166.一縷の望み
コミカライズ9話公開されていました!
突発的な事態に弱い。私はお兄さんのように臨機応変に対応できるほど頭の切り替えが早くない。だからこそ、肝心なことを忘れていた。あの母の血を引くのだから当然の帰結だともいえる。
私の演技力が壊滅的にド下手くそであることを。
「ナニカヨウ?」
「何で片言なのよ」
私の隣に入ってきた香織さんは私の表情を見て、ドン引きしたような顔をした。うん、私も気づいている。声もそうだけど、表情が引き攣っているのが。相当、変な顔になっていると思う。
「のぼせたの?」
「ダイジョウブ」
我ながらあまりにも酷い演技をしている自覚がある。でも、お兄さんを真似るとなると色々と難しい。第三者視点でお兄さんがいつも、どんな表情をしているのかを私は知らない。感情は何となく分かるけど、自分の表情を見ることはできないから。
「うーん?」
「ナニ?」
「琴音らしくないわね。どこか他人行儀な気もするし。入浴している琴音は寛容になるはずなのに」
どう考えても怪しまれている。でも、どうやって説明すればいいのか分からない。お兄さんの存在を香織さんは知っているけど、私の存在は説明していない。仮に知られたらお兄さんが消えてしまったのではないかと心配させてしまう。でも、私では隠し続けるのは無理だと判断できる。
「もしかして、琴音ちゃんの方?」
「何で知っているのですか!?」
「旅行前に勇実さんから聞いていたから」
魔窟側の人間はおかしな能力を持っている人しかいないのかな。何で勇実さんが私の存在に気づいていたのか全く分からない。お兄さんだって話した覚えはないはず。
「お兄さんなら無事ですから安心してください」
「お兄さんって。琴音の口から言われると違和感が凄いわね。というか、何で変わったの?」
「入浴中に眠ってしまったので緊急措置です」
「あの子は……」
呆れてしまっている香織さんだけど、私としては急に私が入れ替わったのに驚いていないのが意外過ぎる。もっと何かしらのリアクションがあってもいいのではないかな。あまりにもいつも通り過ぎる。
「どうして、当たり前のように受け止めているのですか?」
「琴音と付き合っていたら、何か耐性ができたわね。そんなこともあるのかと思うようになったわ」
「なるほど」
「それで納得するのも変よ」
だってお兄さんだから。突拍子もない事態に巻き込まれたり、自分から乗り込んでいくような人と付き合えば動じない心を手に入れられる。今までのお兄さんの行動を振り返ってみれば納得できる理由になる。
「それにしても、ふーん。貴女が元の琴音なのね」
「まじまじと見ないでください」
「あー、ごめん。やっぱり印象は変わるものだと思って。恥じらい方も初々しいわね」
お互いに裸であるから、恥ずかしさを我慢するのが辛い。今は香織さんだけしかいないから何とか耐えられている。これで他の人もいたら、お兄さんと同じで取り乱していると思う。
「でも、思ったよりも不安がないわね。勇実さんと話していた時は琴音が消えると思って、今回みたいなことは考えたくないほど怖かったはずなのに」
「安心してください。今回は一時的な措置です。お兄さんが目を覚ましたら私はまた奥に引っ込みます。それに、お兄さんは私にとって大切な存在です。私が消えたとしても、お兄さんだけは絶対に残してみせます」
「あー、なるほど。そういうことか」
「どうかしましたか?」
「私でも感じ取れるものだと思ってさ。琴音ちゃんにとって、どれだけ琴音が大切な存在なのかを」
人生を変えてくれた存在といえば大げさになってしまうけど。お兄さんは日常での楽しみを教えてくれた人である。今まで父や家柄の為にただ静かな日常を過ごしていた私にとって、ただの家出少女の為に楽しみを見つけようとしてくれたお兄さんは憧れの対象であった。
「一日だけだったとはいえ、お兄さんと一緒に遊んだのは本当に楽しかったですから」
「琴音ちゃんは琴音のことを。ううん、総司さんのことが好きだったの?」
「それは分かりません。当時は恋愛感情というものが理解できていませんでしたから」
今はお兄さんのことが好きである自覚がある。でも、男性に対する恋愛とは違う。上手く口で説明できないけど、一緒にいられることが嬉しいということだけは確かかな。それに、私とお兄さんの関係は今だと特殊な状態になってしまっている。
「女の子らしい琴音に違和感があるわね」
「あの、どちらの私でも女の子なのですけど」
「だって、私の知っている琴音ってサバサバしているじゃない。それに、全く女子らしさを気にしていないんだから」
それは私も気にしている部分である。お兄さんはもっと着飾ることを重視すべきである。地味な服装ばかり選ぶのだって外見を気にしてない証拠。もっと女子力をアピールすべき。どうせ言ったところで気にもしてくれないでしょうけど。
「香織さん。何とかお兄さんの意識改革をお願いします」
「いや、その発言だと男性を女性らしくするようお願いされているように思えるわよ」
そういわれても、私としてはお兄さんの名称を変えるつもりは微塵もない。何か、今更総司さんとか呼んでも変な意識が働きそうだから。断じて私は自分の存在に恋はしない!
