根掘り葉掘り聞かれても、答えられることは少ないのに。


「如月。頼むから学園長を正気に戻してくれ。仕事がやりづらくて仕方ない」


「声は掛けてみますが、責任を持ちませんよ。それでは、失礼します」


 一礼して、職員室から出る。しかし、学園長がそんな状態になっているとは思わなかった。公私はきっちりと分ける人だと思っていたのに。それでも感情を抑えきれないだけ、嬉しいのだろうか。


「あー、入るの億劫になってきた」


 学園長室の前で尻込みしてしまう。別に怖いとかというわけではない。ただ、面倒だと感じているだけ。何というか、今の状態の学園長と話すとまた変な頼みごとをされそうな気がする。


「でも、ちゃんと渡さないと」


 この学園で生活していて学園長には色々と便宜を図ってもらったのは確かだ。そんな相手にお世話になったお礼を渡さないわけにはいかない。心を鼓舞して、ドアを開く。もちろんノックなんてしないけどな。何というか今更なような気がする。


「うわー」


 失礼しますという言葉が出る前に、呆れる声が出てしまった。それほどまでに締まりのない顔をしているから。これは流石にいつもの表情とギャップがあり過ぎる。駄目な方向にだけど。


「これは仕事がやりづらいのも納得できてしまう」


「如月か。どうした?」


「えっと、バレンタインというわけでお世話になった人へ配り歩いています」


「殊勝なことだな。それで私のところにか?」


「えぇ、そうなります。それよりも、その表情はどうにかした方がいいですよ。威厳もへったくれもありません」


 表情もそうだが、ノックもなしに入ってきた俺に注意すらない。それはいつもと違う。何事にも公平なのが皐月家として特徴なのに。浮かれすぎているのが丸分かりだ。確かにこれでは仕事がやりづらいかもしれない。いつもの日常と違うのはペースが乱れるから。


「学園長。そんな状態を佐伯先生が見たらどう思うでしょうね?」


 だからこそ、俺が発破をかける。こうなった原因の一端は俺にもあるからな。かなり暴投気味な流れ矢だけど。関わった以上は責任を持たないとな。前もそんな感じで苦労を背負い込んでいたなと思い出してしまう。


「ニヤけ面で仕事をしていて、いつもと違う甘い対応。告白を受けてもらえたのが嬉しいのは分かりますが、そんな威厳のない学園長に幻滅するかもしれません」


「っ!?」


「せめて公私を分けてください。プライベートで幸せを噛み締めるのは構いません。ですが、仕事はきっちりと行うべきものです」


「そ、そうだな。私がしっかりしないといけないな」


 何で女子高生が学園長に説教しないといけないのか。立場が逆転しているのは分かっているが、俺らしくもあるか。いや、琴音になってからこんな状態になっているのかもしれない。


「それでは、こちらがお世話になったお礼です」


「では、私からはこちらを送ろう」


 交換みたいな形で手渡されたのは一通の封筒。中身を拝見してもいいのか確認したら、構わないと言われたので封を開けたら中から出てきたのは招待状だった。それも結婚式の。


「私をですか?」


「出来ればスピーチを頼みたくてな」


「おい、待て」


「私と静流君を繋いでくれたのは如月のおかげだ。だからこそ、スピーチを頼みたいと静流君と話し合ったのだ」


「馴れ初めを馬鹿正直に話せるわけないでしょう」


 繋がりを作りたいからと俺をダシに使って何とかしたなんて語れるはずがない。十二本家の三男の結婚式なのだから、それなりの重鎮だって来るだろう。そんな中で学園長の恥を話せるものか。


「良い感じにアレンジしてくれると助かる」


「受けるとは言っていないのですが」


 なぜ受ける前提で話が進んでいるのか分からない。相変わらず十二本家はこちらの了承を確認せず、強引に話を進める。これはどこの家も同じだな。少しはこっちの話を聞けよ。


「静流君からはあの曲も歌ってくれないかと言われているな」


「無茶ぶりを増やさないでください」


 おかしいな。何でバレンタインの品を渡しにきたら、結婚式でのスピーチと歌唱を依頼されているのだろうか。確かに恋愛方面であるのだから、季節柄の項目には当てはまる。だがその内容があまりにも俺にとっては無茶なものだ。


「招待には応じますけど、スピーチと歌唱は拒否します」


「拒否権はない」


「学園長が学生相手に強権を使わないでください。スピーチはともかく、顔隠しているので歌唱は無理です」


「スピーチに関しては勝手に名指しで指名すれば良いだけだ。それだけで逃亡できなくなるだろう」


 以前もそうだが、十二本家からの名指しの招待となれば断れない。そして本番で琴音の名前が出されたのであれば、やらないわけにもいかない。十二本家はどいつもこいつも手段を選ばない。最愛の人の為に全力で取り組む姿勢は褒められるが、人を巻き込むんじゃないよ。


「えーと、日取りは五月初旬ですか。それまでに捏造したスピーチを考えないといけないのですね」


「言葉を選んでほしいな。それに歌唱の件については」


「録音は?」


「できれば生歌を希望する」


「それではお世話になったものとか、借りとかそれで全部チャラにしますからね。それと私が依頼するものは全額学園長が負担してください」


 こうなったら全力で準備してやろうじゃないか。どうせ、その頃は俺なのか私なのか分からないのだ。準備だけして全部丸投げするのも悪くはないだろう。悪いのは全部学園長なのだから。


「それは構わないが、無茶をするつもりか?」


「誰の所為で無茶をしないといけなくなったと思っているのですか」


 魔窟の手も借りないとな。依頼料がどの程度になるのかは皆目見当つかない。俺に対する借りは作らせないつもりだから、学園長に全額負担させるつもりだ。そして俺から言えることは一つだけ。


『頑張れ、未来の俺か私』


『無責任の全力大暴投なのを自覚してくださいね。お兄さん』


 そこで止めないあたり、琴音でもどうしようもないと思っているのだろう。俺か私の最初の大仕事はこれかな。うん、楽しいことになりそうだ。

これにてバレンタイン編は終幕です。

次回更新時に番外編の順番を入れ替える予定です。

うーん、最近書くようなネタがない気がします。

平和が一番なんですけどね。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっとここまで来た。毎回毎回面白くて読まないことを選択出来ません。
[一言] 76.いざ決戦場へ 確か学園長は三男だったけど、他に姉弟が何人いるか知らないな。 十二本家の次男の結婚式 →十二本家の三男の結婚式
[一言] 今回は平穏回かと思ったら、最後に爆弾が来た 晴の結婚式が大惨事になりかねない依頼をするとは…… 知らないって怖いですね(遠い目 12本家が主催とはいえ、抑止力にならないんだろうなw まあ…
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