165.緊急浮上
日が暮れ始めたあたりでウィンタースポーツを終えることにした。もうちょっと滑っていても良かったのだが、宮古がギブアップ宣言したのが一番の理由かな。インドア派に体力を使うスポーツは厳しいものがある。
「疲れたー」
「同じく疲れたな。何が原因かは分かっているけど」
宮古と晴海の部屋に集合し、思い思いの場所に座る。疲労による悲鳴を上げている宮古はベッドで横になり、晴海はベッドに座り、俺と香織はソファに座っている。部活組の二人や俺は疲れてこそいるが、まだ余裕はあるな。
「宮古。そのまま寝ると、明日酷いことになるからな」
「例えば?」
「全身筋肉痛で動けなくなる」
特に初心者であり、スポーツ等で身体を動かしていないと顕著に表れるからな。過去に俺も、筋肉痛でロボットみたいな動きになった覚えがある。他の面子も同じだったから、誰も弄る元気がなかった。
「お風呂に入ったら、ちゃんとマッサージしたほうがいい」
今日の宿泊先は俺の予想と違って、ホテルとなっていた。部屋の都合上、俺と香織、宮古と晴海で一室ずつ。四人部屋はすでに満室だったらしい。シーズン中で予約を取れただけでも幸運な部類だな。
「ここ、高かったんじゃないのか?」
「そうでもないのよ。父さんたちが割引券持っていたから、それを貰ったのよ」
晴海の両親がよく使っていたらしい。ただ、今回は予定が合わなかったようで事前に用意していたものを晴海に譲ったのが今回の発端にもなったのかな。あとは思い付きによる修学旅行で一緒じゃなかった腹いせかもしれない。
「そういえば琴音はどうして、あの人たちの要望に応えたの? メリット無さそうだったけど」
「メリットよりも現状解決だな。あそこで私が断ったら、どこまでも追ってくるぞ」
「そんな、まさか」
宮古。十二本家の奴らは目的達成まで絶対に諦めないからな。せっかくの学生としての旅行なのに、ずっと後ろから撮影されるのは流石にどうかと思う。だから、さっさと映像を提供して満足させた。報酬なんて後で請求しても問題はないからな。
「明日も滑るのか?」
「筋肉痛で脱落者が出そうだから、どうしようか?」
晴海の言葉に宮古に視線が集中する。明らかに明日が辛そうな予感がするな。俺達だって筋肉痛で苦しむだろうが、宮古ほどじゃないだろう。日常的に使わない筋肉を使ったのだから、全員が痛みに悶えるな。
「適当に散策でいいんじゃないかな。滑るよりも身体は動かさないし、見るものなんて沢山あるだろ」
元々、無計画な旅行だからな。ツアーでもないから自由行動は勝手にできる。帰りの新幹線だって夕方に出発するから時間的にも随分と余裕があるな。どこかで温泉に入るのもいい。
「琴音は温泉に入りたそうね」
「無論だ」
選択肢としては絶対に外したくない。雪景色の中の露天風呂とか最高だろ。残念ながらこのホテルにはそんな施設がないけどさ。別の場所にならあるだろ。ちゃんとリサーチだってしているのだから、計画に組み込むのは簡単だ。
「それじゃ、まずはお風呂に行こうか」
「晴海に賛成。その後に食事でいいな」
ベッドから起き上がろうとしない宮古を引っ張り起して、四人揃って展望浴場に向かったのだが、相変わらず俺は琴音の特性を忘れていた。つまり、また脱衣所でへたり込んでしまったのだ。
「琴音。いい加減、慣れなさいよ」
「無理。こればかりは絶対に無理」
途中までは完璧に忘れていたのだが、下着に手を掛けた時点で気づいてしまった。そして、誰の姿も見ないように膝を抱えながら下を向く。傍から見ると意味不明な行動だよな。
「晴海。あのお姉ちゃん、何をしているの?」
「しっ。見ちゃいけません」
後で覚えていろよ、そこの二人。しかし、夏の時はお客さんがいなくて貸し切り状態だったけど、今回は他にもそれなりの人数が脱衣所にいる。いつまでもこの状態は拙いのは分かっている。
