記念番外編:平穏で微妙な日常
番外編二話目です。
お兄さんがやってきたのは約束の時間から二十分くらい過ぎてからだった。息は切れ、汗だくでやってきた様子から壮絶な逃亡劇を演じてきたのだろう。無意味ではあるけど、魔窟にとっては恒例の遊びになっている。
「悪い。遅くなった」
「いえ、いつものことなので気にしていません」
お兄さん曰く、段々と逃亡の難易度が上がってきたと。傾向と対策を立てられて、追い詰められているらしい。それを避けつつ、目的地へやってくるお兄さんも相当に変人だと思うのだけど。
「ご注文は?」
「サンキュー。アイスコーヒーを頼む」
香織さんから差し出された水を一気に飲み干してしまった。季節は夏で、外は炎天下なのに一体どれだけ走り回ったのだろう。何人か暑さでダウンしたのが想像できてしまう。
「それではごゆっくり」
私にウィンクをしなくてもいい。まだ勘違いしたままなのかな。あとできっちりと言い聞かせておかないといけない。それはもう何時間掛かろうとも。
「毎回大変そうですね」
「最初の参戦者は勇実だけだったのにな。参謀が加わった辺りから難易度爆上がりだ」
「別に私は誰が一緒でも構わないのですが」
「俺に平穏をくれ」
毎日馬鹿騒ぎを繰り広げているのだろうか。月に一度の歓談なのに、ネタが切れた試しがないのはある意味でそういうことなのかな。相変わらず楽しい毎日を送っているようで安心してしまう。
「偶に巻き込まれる時もありますが、あれを毎日は勘弁してほしいですね」
「だろう。全員社会人になったから以前よりはマシになったはずなんだけどな」
学生時代が全く想像できない。あの人たちをまとめ上げていた教師はさぞかし凄い人物だっただろう。いえ、放置していた可能性もあるかな。こんなモンスターたちをまとめるのは無理だと思う。
「さて、今日の議題なんだが実は悩んでいてな」
「今回はお悩み相談ですか。今度は何があったのですか?」
お兄さんとの歓談は色んな種類がある。お互いの最近起こったことや、愚痴。魔窟の人達をどうやったら抑えられるか。今回はお兄さんの悩みを私が聞いて、解決策を考えるパターンかな。くだらない内容を真剣に考える遊びみたいなもの。
「実は趣味でやっているバンドをメジャーデビューしないかと打診されているんだ」
「ごほっ!? 真面目な相談だったのですか」
全く心構えが出来ていないところに真面目な人生相談をされて軽くむせてしまった。不意打ちにもほどがある。相変わらずこちらの斜め上の話を出してくる。油断してはならないと分かっていたはずなのに。
「お兄さんが悩むなんて珍しいですね。いつもは即決なのに」
「流石に将来性を考えるとな。それに俺一人の問題じゃないから」
お兄さんのバンドは五人組。自分だけじゃなくて他のメンバーの意見も聞かないと話は進まない。それは私も同意見。ただあの人たちもかなり変わっているから、答えが予想できない。
「他の方々は何と?」
「二人賛成、二人中立。誰がどちらかなのは琴音なら分かるな?」
「はい」
「それで俺の意見次第で決めると丸投げしやがった。あいつ等、真面目に考えるつもりないだろ」
逆だと思うけど。お兄さんを信頼しているから人生を賭ける決断を任せられるんじゃないかな。私にはそんな相手がいないから羨ましく思う。将来だって決まっている。自由は欲しいけど、結局は十二本家は縛られる存在。
「ならお兄さんの意思次第ですね。結局はいつものことじゃないですか」
「重さが段違いなんだが。たく、琴音も厳しいな。アドバイスとか欲しかったんだが」
「如月家が全面的にバックアップしましょうか?」
「止めろ。というか面白がっているだろ」
お兄さんたちがメジャーデビューするのは大変喜ばしい。私が当主になったらこっそりと支援しようかな。困り果てているお兄さんも珍しい。他人の人生まで決める決断なのだから当然かもしれないけど。私から言わせれば、お兄さんらしくない。
「やりたいか、やりたくないか。その二択しかありません」