「でも、お兄さんの女装姿。意外と似合っていたりするんですよね」
「うっわ、その話。凄い聞きたいわ」
「シークレット情報です。これ以上の詳細は魔窟の方々を通した方がよろしいですよ。確実に怒りの矛先はあちらに逸れますから」
「聞けば被害を受けるという意味ね。うん、理解した。やっぱり、聞くの止めておくわ」
賢明な判断です。お兄さんと魔窟の人達によるバトルへ巻き込まれる危険性を考えたのなら手を引くのが正しい。私はお兄さんの記憶を覗き見したからこそ、鏡に映った女装姿を知っているだけ。誰かに教えない限り、私に被害はないのです。
「総司さんの過去が知りたくなってきたわ」
「大変面白い話が沢山出てきますよ。漏れなく魔窟の方々との付き合いが増えますけど」
「それは考え物ね」
香織さんなら上手くやっていけるような気はするけど。だって、お兄さんとこれだけ長く一緒にいるのだから。初見であの人達と相対するのは避けた方がいい。確実に頭が混乱する。
「それにしてもこっちの琴音とも普通に話せるわね。やっぱり、同じ顔だからかな」
「私はお兄さんを通して香織さんのことを知っていますから。初対面という感じがしません」
「その割には、さっき下手な演技で誤魔化そうとしたわよね」
「条件反射です。私はお兄さんほどアドリブに強くありませんから」
「あれは異常だと思うわよ」
即興で色んなことを組み立て始めるお兄さんは、高校時代で相当鍛えられたのだと過去を覗き見して知っている。あんな馬鹿みたいな騒動を起こすクラスにいれば、順応するか離脱する以外に道がない。
「うーん。でもどうしようかな。本当なら琴音に話しておきたいことがあったんだけど」
「急ぎでなければ私がお伝えしておきますよ」
「いや、よく考えると琴音ちゃんにも関係ある話か。なら、別に構わないわね」
私にも関係のある話というのはちょっと想像がつかなかった。お兄さんと私の関係性を知ってはいないはず。香織さんだって私とお兄さんが同化しようとしているのは知らないはず。
「直球で行くわよ。将来、私と一緒に喫茶店で働かない?」
「是非に!」
香織さんの両手を握り締めながら、即答で返事をする。悩む余地なんて一切ない。この選択肢こそ、私とお兄さんが待ち望んでいたもの。これで歌手という外堀を埋め尽くされた状況に、一路の逃げ道が作り出されたのだから。
「即答だったのは予想外だったわね。でもさ、この状況って傍から見ると変に見られない?」
「あわわっ!?」
両手を握り締めながら、裸で見つめ合う女子二人とか事情を知らない人達からしたら変な考えが浮かんでも不思議ではない。そして、私は裸でいたのを完全に忘れていた。状況の加速度に思考が追い付いていないのです。
というか、お兄さんの影響で香織さんが図太く成長し過ぎている気がします。
睡眠時間削って書いたら、結局寝過ごして更新遅れるという不始末。
布団で横になった時点でオチは確定していました……。