「琴音」
「分かっているから、そんな呆れた目で見ないでくれ」
隣にいる香織はすでに入浴できる状態。晴海と宮古はさっさと浴場に入っていった。もうちょっと時間をずらすべきだったな。まずは汗を流しにやってくるのが定番だと分かっていたのに。
「勇気を振り絞るしかない!」
「いや、脱ぐだけに何の勇気がいるのよ」
さっさと済ませてしまえば大丈夫だと自分に言い聞かせて、やっとバスタオル一枚の姿になれた。周囲の視線は気になるし、一体どこに視線を向ければいいのか困ってしまう状態なのは変わらないけど。
「他の人がいっぱいいる……」
「琴音の感覚だと貸し切りが一般的かもしれないけど、普通はこんなものよ」
軽く絶望的な状況だな。おかしい思考をしているのは自分だけだという自覚はある。そして、一切喋ってこない琴音は絶対に目と耳を塞いでやがるな。視界を切って、変な想像しないように耳を閉ざすとか、そこまでしないといけない事態なのかよ。
「香織、怖い。何か知らないけど凄く怖い」
「それ、被害妄想だからね。いいから、さっさと身体を洗うわよ」
修学旅行の時は相手がクラスメイトだったり、隣にいた綾香や蘭のおかげでそれほど気にしていなかったのもある。だけど、今は俺の挙動不審の所為で不特定多数の人から視線を浴びせかけられている。それが何故か無性に怖いのだ。
「視線恐怖症でもないんだから。どれだけ自分が今まで注目を浴びていたと思っているのよ」
「夢中になっていると気づかないとかあるだろ」
「それは分かるけど。琴音の場合はどこでスイッチが入るのかよく分からないのよね」
それには同意しておく。普通に生活している分には注目を浴びても気にならない。だけど、服を脱いだ状態になると途端に気になってしまう。あれか、防御力無くすと不安になるとかそんな感じか。ゲームじゃないんだぞ。
「よし、浴槽に突撃だ!」
「のぼせるの早そうね」
身体も洗い終わり、周囲の視線を全て何とか無視して浴槽に浸かる。窓の外に広がるのは高層階ならではの絶景。眼下に広がる建物の明かりと相まって幻想的な風景が広がっている。
「こういうのはやっぱり普段は見られないから感動するよな」
「現実逃避にはうってつけね」
五月蠅い。他に集中していれば視線だって気にならないのだ。おかげで後ろから忍び寄ってくる奴に気付かなかったのは仕方ないか。風景を楽しんでいたのに、いきなり後ろから抱き着かれて、声すら出ないほど驚いたぞ。
「おほー、抱き心地最高ね」
「晴海。琴音がフリーズしているわよ」
「琴ねんは本当に反応が純情よね。あっ、待って。頭掴んで湯船に沈めようとしないで!」
「晴海。安らかに成仏して」
宮古が合掌しているが、一緒に忍び寄ってきていたのは分かっているからな。そうじゃなかったら俺の近くにいないだろ。やらなかったのは、こんな結果になるのを知っていたからだろう。
相変わらず入浴しているはずなのに妙に疲れたのだが、その後は俺としては早めに上がり、美味しい晩御飯を食べたのであった。意外にも晶さん達が乱入してくることもなかったな。
「いやー、本当ならこの後に何かしらしようかと思っていたんだけど」
「宮古が限界だから仕方ないだろ。また明日、思いっきり遊べばいいだろ」
湯船に浸かってリラックスし、食事を取って満腹になったのであれば疲労困憊の人物がどうなるのかはよく分かる。俺も修学旅行で経験済みだから。あの時は更に徹夜もプラスされていたな。
「それじゃ、おやすみー」
「おやすみ。また明日な」
晴海に手を引っ張られながらフラフラと歩いていく宮古に苦笑する。ホテルの中には遊ぶ場所はたくさんあるのだが、それも明日に持ち越しだな。しかし、予定外に時間が空いてしまったがどうするか。
「琴音も寝る?」
