155.本当の勝利者
本日、コミック版『悪役令嬢、庶民に堕ちる』発売です!
本編が遅くなり、誠に申し訳ありません。
正月編、ラストです!
実家からの逃亡に成功して数日が経過した。一泊したら帰るつもりだったのに、母と双子がそれを許してくれなかった。更にそこへ祖父母も参戦してくるのは予想外だったな。俺の話が聞きたいと言っていたが、何を話せばいいのか分からなかった。
「結局、馬鹿親父は部屋から出てこなかったか」
余程あの一撃が効いていたのか。それとも俺とは会いたくなかったのかは分からない。こちらとしては、目的を達成できただけで満足している。これから馬鹿親父が、どのような変化をするのかは興味がない。
「琴音ー。お昼ご飯できたよー」
「はーい。今行く」
そして、現在は喫茶店でバイト中。やっぱり、何事も起こらず、平穏な日常が一番だ。暴れまわっていた年始も悪くはなかったけど、やった後で反省するのがいつものパターン。だけど、後悔だけはしていない。
「いただきます」
両手を合わせて、昼食を食べ始める。沙織さんのご飯も美味しいけど、香織のご飯も俺は好きだな。
「うん、美味しい!」
「正月に実家とかで、もっといいもの食べていたでしょうに」
「そうだけどさ。香織のご飯だって、それに負けていないぞ」
「お世辞をどうも」
確かに食材は高級品。料理人の腕も最高クラス。それが美味しくない訳がない。でも、あればかり食べていたら舌が肥えて、普通の食事に満足できなくなってしまう。それは自分で作ったものも含まれる。そんなのつまらないじゃないか。
「やっぱり、日常が一番だよ」
「正月にあんな無茶をしたくせに、よく言うわよ」
あの誘拐事件はテレビで取り上げられてしまった。報道ヘリからの映像は阻止できたのだが、それ以外が流れてしまったのだから仕方ない。諦めるべきものを選ぶ必要はあった。その結果がテレビで報道されただけ。
「あんな無茶苦茶な映像が流れなかっただけでも良しとしよう」
「一体何をやらかしたのよ」
報道ヘリの映像を確認させてもらったのだが、馬鹿達が大暴れしている様子がバッチリと映ってしまっていた。護衛と戦っている様子もだ。放送事故レベルのものだって混じっていたのだから、俺として防げて良かったと思っている。
「正規軍対化物の対決だな」
「全く想像できないわ」
あんな光景を容易に想像できたのなら、こっち側の住人になってしまう。香織はいたって普通の人間。十二本家でもなく、魔窟のような突き抜けた人間でもない。当たり前の日常に必要な存在。
「香織は癒しの存在だよ」
「何を言っているのよ」
無茶をせず、馬鹿な真似をしない。琴音と約束したことだ。これ以上、琴音の将来に影響を与えないように立ち回らないといけない。ただ、それに関しては半分以上諦めている。だって、周りにいる奴らの影響力が半端ないのだ。
「面白くはあったが、二度とやりたくないイベントだったよ」
「誘拐未遂事件なんて、誰だって起こってほしいと思わないわよ」
それは確かに。色んな人達へ不安を与えてしまうからな。ニュースで報道されたのは、女優の綾香が誘拐未遂にあったというもの。琴音の名前は伏せられていた。香織には、実家から戻ってきてからある程度の説明をしていたから、知っているだけ。
「悪い。着信が入った」
スマホを取り出して、着信相手を見て、顔を顰めてしまった。そこに表示されていたのは綾先輩の名前。正月以降、連絡を取っていなかったのに、どうしてこのタイミングでかけてきたのか。
『やっほー、琴音。今どこ?』
「香織の家で昼食を食べている」
『なるほど。バイトの最中なのね。それは好都合』
何が好都合なのか。それに俺が居場所を伝えなくても、良く分からない情報網で突き止められてしまうのだ。それだったら、来るタイミングを調整する程度ならいいかと思っている。絶対に休憩が終わった頃に乗り込んでくるだろう。
『小鳥ちゃんと一緒に行くから覚悟していなさい』
「ご来店お待ちしております」
通話が短く済んで良かったな。下手したら休憩時間を潰されると思っていた。若干、気が重くなるのを感じながらスマホを仕舞っていたら、香織が神妙な表情を向けてくる。何かあっただろうか。
「誰から?」
「綾先輩から。午後から来るらしい」
「琴音と霜月先輩って、急に仲が良くなったけど、何かあったの?」
「茜さんの旦那さんが綾先輩の兄さんなんだよ。その繫がりだとは思うけど」
最初に興味を持たれたのは旦那さん経由の情報だろうな。それで俺と会ってみたら、気に入られたのだったか。理由については知らない。自分と同じような立場の、気軽に本性を晒せる相手が欲しかったのかもしれない。