「厳しいご意見で。そうだな。人生の記念として考えるか」
「黒歴史にならないことを祈っています」
「止めろ。俺の傷口を抉るな」
過去に何があったのか、これだけをお兄さんは語らない。女装させられた話はしてくれたのに。お兄さんの中での線引きがよく分からない。むしろ魔窟の住人達に恥という概念はあるのだろうか。
「お兄さん。悩んでいるところ悪いのですが」
「どうした?」
「後ろに瑠々さんがいます」
「嘘だろ!?」
驚いている反応はどちらだろう。瑠々さんならここを突き止めるのなんて簡単なはず。それとも何かしらの約束でもしていたのかな。ここには近づかないとか、この日は干渉するなとか。そんなことやっても無駄なのに。
「驚き。私を発見できるなんて」
「俺も驚いた。奈子以外に瑠々をこんな簡単に見つけられる人間がいるとは」
「驚いたのそこですか」
何となく察しただけなのに。瑠々さんを発見するのは一種の才能か、長年の付き合いが必要になるらしい。私と瑠々さんの出会いはお兄さんがいない時に起きた。開口一番にお兄さんの彼女と聞かれたけど、即答で違うと答えたのだったか。
「何の用だよ、瑠々。お前が隣町までやってくるなんて」
「恋愛小説のネタ探し。そういう感じじゃなくてガッカリ」
「「違うから」」
お兄さんもそんな風に思われているんだ。ちょっと嬉しいかな。違う、違う。そんな考えを持っては駄目。勇実さんからも釘を刺されているのだから。
『総ちゃんは私と琴ちゃんの共有財産だからね!』
思い返せば釘を刺されたとは違うかな。あの人の思考もぶっ飛んでいて、私では読めない。学園では親しい友人は少ないのに、どうして年上の人達は私との距離をあっという間に埋めてくるのか。
「甘い雰囲気を期待していた」
「瑠々から見て、俺達はどんな風に見える?」
「仲のいい兄妹」
それで合っていると思う。顔が似ていないから親戚関係だと思われているかもしれない。お兄さんは私を異性として意識していないので妹のように接している。私の呼び方もお兄さんで固定しているのも原因だろうけど。
「禁断の兄妹恋愛へ趣旨替えしよう。存分にイチャイチャすべし」
「頭沸いたか?」
お兄さんの冷ややかな視線が瑠々さんへ突き刺さる。それを一切気にしていない瑠々さんの図太さも相変わらず。魔窟の人間で繊細な人なんているのかな。
「保護者の方はどうしたのですか?」
「奈子は置いてきた。だって締め切り間近だから」
「密告してやるから覚悟しろ」
「私を捕まえられると思うなよ」
「残念だが手遅れだ」
お兄さんの言う通り。たった今、奈子さんが入店してきた。絶望的な表情をする瑠々さんを初めて見たけど、あれほどニッコリと笑顔を浮かべている奈子さんも初めて見る。外見からでは激怒しているとは思えないけど。
「牢獄に入れてやる」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
必死に謝っているけど、それだけで怒りが収まるとは思えない。牢獄と呼ばれる場所は窓が一切なく、電灯とノートPCしかない部屋だと聞いたことがある。そこだと流石の瑠々さんでも脱出は不可能らしい。
「迷惑を掛けた。このダメ人間は私が責任を持って収監しておく」
「嫌だー。あの娯楽のない部屋には行きたくなーい」
「嫌なら原稿を仕上げろ」
脇に瑠々さんを抱えて去っていったけど、乱入されたこちらはどのような反応をすればいいのか分からない。本当に瑠々さんを回収するだけで帰っていったのは予想外。一服くらいしても良かったのに。
「魔窟の人達は相変わらず平常運航ですね」
「マイペースな奴らの集まりだからな」
人の迷惑すら考えないのが一番悪いのだけど。でも後々で思い返すと楽しかったと思えてしまう不思議もある。色んな意味で忘れられない思い出になってしまうのだ。
やらかし案件第二号。
連載開始されたのに記念番外編が時間に間に合わず。
記念日に何をやらかしているのでしょうね。この筆者は。