148.誘拐事件の幕引き
この馬鹿な騒ぎも終わりが近づいている。魔窟の馬鹿達は鎮圧班に任せておいて大丈夫だろう。奈子の投降により、色々と情報を仕入れることも出来た。まさか蘭が動いているとは思わなかったな。
「あとは前の車が止まるのを待つだけだね」
「準便は万端。引導を渡してやる」
すでに葉月先輩所有の車は誘拐犯の真後ろにピッタリと張り付いている。さすがに相手が停車してくれないとこちらから行動できない。下手に前へ飛び出して轢かれたくはないからな。
「それを本当に使うのかい?」
「多少は強引な手段を使わないといけないだろ」
「多少なのかな」
俺の手に握られているのはハンマー。緊急時に使われる車両の窓を割るあれだ。これさえあれば問答無用で車両を止めることが出来るし、強引にロックを外すことだってできる。緊急時なのだから使用方法に間違いはない。
「赤信号だね」
「それじゃ行ってくる」
「ご武運を」
後ろを確認して背後から車が来ていないのを確認する。救出に動いて、後続車に轢かれるとか間抜けでしかない。そんな真似はしないさ。安全を確認して車を降りると全速力で対象の車へと近づく。
「どうもー」
一応の為に窓を叩いてこちらの様子を確認させる。破砕行為なのだから相手側にも知らせておかないと怪我をしてしまうから。驚いた表情でこちらを確認した綾香の顔に、こちらも驚いてハンマーを顔面に向けて振り下ろした。もちろん間には窓がある。
「ふっざけんなー!」
怒りのままにドアのロックを外して、綾香を外へ引きずり出す。なるべく顔を見られないように地面へと押さえつけて、身柄の確保に成功する。これではどちらが悪役なのか分からない。
「何でその顔にしたんだよ!」
綾香の顔面は昔の琴音であった。つまりあの厚化粧で元の顔が分からないあれである。それは琴音としての黒歴史だから二度と見たいとは思わなかったのに。まさか他人の顔で見るとは。
「いやいや、ちゃんと理由があるのよ」
「何だよ?」
「琴ちゃんの素顔に似せるよりも、こっちのほうが楽だったから」
だろうとは思ったさ。琴音のあれは化粧じゃない。ただの特殊メイクであるといわれても納得できてしまう。下手に素顔へ似せると偽物だとばれる危険性はあるからな。だけど納得できない部分はある。
「どうしてこれを私だと間違えた!」
「貴様は誰だ!」
「お前らが何なんだよ!?」
車から慌てて飛び出してきた護衛が訳分からないことを叫んできたので、こちらも負けずに叫んだのだが。あまりの展開にこちらは素で泣きそうだ。黒歴史を見せられた上に俺が偽物扱いかよ。
「お嬢様を離せ!」
「私が本物の如月琴音だ!」
「嘘を言うな!」
「お前らの目は節穴か!」
公共の道路で何をしているのか。綾香を取り押さえている俺へ近寄って来ないのは、彼らにとって琴音を人質に取られていると思い込んでいるからだろう。状況がややこしくなってきてしまった。
「我々は如月家の当主よりお嬢様の写真も渡されているのだ」
「入学当初の写真じゃないか」
学生証の為に撮った写真。そこに映っているのは厚化粧の琴音であり、今の俺とはほんの僅かながら似ている部分があるかもしれない程度にしか見えない。現在の学生証にはちゃんと撮り直したものと交換している。
「何これ。もしかして偶然の一致によるのが今回の騒動の発端かよ」
綾香が昔の琴音の真似をしなければ事件そのものが発生しなかったのかもしれない。むしろ俺も変装する必要なんてなかった。さすがに部屋から出た姿を見られていたのであれば、気付かれる可能性はあったけど。
「あの馬鹿父が。娘の今すら知らないのかよ」
「何を言っている。さっさとお嬢様を解放しろ」
「いや、君達が間違えているよ」
俺が何を言っても納得しなさそうだ。そこへ車から降りてきた葉月先輩がやってきたのだが、誰だこいつみたいな顔をしているな。重要人物の顔くらい覚えておけよ。もしかしたら他からも仕事が来るかもしれないだろ。
「ここの会社は大丈夫なのかな?」
「駄目じゃないか?」
社員が現状に満足して情報取集をしていないのか。それともこれが会社の方針なのか分からないのだが、現状を見ている顧客としては頼もうと思わないな。大事な場面で失礼なことをしそうだ。
「班長。この方はもしや葉月家の」
部下はまともな人材がいたか。少しだけ見直しておこう。驚いたような表情をしている班長だけど、次に俺を見て驚愕している。明らかに写真の琴音と違い過ぎる為だろう。それと言葉遣いか。
「大変失礼いたしました!」
葉月先輩に対して頭を下げているけど、俺に対してはないのかよ。思い出したのはこの班長は過去、俺を取り押さえた際に笑いながら見下ろしていた人物。敵であるのは確かなのだが、すでに彼の未来は決まっているから何もする気はない。
「それで綾香はどうしてこんな事件を引き起こした? 顔は上げるな。その顔は私が嫌いだから」
「んー、何でだろうね。悟から面白いイベントを起こそうと誘われたのは確かだけど」
