160.過去と今の未来争奪:前編
感想でのご指摘がありましたので、急遽追加です。
時系列は学生旅行前。香織視点の話となります。
日課の早朝トレーニング。天気が晴れなら絶対に行い、雨の日なら気分次第で走る。今日は寒いけど、雨も降っていないので決行。同じく早朝に走っている琴音とはあまり会わないわね。彼女は基本的にコースを決めずに、ランダムで走っているから。
「あれって、勇実さんかな?」
私の走るコースは決まっている。中間地点で一度、水分補給をすることにしているのだけど。その地点である公園には、今まで見かけなかった琴音の知り合いである勇実さんが誰かを待っている様子。
「珍しいですね。こんな場所で出会うなんて。誰かを待っているんですか?」
「おはよう!」
「おはようございます」
大好きなバンドのヴォーカルであり、最初に出会った頃は緊張して上手く話せなかったのだけど。今ではその印象も変わっている。プライベートの勇実さんを簡単に表現するなら、無駄に元気で明るい近所のお姉さんみたいな感じかな。
「待ち人は香織ちゃん。君だよ」
「私ですか? よく私がここに来るの分かりましたね」
寒そうな様子ではあるけど、それほど待っていたようには見えない。冬のこんな朝から長い間、待っていたらそれこそ震えていたり、唇が真っ青になっていても不思議じゃないのだけど。勇実さんにそんな様子は見受けられない。むしろ、火照っている。
「ふっふっふ、こちらには賄賂を渡せば情報を提供してくれる有能な人材がいるのだよ」
「あー、瑠々さんですね」
琴音が偶に愚痴っている人物か。私も直接の面識はあるけど、あんな年齢詐称の見た目をしている人は初めて見たわ。しかも、唐突に現れるような人だから毎回驚かされてしまう。本人はそれを楽しんでいる節があるわね。
「忙しい時期だったから、奈子を説得するのに結構苦戦したけどさ。何とか借りることが出来たんだよ」
「便利道具みたいですね」
一芸に秀でているというより、常人から逸脱した人達の集まりであると琴音から聞いたことがある。何かしらの行動をするのならば最大限の注意をするように忠告も受けている。そんな人達の一人である勇実さんが私に何の用だろう。
「それで、私に何の用ですか?」
「ちょっと琴ちゃんについて相談したいことがあるの」
それは何となく察している。私と勇実さんの共通する話題なんて琴音以外にないから。勇実さんとは喫茶店で会っても、それほど多く話した事が無い。というか、琴音と話していると私が入り込む隙が殆どない。それほど意気投合しているように見える。
「琴ちゃんを私にくれないかな?」
「私の所有物じゃないです」
ぶっ飛んだ発言に、表情が抜け落ちたんだけど。琴音みたいにノリ突っ込みができない私は、当たり前の返ししか出来ない。琴音なら即答で罵倒していると思う。流石にそこまで親しくない人に、そんな真似は出来ないわよ。
「ちょっと端折りすぎたね。要は琴ちゃんの将来を私に譲ってくれないかな、というお願いだよ」
「ちょっとですか。それに琴音の将来は本人が決めるものでは?」
「うーん。琴ちゃんの将来に歌手という選択肢ができたから、私から積極的にアプローチを掛けようと思っているんだけど」
「歌手は嫌だと本人は言っていますよ」
嫌だと言っている割に、本人は妥協で選択しようとしている感じがする。それはシェリーから逃げられないからだと愚痴を零していたけど。だけど、勇実さんが言っているのはそんな妥協じゃない。本気で一緒のバンドへの加入を願っているはず。
「そこは力業で引き入れようと思っているよ。一度選択したのなら、琴ちゃんの性格上、絶対に逃げ出そうとはしないからさ」
力業って、一体何をしようとしているんだろう。でも、琴音の将来か。私は琴音が選ぶ未来ならどのような選択をしたとしても後悔はしないと思っていた。勇実さんの勧誘の話を聞くまでは。取られるのが嫌だという感情とは違うと思うけど。
「香織ちゃんだって琴ちゃんが欲しいでしょ?」
「欲しいというか、琴音と一緒にあの喫茶店で働きたいとは思っていますね」
家族が経営している喫茶店。今ではその従業員としての立場を確立した琴音は、なくてはならない存在になっている。お客さんからも親しまれ、琴音関連で偉い人達や、有名な人達も来店してくれるようになった。招き猫としてあれほど有能な存在はいない。
「琴音と出会ってまだ一年も過ごしていないですけど、一緒に居て飽きないし、何かと頼りになる人物ですよね。そんな人と一緒に働けたら、大事な場所を守れる気がするんです」
「やっぱり、一番のライバルは香織ちゃんか。私の見立ては間違っていなかった」
いや、多分だけど一番のライバルは琴音の実家だと思う。十二本家の実家を継ぐというのが有力候補じゃないかな。そこに考えがいっていない勇実さんの思考が本当に分からない。テンションで話していないかな、この人は。
「十二本家の人間だと就職に色々と不都合がある気がするんですけど」
「有名な所だからね。企業としては持て余すとは思うよ。普通の所だとね」
何か引っ掛かる言い方をしなかったかな。普通じゃない企業とはどんなところだろう。怪しげなものじゃないと信じたいけど。勇実さんの横の繋がりが一切見えてこないのが怖い。
「琴ちゃんも勘違いしているけど、琴ちゃんが働ける場所なんていっぱいあるんだよ。主に私達関係だけど」
「歌手ですか?」
「違うよ。同窓生である魔窟の人達は色んな場所に散らばっているの。それこそ会社を経営していたり、自営業をしている人だっている。そんな人達にとって琴ちゃんは引き入れたい人材なんだよ」
本気で何なの、その魔窟というのは。
「香織ちゃんは知っているよね? 琴ちゃんが生前は別の人物だったってことを」
「妄想じみた話なら聞いたことがありますけど。勇実さんはあれを信じているんですか?」
「信じるも何も事実だからね。私との共通の記憶もあるし、何より行動が総君のままなんだよ。本人も暴露してくれたんだから、否定する材料が全くないよ」
やっぱり頭がおかしい。琴音の中身が別人なんて、私は全く信じる気がしない。確かに出会う前の琴音とは性格が違っているのは知っている。それでもそんな荒唐無稽な話を鵜呑みにはできない。
「信じられない気持ちも分かるよ。魔窟の連中なら満場一致で肯定するだろうけどね」
だから何なの、その魔窟というワードは。
「生前の琴ちゃん。この場合は総君だね。総君を知っている人なら、雇うのに全く問題ないと思っているの。万能タイプの人材だから、戦力間違いなしだよ」
「随分と信頼されているんですね」
「戦績では総君も上位だったからね」
何と戦っていたのよ、この人達は。絶対にゲームとかの話ではないはず。偶に琴音が遠い目をするのはその戦いを思い出したからだろうか。気になる話題が色々と出てくるのは勘弁してほしい。話の腰が折れてしまう。
「そんな訳で琴ちゃんの将来争奪戦は色々なものを巻き込んで進行中なのよ」
「本人が知らないところで傍迷惑な争いをしていますね」
身内同士で引き抜き合戦しているようなものじゃないかな。そこに私も含まれているのが納得いかないのだけど。でも、私は総司という人を知らない。私が一緒に働きたいと思っているのは、琴音なのだから。
「あの!」
「やっぱり寒いね! 温かいものを飲もうかな。香織ちゃんは何を飲む?」
話の腰を盛大に折られた。この人との会話は本当に難しいわね!
一般人に魔窟との会話は難易度高めでした。
後編は少々お待ちください。




