168.入れ替わりの代償
コミカライズ更新日は本編更新が義務なのです!
眠りから覚め、瞼を開けると目の前には香織の寝顔があった。何度か瞬きを繰り返し、これが夢の続きじゃないのを確かめる。俺が眠っている間に何があったんだ。慌てて離れようとして身体を動かそうとしたのだが。
『身体に力が入らない?』
俗にいう金縛りか。首すらも動いてくれないし、声も出ない。眠る前の記憶では大浴場で寝落ちしたというところまで。その後に何があったのか知らないのだが、琴音が何とかしてくれたのだろう。
『それが何で香織と一緒に寝ているんだ?』
一番の謎がこれだ。琴音と香織に面識はなかったはず。それなのにどうして手を繋ぎながら、一緒に寝るような事態になっているかさっぱり分からない。恥ずかしがり屋の琴音がこんな真似をするのも考えられないし。
『おーい、琴音ー』
呼びかけても一切の応答がない。自分の中を探ってみれば、琴音も熟睡しているのが何となく分かった。起きているのは俺だけか。事情を知りたいけど、動けないのだから諦めるしかない。それに今が何時なのかも分からない。
『この状況を宮古たちに見られると盛大に勘違いされそうなんだが』
部屋のドアはオートロックだから勝手に侵入してくることもないだろう。それにやってきたとしてもドアを叩かれれば香織だって起きるはず。それよりも問題になるのは俺の状況だな。さて、どうしたものか。
『考えられる可能性として、琴音が一時的にでもこの身体を使った影響か』
あの状況ならば琴音が最終手段に踏み切ったと想像できる。それによる不都合を考えるような暇だってなかったはずだし。後で滅茶苦茶怒られるだろうな。あれは完全に俺の落ち度だ。
『しかし、この状況が入れ替わりの度に発生するのは不便だな』
琴音に身体を譲ってもいいとは考えていた。でも、俺と琴音の入れ替わりが発生すると行動不能になるなんて。元々俺の身体じゃないからこんな状態になるのも納得はできるけど。俺の精神と身体の繋がりに不都合が生じているのかな。
『あっ、指先は動いた』
良かった。ずっとこんな状態が続くとなれば、それこそ琴音に身体を返却しないといけない。そうなれば必然的に消えるのは俺の方になってしまう。でも、それだと琴音が悲しむんだよな。
『それじゃ意味がないんだよな』
せっかく琴音が身体を使わせてくれているんだ。自分としての人生を諦めて他人に譲っている。あの考えは俺として認めることはできないけど、状況がそれを許さないのであればせめて何かしらの思い出を作ってやりたい。
『一緒になるんだったら、共通の思い出は残したい』
俺が楽しく、そして琴音にとっても楽しい思い出が必要なんだ。それが俺の目標であり、琴音との同化が完了するまでにやらないといけないこと。父親との件がひとまず片付いたのだから、新しい目標だな。
「あっ、おはよう」
その前にこの状況をどうにかしないと。指先を動かしていたから香織が目を覚ましてしまった。傍から見ると、俺の状態は死体だと思われても仕方ない。声を掛けても一切動かず、喋りもしないのだから。
「琴音?」
まだ指先しか動かないから答えることができない。状況としては非常に不味い。身体が動かない以外はいたって異常を感じられない。これで香織が慌てて誰かを呼びにでも走ったら大騒ぎになってしまう。
「離れるなってこと?」
だからこそ渾身の力を込めて、指先で香織の手を離さないようにする。それで意図は伝わったようだ。あとはせめて口が動いて喋れるようになれば事情を説明できるはず。我ながらよく慌てないものだと思うよ。
「というか、今はどっちの琴音?」
やっぱり琴音が表に出ていたか。眉を顰めながらどうやって説明しようか考えるけど、この状態だと無理だという結論が出る。
「うん、琴音の方ね。何となく分かったわ」
「何で分かるんだよ」
あっ、声が出た。無意識に思ったことを喋ってしまったが香織の察しの良さがよく分からない。
「琴音ちゃんは可愛いからよ」