むしろその顔を報道されたら綾香の女優人生に亀裂が生じるだろ。ちゃんとフォローするつもりではいるけど。こんな馬鹿騒ぎで将来を棒に振るな。
「琴ちゃんが護衛から逃げるなら何かしらの理由がありそうじゃない。意味もなく他人に迷惑を掛ける行動はしないから」
どうして知っている奴らは俺を過大評価してくるのか。俺だってやりたいこと、我慢できないことがあれば暴れたりもする。穏便に済むのであれば、その手段を取るだけだ。以前の琴音がやらかし過ぎているから自重するようにはしているし。
「過去に何かあったのかもしれない。それとも現在の状況で我慢できない何かが起こったのかもしれない。ならさ、私達が動けばいい撹乱になるとは思わない?」
「迷惑だ」
「琴ちゃんの敵は私達の敵。共同戦線を張れれば一番良かったんだけど、琴ちゃんは絶対に受けてくれないじゃない」
「計画を立てても滅茶苦茶にするだろ」
「皆やりたいように行動するからね。とりあえず、これを剥いでもいいかな? やっぱり違和感があるからさ」
「さっさとやれ」
マスクなのか、パックなのかは分からないけど素顔にメイクしているわけではないのか。実家に辿り着いた瞬間にメイクを外して驚かそうという魂胆が丸見えだ。本当に未然に防げて良かった。
「あー、スッキリした。それじゃ拘束を解いてくれない?」
「絶対に演技をしろよ」
上空にはまだ報道ヘリがいる。満面の笑顔で俺と対面したら全てが台無しになってしまう。編集で幾らでも誤魔化しは効くが、後の事を考えるならばシナリオを用意した方がいい。お互いの立場を守るためにも。
「綾香は友人を驚かせようと特殊なメイクをして出かけ、間違えられて誘拐された。怖くて抵抗もできず、声も出せなかった」
「そこを友人である琴ちゃんに救出されたという筋書きね。了解よ」
恐怖から解放されたように演じしつつ、俺と抱き合いながら小声で打ち合わせを行う。綾香の顔がにやけていないよな、大丈夫だよな。改めてこれが報道されるとなると俺の顔もまたテレビに映されるのか。ヤバいな。
「ほら、お前の保護者がやってきたぞ」
「うわ、滅茶苦茶怒っている」
「当たり前だろ、馬鹿」
蘭の表情は微笑みを浮かべているが、内心は激怒しているのが容易に分かる。だって頬が引き攣っているから。無理矢理表情を作っているのだろう。相談もなしにこんなことをやらかせば、そうなるよな。
「悟。ゲーム終了の通知を出せ。馬鹿騒ぎはこれで終わりだ」
「了解。いやはや、中々のカオスっぷりだったね」
「後始末は任せるからな。いい感じにまとめろよ。私への被害は最小限に抑えろよ」
ちゃんと忠告しておかないとどこまでも巻き込まれてしまうからな。暴走しない限りは悟だって十二本家の影響力をきちんと理解してくれるはず。それでも馬鹿をやるのなら俺でも叩き潰すぞ。
「これはかなりマジだね。それじゃ遊び抜きでシナリオを用意するよ」
「ちゃんとやれよ。全く」
それぞれの動機は調べる気にもならない。鬱憤を晴らすための遊びが大部分だろうが、俺の正体を知っている連中は何かしら協力したいと思ったのかもしれない。それに乗っかってきたのが他の連中だろう。
「それではお嬢様。御実家までは我々が責任を持って送迎させていただきます」
「お前らは警察の事情聴取を受けろ。何を仕出かしたのかちゃんと理解しろ」
図々しくも今までの事が無かったかのように話しかけてくる班長と呼ばれた人物に釘を刺しておく。最初に罠へと嵌めたのは俺だけど、その後の対応を考えるならば彼らの責任もある。情報収集が疎かな部分が多々あるからな。
「後始末を考えるとかなり面倒だな」
「そこは僕も協力するよ。新年早々に楽しませてもらったからね」
疑わしそうに葉月先輩を見ると笑って返してきたけど、信用していいのか迷うな。選択肢はないのだけど。過去の資料に関する借りを少しは返せたかな。
「琴音ちゃん。頼まれていたものを持ってきたわよ」
「ありがとうございます。瑞樹さん。助かりました」
「おかしな騒ぎに巻き込まれず私としては助かったかしら。晶たちはまだ目を覚ましていないけど」
必要な犠牲だったと思っておこう。悪い事をした自覚はもちろんある。瑞樹さんに頼んでいたものは香織に預けてあったスマホ。香織でも知っている人物じゃないと信用してもらえないからな。
「では実家までの護衛をお願いします」
「任されました」
魔窟への罰ゲーム執行はおじさんに任せておこう。内容もちゃんと送っておいたから。護衛会社所有のベッド以外何もない収容所での一泊二日。奴らにとって一番の苦痛になるはずだ。
「最後の締めをやりに行きますか」
正月の一番の目的である。父親への一撃。今回の騒動で更に機嫌を悪くしているであろう父親を何が何でも殴る。ここだけは変えるつもりはない。
感想でのご指摘ありがとうございます。
色々と考えさせられる内容でしたので、思いっきり考えてみました。
確かに筆者自身が暴走していたのも確かでしたからね。
148話に関しては考える前に書いたので馬鹿っぽさが抜けておりません。
ただし次の話は物語の変わり目になるかもしれません。