「うーん、まだ大丈夫かな。疲れてはいるけど、まだ寝るには早いし」
「それじゃ適当に散策でもしよっか」
香織もまだ寝るには早いと思っているのか、そんな提案をしてきたな。ちょっと気になる場所もあるから、そこを先に確認してみるか。巻き込まれないようにちょっと様子を見るだけに留める。
「うん。酒盛りの真っ最中だな」
「あそこに踏み込むのは危険ね」
晶さん達は大いに盛り上がっている様子で。俺に付き合っていた恭介さんなんてグロッキー状態だぞ。明日、ちゃんと起きれるのだろうか。そこは伍島さんがいるから大丈夫だとは思うけどさ。
その後は本当にぶらぶらと色んな場所を巡っていただけで終わってしまった。晴海達抜きで遊ぶのも気が引けるというのもあったからだ。お土産コーナーを覗き見たり、どんな施設があるのか見学したり。それだけで時間は潰れたな。
「それじゃ、私はもう一回入浴してくる」
「本当に好きね。私は部屋にいるからゆっくりしてきなさい」
お言葉に甘えて、存分に満喫してくるさ。今の時間帯なら人も少ないか、もしかしたら誰もいないかもしれない。時間としては二十二時頃か。
「おぉー、貸し切り状態」
予想通り、展望浴場には誰もいない。これだけ広い場所を独り占めできるのはちょっとした優越感があるな。さっさと身体を洗って、湯船に浸かる。
「はぁー、やっと精神的に安心して入浴できる」
『だったら、誰にも見られない部屋のお風呂で良かったじゃないですか』
「せっかくこんな場所に来ているんだぞ。満喫したいじゃないか」
ふぅ、と息を吐く。誰かと一緒にいるのは楽しいけど、こうやって一人で入浴を堪能するのも悪くない。琴音の特性を気にする必要もないからな。身体の疲労も、精神的な消耗も流れ出していくようだ。
「ヤバい、眠くなってきた」
『駄目ですよ。浴槽で溺死とか笑い話にもなりません』
それは分かっている。だけど、今日は慣れないボードで全力を出したのだ。その前だって長時間の移動も合わさって疲労が蓄積していたのだろう。段々と瞼が重くなってくる。宮古のことをとやかく言えないな。
『ちょっと、お兄さん!』
「大丈夫、だいじょぉーぶ」
『全然大丈夫じゃないですよ! 起きてください!』
あっ、これ本気で拙い。琴音の声すらも遠くに聞こえ始めてきた。何とか浴槽から出ようとしたところで俺の意識は沈んだ。
『本気で寝ちゃいましたよ、この人! あー、もう! 同化シークエンスを一時停止、お兄さんのパーソナルスペースを臨時構築して、意識の潜航と浮上プロセスをって、鼻が湯船に浸かってるー!』
「ぶっはぁー!」
危なかった。色々と急ピッチで準備したけど何とか溺死せずに済んだ。人生で二回死ぬとか馬鹿みたいな結果にならなくて本当に良かった。しかも、溺死なんて完璧に不注意だったから。
「今回の件は特大のやらかしですからね、お兄さん。お兄さーん?」
駄目だ、熟睡している。臨時で構築したスペースだから膝を抱えて丸まらないといけないほど狭いはずなのに。それでも熟睡できてしまっているお兄さんは本当に疲れていたのかもしれない。ただし、今回の件は許さないですよ。
「あーぁ、これでまた遅れちゃいますね」
私が表側に浮上するのは本当にまずい。肉体の主導権まで私に傾いてしまったら、お兄さんの存在がどんどん希薄になってしまう。でも、短時間程度ならそこまで影響はないかな。問題があるとすれば、この後をどうするかだけど。
「琴音ー? まだいる?」
「ふひゃっ!?」
何でこの場面で香織さんの声が。どうしよう。言い訳の言葉が何も出てこない。こうなればお兄さんの真似をして乗り切るしかない!
一番艦如月琴音、抜錨!
二番艦は轟沈。三番艦は補給作業中です。
ちなみに香織が乱入してきた理由は、悩みに悩んで、
「裸で話し合えば成功率上がるかな」という頭が茹で上がったような思考の為です。