その理由からしたら俺は可愛くないことになるのだが。いや、俺も自覚しているけど。俺の場合は可愛いと言われても違和感しか感じない。そんな要素がどこにあるのだと思ってしまうのだ。
「それでどうしたの?」
「身体が全く動かない。金縛りみたいなものだから時間が経てば治ると思う」
「やっぱり琴音ちゃんが身体を使った影響?」
「多分な。俺としての意識が完全に身体から離れた影響だと推測している。詳しくは琴音に聞いてみないと分からないけど」
まだ眠っているようだから聞き出せない。無理矢理起こすこともできるとは思うけど、やりたくない。俺の馬鹿みたいな失敗を庇った影響でもあるからな。そうだ、俺が眠った後のことを聞かないと。
「琴音と話したんだよな?」
「色々とね。かなり楽しかったわよ」
「何をやっていたんだよ」
「喋って、遊んで、歌って、部屋でまた喋ってそのまま寝ちゃったのよ」
滅茶苦茶満喫してやがったのかよ。琴音は人見知りする方だと思っていたけど、香織なら平気だったのか。俺の中でずっと行動を見ていたのだから、平気な理由は察することができる。
「琴音もそうだけど、やっぱり琴音ちゃんの歌声も綺麗だったわね。一緒に熱唱したりして」
「そこまで意気投合していたのか」
「何となく引っ張ってあげちゃいたくなる子よね。琴音とは正反対よ」
「それには同意しておく。今まで自分を押し殺していた子だからさ。やりたいことを見つけられなかったんだよ」
ただ父親に見てもらいたいだけを目標にしていたから、楽しみを見いだせなかったとも言える。俺と遊んで他に興味を持てるようになったみたいだけど、その後に二番目と入れ替わってしまったからな。
「人生を諦めてしまった子なんだよ、琴音は。だから俺にこの身体を渡そうとしている」
「共存の道はないの?」
「無い」
今回の件でそれは確信を持ててしまった。この身体はやっぱり琴音のものであり、主導権はまだ彼女が持っている。俺がずっと使えていたのは琴音が表に一切出てこなかったためなんだ。
「そっか。そっかー」
「もっと何かを言ってくると思ったけど」
「だって、琴音と琴音ちゃんでちゃんと話し合った結果なんでしょ。それに私が口を出しても仕方ないわよ。本当に残念で悔しいけど」
「事情を聞いたのか?」
「その話はこれぽっちも聞いていないわ。ただ楽しくお喋りしていただけよ」
何の話をしていたのか凄く気になる。琴音と香織で共通の話題となると絶対に俺だからな。まさかとは思うが俺としての過去でも話したのだろうか。琴音なら俺の記憶だって見れるはずだから。見るだけなら楽しいだろうな。体験なら地獄だが。
「過去話?」
「過去はそうだけど、琴音としての過去よ。総司さんの過去に関わったらヤバいというのが私達の判断だから」
「巻き込む交渉材料にしようと思ったのに」
「動けない状態で何でそんな考えが出てくるのよ。冷静を通り越して、普通に不気味よ」
「動けない以外に問題はないからな。気分が悪いとか、そんなのも感じられないから。不便ではあるけど」
香織は起きてから正座してずっと話している。寝ている状態なのは俺だけ。この体勢だと視線を上に向けないと香織の顔が見えないから地味に辛い。でも話している間に指先だけだったのが指全体が動けるようになった。
「今何時?」
「六時半過ぎってところね。朝食まで治りそう?」
「無理っぽい。でも食べたい」
「私があーんしてあげようか?」
「それは勘弁願いたい。豪華な朝食は諦めるしかないか」
「十時までやっているみたいだから、間に合うかもよ。あまり食べ過ぎると昼食に響きそうだけど」
香織の目が食事の心配よりも自分の心配しろと言っている気がする。だって本人が深刻そうにしていなければ、近くの人だって大丈夫だと思うだろ。心配事はなるべく表に出さない。ぶっちゃけ結構不安はある。
身体の感覚がリセットされている気がするから。つまり、多少のリハビリが必要かもしれない。滑る予定じゃなくて本当に良かったよ。
琴音の感覚を琴音ちゃんが吸収してしまったのが真相です。
卓球とか普通にできていたのはこれが理由ですね。
多分、次回で旅行編終わります。旅行要素が真面目に少ない……。