「さて、どっちで来るかな」
「何が?」
「お淑やかな霜月先輩か、賑やかな綾先輩か」
「それって二重人格みたいなもの?」
「例えで言えば、学園での私と、ここでの私みたいなものだな。綾先輩はそれの上位互換みたいなものだ」
「なるほど。……えっ?」
香織になら暴露してもいいと思ったのだけど、予想外過ぎてフリーズしていらっしゃる。学園での綾先輩だけを知っているのであれば、そんな反応になるよな。俺にとっては、賑やかなのが当たり前になっているけど。
「十二本家って、やっぱりおかしくない?」
「それで済ませる香織も、随分と慣れたよな」
本来なら疑うはずなのに、その程度の言葉で納得できる香織も十二本家に慣れ始めている。俺と接していて慣れたのか、喫茶店へやってくる十二本家の家族などを見て学んだのかは分からない。
「これを機会に香織も綾先輩に慣れてくれ」
「私は喫茶店の方へ顔を出さないわよ」
「大丈夫だ。こっちへ誘導する」
「私を巻き込むのを止めて!」
好都合という言葉が引っ掛かるんだよな。俺に会うだけなら、そんなことは言わない。他に目的があってやってくるとは思う。その目的が不明だからこそ、不安を感じているんだけど。やってくれば分かるか。そんな感じでバイト後半戦を迎えたのだが。
「やってきたわ!」
「お邪魔します」
「いらっしゃいませ。奥の席へご案内します」
騒がしいお客は他のお客さんの迷惑にならないように、奥へと誘導しておく。小鳥は何も持っていないのに、綾先輩が握っている紙袋が気になる。一体何を持参してきたのか。
「香織ちゃんはいないの?」
「店の方には顔を出さないと言っていたな」
「呼んできてくれない?」
「別に構わないけど。綾先輩は香織と面識があったか?」
「会話したことはないわね。でも、今回は香織ちゃんが必要なのよ」
何をするつもりだよ。しかも素の状態で香織と接するつもりであるのが分かる。擬態するのなら今からやっているはずだからな。一番気になるのが綾先輩も小鳥も、何故かニコニコと笑顔を浮かべている点。悪い予感がする。
「明けましておめでとうございます。霜月先輩。それに小鳥も」
呼んできたまではいいけど、若干固いな。学園での綾先輩は高嶺の花みたいな、高貴な感じが受けられる。俺からしたらそんな馬鹿なと一笑にするけど。簡単に表現するなら、どこまでも明るく、元気な先輩だな。
「実はさ。香織ちゃんに見て欲しいものがあるのよ」
「何ですか?」
「じゃじゃーん! お正月の琴音マル秘映像と画像集!」
紙袋から取り出したのはタブレット端末。その前にちょっと待て。正月の映像ということは霜月家で行われた歌唱祭のものか。それと画像は小鳥のところでやったファッションショーかな。どちらも俺の恥辱じゃないか。
「人の恥を勝手に公開するなよ!」
「素敵な琴音さんがいっぱいです!」
俺の文句に鼻息荒く、答えになっていない返答をする小鳥。ヤバい、止めてくれる人物がいない。香織も興味ありげにタブレットを見ている。ニヤニヤしながら端末を操作している綾先輩を睨みつけるけど、全く効果が無い。
「あっ、店員さん。飲み物と食べ物をお勧めで持ってきて頂戴」
「承りました」
邪魔しようとしたら注文を受けたので引き下がるしかない。これで部屋だったのなら激辛とか、激苦とかを出すのだけどバイトに私情は持ち込まない。お店に迷惑が掛かってしまう。
「映像の方はちょっと長いわね。はい、イヤホン」
「正月に琴音が何をしていたのか気にはなっていたんですよね。詳細までは話してくれなかったから」
「あの内容だからね。恥ずかしくて話せなかったと思うわ。でも大丈夫。私達の解説付きで詳細を語るわよ!」
「バッチリ記憶していますので大丈夫です。映像は私も確認しているので、注目ポイントは押さえています!」
止めろと声を大にして言いたいのだが、来店してきたお客さんがいるので何もできない。仕事をしている最中に奥から「うわ」とか「よくやったわね」とか聞こえてきて、こっちは気が気じゃなかった。
何でほのぼのとした日常に爆弾を持ってきたんだよ、この二人は。そして、綾先輩と香織の仲が深まったのは言うまでもないな。結局、正月での騒動での本当の勝利者は綾先輩と小鳥になってしまったか。はぁ……。
前話をあのような形にしてしまったので、あれで完結にした方がいいのではないかと悩みました。
でも、まだ書きたい話がいっぱいあるので、引き続きお付き合いして貰えると嬉しいです。
それと特典SSを受け取れない方々が多いかと思いまして、Web版として特典SSをを公開します。
公開予定は書籍発売日の6月26日です。




